どうやら俺は社会的に死ぬらしい
美味しそうに小豆飯を頬張る座敷わらしを見ていると、ふと気になったことがあった。
「そういえば名前、なんて言うんだ?」
「へ? 座敷わらしですけど」
「まさか名前が無いのか?」
「特に必要だったことが無いので」
「マジかよ。でもそれじゃあ不便だしなんか考えてみるわ……」
うーむ、座敷わらしか。座敷は英語で? ……わからん。わらし、童子、childじゃん……
頭を悩ませていると、ふと座敷わらしが食べている小豆飯が目に入った。
「そうだ小豆、小豆でどうだ?」
「小豆、ですか。私に合ったいい名前だと思います。……ふふ、大事にしますね」
「よっしゃ。よろしくな、小豆」
「はい、こちらこそ。そちらの名前も教えて頂けますか?」
「ん、俺は二ノ宮裕、ニノって呼んでくれ」
「ニノさん……いい名前ですね!」
「ありがとう」
ちなみに、俺は小さい頃からニノと呼ばれていて、下の名前で呼ばれるのはかなり稀なのだ。
「ちなみになんですけど、どうしてニノさんは一人暮らしを?」
「あー、それはだな」
俺は今、高校2年生。両親は、仕事の都合で海外に出張に行ってしまったのだ。親が海外に行ったものの、俺は高校を変えたくなくて一人暮らしをすることになった。
その際、折角ならアパートを借りて一人暮らしをしたい、と申し出たのだ。あの広い家で毎日一人なんて俺には寂しすぎるしな。
家賃分は負担してもらっているが、他は自分でやりくりするつもりだ。既にバイトの面接にも受かっている。
「……先は思いやられるが、何とか上手くやるよ」
「私もできる限りお手伝いしますね!」
「ありがとう、小豆」
「……なんというか、名前を呼ばれるって言うのも照れくさいですね……」
と、そんな感じで夕飯を終えた。
「ごちそうさま」
「ご、ごちそうさまでしたっ」
普段はあまり食事を取っていないからなのか、ハッと思い出したかのように挨拶をする小豆。なんというか、癒される。
「さて。じゃあ風呂でも沸かしてくるか」
「あ、私がやりますよ。伊達に座敷わらしやってませんし、お風呂掃除も得意です!」
「そうか? ではお言葉に甘えて」
小豆は和服の袖を揺らしながら風呂場へ向かった。さて、お陰で俺は暇ができた訳だが……
「やべっ、課題やってねぇや」
ちなみに今日は日曜日。引っ越し関連の云々をしてたら週末が終わってた。土日の分の課題をやる時間があまり無かったので今やる。そんなに量も多くないし、事前に少しだけやっていたので、30分程度で終わるだろう。小豆に先に風呂に入って貰えば、時間的にはちょうどいいだろう。ちなみに、教科は数学。
それから10分程度で小豆が戻ってきた。
「ニノさーん! お風呂の準備が出来ましたよー!」
「ありがとう。先に小豆が入っていいぞ。俺は課題を終わらせる」
「えっ、お風呂に入ってもいいんですか!?」
「もちろんだ。ゆっくり浸かってこい」
てっきり、座敷わらしなのでお風呂も必要ありませんとか言われるかと思ったが、杞憂だったらしい。驚いてはいたが。折角手伝ってくれたんだし、是非疲れを取って頂きたい。今まで辛い思いをした分、ここでは出来る限り過ごしやすくしてやりたい。
会ったばかりだけど、なんだかそう思えた。
「……さて、小豆が上がってくる前に終わらせるか」
俺は再び数式に向き合った。
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「……本当に、優しい方ですね」
私は久しぶりに湯船に浸かりながら、今日この部屋に引っ越して来た、ニノさんのことを考えます。
「今までの方たちと違って、私を邪険にしませんでした。気味が悪いと逃げて行ったりしませんでした。それに、一緒にご飯を食べてさせてくれて、こんな風にお風呂にも入れて……本当に嬉しいです。今度こそ見捨てられまいと必死にお手伝いをしているつもりでしたが、救われたのは私の方だったのかも知れませんね。
……って、私は何を言っているんでしょうか!? ニノさんにご迷惑をお掛けしていますし、早く上がりましょう」
私は慌てて浴槽を出ました。
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「ふぅー、やっと全部解き終わった。ここの問題難しすぎだろ」
難しかったが、解けた時めっちゃスッキリしたので許す。さて、そろそろ小豆が上がってくる頃かな──。
ガッシャーン!
お風呂場の方で何かが倒れるような大きな音がした。大丈夫か!?
心配になった俺は、リビングを飛び出し、洗面所を抜け、お風呂場のドアを開けようとして……気づいた。
……待て。今は小豆が風呂に入っている。これは勝手に開けたら俺が社会的に死ぬんじゃないか?
と。妥協案として、扉越しに声を掛けてみることにした。
「おーい小豆、なんか大きな音がしたが、大丈夫か?」
「ごめんなさいっ! 私は大丈夫ですが、椅子を倒してしまって……へ?」
「……っ!?」
目があった。なんと、小豆は俺に謝罪するために扉を開けてしまったのだ。
濡羽色の髪や瞳。上気した頬、桜色の唇、露出した鎖骨、小豆の乗った小ぶりな──
「きゃぁああああ!?」
「すいませんでしたぁ!!」
拝啓 お父さん、お母さん。俺は、年下の女の子の裸を見てしまったので、社会的に死ぬことになりました。これから警察署に出頭しに行こうと思います。さようなら。
俺は即座に回れ右。両親への連絡をどうするか考えつつ絶望する。
俺は社会的に死んだ。この瞬間、間違いなく死が確定した。ラブコメならばラッキースケベで許されるだろうが、流石に年下の女の子はまずいだろう。ロリコン扱いされてニュースで全国放映されるんだぁあああああうわぁあああああ!!
「あ、あの……」
「はいっ! なんでしょうか!」
「着替えたいので、出て行ってもらってもいいですか……?」
「はいっ、申し訳ございませんでしたっ!」
恥ずかしそうに言う小豆に対し、俺氏渾身の謝罪(ただし後ろ向き)。出て行けと言われたのでいっそのこと玄関の外に出た。そして反省。
「……はぁ、俺は一体何やってんだか」
玄関前の共用廊下で星空を見上げる。
「しばらくシャバに戻ってくることは無いかな……」
なんて若干カッコつけながら先程の失態を恥じる。
「マジで何やってんだか俺は。そりゃ女の子が風呂に入ってるんだもんね!? 近づいちゃダメだよね!?」
愚かだ。実に愚かだ。ロリコンの汚名を背負って生きて行くんだ……
そんなことを思っていると、不意に玄関の扉が開き、中から小豆が手招きしていた。
「何してるんですか、外は寒いんですから早く上がってくださいよ」
「あ、はい」
大人しく従う。犯罪者(認めたくない)の俺にも気遣ってくれる小豆は、本当に良い子と思う。前の入居者たちは見る目が無いんじゃないか?
「……さて。さっきの件ですが」
「……はい」
「全面的に私が悪いので、その、気にしないで頂けると嬉しい、です……」
な、なんだと……!? 俺は許してもらえると言うのか……!?
「まさか、許してくれるのか!? 俺がその、裸を見たこと」
「意図的だったんですか?」
「いや、俺はただ小豆が心配で」
「だったらお気になさらず。私が急に扉を開けたのが悪いんですから」
小豆が一瞬女神のように見えた。本来なら俺は裁かれて然るべきだが、何とか一命を取り留めたらしい。
……助かった。
「さ、夜も遅いですし、寝ましょう。私は必要ありませんが」
「あぁ。でも、寝たけりゃ布団貸すぞ? 俺は部屋の反対で横になるから」
「いいえ。そこまで気にしないでください。座敷わらしには座敷わらしで、夜にするべきことがあるんです」
「……そうか。じゃあおやすみ」
「はい。おやすみなさい」
俺は布団に横になる。引越し作業の疲れからか、いつもより早く瞼が落ちてしまった。
「……ふふ、では、座敷わらしのお仕事でもしましょうかね」
ニノが夢の世界に旅立った頃。小豆は、眠る彼の髪を一撫でして両手を合わせた。
「『明日も幸せが訪れますように』。座敷わらしの願掛けです」
カーテンの隙間から差す月明かりが、わずかに紅潮した彼女の頬を映し出した。