第7話 アイム・ドゥーイング・マイパート!
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さて。実のところ《《矯正学習の教材》》とやらを見るのは楽しみだったりする。
ここ3日間、ずっと暗い海を泳ぐか、暗い海を引き揚げられるか、暗い蛸壺の中で寝るか、ぐらいしかやってないからね。
とりあえず暗闇は飽き飽きした。
学習教材の鑑賞場所は、最初に吸い込まれた白い壁で青い光が差し込む小さな水槽のような部屋だ。明るさは太陽系の果てでは贅沢品なのだろう。
いつもの食べ残しの殻が部屋の隅にあるので、同じ部屋なのは間違いない。
映像機器があるなら食事の時間に娯楽番組でも見せてくれればいいのに。
刑務所だってテレビを流すらしいよ。テレビで見たことがある。
ぼんやりと漂いながら待機していると、白い壁に青い髪の女が投影された。
いつもとは異なり、リナの隣にも映像が映った。
たぶんこの部屋の白い壁全体がモニターの働きもするんだろう。
『これから矯正学習プログラムの投影を開始します。最後まで見れば餌がでます。途中で視聴をやめると食事は抜きです』
『了解』
言い渡すとリナの映像は消えて。隣の映像が大写しになった。
ここからは映像の中身と僕の感想になる。
ちょっと長いけど、《《いろいろと勉強になった》》から勘弁してほしい。
どれだけ今の状況がクソだってこととかね。
最初の背景は黒かった…いや、これは太陽系のCGなのかな。
中央に明るい星があって、周囲を小さな惑星が回っている。
模式的な太陽系CGに被せるように、大きめフォントで表示される
「太陽系諸星系連合政府総合労働省教育庁協賛」
それが消えるとさらに大きなフォントで「UFOSLE」というロゴ。
UはUnited?FはFederation?OはOrganizaionかな。
Sはわからない。LはたぶんLaborでEはEducationだろう。
英語の組織略称ってわかりにくいんだよね。
ここは映画が始まる前に制作会社とか後援者が表示されるパートになるね。
このパートだけでも僕にとっては情報の宝庫だ。
土星国家が成立しているぐらいだから驚きはなかったけれど、太陽系全体で連合政府が存在しているのは確実みたいだ。人類、頑張ったなあ。
どこかの民間会社でなく政府機関が制作した映像コンテンツ、ということもわかる。ある程度の事実関係については情報を信頼しても良いだろう。
手元にスマホがあれば、ちょっと一時停止して詳細に省庁の組織図を調べながら見たかったのに。
次に映ったのは、一転して力が抜けるようなポップな音楽に合わせたやわらかいフォントで「はたらくどうぶつ わたしたちのしゃかい」と来たもんだ。
ちなみに水中でも音はちゃんと聞こえるーーむしろ水中の方がずっと音が伝わりやすいんだーーから、映像のお話も理解は出来る。あとコンテンツには光信の補助もあったので、難し目の概念も字幕みたいな感じで伝わりはする。
小学校低学年の頃に社会の時間や教育番組で見せられたノリだ。
僕は、もうちょっと知能化されてると思うんだ…動物の知能化程度の見積もりの平均値がこの程度、ということだろうか?
そして荘厳な渋い声で始まるナレーション
「宇宙、それは最後のフロンティア…人類が減りすぎた人口と代替エネルギーを賄うために宇宙へ進出しておよそ2世紀…人間は広大な宇宙を前にして人間だけで社会を営むことはできない、と考えるようになりました…」
うーん…ちょっと宇宙探検宇宙席のパクリっぽい始まり方はひとまず脇に置いておくとして。
今は21世紀でなく、23もしくは24世紀あたりってことか。
物理メディアだったら映像の制作年月日を確かめられたのに。
結局、少子化も環境問題も解決しなかったんだな。
それで打開策が宇宙進出ってのも、どうかと思うけど。
渋い声によるナレーションは続いた。
「ある人間は、人間の身体のまま機械の力を借りることにしました。
彼らは地球に住んで、みんなの故郷の環境を守っています。
ある人間は、人間のまま身体の一部を機械に変えました。
彼らは地球から離れて、地球のために働いています。
ある人間は、全てを機械の身体に変えました。
彼らは地球から離れて、宇宙で働いています」
人間にも階層ができたってことだろうか。
資本じゃなく機械化の程度で差別?その両方か?
地球人がエリート化する流れは宇宙コロニーが出てくるロボットアニメで見た。
人間は差別する生き物だから仕方ないね。
さて。続きは、と。
「それでも働く人は全く足りません。
AIはとても賢いのですが、手足を使って働くことは苦手です。
それにAIは太陽の光が十分に強くないと賢さが落ちてしまいます。
宇宙はあまりにも広すぎました。
そこで人間は、動物たちに助けを求めました。
『人間の友達たち!どうか我々を助けてくれないか?』」
いやです。働きたくありません。
僕の心からの叫びは無視されて映像は続いた。
「犬や猫、イルカやクジラは『いいよ!人間を助けたい!』と言いました。
彼らは人間のとっても良い友達になりました。」
画面にはアニメ調の可愛らしい犬、猫、イルカやクジラが笑顔で人間と一緒に高層ビルが立ち並ぶ都市や綺麗な海洋リゾート都市で働く様子が映っている。
「馬や牛、豚、鶏も『いいよ!人間が僕達も助けてくれるならね!』と言いました。
彼らは人間と一緒に働く頼れる同僚となりました。」
画面には、これも可愛らしい馬、牛、豚、鶏が広く緑豊かな農場で機械を操作する人間と一緒に笑顔で働いている。
「イカやタコは『仕方ない。餌をくれるならね』と言いました。
彼らは人間の下で頑張って働く部下となりました。」
画面では美しい海の中で、イカやタコが魚の養殖場を手助けしている様子が映る。
やがてこれまで登場してきた動物たちが人間を中心に肩を組み、笑顔で宣言した。
「僕達は地球と社会のために自分たちの仕事をしています!」
あ。ふーん。そういう感じなんだ…。
あからさま過ぎてドン引きしたけれど、労働動物にも階層があることが示唆されているのは有益な情報だ。
犬猫イルカにクジラは可愛いから人間の友達。
イカやタコは可愛くないから人間の奴隷、ってわけだね。
可愛いは正義なら、醜いのは悪なんだ。
その後に続く映像も酷いものだった。
とにかく豊かなユーモアのセンスを刺激されたね。
インタビュー風の画面の作りで、犬、猫、イルカ、クジラが笑顔で人間の家庭を見守りながら高らかに叫ぶんだ。
「アイム・ドゥーイング・マイパート!(私達は社会で自分の役割を果たしています!」
緑豊かな農場で、馬、牛、豚、鶏は駆け回って人間の仕事を助けながら笑顔で叫ぶのもお約束。
「アイム・ドゥーイング・マイパート!(私達は社会で自分の役割を果たしています!」
日光の差し込む美しい海で、イルカやタコも働きながら叫ぶーー声帯はないけどーー。
「アイム・ドゥーイング・マイパート!(私達は社会で自分の役割を果たしています!」
そして画面は動物たちの顔がアップになり全員が叫ぶんだよ。
「僕達は、みんな人間と一緒に働くことが大好きです!」
ポップな音楽で締められる。
(終わり)
いやいや。なんだい、これ…
雑なプロパガンダにも程があるだろう?
それとも知能化動物は、こういう見え見えの広告に弱いのか?
ずいぶんと知的能力を舐められたもんだ。
僕らはいつから1984年の世界に紛れ込んだんだい?
もうどこから突っ込めばいいのかわからない。
番組が終わると、ぐいーんと壁から餌の載ったトレイが出てきた。
例のカスタネット飯だったけれど、労働が免除された番組視聴ボーナスとしては悪くない。
そして最後に、くるりんと画面にマスコットが滑り込んできた。
はるか昔のオフィスソフトで起動するごとに執拗に出しゃばって全ユーザーのヘイトを集めていたデザインの青いイルカだ。
「なにか質問はありますか?」
反射的に「お前を消す方法」と質問しなかった僕を褒めてほしい。
それにつけても、まだ生き残ってたのかよ、この青いイルカ…。
『もう一度番組を見たいのですが。見ることはできますか?』
組織の名前や地球の様子、使用されている機械などいくつか見直したい点があったので希望すると、画面のイルカはくるりんとあざとく宙返りをしてから答えた。
「もちろん可能です。給餌は希望しますか?」
『食事が出るの?もう1回見ます!』
知識を満たすことも大事けれど、空腹を満たす機会はそれ以上に重要なのだ。
ふと思いついて2回目の視聴後にも同じ質問ーー見たら食事が出るかーーをしたら、とイルカは同じ答ーー食事は出るーーを返してきた。
僕は調子に乗って番組を5回も見た。5回とも餌が出た。
番組視聴と給餌には、なぜか回数制限が設けられていないようだった。
学習矯正するために繰り返し番組を見せることが推奨されていた可能性もあるけれど、僕は単に仕様が杜撰であった方に賭ける。
どうも全体的にタコの知能化の程度を甘く見ている感じがするんだよね。
僕はタコになって初めてお腹一杯になれたこと以上に、プログラムの隙をついてイルカを出し抜くことができたことで良い気分に浸ることができた。
僕は無力じゃない。知恵を絞ればなんだって変えられる。
ささやかな成功は僕に自信と小さな希望を与えてくれた。
と、同時に。
自らの行為には代償が伴うことも思い知らされることになった。
現実ってやつは厳しくて良いとこ取りで終わってくれたりしないものだ。
というのは、その夜は蛸壺で眠ろうとしているのに、どうしても繰り返し見たムカつくイルカの顔が脳裏から消えてくれなかったんだ。
誰か、イルカを消す方法を教えてくれ!