その01『同族とは関わりたくない』
――――まだ私がほんの子供だった頃。まだ中学生だったと思う。
母親から自分が人間ではなく、吸血族と呼ばれる人外なのだと告白された。しかしそんな突拍子もない話を告げられたところで、すんなり信じられるはずもない。
だって吸血族って小説とかに出てくる血を吸うあのモンスターの事よね?
でも今まで血を吸いたくなった事なんてないし……冗談にも程があるわよ。
正直なところかなり困惑した――――が、あまりにも母親が真剣に説明してくるので、次第に受け入れていくしかなかった。
吸血族の特徴が出始めるのは思春期らしい。とはいっても、基本的に人間と比べて大きな差異はなかった。
少し丈夫で、多少の腕力があり、そして物語とは違って血を吸わなくてもお腹が空いたりはしない。
まぁそれまでも普通にご飯を食べて生きてきたから、そこに違和感はなかった。
どうやら吸血族は昔から人間社会に紛れて、ヒッソリと生きてきたらしい。もし秘密を洩らすと怖い人達に襲われるなどと脅されたりもしたっけ。
そのためみんな素性を隠したまま、普通に人間と恋に落ちて結婚するパターンが多かった。
実際に私の母親も同様で、父親は吸血族の存在なんて全く知らない普通の人間である。吸血族なんて気にしなければその辺の家庭と何ら変わりはなかった。
しかし……一つだけ見過ごせない問題が存在する。なんと吸血族と人間の間には子供が生まれないのだ。
――――それならどうやって私は生まれたの?
その答えはただ一つ。戸籍上の人間とは別に、種親と呼ばれる吸血族の男が存在する。その男と交わったおかげで私が生まれたのだ。
勿論、種親が何処の誰かは知らない。母親だって教える気はないだろう。しかし中学生の私にとってはかなりショックな話であり、そして重要な問題だった。
父親と血が繋がってないなんて衝撃の事実に加え、いつか人間の男の人と結ばれてもその人との子供は絶対に望めないのだ。なんて不幸な話だろう。
実際にその頃、とある人間の男の子に淡い恋心を抱いていた――――が、自分の正体にヒドく劣等感を覚え、以降は露骨に避けるようになってしまう。
好きな人の子供を諦めるのか、それとも吸血族の男と交わって授かった子供を育てるのか。自分にも種親が居るからこそ存在してるのは理解できる……けど、将来同じ選択をするかは別問題だ。
それならば最初から恋などしなくてイイと思った。子供を得る為に好きでもない吸血族の男と交わるなんて絶対に嫌だったし、好きな男の人に対しても不誠実じゃないか。
相手に強い情が湧いても結局辛くなるだけだ。だからもう恋とは無縁の人生を送ろうと固く心に決めたのだった。
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「代田さーーん、今日はランチのご予定とかあります? 良かったら私と一緒に行きませんか?」
デスクで伸びをしていると、背後から明るい声が掛けられる。同じ部署の峯西さんだった。確か私より三つほど年下だったと思う。
派遣の私にもいつも丁寧に接してくれていて、少し地味な雰囲気だが素直な性格でとても好感が持てるタイプだ。
「いえ……予定とかはないですよ。ぜひご一緒させて下さい」
「そうなんですか? あぁ……良かった。代田さんっていつも北園さん達とつるんでるから、ちょっと声を掛けにくかったんですよね」
「えぇ? そんな遠慮されてたなんて知らなかったです」
まぁ……確かに北園さんがいつも誘ってくれるので、一緒に行動する事が多かった。しかも社内では目立つ人達だから、合わない人は仕事でもない限り避けたいのかもしれない。
だけど派遣という部外者の私としては、交際範囲が広い人達と付き合うとメリットが多かった。他の社員に顔を知ってもらいやすいし、社内の手頃な男の人達と話す機会を作ってもらえるからだ。
「それにしても……代田さんって彼氏がいないってのはホントなんですか? おかげで社内の男性社員が浮き足立っていますよ。可愛いのに控えめだし、スゴくモテそうなのに……」
「えぇ? そんな事ないです、全然モテないですよ。ここ数年、そういう相手は全くいませんから」
「へぇ……ホントに意外ですね」
彼氏と呼ばれる相手が居たのは、学生時代に気まぐれで付き合った人間の男が最後だったっけ。実際のところ今の私に心がトキメクような恋愛など必要なかった。
その気持ちは少女の頃とちっとも変わっていない。
今の望みは手頃な人間の男性と結婚して、人並みの生活を送りたいだけだ。それが二十八歳になった私の唯一の目標である。
派遣社員として色んな会社を渡り歩くのもその為だ。
実は前の会社である男にターゲットを決めて落とそうとしたものの、見事に失敗してしまった。だから次こそは良い男をゲットしたいのだ。
「駅の裏側の小路にパスタ屋さんがオープンしてたんです。割引きクーポンがあるので、そこでも構わないですか?」
「はい、お任せします」
大きく頷くと彼女も嬉しそうな笑顔を見せてくれる。私達は仲良く連れ立ってエレベーターホールへと向かった。
――――が、その時……
エレベーター前の数人の中に見知った後ろ姿を見つける。背はさほど高くない男性で地味なスーツを着ていた。
つい笑みがこぼれてしまうのを感じながら、箱に乗り込もうとしていた彼の背後からそっと声をかける。
「お疲れさまです、南澤さん」
「えっ……あぁ、代田さん、お疲れさまです」
彼は驚いたように振り返って眼鏡の奥の瞳を瞬かせた。同じ総務部で働いている先輩社員で色々とお世話になっている。年齢は確か一つ上のはずだ。
人の良さが滲み出てるようなほのぼのとした雰囲気が心地良く、とても気が利くタイプ。実を言うと少し前から彼と仲良くなろうと色々と画策しているのだ。
正直に言えばそんなにモテるタイプではないと思う。しかしこういう人は結婚すれば良いパートナーになってくれるはずだ。
峯西さんには悪いけどこのまま彼をお昼に誘ってみようかな。チャンスがあったら直ぐに行動に移すべきよね。
私に狙われてるとも知らない彼は、隣の峯西さんに視線を移した。
「あぁ……峯西さんも一緒なんだ。珍しい組み合わせだね。二人でお昼?」
「えぇ、オススメの美味しいパスタ屋さんがあるみたいなんです。あ、そうだ。良かったら南澤さんもご一緒にどうですか?」
最高の笑顔で誘いをかける。私の笑顔は『癒やされる』だの『可愛い』だの男の人からはすこぶる評判が良かった。
きっとこの笑顔で誘われたら彼も断れないはずだ。私の最強の武器である。
――――が、しかし――――
「南澤、お疲れ」
エレベーターの中に入った途端、扉付近に居た一人の男が彼に声をかけてくる。
独特な甘い匂いが鼻を突いて思わず息を呑んだ。背筋に冷たいモノが走り、反射的に身体を縮こませる。
「あー……代田さん、約束があるからまた今度ね」
南澤さんはそう言うとその男に歩み寄った。ヤツが魅惑的な笑みをこぼすと、傍にいた女子社員が一斉に色めき立つのが分かる。
しかしヤツの独特な香りを感知できたのは私一人だけだろう。吸血族だけが放つモノで、この匂いで仲間を判別できるのだ。
――――げげっ、一番会いたくない男と同乗しちゃったぞ。
俯いたまま慌てて奥に乗り込むと、忌々しい思いで南澤さんと並ぶ背の高い男に視線を走らせた。
口を利いた事はないが名前と顔は知っている。営業部の今東だ。社内でも目立つ部類の社員であり、かなりのモテ男である。
横に流した長めの前髪の下から甘やかな黒い瞳が覗いていた。サイドもツーブロックになっていてスッキリと爽やかな印象。いかにも営業マンっぽいスマートな雰囲気だ。
ヤツの存在は会社に入った時から気付いてる。新しい派遣先に入るといつも同族を探してチェックしてるのだ。勿論その存在を警戒する為である。
今東もその独特の匂いを撒き散らしていたので、直ぐに見つける事ができた。この会社で吸血族は彼一人だけらしい。
はぁ……、それにしても厄介な存在よね。
吸血族の人口は普通の人間と比べて圧倒的に少ないが、こうしてたまに同族と遭遇する事がある。
しかも私が生まれ育った田舎よりも都会の方が出遭う確率は高かった。やはり一般的な人口比率と同じく、都会に集中しているらしい。
割と理知的なタイプも居るけれど、やはり付き合うとなると生理的に無理だった。とにかく同族とは関わりたくない。
――――ただ――――
今東の方は私の正体に気付いてないと思う。手っ取り早く仲間を見分けられる吸血族臭。実はその厄介な匂いを消す香水を普段から身に付けてるのだ。
かなり巧妙に匂いを消すので、今東には仲間だとバレてないはずである。同族内では有名な『ファロス』という吸血族の組織があって、そこの商品だ。
ただファロスには色々と黒いウワサがあり、直接関われないのでコッソリ裏ルートを使って手に入れている。この香水の効力は絶大だ。しかしあの組織を信用するのは絶対にマズい。
何気なく振り返った今東が、ふと私の顔に目を留めた。咄嗟に反応が遅れてしまってバッチリと目が合ってしまう。
げげっ、マズい……! 接触を避けたい気持ちが強く出て反射的に目を逸らした――――が、直ぐにその対応は失敗だったと気が付く。
あぁ……バカ、ああいう自惚れが強いタイプは自分に見惚れてたとか誤解するはず。絶対にウザい事になるに決まってるわ、どうするのよ。
内心ダラダラと冷や汗を流しつつも、目を伏せたまま峯西さんの背後に隠れたのだった。
お読み頂いて有難うございます。