その04『理想の夫婦像』
その日、私は少々浮かれながら母の姉――――伯母の家に寄る。
実は退社際に突然残業を頼まれてしまって、予定よりだいぶ遅くなってしまった。
派遣なのに……とは思ったものの、人手不足なのは分かっていたので断れなかったのだ。仕方がなく居残って仕事をしていると、そんな私に南澤さんが声をかけてくれたのである。
「代田さんは派遣さんなのに、無理をさせてゴメンね」
全然彼の所為じゃないのに、いつものほのぼのした雰囲気ですまなそうに謝ってくれた。そして最後まで一緒に付き合ってくれたのである。
やっぱり良い人だよなぁ、南澤さんって……。伯母の家による予定だったし不本意な残業だったけど、その優しさで心が癒やされたもの。
――――あ……良かった、伯母さんまだ起きてるみたい。
窓の灯りを確認した私は、シャッターが閉まった古本屋の脇の階段を登った。そして上がって突き当りのドアのチャイムを鳴らす。
程なくしてドアが開いて白髪の女性が顔を覗かせる。私の母親の姉だ。当然の事ながら彼女も吸血族で、学生時代に一人暮らししてから彼女とその夫には色々とお世話になっていた。
「あら清泉ちゃん。わざわざ会社帰りに寄らなくても良かったのに……疲れてるでしょ?」
心配げにそう声をかけてくれる彼女に明るく笑ってみせる。
「ううん、平気平気、気にしないでよ。それよりお母さんが面倒な事を頼んじゃっでゴメンなさい」
「あら、宅配を受け取るくらいなら、いつでもやれるわよ」
母親が伯母の家に宅配便を送ったというのだ。もっともそれはただの口実。私に様子を見に行って欲しかったんだと思う。
実は最近伯父が入退院を繰り返していて、色々と大変そうだった。
今の会社で働く前は店番などを引き受けたりもしていたのだが、勤め始めるとそういう訳にもいかない。
「げ……何でこんなに重いのかと思ったら……お母さんったらまた佃煮の瓶詰めを入れてるじゃないの。もらっても食べないって言ってるのに……んもぅ、伯母さんにあげるわ」
「えぇ? でもせっかくお母さんが送ってくれたんじゃないの」
「良いんだってば。もったいないから伯母さんが食べちゃってよ」
そんな風な言い方をしたものの、多分コレは伯母さんの為だ。だってこの佃煮は伯父さんの好物だもの。彼女が遠慮すると思って私をダシに使ってるだけなのだ。
段ボール箱からたくさんの瓶詰めを取り出してテービルの上に並べる。二人のためにかなり奮発したらしい。
伯母さんは人間である伯父さんと二人暮らしで、二人の間に子供はいなかった。
尋ねてはいないが、多分他の吸血族の男と交わるのを拒んだのだと思う。子どもが三人も居る私の母親とは正反対だ。
やはり他の男と交わるなんて拒絶するのは当たり前よね。子供など作らなくても、人間の夫と普通の生活が送れればそれで良いと思う。この夫婦像は正に私の理想なのだ。
そりゃ……自分を産んでくれた母親にはとても感謝してる。彼女なりに考えがあったと理解してる。でも私に同じ選択はできないと思った。
どう考えても気持ち悪さしか感じないもの。しかも私には後二人も兄姉が居るのだ。何でも兄弟を作る場合、同じ種親はNGという決まりがあるらしい。そんな事実を知ると、それ以上深く考えたくなかった。
――――まぁもっともその前に、そこまで好きになれる男性に出会えるかと言う問題もあるけどね……。
残念ながら南澤さんにそのような気持ちは抱いていない。見た目や態度からも明らかに草食系でとても良い人だと思うけれど、ただそれだけだ。
勿論ガツガツした肉食系なんてゴメンだから、それで構わないんだけど。
「あぁ……そうそう、伯父さん、もうすぐ一時退院するのよ」
「えっ、本当に? それじゃあ戻ってくる日を教えてよ。私も顔を出したいもの」
「あら……でも清泉ちゃんだって仕事が忙しいでしょ?」
「だからそれぐらい平気だってば。派遣はそうでもないの。今ぐらいの時間なら、いつでも大丈夫だよ」
『派遣』という言葉を聞いて、伯母さんの表情が少しだけ複雑そうに変わる。
過去に私が吸血族の同僚に粘着された経験を思い出したのだろう。それ以来正社員になるのは止めて、ずっと派遣で色んな会社を渡り歩いている事を彼女は知っている。
これも吸血族である弊害だろうし、もう諦めた。一生養ってくれそうな人間の男と結婚できれば他はどうでも良いのだ。
「でも清泉ちゃんと一緒に居ると、一人ぐらい娘が欲しかった気もするわよねぇ」
「え……?」
彼女はそう呟くと少しだけ寂しげに笑う。私の母親みたいに種親を選択すれば良かったって事?
いやいや、伯父さんが入院して気弱になってるんだよね。彼女の選んだ道は絶対に間違ってないもの。
「私は姪であって娘みたいなものだよ。いつでも頼ってくれて構わないんだからね」
「……そうね、有難う、清泉ちゃん」
安心させるようにニッコリと笑うと、荷物の仕分けに再び没頭したのだった。
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「えーー、モエさんに、裏で香水を手に入れてるのがバレちゃったの? やっぱりウソついていた私の事、怒ってたよね??」
「あぁ……別に貴方の話はしてないから大丈夫よ。それより声が大きいからもう少し抑えてよ」
素っ頓狂な声を出されて眉をひそめながら注意すると、彼女はハッとして口元を押さえた。
私達が居るのは街中のカフェ。かなりザワついていて誰も他人の会話なんて気にも留めてないが、やはり外で気を緩めるのは危険だ。用心するに越した事はない。
――――まぁ、この子に落ち着けと言うのが、どだい無理な話なんだろうけどね。
彼女――――希世はひょんな事から知り合いになった、まだ十代の女子大生だ。そして数少ない同族の知人でもある。
実は友重が経営するファロスのバーでバイトしていて、以前に同族の男から襲われたところを助けてやって以来、妙に懐かれていた。
そして大事な裏ルートでもあり、彼女経由でずっと香水を手に入れてたのだ。
少しアホで思慮も足りないとは思うが利用価値があったし、それに本音を言えば同じ秘密を持つ者同士として話がしやすいのもあった。勿論ファロスとも繋がってる以上、むやみに信用するのは禁物だけどね。
「実はこの間、香水を身につけてる時にハチ合わせしちゃったのよ」
「あー……なるほどぉ……」
「でも監視されてるんだから香りでバレるのも時間の問題だったわよね。そこに考えが至らなかった私が浅はかだったのよ」
改めて考えればホント間抜けな話である。自分達の商品なんだから、吸血族臭がなくてもそりゃ使用してるのがバレるわよね。
「でもさぁ……モエさんと和解ができたのなら良かったよね。私も清泉さんと会うのにコソコソしなくても良くなるじゃん。やっぱりウソついてごまかすのは苦手なんだよねぇ」
そう言いながら希世はエヘヘと笑う。その限りなく暢気な顔を眺めながら内心深いため息を洩らした。
そっか……改めて思えば、こうして彼女と会っていた事もヤツらにはバレバレだったのかもしれない。
監視の目をくぐり抜けるような機転なんかこの子には皆無だし、あえて泳がされていた可能性もある。裏ルートとして希世を使ったのはやっぱり失敗だったかも……。
「はぁ? 和解ですって? バカらしい、ただ単にギブ&テイクできる事があっただけでしょ。あの男が信用ならないのは全く変わってないわよ」
「えー……、まだそんな事言っちゃうの? モエさんってそんなに悪い人じゃないんだけどな」
「そりゃ世話になってる貴方はそうでしょうよ。でも私にとっては全く信用ならない相手なの」
キツい口調で否定されて不服そうだった。元々ファロスの存在自体を知らなかった彼女には、そこまで警戒する私の心理が理解できないのだろう。
もっともそんな脳天気だからこそ、疑いなく彼と付き合えるんだと思う。お人好しなだけじゃ生きていけないのが世間の常識なのよ。
「清泉さんってホント警戒心が強いんだから……」
「何言ってんのよ、貴方のガードがゆる過ぎるのよ。そんな調子でまた同族に襲われても知らないわよ」
「それは大丈夫、また清泉さんが助けてくれるもん」
「はぁっ?」
ホントに悩みのカケラもないんだろう。こんな風に単純に物事を考えられたらどんなに楽かと思う。のほほんとした表情でアイスコーヒーに口付ける希世を、呆れた気持ちで眺めるのだった。
お読み頂いて有難うございます。