その07『ちょっと血を吸われるだけ……』
とりあえず話しかけられても最小限の答えに留めていたものの、反対隣りからは峯西さんがいちいち会話に割って入ってくる。
あぁもう、何なのよこの鬱陶しい状況はーーっ。
笑顔の押し売りをしてくる二人に挟まれてイライラが募るばかりだ。特に隣に居座った今東の馴れ馴れしさにはウンザリである。
そんなわざとらしい笑顔なんて、普通の人間には通じても私には通じないと言ってやりたいわ。だいたい貴方以上に容姿が優れてる吸血族なんて、いくらでも居るんだからね。
例えば――――明らかに日本人離れした容貌の友重。
中身はとにかく、東洋人らしくない顔立ちは同族の中でもかなり珍しい部類だ。小説に出てくるような吸血族のイメージそのモノである。
吸血族は元々海外から渡来してきた種族と言われてるらしいが、まぁ彼の場合は普通に考えて親がソッチの系統なんだろう。
「そう言えば……代田さんの付けてる香水って、前からいい匂いだと思ってたんだよな。メーカーは何処のヤツ?」
「は……??」
いきなりセクハラまがいの事を言われてギョッとしてしまう。しかも香水の話だ。
一瞬口ごもったものの、まさかここでファロスの名前を出す訳には行くまい。この男だって組織のウワサぐらいは聞いた事があるだろう。
峯西さんにしたのと同じ言い訳をすると、今東は意外そうに目を瞬かせた。
「へぇ……そうなんだ。結構いい香料を使ってると思うんだけど……無名とは意外だったな。コレに似た香りと言うと、俺が知ってるメーカーでは……」
そう言いながらいくつかのブランド名を上げていく。
げっ、もしかしてこの男、香水に詳しいワケ? 吸血族は鼻が利くので匂いにこだわる者も多いらしいが、どうやら今東もそのタイプのようだ。
――――まさか……吸血族臭を嗅ぎ分けた訳じゃないわよね?
ファロスの香水で打ち消されてると分かっていても、匂いを指摘されるとホント心臓に悪い。もしかしたら本能的に感じるモノがあるのかもと思えて、生きた心地がしなかった。
あぁ……もう、だからこの男には近寄りたくなかったのよ。目先の欲望に眩むんじゃなかったわ。はぁ……もう堪えられない。
バッグを掴むと私は峯西さんにそっと耳打ちをする。
「あの……ゴメンなさい。お手洗いに行ってくるので、私の飲み物は適当に頼んでおいて下さい」
「えっ……? あ、はい、分かりました。私に任せておいて下さい」
彼女は嬉しそうに何度も頷く。もしかしたら気を利かせたのだと思ったのかもしれない。少々不安はあるものの、会話をするくらいなら特に害はないだろう。
そう考えた私はお手洗いから戻ると、わざわざ反対側に回って違う人の隣に座った。今東がチラリと視線を送ってきたが、思いっきり無視してやる。フンだ、これ以上あんなヤツの相手なんかゴメンだわ。
他の人達と会話をしつつ、ヤツから離れられてホッとする――――が、しかし。
しばらくして吸血族臭が薄くなってる事に気付いた。ハッとして二人の方に目をやると、いつの間にか揃って消えている。反射的に腰が浮く。
えっ、ウソ……まさか二人っきりで出て行ったの? しまった、峯西さんを連れ出すとは思わなかったわ。私は慌てて彼らのそばに居た北園さんに声をかけた。
「き、北園さん、今東さんと峯西さんが見当たらないんですけど、何処に行ったのか知りませんか?」
「え? あぁ……ホントだわ。でもまぁ途中で消えたんならそういう事でしょ。そりゃ今東くんは代田さんを呼ぶように頼んできたくせに、勝手だとは思うけど……」
はぁ? あんなに飲み会に誘ってきたのは今東の所為なの? ホント余計な事ばっかりするわね、あの吸血族めっ。
イラ立つ私を眺めながら北園さんは軽く髪を掻きあげた。
「でも……彼らも大人なんだから、本人の責任の範疇だし別に構わないでしょ。それに代田さんは彼に興味なさそうに見えたけど?」
「そ、それはそうなんですけどっ」
「それならイイじゃないの。どうやら峯西さんは彼の事を気に入ってたみたいだし、それで丸く収まったんでしょ。ヤボな事は言いっこなしよ」
アッサリとそう言われてしまっては、それ以上返す言葉がなかった。
勿論、今東だってそこまでバカじゃないはずだ。吸血をすると言っても相手が死ぬまで吸う訳じゃない。少々貧血になる程度で命に関わる量ではないと思う。
そう、ちょっと血を吸われるだけ……しかも目が眩むような恍惚感との引き換えという話だ。決して無理やり連れていかれた訳じゃないし、私が口を挟む権利などない。子供じゃないんだから放っておけば良いのだ。
――――それはスゴく分かってる……けど……。
それでも相手は普通の人間じゃない。吸血族の男だ。しかもなかなかタチが悪いタイプである。
実際に希世が同族に襲われた光景を目にした事があるし、その恐ろしさは同族の私が一番良く知っていた。やはり何も知らない彼女を放ってはおけない。
「あの……ゴメンなさい、私ももう帰ります。今日は誘って下さって有難うございました」
「……え? あ、そうなの? ざんねーん」
目を瞬かせる彼女に強引にお金を渡すと、バッグを引っ掴んで立ち上がる。あの男の匂いが残ってる今なら、まだ追い付けるはずだ。
「……アッチね」
外に出ると独特な残り香が繁華街の方から漂ってくる。今東の匂いだ。
バッグを肩にかけ直すと急いでその匂いを追う。興奮してるのかいつもよりハッキリしていて追いやすい。程なくして寄り添う二人の後ろ姿が目に入った。
――――よし、見つけた! 車に乗ったりしてなくて助かったわ。
息を潜めて直ぐそばの建物の影に隠れる。咄嗟の事で先の展開を考えてなかったが、とにかくヤツから彼女を引き離さないとマズい。
少し考えた私はスマホを取り出すと、峯西さんに手早くメッセージを打つ。内容は幹事の北園さんが彼女の事を探していて、私も対応に困っているというものだ。
勿論大ウソだが、スマホを取り出した彼女はギョッとしたように立ち止まる。普段から付き合いがないので、北園さんの連絡先は知らないはずだ。
少し迷っているように見えた――――が、放っておくと面倒な事になると判断したらしい。今東に声を掛けると慌てたように来た道を戻ってきた。
今東の方はその場に留まったままである。どうやらこのまま待つつもりのようだ。ならば今のうちにココから追い払うしかない。
峯西さんを隠れてやり過ごした私は、歩道用防護柵に寄りかかって煙草を取り出したヤツに近付いた。
「……今東さん、良かったら二人だけでお話ししませんか?」
いきなり声を掛けられて、今東は弾かれたように顔を上げる。突然現れた私の姿に戸惑った様子だったが、少し考えてからゆっくりと口を開いた。
「オカシイな……峯西さんは君からの連絡で、たった今、店に戻ったんだけど?」
「アレッ? そうなんですか?」
すっとぼけた返答をするとヤツは目を細める。それから静かに煙草をしまい、身を起こして私を見下ろした。
「へぇ……代田さんって俺に全く興味がなかったんじゃないの? さっきはスゴく冷たい態度だったよね」
だから……別に好きで追いかけてきた訳じゃないわよ。内心イラつきながらも無言で微笑んでみせると、今東は不意に顔を近付けてきた。
「何だ、スゴく意外だったな。代田さんってとても大人しいって聞いていたのに、随分と大胆な事をするんだね」
低い囁きと共に少し吸血族臭が濃くなって、背筋に冷たいモノが走り抜けていく。思わずビビって震えそうな脚にグッと力を込めた。
「でも……そういうタイプって嫌いじゃないかな」
「……そうなの?」
「だって他の女の子と消えたら慌てて後を追ってくるなんて、マジで可愛いところがあるじゃん」
ク、クッソ……黙って言わせておけば、ホント腹が立つんだけど。どれだけ自分に自信があるのよ、自惚れないでほしいわ。
背中に回された図々しい手を跳ねつけたい気持ちを懸命に堪える。とにかくこのバカをココから引き離すのが先決だ。
――――もっとも自分を嫌う女など居ないと思ってるからこそ、私の態度の急変に疑問を持たないんだろうなぁ。その辺りは単純バカで助かったわ。
さり気なく彼のスーツの衿に触り、上目使いでそのニヤけてる顔を見上げた。
「ねぇ……グズグズしてると峯西さんが戻ってきちゃうわ。早く行きましょう」
とにかく一刻も早くここを離れなきゃ。戻ってきた峯西さんとハチ合わせでもしたらかなり面倒な事になる。下手したら修羅場だ。
今東を急かしながら流していたタクシーを捕まえると、早々にその場を後にしたのだった。
お読み頂いて有難うございます。