4話 転生前
「お先に失礼します。お疲れ様でした」
「お疲れ様です」
オフィスに残っているのはとうとう俺一人になってしまった。もう21時だというのに明日の資料作りがまだ終わる気配すらない。全部急な上司の無茶ぶりが原因だ。
『ごめんごめん、明日本社のお偉いさんが来ることになったから今の進捗とこれから取り組む仕事とかまとめておいてよ。ああ、もちろん我が部署が凄そうに見せてよ』と言われた次第だ。しかも上司は今日接待があるとか言ってこの仕事から完全に手を引いている。
重要な仕事なのに指示がアバウトすぎて何を作ってもしっくりこない。腹立つ。
「はぁぁ、早く終わらせるかぁ」
独り言を言いながら作業に集中しようとしたとき、かすかに机が振動した。
「うちの備品も結構使ってるからガタが来たか」
そう思ったのもつかの間、机だけでなく書類棚や観葉植物までも動いて見える。
「地震か、それもそこそこ大きいな」
しかし、地震大国に住んでいる以上そこまで慌てはしない。海外から来た人は震度1や2でも結構慌てるらしいが小さいころから自身はそこそこあったし何より別の地域だが大地震が我が国を襲った惨状を知っている。特に気にすることなくパソコンに向かおうとするがそれでも振動は収まらない。それどころかもっとひどくなってきている。
「もしかして、来る来る詐欺をしていた大地震なのか?」
少し危機感を覚えてきたときには遅かった。
椅子は縦横無尽に動き始め、机上にある資料はどんどん床に落ちていく。急いで椅子から離れ机の下にもぐる。
「キャー!!」
突如悲鳴が聞こえた。おそらく隣の部屋からだ、まだ他に人がいたとは。
「助けて! 誰か助けて! 痛い、痛いの!」
悲痛な声がつんざく。何かに挟まったのだろうか、どうすればいいのか。考えている間にも揺れは収まる気配がない。とうとう書類棚からは物が流れ落ち、観葉植物は倒れ転がっている。このまま自分も出ていけばあの人のようにけがをしてしまうかもしれない、そもそも揺れのせいでまともに動くことすら困難だろう。それでも、
「痛い、痛いよぉ」
この声がずっと聞こえる。もはや聞きすぎて幻聴かと疑いたくなってくる。
行こう、そう決めた。幸いドアまでは近いしドア越しに声が届くならあの人もかなり近い気がする。決心して机から這い出る。縦横無尽に動き回っていた椅子は部屋の隅っこのほうに固まっておりこちらに突っ込んでこなければ障害になることはない。一歩ずつ机の端につかまりながら進んでいくと意外とあっさりドアについた。ドアを開け、壁をつたいながら進んでいると
ガクンッ
一際強い振動が来た。思わず膝をついてしまうがそれでもまだ進む。声が聞こえたほうのドアにようやくついた。扉を開けるとそこには倒れた机に脚を挟んだ女性がいた。机が倒れるということをあろうことかさっきは失念していた。こんな風になった自分を想像してぞっとした。
「大丈夫ですか、今行きますからね」
「ああ、よかったぁ」
女性は安堵した表情でつぶやいて力が抜けたかのように倒れこんでしまった。緊張の糸が切れ、気を失ってしまったのか。
「大丈夫ですか!?」
そう言い、近づこうとした際、正面にあった壁が目に入った。それと同時に周りの物の流れがゆっくりになった。
壁が斜めに倒れこんでいる。それに伴い天井も傾き始めている。しかし、すごいゆっくりだ。自分がどんな状態がふと気になり脚を見ようとするが全然見ることができない、正確には目を動かすのが遅くなっている。
悲しいことに分かってしまった。自分は死ぬのか。いろいろな考えが巡る。
もっと早く助けに行けばよかったのか、それとも完全に無視してずっと机の下で安全を確保しておけばよかったのか、そもそもこんな夜遅くまで残ることを拒否すればよかったのか。
しかし、どの案も次々と否定していく。早めに助けに来ても救助している時間で結局はダメ、ずっと机の下にいてもどうせ天井が崩れて巻き添え、上司の命令だから断ることはそもそも厳しそう。
そんなことを最期に思っているととうとう天井の下敷きになってしまった。
◆
だんだんと眠気がなくなり目をうっすら開ける。ぼやける視界で軽く周りを見渡すとあたり一面暗めの赤い壁に囲まれている気がする。
「ここはどこなのだろうか」
そもそもなぜこんなところにいるのか、今の自分はどうなっているのだろうか。そんなことを考えていると徐々に体に力が戻ってくる。なんとか上半身を起こして自分の姿を見る。いつものスーツ姿だ、ちょっとよれているなぁ、などとくだらない考えをしているといつの間にか目の前に半透明の年老いた男性が宙に浮かんでいた。
「うわぁ!」
「おぬしは何を望む?」
「え? なに?」
「そう慌てるな、ただ儂はおぬしが何を望んでもう一度やり直すか聞いているだけじゃ」
「は? 何の話?」
「じゃから、…」
何回か問答をしてようやくわかった。俺は地震により壁の下敷きになって死んだこと、その直前に何をしていたか。そしてこいつは俺が直前に死ぬときの思いに興味を示し転生させて新たな人生をやり直させてやろうとのこと。その転生の際に何か欲しいモノや能力はないか聞いていたとのこと。
――あの一言でわかるわけないだろ!
そう思いつつ、そのことを言ったら確実にまた無駄な話が始まりそうなので黙っておく。
「話は理解しましたが、俺の直前の思いに興味を持ったって何?」
「だから何度も言っておろう! おぬしは最期に何を思ったか覚えておらんのか! 結局自分がどうすればよかったのか、自分に足りなかったものは何なのかとかいろいろ葛藤していただろう!」
「死ぬ直前のことなんて覚えているか!」
そうは言いつつもやり取りを通じて何となく思い出してきた。上司に理不尽に残業させられたと思ったら地震が来て、女性の悲鳴が聞こえてからそこそこ迷って助けに行こうとした際に地震の崩落に巻き込まれたこと。
俺は何がしたかったんだろう、どうすればよかったのだろうか、自分に何があればよかったのだろうか。そう考えこんでいると、
「行動力…」
ふと口に出ていた。もっと早く決断し、行動していたらもっと違ったかもしれない。そんな考えで頭がいっぱいになってきた。なんか悲しくなってきた。
「おぬし、良いこと言ったな。ここに来て初めて良いことを言ったのではないか?」
「一言余計だ、じじい」
「その余計な一言を今は聞かなかったことにしてやろう。そこでだ、おぬしには儂から『行動回数増加』というものをやろう!」
「何? 『行動回数増加』って何? どういうこと?」
「おぬしにはこの神託を授けておぬしが住んでいたところでいう異世界に行ってもらおう」
「そもそも、新たな人生を始めたいとも言っていないんだが」
「そうそう結局『行動回数増加』というのは、名称通りの意味だ。おぬしがいける! と思ったタイミングで仕掛けることが出来…。他にも、おぬしが外敵などにより死ぬといった際には自動で発動する優れもの…。まあ、少しばかりその代償を払ってもらうが。まあそうならないよう…。くれぐれも自分の思い込みで能力を限定するんじゃないぞ。ああ、後それから…。 …これ言ったかのう? まあまた言えばいいか、神託について…。そういや転生先のことについても言ってなかったな、おぬしはとりあえずユーメリ大陸の…」
長い、長すぎる。全然頭に入ってこないんだが。
そう思っていると意識がどんどん薄れていく。この謎空間にいられる時間の限界なのか、こいつの長話により頭が痛くなってきたことが原因なのかわからないが意識の限界だ。
「何度も言うが、自分で限界を勝手に作り上げてはいけないぞ。なぜなら…」
こいつはまだ楽しそうに話し続けているのか、今度会ったら一発ぶん殴ってやりたいな。そんなことを考えているとついには意識を手放した。