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その08『対吸血族用のスタンガン』

 今東の指示でタクシーは十分ほど走る。まさか家ではないだろうと思っていたが、降りた場所は駅近くの繁華街だった。

 辿り着いたのは飲食店が所狭しと並んでいてその一角にあったホテル。まだ新しくとても小綺麗な建物である。


「ここ最近、ここの常連なんだよね。サービスと設備がなかなか良いんだよ」

「…………」


 表情は変えてないが内心はウンザリだった。あのさぁ、常連って……そんな事を聞かされてどう反応しろって言うのよ。ホントバカじゃないの、この男。


 吸血族は人間に吸血をすると、意識を混濁させる能力がある。しかもその間の記憶を飛ばせるオマケ付きだ。吸血族の存在を隠すために昔から備わっていた能力らしい。

 だから少々変な事を言っても大丈夫だと思ってるのかもしれないが、残念ながら同族――――私には効かない。


 さてと……ホテルまでついて来たのは良いけど、問題はこの後よね。

 急にココで帰ると言っても簡単に許してはもらえないだろう。ちょっと力ずくな事をしても、後で記憶を飛ばせばイイと考えてるだろうし。


 あいにくこの男を昏倒させる体術などは持ち合わせていないが、ひとつだけ逃げる方法がある。

 カバンの中から手の中に収まる小型の物体をコッソリ取り出すと強く握りしめた。ファロス特製の対吸血族用のスタンガンだ。


 その見た目からはコスメの一部かと思われがちだが、実は吸血族を一発でダウンさせる事ができる代物である。肌身離さず携帯している私の大事な護身用武器なのだ。

 ただしその辺の道端で安易に使えば、誰かに見られた途端通報されてしまう。だから人目がなくなるホテルまで大人しく付いてきたのである。


 フロントに顔を覚えられないようにと思っていたが、受付にスタッフが常駐してないホテルで助かった。空いてる部屋を指定すれば自動で鍵が手に入るらしい。

 廊下内では俯いて顔が防犯カメラに映らないように気を付けた。室内に入った後も念の為に確認したが、さすがに設置されてないようだ。


「ねぇ、今東さん。お先にシャワーをどうぞ」

「……えっ? 俺が先で構わないの?」

「えぇ、勿論」


 自慢の笑顔を見せて頷くが本心は違う。

 ……なんてね。コチラに背を向けた瞬間に首筋にスタンガンを押し当てて昏倒させてやるわ。それで少しは懲りると良いのよ。念のために、後で友重にも通報しておかないとね。


 そうしてニコニコしながら今東がバスルームに向かうのを待っていたのだが、スーツの上着を脱いだ彼はいきなり私の腕を掴んだ。有無を言わせない凄まじい力に全く抵抗できない。


 ちょ、ちょっと何すんのよ、この変態男!!!


「代田さんって綺麗な首筋をしてるよね。スゴく美味しそうだなぁと思ってたんだ」


 どストレート過ぎる発言に思わず背筋がゾッとなる。危険を感じて必死でもがく私の首筋に熱い吐息が当たった。

 マズいと思った瞬間、凄まじい衝撃が走り抜けていく。一瞬息が止まりそうになり、それまでクリアだった視界がグニャリと歪んだ。

 咬まれた衝撃で手元が緩み、持っていたスタンガンが滑り落ちてしまう。


 し、しまったっ!!


 白い牙が突き刺さった部分が燃えるように熱く、頭の中で脈打つ音が激しく響き渡った。

 あぁ、そうだった、この男はずっと吸血したがっていたんじゃないか。

 部屋に入ってからも油断するべきじゃなかった。密室の死角を待っていたのは私だけじゃなかったのだ。


 体温が急速に上がり、身体中の血が逆流しているような感じがする。今東の濃厚な吸血族臭が鼻をくすぐると共に、甘い刺激が首元からジワジワと広がっていく。

 目の前が眩むような恍惚感が湧き上がり、そのショックで脚が震えて力が入らなくなってしまった。


 あぁ、ヤバい……!


 焦った私は咄嗟に今東の身体を突き飛ばす。普通の女性ではあり得ない力に、油断していた彼の身体は弾き飛ばされて壁に大きくぶつかった。

 追いすがられる前に急いで逃げようとしたが、脚に力が入らなくてよろめいた。壁に手をついたものの膝から崩れ落ちてしまう。


 ジンジンと疼くうなじからツッ……っと血が垂れ落ちて、カーペットに黒いシミを作っていく。突き飛ばした所為で上手く牙が抜けなかったのだろう。想像以上の出血量だ。


 昔好奇心で吸血行為をした事はあるが、咬まれたのは生まれて初めてである。

 しかし出血症の割に痛みはなかった。唯一感じるのは心がトロケるような陶酔感だけ。私は大きく喘ぎながら床のシミを眺めた。


 あぁ……どうしよう……。身体が怠くて重くて、そして気持ちイイ……。明確だった思考がゆっくりとトロケていくのが分かる。そして喉の渇きを感じた。


「まさか……代田さんって、同族だったのか?」


 直ぐ背後で唸るような低い声が響いてハッと我に返る。放つ吸血族臭はかなり強い。咄嗟に背後のヤツを振り仰いだ瞬間、ゾワッと鳥肌が立つのを感じた。


「――――!」


 あんなにも整っていた今東の容貌は、明らかに異形なモノへと変わっていた。金色に輝く瞳と不自然に伸びた犬歯が妙に白く生々しい。

 初めて同族の血を吸った吸血族は、先祖返りを起こして変貌すると聞いた。どうやら今東も初めての経験らしい。

 そしてそれと共に強い欲望の発動――――強制発情が起こるはずだ。この変貌と爛々と輝く金色の瞳が何よりの証拠である。


 マ、マズい……!


 こうなると理性など一瞬で吹っ飛ぶという。凄まじい恐怖が湧き上がって慌ててドアに向かって這いずった。このままでは私も強制発情に巻き込まれてしまうだろう。

 しかし強烈な吸血族臭に当てられたのか身体が上手く動かなくて、ただ喘ぐ事しかできなかった。この状況はもう絶望しかない。


 ダ、ダメだ、強制発情した吸血族から逃げるのは無理! 上からのし掛かられて床に押し付けられてしまい、その絶対的な力の差に心が折れそうになる――――が、その時だった。


 確か鍵が掛かっていたはずなのに、目の前のドアが乱暴に開く。

 靴しか見えないその人は足元の私に気付くと、スゴい力で手前に引きずり寄せる。掴まれた腕の痛みに混濁していた意識が戻った。


「イズミン、大丈夫!?」


 聞き覚えのある声が響く。弾かれたように顔を上げると、今東の前に立ち塞がっていたのは友重である。這いつくばった私を庇うように、今東の身体を押し留めているのだ。

 どうしてこの男がここに居るのかは分からない――――が、そんな事はどうでも良い。この助っ人の登場には感謝しかなかった。

 彼は今東と激しく揉み合いながら大声を上げる。


「イズミン、ウチ(ファロス)のスタンガンは何処!?」


 あ! そ、そうだ、スタンガン!


 反射的に床に目をやるとドアの直ぐ近くに転がっていた。しかし彼に伝えたくても喘ぐばかりで声が出ない。

 強制発情の所為か今東の力はかなり強いらしく、友重を強引に押し返すと背後の壁に叩き付けた。

 呻き声を上げて友重が怯んだ瞬間、今東は再び私に手を伸ばしてくる。


 どうやら今のヤツに冷静な考えなど吹っ飛んでいるらしい。とにかく吸血欲求が優先されてしまうようだ。恐怖とショックで動けない私の目の前で、間一髪のタイミングで友重が間に割り込んだ。


「――――っ!」


 庇って差し出された右腕に今東の白い牙が食い込む。みるみる薄いグレーのシャツに赤黒いシミが生まれていき、甘い血の匂いが鼻をついた。

 友重は咬まれた腕に構わず、強引に今東の身体を押し返そうとする。その度に牙が食い込んで赤い液体がポタポタと床に垂れていく。


 ショックで固まっている私も息を呑んでその様子を見守った。もうスタンガンの事も頭から吹き飛んでいた。

 しかしまたもや友重が押し返されてしまう。助けが来たと思ったのに、やはりもうダメかもしれない。そう絶望しかけた次の瞬間――――


 不意に今東の身体が大きくグラついた。どうしたのかと思う間もなく、そのまま大きな音を立てて床へと倒れ込んでしまう。驚く私達の目の前で細い人影が現れる。


 いつの間にか今東の背後に若い女性――――サエが立っていた。

 彼女の手には注射器のようなモノがあり、どうやら今東の首筋に何かを打ち込んだらしい。身体を弛緩させる薬液か何かだろうか。

 彼女はホッとしたように大きく息を吐くと、腕を押さえる友重を睨み付けた。


「ちょっと志信さん、何て無茶をするんですか。強制発情した吸血族は危険だから、私が行くまで入り口で待機してて下さいと言ったでしょうが!」

「あー……それはそうなんだけど、モニターを確認したらそんな余裕はなかったんだよ。勿論サエちゃんが来てくれて助かったけどさ」

「普段から自分は頭脳派で肉体派じゃないって言ってるくせに……危ないにも程があるわ。だからこんなヤツに咬まれたりするんですよ」


 サエはブツブツ文句を垂れ流しながら、倒れて呻いている今東の腕を背後に回して拘束具を取り付けた。慣れてるらしくほっそりした体つきなのに手際が良い。

 友重はその様子を眺めながら安堵の吐息を洩らすと、壁に寄りかかって咬まれた腕から力を抜いた。

 ダラリと垂れた腕を伝って血がカーペットにドス黒いシミを作っていく。何故かその光景に私の目が釘付けになった。


「それで……ソッチの女はどうだったんですか?」

「出血量は酷いけど、彼女自身は血を吸ってないみたいだよ。吸血行為で咬まれただけだから、直ぐに傷口は塞がると思う」


 友重の声がスゴく遠くから聞こえるようだ。再び意識がゆっくりとトロケ始めていく。友重とサエの会話が小さくなり、今の私が認識できるのは赤い液体のみ。


 …………赤い血……何かスゴく綺麗で……美味し……そう?


 甘く魅惑的な香りが鼻をくすぐった。急激な喉の渇きを覚えて無意識に吐息が洩れてしまう。


 あぁ……美味しそう……。いや、絶対に美味しいはずだ……。


 ふと友重の背後にあった大きな鏡が目に入る。そこには金色の目をした私の顔が映り込んでいて、その初めて見た異様さに背筋がゾッとした。

 そして私の中でこれまでにない強い欲望――――吸血欲求が湧いているのをハッキリと感じたのだった。



お読み頂いて有難うございます。

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