第6話 1000日後に死ぬタコ
本日からは毎日朝更新です。
997D Left
異なるワードを並べて、そのユーモアを楽しむ遊びってあるよね?
「友達と」「自転車で」「泳いだ」とか、カードを繋げてつなぎの奇妙さを笑うパーティーゲーム。
あんな感じで、今の僕の環境を表してみたんだ。
「地球から」「光の速さで1時間半かかる場所の」「極寒の氷の星の」「暗黒の超深海で」「退職不可能で」「給料が出ない仕事を」「死ぬまでやらされる」。
うーんブラック労働の中のブラック労働。
太陽系でもトップオブトップのブラック労働環境ではなかろうか。
最悪なのにトップって言い方はおかしいか。
ボトムオブボトム?
まあとにかく、僕は今のところ順調に不幸な労働生活を送ってる。
おまけに空腹。
少なくとも1週間は楽しめる体験になりそう、と思っていた異星ーーエンケラドスだっけ?ーーの深海労働だけど、3日で飽きた。
なんというかね、キツいのはキツいけど、とにかく退屈な仕事なんだ。
タコ・シェルを装備して海底に近い海域を小さな四角い機械を抱えて、指示された通りに泳ぎ回るだけ。水は冷たいし海は暗いし疲れるしで楽しくないんだよね。
たぶん水温とか水質を計測したり音響データを収集して何かを探しているっぽいんだけど、内容は教えてもらってない。
労働中の余計な質問は禁止と言い渡されてるし、そもそも調査海域は深々度カプセルがほとんど見えないぐらい遠くまで泳がされるので個人間光信は届かないから軽口の叩きようがない。
せっかく知的能力を強化したんだから、もう少し頭を使う労働につけて欲しいよね。こんな仕事は機械に任せたほうがいいよ。
まあ、たぶん僕のほうが機械よりずっと安価《低時給》だからお鉢が回ってきたんだろうけど。
学歴に見合わない仕事しか供給できない社会では高学歴テロリストが生まれることを地球の歴史は教えているというのに人間は学ばないね。
もしも不満分子のーーN=1だけどーータコの反乱が起きたらどうするんだ。
タコが攻めてくる!火星人襲来だぞ!円盤型UFOで地球を侵略してやる!
いや、僕のいる場所を考慮にいれればエンケラドス人襲来!だ。
ちょっと映画のタイトルとしては冗長で締まらない?
空腹と退屈でお腹と脳が死にそうになる頃ーー今は両方とも同じ頭にあるから苦痛も2倍だーーに、タコ・シェルに内蔵されたタイマーによって労働の終わりが告げられる。
タコ・シェルのタイマーもまた、僕を憂鬱にする要素の一つだ。
見たくはないけれど、どうしても見えてしまう。
ヘルメットに表示されている赤い警告の英数字。
『997D Left…減ってるなあ…」
残り997日。
僕の寿命は、あと3年もないらしい。
さしずめ僕は「1000日後に死ぬタコ」というやつ?
SNSが使えたら、さぞ炎上でバズっただろうに。
毎日カウントダウン動画を上げて1000日目の直前に「すべてお話します」という下品なゴシックのサムネイルの動画を上げて、便乗グッズも売ってみたりとか。
この労働を続けても未来がない。その上、仕事もキツい割に退屈。
それでも僕は他にどうしていいかわからない。
流されるままに長時間の労働に従事し、点滅と低音の警笛で終業を告げる深々度カプセルへのろのろと向かうのである。
『ねえ、相談があるんだけど』
疲れ果てて帰還のためカプセルに貼り付くと、いつも映像が表示される場所に向けてーーカメラがありそうだからねーー腕足の先で光信をする。
深々度カプセルに貼り付いてから基地までケーブルが引き揚げられるのには2時間はかかるし、その間に退屈な労働の気晴らしと情報収集を兼ねて、僕は青い髪の女上司と雑談をすることにしている。
『相談というよりは提案なんだ、リナ。仕事のやり方についてね。』
『なんでしょうか?』
仕事終わりには彼女も気を許しているのか、あるいは単に退屈しているのか、愛想はないが話に応じてくれることもある。
昨日、ようやく彼女の名前がリナ、ということを知った。
『今の仕事なんだけど、あんまり効率がよくないと思うんだ。その…何を探しているかとか、何のために探しているかとか、目的とかを共有したほうがいいと思うんだよね。その方が探してものを見つけやすくなると思うし』
『目的を理解できれば効率が上がるのですか?』
『必ず上がるとは約束できないけれど、発見の確率は上がると思う』
『…続けてください』
『つまりね、僕には知識が欠けているらしい。僕の知能化はうまくいったようだけど、学習はうまくいってない、と言っていたじゃないか』
『そうですね』
打ち解け会話は出来た。
立場への同意も引き出した。
ここまでは交渉がうまく運んでいる。
次が勝負だ。
僕は、なるべく《《さりげなさ》》を装って要求した。
『だからさ、スマホくれない?』
『スマホってなんですか?』
『…えっ…???…!??』
勝負の言葉が上司には素で問い返されてしまい、僕は混乱する。
まじか。未来の土星連邦民はスマホを持ってないのか。
考えてみれば、ちょっとーー13億キロばかりーー地球からは遠いものな。
エンケラドス人はスマホの電波圏外の民なのかもしれない。
地球の地理で例えればアフリカ中央部やアマゾンの奥地より僻地なのかも。
無神経に気に障ることを聞いた。
未来でも田舎の人って大変なんだな…。
『オクト、何を考えているのかわかりませんが、変な色で光るのを止めてください』
おっと。同情が体色に表れてしまったか?
この体は心に嘘はつけないからね。
すまんね。悪気はないんだ。
『今調べました。スマホ…大昔の情報収集機器のことですね。ずいぶんとレトロな趣味をしていますね。たしかに学習の偏りが見受けられるようです』
レトロ趣味。そういう方向性で解釈されるのか。
リナは何かを見透かすようにして、僕に許可を与えた。
『わかりました。学習機材を用意しておきましょう。食餌後に学習時間を割り当てることにします。オクトには学習矯正が必要です』
「食餌」とか「矯正」とか、なにか期待していた方向性とは違う単語が聞こえた。
まあでも、今よりも状況が悪くなることはないだろうさ。
その後は何を光信してもリナは答えなかったので、僕も仕方なく深々度カプセルに貼り付いたまま、じっと分厚い氷の天井が見えてくるまで長いことケーブルの先を見上げ続けた。
もしも人間だったなら、さぞ首や肩が痛くなっていたことだろう。
肩こりが《《物理的に》》なくなったのは、数少ないタコになって良かったことと言えるかもしれない。