第8話 にじいろ
「光は時間も空間も超えちゃうんだって」
悠里ちゃんが言った。
「今、明日のおやつのこと考えるとするでしょ。ミスドの期間限定のやつ。明日から発売だったなぁ、あれ食べよう!って。そしたら意識は、一瞬で明日のおやつのドーナツのところに飛んでいくんだよ」
悠里ちゃんが目を閉じてる。きっとドーナツのこと想像してるんだ。
「昨日のおやつのこと思い出してみてよ。あ、さっき一緒に食べたアイスのことでもいいや。美味しかったよね。ね、思い出した? 今思い出した瞬間、ついさっきの過去に、私たちの意識が出現したことになるんだってさ」
「悠里ちゃん、おやつのことばっかり」
「へへ」
相槌を打つかのように、ポイヨ、とピーちゃんが鳴いた。
アルビノのオカメインコのケージは、私たちのいる自宅の一室に鎮座している。私と葉月の部屋だった。
「私の感情……」
呟いてみる。小声だったから、すぐ傍にいても悠里ちゃんには聞こえなかったようだ。彼女が今、ノリノリでピーちゃんの口笛に合わせてハミングしているせいもあるだろう。
私の感情。今は光っているだろうか。何をしたらキラキラするだろうか。
ちょっとだけ、意識を過去へ飛ばしてみようと思う。
◆◆◆
感覚と感情を殺しながら、父によって身体を蹂躙されていた最中。
ベランダの物干し竿に、一羽のカラスが止まっているのを見た。
黒い羽が陽の光を受けて煌めいていた。黒なのに、虹色に見えた。その時初めて、その日は朝から快晴だったことを思い出した。
カラスの黒い身体の上を、キラキラと光が揺らめいている。羽繕いするカラスからそれを見ている私の中へ、光が注ぎ込まれていく――そんなふうに感じた。
痛みとは別の、熱とは別の、虚無とは別のエネルギー。
――走りたい
真空の思考の中に、ゆらゆらと煙のように出現したのは、そんな欲求だった。
――走りたいなぁ
次に出現したのは、学校のグラウンドのイメージだった。土埃を切るように抜けていく風を生む、私の四肢。地面を蹴って、駆け抜けて。私は風の一部になれる。現状とは全く逆の、穢らわしさを一切帯びない呼吸音が聞こえてくる。その音を出しているのも、私。
――いいなぁ
イメージの中の自分に心底嫉妬して泣いた。ガラスの向こうで、こちらを見つめるカラスの輪郭が涙でぼやけた。
走りたい。走りたい。走りたい。
「……たい」
「え?」
くぐもった父の声が聞き返す。湿気を含んだ口臭と汗の匂いにえづきそうになる。
コン
「何だ?」
違和感のある物音は、ベランダから。
「カラス?」
黒い鳥が嘴を窓にぶつけた音だった。
「いやだ」
黒い羽が光を運んでいた。
「美琴ちゃん」
「もういやだっ!」
咎めるような大人の目線に怯みそうになったのと、玄関ドアが乱暴にノックされたのは同時だった。