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寄席ノ異聞録  作者: 紅夕陽
『アリス』
4/4

前編

 僕にとって、その子との出会いというものは奇抜というか、頓珍漢(とんちんかん)な部類だったと記憶している。

 ここで言うその子とは三宮(サンノミヤ)ありすという後輩なのだが、彼女はなんとも騒々しい人物だった。

 基本的に笑顔を絶やさず、言動だってハキハキとしていて、更には見ていて飽きない性格をしていた。

 好んで胡乱(うろん)な冗談を放ちまくるところが玉に(きず)でこそあったが、そしてそのノリに僕がついて行くのに少しハードさを感じる部分もあったけれど、それでも三宮は決して悪い子などではなかった。

 綾峰はもちろん、あの金谷でさえ彼女の事を邪険に扱うことなど出来なかったくらいには、良い子だったのである。


 曰く、愛され系の後輩。愛されたがりな後輩。愛に定められた後輩。愛に飢えた後輩。愛に溺れた後輩。愛に求められた後輩。愛を捧げた後輩。愛に縋った後輩。愛に狂わされた後輩。


 三宮ありすという後輩少女は、兎も角としてそういう人物で。

 呼べば忠犬、語れば笑顔、荒ぶる姿は――(ハート)の女王だった。



「あやつが引きこもった」


 中々に湿気で蒸し暑くなってきた六月中旬の夜、時刻は十時を過ぎた頃。

 不機嫌そうに言葉を吐き捨てたのは、僕の部屋の窓際に降り立っている八咫烏だった。

 期末考査が近付いているというだけで憂鬱だというのに、僕は嫌いな化学の復習途中で、へえ、そうと生返事をする。


「おい、坊主。今はお前が責任者みたいなもんなんだぞ。もう少し関心を持て」

「いやだって、引きこもっただけなんだろ? どこに居るのかは知らないけど、すぐに飽きて出てくるんじゃないのか?」


 関心を持て等と言われても、僕に出来ることなんてそれこそ距離を置いておくくらいの事なのに。

 今の僕が、というかそもそもとして僕が『あいつ』に対して何が出来るというのだ。

 こうして八咫烏が定期的に報告しに現れてくれている事には感謝しているけれど、責任者という立場だって八咫烏が勝手に言っているようなもの。僕はあいつが大人しくしてくれている分には、引きこもり結構という感想しかない。

 それよりも今、僕にとって大切なのは勉強を教えてくれている綾峰や金谷に恥をかかせない事なのである。


「お前には悪いけど、僕だっていつも暇してるわけじゃないんだ」


 言いつつ、シャーペンをノートに走らせて今解いている問題の答えを書き記す。

 僕には半月ほど前にあった事件をきっかけに、金谷蕣(カナタニアサガオ)という新しい友人が増えている。

 高校入学から二年生の五月末まで、学校には卒業に必要なだけの登校日数を稼ぎに来ていた友人。もっと言ってしまえば中学三年生の夏に『迷い家』へと迷い込み、神隠しめいた体験を望んで受け続けていたクラスメイト。

 烏の濡れ羽色、そう形容するに相応しいほどに綺麗で長い黒髪を持った、中性的な顔立ちをしている美女。それが金谷蕣という少女である。蛇足でしかないが、僕へのコメントが非常に辛辣であることも付け加えておく。


 さて、そんな金谷なんだが最近は学校へとしっかり登校してくるようになった。且つ、僕の成績の駄目さ加減に呆れたと言い放ち、僕の勉強を見てくれるようになっていたりする。

 綾峰もそれに乗っかってくれて、僕には今、個別指導の先生が二人ついてくれている状態だ。

 なので、僕は必死にならざるを得ないのである。これで前回の中間考査がごとく赤点ギリギリの崖っぷち状態で期末考査を乗り越えたとなれば、綾峰は兎も角として金谷が非常に怖い。

 学年トップとそれに並ぶ成績上位者という後ろ盾を得ていて、そんなことになろうものなら下手をすれば命の危険だって有り得るのだ。

 綾峰は反省を僕に促して、その後にドンマイと優しくしてくれるだろう。しかして、あの金谷が綾峰の様にしてくれる筈もなく、何をされるか想像だってしたくない。

 勉学こそが学生の本分と言われるわけだが、今僕の行動を支配しているのは勉強しなければという勤勉さなどではなく、実を言えば生存本能なのである。


「……学生か。(オレ)にはわからない立場だな」

「さいですか。まあ、人間が人間の為に人間によって育てられている人間の身分なんだ。さもありなんだよ」


 首を傾げる八咫烏に、僕はわざと大袈裟で迂遠(うえん)な表現を用いて返答した。

 幻想であるこいつには縁遠い物だろうし、実際カラスとして顕現(けんげん)しているわけなんだから、それも当たり前か。

 そもそも博識な八咫烏がそれがどういう物なのか知らないというわけがないし、立場について単純に興味がないのかもしれない。


「皮肉だな」

「うるせーよ。これでも食って黙ってろ」


 もしも八咫烏が人間だったならば、クツクツと喉を鳴らしながらニヒルな笑みを浮かべて見せていたに違いない。というか、そう見える。雰囲気がそうだったから。

 僕は余計なお世話だと心の中で吐き捨て、用意していた供物の入っている紙袋を投げてよこした。

 八咫烏は器用に(くちばし)を使い、折りたたんで閉じていた袋の口を開ける。中に入っているのは、メロンパンだ。


「なんだ、今回は気前が良いじゃないか。駅前のメロンパン専門店のものだな?」

「言ったろ、黙ってろって。勉強に集中させてくれ、頼むから」


 やや興奮気味に声を弾ませる八咫烏。

 そうして僕のお願いを聞いてくれたのか、そのまま黙々とメロンパンを(ついば)み始める。

 こうして見ていると、ちょっと体が大きいだけで、近場の公園に居そうなそこらへんの鳥類と何ら変わらないように見えた。それで良いのか、神の遣い。


(……皮肉、ね。確かに、そうなのかもしれないけどさ)


 シャーペンの頭をあご先に当てて、八咫烏が言っていた事にふと思う。

 実際の所、僕は完全に自分の事を人間だと言い切れるような体をしているわけではない。

『鬼』に(まじな)われたこの左腕は、今でも実質『鬼』の腕のようなものだ。影響も未だに受けているし、そのせいか僕の生命力や頑強さは人一倍と言っても過言じゃないだろう。

 その気になれば怪力を発揮する事もできる。それだけでなく、全体の身体能力だって人並み外れたものにする事も可能ときている。

 かつて『鬼』のお節介を受け入れておきながら、『鬼』の懇願(こんがん)を拒んだゆえに僕へと刻まれた繋がり。八咫烏が度々僕の所に来てくれる理由のひとつだ。

 僕が高校一年生の時、その年末から始まり成人の日に解決を見た事件。その後日談にして後始末は、まだまだ続いているのである。



「和堂先輩! おはようございまーっす!!」

「……おう、三宮(サンノミヤ)か。おはよう」

「はい! あなたの元気な後輩少女、三宮ありすです!」


 翌日の朝、通学路を歩いていた僕の先に待っていたのは、嵐のような少女だった。

 彼女はツインテールに結んだ明るい茶髪を揺らし、太陽の様な眩しい笑顔を浮かべ、チャームポイントである八重歯を見せつけてくる。

 朝っぱらから騒々しく、そして元気溌剌(げんきはつらつ)としたこの後輩に、僕は溜息を吐きたくなった。


「わかってるよ。誰に対する自己紹介だ、それは」

「いやですね、先輩に向けたものに決まってるじゃないですかー」

「……何度も自己紹介をされる僕の身にもなってみろ、三宮。まるで僕が物忘れ激しい奴みたいじゃないか」

「違いますよ、わたしはそうやって先輩の事を陥れようとしているわけじゃありません」


 いや、別にそういう意味で言ったわけではなく、警戒しているわけでもないのだが。

 三宮は欠伸を噛み殺している僕の隣にまで移動し、クフフと含み笑いを浮かべて言葉を続ける。


「こうすることで、先輩へとわたしが愛され系後輩ポジションだという印象を刷り込む事が狙いです! そしてあわよくば(めかけ)の座もいただきたく!!」

「前半はともかく、後半のポジションはそもそも存在しねえよ!!」


 何で正妻でも彼女でもなく、わざわざ愛人に類する部分を狙うんだ! 一気に目が覚めたわッ!!

 僕がそれを許してしまえば、『不貞(ふてい)』の烙印(らくいん)を世間様から押されてしまうことをわかって言っているんだよな!?

 というか、僕には元々彼女なんて存在しないし、正妻になる様な奴も居ないし、それに類するどのポジションだって生まれてこの方空席状態だよ。

 朝の通学時間にする様な話題ではない。何故に全力で暴投された球を打ち返さなければならないんだ。

 しかも言っていて悲しくなるような事まで考えさせられる内容とか、お前は僕に何の恨みがあるんだ?


「いひひ、冗談ですよ、冗談! 後半に関しては、ですけど」

「寧ろ後半が冗談じゃなかったら大問題だっつーの」

「え、大問題なんですか?」


 今度は悪戯な笑顔を浮かべ、更には上目遣いをしてくる三宮。継いで彼女から出された問いに、僕はジト目で押し黙る。

 まあ、確かに。よくよく考えてみれば、何処に問題があるのだろうか。

 妾、つまりは愛人という言葉に僕は気を取られていたわけなのだが、それって寧ろ彼女が居ない僕からしてみれば、実質的にその妾こそが本命の彼女であるということになるのではないだろうか。

 つまりそうなると、三宮は僕の彼女という座を狙っているという事なのか? そうなのだとすれば、確かに彼女の居ない僕には何の問題もない様な気さえしてくる。

 ……いや、違う違う。そうじゃない。話題として、そもそもとしてズレが起き始めている。


「問題あるだろ、三宮。お前は自分の目的というものを忘れちゃいないか?」

「いひ、そうでしたそうでした。さすがは和堂先輩、わたしのことをちゃんと理解してくださっているんですね! 至極光栄というものです!」

「いや、お前の事をちゃんと理解できる奴が居るのなら、僕が見てみたいよ」


 ここまで胡乱(うろん)な物言いが出来て、更には他者を振り回せる奴を僕は知らない。

 そんな内心のぼやきなんて知る由もない三宮は、相変わらず良い笑顔を浮かべたまま僕のカバンに手を伸ばして掴んでくる。


「さてさて、それはそれとして今日も張り切って学校へ行きましょう! きっと金谷先輩があなたを待ってる事でしょうからね!!」

「張り切るのは良いが、僕のカバンを引っ張るんじゃない」


 それに、金谷は別に僕を待っているわけではないと思う。よしんばそうだったとしても、それは僕を弄りまわす為だろう。

 そんな僕の思っている事など知る由もない三宮は、まるで散歩している時にリードを引っ張る犬の様にグイグイと急かしてくる。

 まったく、本当に嵐の様な後輩だ。現れた次の瞬間、その持ち前の元気さで暴れだす。華やかなのは良い事だが、朝から消耗させられる僕の気力を少しは考えてくれてもと思わなくもない。


(……というか、何で三宮は僕をこんなに持ち上げたがるんだ)


 言い方は悪いけれど、彼女にとってこれらの行動は擦り寄ってきているというか、外堀を埋めているということなのだろうか。まあ、表面上は懐いてくれているのかもしれないが、兎も角それが僕にとって不思議でしかなかった。

 彼女、三宮(サンノミヤ)ありすの目的を僕はハッキリと知っている。出会った時に思いっきり宣言されたのだ。そのインパクトたるや、忘れたくたって忘れられる様なものじゃない。

 三宮は第一印象(ファーストインプレッション)の時点で、『こいつはやばい奴』だと理解するのに十二分な発言を僕へと叩き込んできたのだから。


『初めまして、和堂先輩! いきなりですが不躾(ぶしつけ)なお願いをさせてください! 金谷先輩と仲良くなりたいので、毎朝あなたをストーキングすることを許していただけませんかッ!!』


 思わず漏れる溜息と共に、僕は初めて三宮ありすと出会った時の言葉を思い出す。

 彼女の大目的は、ただひとつ。それは僕と綾峰の共通の友人である、金谷蕣(カナタニアサガオ)とお近づきになる事なのだ。



 三宮ありすとの出会いは、それこそ奇抜というか、頓珍漢(とんちんかん)な部類に入るだろう。

 それは金谷がちゃんと学校へ登校する様になってから一週間後の月曜日。

 更に細かく言えば、綾峰へと金谷と共に件の事件の報告を行い、喫茶店での会計を奢ったその二日後のことだった。

 僕が学校へ行く為にいつもどおり眠気まなこを擦りながら家を出てしばらく歩いていると、彼女は居た。

 両腕を組んだ状態で、渾身のドヤ顔を浮かべ、僕が使っている通学路に仁王立ちしていたのである。

 そしてなんだこいつはと思っていた僕を見つけるや否や、猛ダッシュで近寄って来たのをよく覚えている。

 更には極めつけにあの『ストーキングさせてください』発言だ。あの時、通学時間だったというのに周囲に誰も居なかったのは、彼女にとっての救いであり、奇跡だったと言っても過言ではないだろう。居たら絶対に通報されている。されていなくとも不審者扱いされる。

 まあ、それから今日(こんにち)に至るまでこんな調子で、平日の毎朝、通学路に待機されているという状況になっているわけで。

 最初こそ、そんな事をしたって何にもならないからやめなさいと注意した。だが、三宮は頑なに何卒(なにとぞ)と言って聞いてくれなかった。

 おそらく、どんなに断っても目的を果たすまで、明日も明後日も学校のある日は毎日こうして僕の事を待っていたことだろう。

 自称僕の可愛い後輩は、なんというか正味な話、空回っている様に思えてならないのである。


「なあ、三宮。結局さ、お前は金谷とどうやって仲良くなるつもりなんだ?」


 僕の前を誘導する様に通学路を歩く三宮に、これで何度目かもわからない質問を投げかける。

 今の所、この質問をすると彼女は決まって『先輩である僕から学ぶ』と答えるのだが、今日はどうだろう。

 正直言って、というか冷静かつ現実的に考えて、僕をストーキングしたところで金谷と仲良くなれるわけがない。

 百歩譲って仲良くなれるとすれば、それは間違いなく神様か何かの気まぐれな悪戯だ。つまりそれは有り得ない事象であり、ストーキングとは違う要因が混ざってこそである。


「それはもちろん」

「僕から学ぶっていうのは無しで」

「……先輩は手厳しいですね。そんなところも素敵なんですが」


 悩める乙女の様に、三宮は右手の掌を頬に当てて呟く。

 頬を染めるな、頬を。なぜそこで僕への褒め言葉が出てきて、更には嬉しそうにするんだ。

 しかし、今日は初めてはぐらかさず真面目に答えてくれるようだ。

 一歩前進だと、僕は心の中で三宮を褒める。何も考えていないということはないらしい。


「正直なところ、今でも掴みかねているんですよね。ほら、わたしっていざ金谷先輩を前にすると」

「一目散に逃げるもんな」

「違います。万が一そうだとしても、乙女の恥じらい故と付け加えてください。それだけではまるで、わたしが金谷先輩を怖がってるみたいじゃないですか」


 ――いや、怖い女だぞ、金谷は。

 もじもじと何故か恥ずかしそうに体をくねらせている三宮へとそう言いかけて、迂闊(うかつ)過ぎると口を(つぐ)む。

 口は災いのもと、という言葉が指し示す通り、どこでどう巡って金谷の耳に入るかわかったものではないからだ。

 しかし、彼女は付け加えろと注意してきたが、その場から居なくなる様な行動自体が現状、一番の問題となっていることは変えようもない現実である。

 三宮がこうしてストーキング――いや、この行動に関してはもはや送迎と言った方が正しいか――を開始してから、僕は何度も金谷に紹介できるタイミングを作ろうとした。

 ……作ろうとしたのだが、彼女はその尽くを棒に振っていた。

 何故なら三宮は金谷を視認すると、その瞬間に耳まで真っ赤にして衝動のまま走り去ってしまうからだ。

 真に憧れている対象を前にした時、ヒトが取れる行動とはかくもそういう物なのかもしれない。

 その場に固まるか、急いで立ち去ろうとするか、騒ぎ立てるか。言うなれば、アイドルグループを前にした熱烈なファンのそれである。

 三宮が取る行動は二番目のもので、だから一番厄介だった。

 例として先にあげた一番目と三番目は、その場に居てくれるのだからそのまま無理矢理にでも紹介してやれる。何なら僕が三宮のフォローに回ることも可能である。

 だけど、二番目は紹介しようにも本人がその場に居ないのだから、どうしようもないのである。


「どちらにせよ、三宮。いくら僕とお前がこうして平日の毎朝交友を深めて仲良くなったとしても、お前自身が金谷と話せなければ意味がないって事はわかってるよな?」

「わかってますよ、先輩。こうして先輩が手伝ってくださっている以上、わたしだってちゃんとしたいという心持ちはあるんです。まあ、先輩と仲良くなれるのだって十分嬉しいことなんですけど」


 そう言って顔を背ける三宮に、でも一番重要なのは金谷とお近づきになる事だろうにと、僕は心の中でぼやく。

 三宮の言葉は僕としても嬉しいんだが、手段と目的が逆になってしまえば本末転倒である。

 再三になってしまうが、彼女の大目的は金谷蕣(カナタニアサガオ)とお近づきになることであり、その手始めとして僕を標的にした。

 何で僕を選んだのかを三宮に聞いても、そんな時ばかり恥ずかしがって中々口を割ってくれないでいる。

 まあ、僕としても金谷に新しい交友関係が生まれるのはお節介ながら望んでいる事なので、疑問に思いこそすれ、無理に聞くつもりもないのだが。

 金谷は学校……少なくとも同学年の間では、悪い方向に転がる様に彼女が意図して流していた噂のせいで、友人と呼べる友人は僕と綾峰くらいしかいない。

 本人は「自業自得」だと言って歯牙にもかけないのだけれど、綾峰と僕はそんな金谷を心配していたりする。

 別に友人作りを強制するつもりも無いのだが、それはそれとしてお近づきになりたいと希望している後輩を紹介する、くらいの事を僕がするのだって間違ったことじゃないだろう。


「まあ、頑張れよ。僕に出来ることは金谷への紹介と、その後の応援くらいしかないけど」

「……いひ、これは責任重大です。先輩にそこまで期待されては、わたしも後輩として頑張らなくてはなりませんね!」


 肩をすくめ、自分でも投げやりかなと思いながら三宮の隣まで歩いて言葉を掛ける。

 彼女は若干の間を置き、頭をあげてそう答えてからまた前へと走り始めた。お前は元気が有り余っている子供か。


「センパーイ! 何してるんですか、置いて行っちゃいますよー!」

「そんなに僕を急かしてどうするんだ、お前は」


 三宮は十メートルほど離れた位置まで行って振り返り、僕へと左手を振りながら声を張る。

 笑顔、笑顔。今日も今日とて笑顔をずっと絶やさずにいる三宮に、僕は苦笑しながら後を追うのだった。



 結論から述べよう。今日もまた、三宮は走り去っていった。

 それはもう、脱兎の如く。天敵を見つけた草食獣もかくやという速度で、校門前から校舎までの短距離を一気に。

 これで何度目の失敗だろうか。最近は金谷も僕の様子を訝しむ様になってきたし、そろそろいい加減、節目というものを設けるべきではなかろうかと考えている。

 初手からあんな頓珍漢かつ大胆な行動に出たというのに、いざ本命となると及び腰どころではなんじゃ、僕だって匙を投げたくなってくる。

 だがそれと同時に、毎朝の登校に可愛い後輩が連れ添ってくれるという、大抵の男子学生にとって夢の様なシチュエーションを最近捨てがたく思ってはいるのも確かだ。

 しかしてそれは僕にとってというだけであり、三宮の目的はあくまで金谷とお近づきになる事である。

 彼女の事を考えると、もっと別の手を考える必要のではないかと思わなくもない。

 別に朝の登校時を狙う事に拘わる必要などないわけで、正味なところ暇を聞いて昼休みや放課後にちょっと呼び出し紹介しても良いような気もする。

 僕としてはそこまでするのは行き過ぎているのではという気持ちもあるのだが、それでも仲良くなってきた後輩の為に一肌脱ぐというのもやぶさかでもなくなってきていた。


 そんな事を頭の片隅で考えていたら午前中の授業なんてあっという間に終わり、時間は昼休みへと移り変わる。

 とりあえず購買へ向かい、昼食を手に入れようと教室から廊下へと出ようとした時、僕は金谷に呼び止められた。


「和堂君、少し良いかしら」

「どうかしたか?」


 何かあったのかと思いながら振り向くと、金谷の手には中々に嵩張(かさば)りそうな大きさをした紫色の包みがぶら下がっていた。僕は呆けながら金谷の顔を見やる。


「今日は一緒にお昼を食べましょう。あなたの分のお弁当も作ってきたから」

「えっ」


 唐突な金谷からの申し出とその内容に、僕は思わず己の耳を疑った。

 昼食を共にするのはここ最近、希にあったから良いとしてそれよりもお弁当だ。

 あの金谷が、僕の分の弁当を作ってきた、だって? 


「なに、嫌?」

「いえいえいえいえ、滅相もございません!」


 示した反応が気に入らなかったのか、不機嫌そうな声で尋ねてくる金谷へと僕は思わず敬語になりながら必死に否定を見せた。

 両手と顔を左右に振って、それはもう全力で。

 そうすると金谷は小さく嘆息を吐き、冷ややかな目を僕に向けてくる。


「和堂君、あなた実は私のこと嫌いでしょう」

「そんなわけないだろ。さっきのはただ、あまりにも唐突過ぎて驚いただけだよ」


 怖いと思う事は多々あるけれど、それは金谷の辛辣なところとかたまにかもし出す雰囲気がというだけで、僕が彼女を嫌いだと思う要素には成りえない。

 そりゃあ最初こそ対金谷への態度について考えた事はあったけれど、今ではそんな事もあったな程度のもの。

 しかし、それはそれとして意外過ぎるというのは事実だ。僕は金谷がそんなしおらしい行動を取ってくれるとは、夢にも思っていなかったのである。


「……そう。なら良いわ、屋上にでも行きましょうか」

「あ、ああ。そうだな。時間も惜しいしな」


 僕の様子をジッと見て観察する様にしてから、金谷は提案する。

 それと同時に弁当箱が入っているのだろう包みを手渡され、僕は吃音混じりに賛同した。


 僕らの通うこの『私立比内田高校』の校舎は四回建てであり、それが二つ並行に並んでいる。

 校舎間を繋ぐ渡り廊下が二階と三階に存在し、上から見るとアルファベットの『H』を横に倒した様になっている。

 学校自体の土地面積は広々としていて、校舎の裏側にある校庭の大きさも運動部が練習場所を奪い合わないくらいである。

 確か、第二・第三グラウンドもあったと思うからそれも要因のひとつだろう。僕は部活に入っていないので、そっちの広さについてはよく知らない。授業で使われるのは、第一グラウンドである校庭だけだし。

 それはそれとして、僕ら二年生やあまり関わりあいにならない三年生が使っている教室などがある校舎は校門から見て手前側にある方なのだが、その屋上は基本的に開放されている。

 手すりに加え金網で囲まれた屋上はそこそこ広く、昼休みに青空の下で昼食を食べたいという学生にとって憩いの場だ。

 いくつかベンチもあるし、四階建ての建物から見える景色だってもちろん悪くない。だから、一部の生徒は屋上を昼休みの定位置にしている。

 ちなみに、三宮たち一年生が使っている奥手側の校舎の屋上は開放されていない。

 その理由は、非常時電源として活用する為のソーラーパネル施設が並んでいるためだったりする。

 閑話休題。


「ここでいいわね。和堂君、お弁当を渡すから包みを返してもらっても良いかしら」

「どうぞ」


 そうして、僕と金谷は屋上に着くと奥まった場所にあるベンチを昼食を食べる場とした。

 彼女に言われるがまま包みを渡し、人一人分くらいの間を開けて僕も座る。

 金谷はそんな僕に一瞬だけ眉を(ひそ)ませるけれど、すぐに溜息を吐いて空いているスペースに包みを置いた。


「ほら、あなたの分のお弁当」

「あ、どうも……」


 それから包みを開けた金谷は、二つ重なっている二段弁当の内のひとつを僕に差し出す。

 なんだこの状況。思わず借りてきた猫の様になってしまっているのだが、何で僕は金谷の手作り弁当を貰っているのだろうか。

 いや、その事に決して嫌があるわけではないのだけれど、むしろこれは喜ばしいことなのだけれど、ただの気まぐれで金谷がこんなことをする様には思えない。

 もちろんそれならそれで僕は良いのだが、何か狙いがあるのではないかという勘ぐりをせざるを得ないのだ。


「何を呆けているの? ここはむせび泣いて、普段から食べている購買のパンなんかよりもずっと美味しいお弁当を作ってきた私に感謝する場面よ」

「物凄い自信に満ちた言い方をするじゃないか」


 そしてその発言は、このお弁当に対するハードルを爆発的にあげているということを理解しているんだよな。

 そこまで言われたのなら、一度余計なことなんて考えずに金谷の手作り弁当を堪能させてもらうとしようじゃないか。

 良いだろう、金谷。僕の昼食に対する舌はこれまで積み重なった購買パンのおかげで非常に安いぞ!!


「ちなみに、そのお弁当に私が一番込めた調味料は」

「……なんだよ」

「あ・い・じょ・う」


 なぜか最高の調味料が込められていたっ!?

 勿体ぶる様に、そして一言一言を区切ってハッキリとその言葉を口にした金谷の姿を見て、僕の胸が少しだけ高鳴る。

 彼女は中性的で凛とした顔立ちの美人である。そんな美形女子に思わせぶりなことをされて、平常心でいられる男子学生が果たして居るのだろうか。

 綾峰とは違った方向で心をくすぐってくる金谷に、僕は体温の上昇を感じてしまう。


「というのは嘘八百なのだけれど、わりと丁寧には作ったつもりよ。どう? 驚いたかしら」

「お前は僕の事をどうしたいんだ!?」

「どうしたいも何も、こうしたいのよ」


 つまりは僕に百面相をさせて遊び、楽しみたいという事で良いんですかね!?

 いたいけな僕の純情を弄んで楽しいのだろうか。刹那的にでも感じてしまったトキメキを返して欲しい。

 がっくりと肩を落とした僕は、上目遣いでおずおずと金谷が今どんな表情を浮かべているのかを確認するために見やる。

 ご満悦で、嗜虐心が満たされたと言わんばかりの笑顔だった。


「さて、私の学校における数少ない楽しみも味わえた事だし」

「金谷さん! 僕をいじるのを趣味みたいに言うのやめませんか!?」

「そう、なら言い変えるわね。私が学校に登校する数少ない理由も果たせた事だし、そろそろお弁当を食べましょう」


 言い方を変えたところで、内包されている意味はまったく変わっていなかった。

 というか、出来ればそれを学校へ登校する理由のひとつにしないでいただきたかった。

 複雑な心持ちで金谷を見る。彼女は既にお弁当の蓋を開いていて、その手には箸が握られている。

 僕は心の中で深い嘆息を吐き、これ以上ツッコミをすると自分を傷つけるだけだと悟って、そのままご相伴(しょうばん)にあずかる事にした。


「いただきます」

「いただきます」


 そうして僕らは手を合わせ、異口同音に声を発する。

 金谷のお弁当は色とりどりで、定番である品々に加えちょっと珍しさを感じるオクラのベーコン巻きやチーズ入りのはんぺんなどが綺麗に収められていた。

 失礼ながら金谷が料理出来たということにも驚いていた僕だが、その味も予想外に格別なもので舌鼓(したつづみ)を打つ。

 自分であげたハードルをしっかりと飛び越えてみせる金谷に僕は敗北を認め、感服せざるを得ない。


「和堂君って黙々と食べるタイプなのね。感想くらいは聞きたかったのだけれど」

「ん、悪い。それだけ美味しいってことだし、夢中になってた」

「……そうやってストレートに言うのは、少し卑怯だと思うの」


 珍しく恥ずかしそうに視線を横へと流す金谷。そう言われたって、美味いものは美味いのだ。

 さすがに恥ずかしいので具体的なことを言わずとどめさせてもらうけれど、こういう時くらい、僕だって素直に褒めもする。

 そうこうしている間に僕は黙々とお弁当を味わい、平らげた。金谷も少し遅れて、その中身を全て胃の中へとおさめる。

 二人でまた「御馳走様でした」と言った後にスマホで時刻を確認すれば、昼休みも残り三十分といったところだった。


「さて、和堂君。ここからが本題としたいのだけれど、良いかしら」

「構わないけど、やっぱり何かあったのか?」


 重ねることでコンパクトになった二段弁当を片付けながら、金谷がそう言って切り出してくる。

 僕としては予想していなかったことではなく、額を指先の爪でカリカリとさせながら彼女の方を向く。

 金谷は片付けたお弁当を脇に置くと、僕たちの間に空いていたスペースを詰めてから言葉を続けた。


「別に、そういうわけではないのだけれど。でもあなた、私に隠れて何か(くわだ)てているでしょう」

「……ああ、その事か」


 金谷から出された問いに、僕はかいていた指を折りたたんで今度は小突くようにする。

 怪訝にされていたというのもあるし、さもありなん、だな。

 その件については金谷のことであることに間違いないし、その内こうして尋ねられるかもなとは思っていたのだ。


「洗いざらい話しなさい。あなたは私の手作り弁当を食べたのだから、その義務があるわ」

「お弁当を作ってきて、昼飯に誘ってくれた理由はその為か」

「当たり前でしょう。でなければ、なぜ私があなたにお弁当を作るのかしら。……いえ、別にそうする義理がない、というわけでもないのだけれど」


 義理、ねえ。そんなものこそ、別に感じないでいてくれた方が僕的には気が楽なんだが。

 きっかけは綾峰だし、あの時の僕は勝手に喚いて、勝手に空回っていただけなのだし。

 まあ、そんな事を今言っていてもどうしようもないことである。

 悪い気もしないと言えば嘘じゃないし、そう言ってくれるならそろそろ受け入れるべき、か。


「腹を割って話すつもりでお願いするわね。もしそれでもと言うならば、あなたのお腹を物理的に()きます。そして食べた物も返してもらいます」

「唐突に猟奇的表現をしてくるんじゃない!」


 何をどうしたらそんな突飛な発想に至るのか。無茶苦茶な事も言っている。

 僕が腹を割らないなら、金谷が物理的に僕の腹を割りに来るとかまったく笑えないしうまくもない。

 僕は小さく溜息を吐いて、彼女の待たせないでと言いたげな視線に耐える。

 まあ、別に企てと言うほどのものでもないし、三宮があんな調子なのだ。

 本当なら三宮本人の居る所で紹介してやりたかったのだが、こうなっては素直に語るしかないだろう。


「……わかった、わかったよ。そこまで言われたんじゃ、話さないわけにもいかないだろうし」

「そう、良かったわ。話してもらえなかったら、家にある日本刀を持ち出さないといけなかったから」


 そこまでするほど話を聞きたくて、更には本気で僕の腹を割くつもりだったのか。

『鬼』の影響を受けている体だとはいえ、さすがに日本刀で腹を切られたら死はま逃れないだろう。

 ……いや、さすがに冗談だよな? 僕から話を聞き出す為の方便だよな?

 そう心の中で呟きながら、僕はおずおずと金谷が希望している話を切り出す事にした。


「……最近、仲良くなった後輩が居るんだ」

「ふーん、だから最近のあなたからは他の女の匂いがしていたのね」


 いきなり不穏な切り返しをされた。お前はそんなものを嗅ぎ取れるのか。

 しかも、なんの疑いもなく女性と言い切ってきた所に僕はビビる。

 三宮のことを忠犬みたいだなと思っていたが、犬みたいなやつがもうひとり、身近にいるとは思いもしなかった。


「……冗談よ、カマかけてみたの。まあ、その後輩さんは女生徒ということで間違いなさそうね」

「言っておくが、ただの友達だぞ。お前が考えているような関係じゃあない」

「別にそんなこと考えていないわ。それよりも、おめでとうと言うべきかしら。年下の友達、それも女の子の後輩が増えて良かったわね、和堂君。同学年やクラスメイトだと私や綾峰さんしか相手してくれないわけだし」


 金谷は切れ長の目を細めてそう言って、小首を傾げながら薄く笑ってみせる。

 小馬鹿にされている様な気もするが事実なので、僕は喉まで昇ってきていた反抗心というものを飲み込んだ。

 まだ本題にまで至っていないというのに、一々ツッコミで時間を浪費するのも彼女に悪いだろう。


「それでな、その後輩――三宮(サンノミヤ)ありすって名前なんだけど、そいつが中々面白い奴でさ。常に笑顔を浮かべ続けてて、冗談好きで見てて飽きない奴なんだ」

「なるほど。それで和堂君、あなたはお節介にもあなたと綾峰さんしか友達の居ない私にも紹介しようなんて考えて、毎朝失敗していたと」

「……まあ、大体そんな感じだよ」


 あまりにも察しの良い金谷の言葉に、僕は間を置いて言いづらく思いながら答えた。

 なぜそんな態度を取ったのかと言えば、それは彼女の雰囲気と視線が冷ややかなものだったからである。

 事の始まりは三宮なのだが、それは金谷にとって関係のない事だ。

 お節介にも。そう金谷が口に出しているわけで、それはつまり友人を増やす気はないということなのだろう。

 それならそれで、僕は三宮に残念ながらという、企業から送られてくる様なお祈りメールめいた言葉を伝えなければならなくなる。


「あなたも綾峰さんも、人が良すぎるわね」

「……綾峰は兎も角、僕はそうでもないと思うぞ」

「なら、そんな残念そうな顔をしないの。今もどうせ、その後輩さんに伝える言い訳でも考えていたでしょう? そう顔に書いてある」


 金谷に淡々とそう言われて、僕はギクリとした。

 心の中を見透かされた様な気がして、そして呆れた様に肩をあげている金谷に申し訳なく感じたからである。


「和堂君。あなたって、変な所で押しが強いのにそういう所もあるから。それじゃあ私だけじゃなくて、その後輩さんにも申し訳ないと思っているんじゃないかしら」


 僕は何も言えなかった。金谷の言っている事は、正しく僕の心の中を捉えたものだったからだ。

 血の気が引いていく感覚を覚える。彼女の話していることは僕を責め立てる様な内容ではないと言うのに、心臓を鷲掴みされているようだった。


「気が付けば、あなたは自分でどんどんと深みへ足を踏み入れていく。考えものね、優し過ぎるっていうのは」

「……なあ、金谷」

「まあ、嫌いではないけれど。そうやって誰彼構わず優しくするのが、多分あなたの性分なのでしょうし」


 それでもひとつだけ、たったひとつだけ聞かなければならない事がある。

 分かり切っているものだとしても、予定調和が如く定められているものなのだとしても、僕は金谷から得なければならない答えというものがある。

 僕の性質を語る金谷の雰囲気はとても冷たく、人を寄せ付ける様なものでもなく、吹雪の中に居る様な錯覚さえ覚える様なものだったけれど。

 僕は問う。口に出す。震える声で、唇で、声帯から引き絞った音で、僕は尋ねる。


「会ってみる気はないか、三宮と」

「嫌よ。丁重に、お断りさせていただくわ」



 放課後、僕は綾峰に呼び出されてまた屋上へとあがっていた。

 理由に関してはいくつか心当たりがあり、心境としては悪戯が親にバレて説教を待っている様なものである。

 グラウンドから発せられている体育系の部活の活気の良い張られた声や、音楽室からであろう吹奏楽部の練習している音楽がやけに大きく聞こえた。


「桜真くん、お話は金谷さんからお伺いしています」


 そう言ったのは、僕が正座しているベンチの前で両腕を組み仁王立ちしている綾峰だった。


「まったくもう、何をしているんですか君は。後輩さんと仲良くなるというのは桜真くんの個人的な関係なので私もとやかくは言いませんけど、それで金谷さんに紹介しようというのは(いささ)か行き過ぎですよ」

「……はい、申し訳ありません。言い訳のしようもございません」


 怒る綾峰に、僕は頭をたれながら謝罪を口にする。

 今考えてみれば、僕のやり方というのは何もかも筋の通ったものではなかった。

 調子に乗っていたという言い方をしてしまうと身も蓋もないのだが、つまりはその類の行いを僕はしてしまったのである。


「金谷さんもあれから変わりつつあるのは確かですが、今回の桜真くんは性急でしたね。もっとやり方というものもあったでしょうに」

「……はい、綾峰さんの言う通りです」


 言われれば言われるほど、事を急いていたと思わざるを得ない。

 僕というのはそういう気質らしく、今回の事で多くの反省点を見つけて、そして見つめ直す必要もあるだろう。

 綾峰の言う通り、もっとやり方というものもあった筈なのだ。今回の事は何もかも僕が間違えた結果、うまれたものである。

 金谷にもそうだが、ここで一番申し訳なく思うのは三宮だ。明日の朝も会うであろう彼女に、どんな顔をしてこの事を伝えればいいのだろう。


「……はあ。良いですか、桜真くん」

「なんでしょうか」

「君も金谷さんも、いわゆるコミュニケーションというものが苦手な部類であると、私は思っています。なので今回の事はそれ故に発生したエラーであるとも認識しているんですけど」


 言葉を止め、綾峰は一度僕の姿を確認する様にジッと見てくる。

 確かに、僕はコミュ障と呼ばれる様な人種であるのは自分でも認めているところだ。

 性格柄というのもあるが、どうも余計なことを口にしたり、突っ込んでしまったりという所で他者と線を引かれてしまう所がある。

 その上で自分の言ったことに対して思っていたものと違う反応を示されと、基本尻込みしてしまうのだ。

 僕はいわゆる『察して欲しい』ということを、このうえなく苦手としている。


「どうやら、それで正解みたいですね。金谷さんも難かしい方ですが、桜真くんも大概鈍いというか、なんというか」

「綾峰、それはどういう意味だ?」

「そういう所ですよ」


 僕の問い掛けに対し、呆れかえった様子の綾峰がジト目で返してくる。

 何かを察しろという事なんだろうけど、僕にはわからなかった。

 いや、多分だが綾峰はだからこそ考えろと言っているのかもしれない。


「ねえ、桜真くん」

「……なんだ、綾峰」


 俯きながら金谷について頭の中でこねくり回していると、彼女はいつの間にか隣に座っていた。

 そして名前を呼ばれたので、顔をそちらへと向ける。

 綾峰の表情は真剣そのものだった。僕はそんな彼女の珍しい顔に、思わず息を呑む。


「金谷さんにとって、私や君は特例みたいなものなんです。件の事情から始まって、そこから今の関係に繋がっている」

「……確かにそう、なんだよな」


 僕が金谷と友達になれたのは件の事情――『迷い家』という存在ありきであり、そうでなければそもそもとして今の関係などあり得なかった。

 その事を金谷は特別に思っている、とでもいうのだろうか。そうなると、まるで僕と綾峰以外に友達なんて要らないと言っているようで。

 ……いや、だからこそ、僕の考えている事は金谷にとってお節介なのだろう。

 僕は三宮の事ばかり考えていて、金谷への配慮というものをまったく欠いていたのだ。

 たった数週間。そんな短期間で、何年も続いてきた彼女のスタンスを変えられる筈などないのである。 

 僕のやろうとしていたことに対し、金谷がああなるのも当然なのだ。


「僕は、どうすれば良かったんだろう」


 思わず口に出して、僕は茜色に染まり始めた空を見上げた。

 もし、とか。たら、とか。れば、とか。僕は思わずにはいられなかった。

 僕は三宮の目的を叶えてやりたいと思っているし、金谷の事だって尊重したいとも思っている。

 そこに間違いや嘘なんて、ひとつもない。だって彼女たちは数少ない友達なのだ。

 都合の良い考えだと知っていても、そう思わずにはいられない。


「どうすれば、というよりもこれからどうするか、だと私は思いますけどね」

「……そりゃそうなんだろうけどさ」


 やってしまった事は仕方がない、なんて言ってしまえば身も蓋もない話だ。

 でも、僕というのは結構尾を引いてしまう気質で中々切り替えられずにいる。


「というか、桜真くん。私は今回の事で大変疑問に思っている事があるんですけど」

「良いよ、綾峰。僕に答えられる事なら、なんだって答えるから」

「ありがとうございます。……それでは、その後輩さんを金谷さんに紹介しようと思うに至ったのって、誰の為だったんですか?」

「そりゃあ……」


 そこまで言って、そうやって綾峰に聞かれて、僕は自分がまったく金谷に経緯(いきさつ)というものを話していなかった事に気が付いた。

 どうして紹介したかったのか、どうしてそうしようと思ったのか。僕はただ簡単に、三宮がどういう人物なのかしか金谷に伝えていなかったのだ。

 順序というものがない。話の筋に繋がっていない。そもそもとして金谷はここ最近、校門の前で逃げてしまう三宮にどうしたもんかと思っている僕を、訝しんでいたというのに。

 だからああして、手作り弁当というものまで持参して、僕と話す機会を作ったんじゃないか。

 なのに僕は、それをなし崩し的に良い機会だなんて思って、そうして何も考えずにああ切り出して。


「……後輩の為、だよ」

「ですよね。でなければ君は動きませんし。……桜真くんはやっぱり優しすぎます。だから空回ってしまう」

「優しくなんてねえよ。僕は、ただ最低なだけだ」


 小さな親切、余計なお世話。言ってしまえば、ただそれだけの事である。

 金谷と綾峰は、僕を優し過ぎるなんて言ってくれる。だけどそれは、裏を返せばただでしゃばりなだけなのだ。

 友達だから。そんな免罪符を片手に、意気揚々と差し出がましい真似をしていた。僕の行いというのは、つまりはそういう事だったのである。


「なら、最低な桜真くん。君がそのまま自己嫌悪に時間を浪費する、というのはあまりにも建設的ではないですよね?」

「……そう、だな。こうやってうじうじとしてるのも、僕らしくないか」


 それでも、綾峰の言う通りこのまま足を止めて停滞し続けるというのは、違うのだ。

 僕の悪い所なんていうのは、叩かれた布団から出てくる埃みたいにキリがない。

 ならばひとつひとつ、出てきた所からなおしていかなけば、それこそどうしようもなくなってしまう。

 以前、GW(ゴールデンウィーク)の時に綾峰と約束していた事もある。

 僕は諦め悪くなくてはならない。僕は、前向きであってこそだ。行動せずに後悔ばかりを積み重ねるというのは、何も反省していないのと変わらないのだから。


「そういう事はちゃんと相談してくださいよ、桜真くん。君はいつもひとりで抱え込もうとするんですから。あ、もちろん今度ご本人に許可を取ってくださいよ。でないと意味もないですし」

「……悪い、綾峰。また迷惑を掛ける」

「いつものことですよ」


 そう言って、綾峰は何でもないように笑みを浮かべた。

 行き詰まった時、どうしようもない失敗を起こしたと思った時、綾峰には助けてもらってばかりである。

 僕は今回も、彼女を頼る。『鬼』と出逢ったあの時の様に、僕だけではどうすれば良いのかもわからなくなって。

 それは僕の救いであると同時に、僕のどうしようもない、彼女への甘えだった。



 僕は話せる限りのことを綾峰に話した。

 出会い頭での頓珍漢な発言は若干ぼかさせてもらったが、そういった所も含めて今できる相談に乗ってもらった。

 金谷の事、三宮の事、そしてこれからどうすれば良いのか。

 もちろん、僕がまずしなければならないのは両名への謝罪である。その内容だって見当違いなものでは意味もないので、綾峰に監修してもらったりもした。

 そうして話し込んでいると時間というのはあっという間に過ぎていくもので、今日はもう帰ろうという運びになった。

 帰路についた僕の足取りというものは重いもので、しかしてそれは自業自得というもので、それでも明日へと向かわなければならない。

 ひとりになれば深い溜息を吐きたくもなったが、我慢する。これからの事を億劫に考えそうになっても、振り払う。

 それは自分が招いた事態で、それは僕が改善へと向けてやらなければならない事なのだ。

 すっかりと日が落ちて、暗くなってきた通学路を歩く。

 そうしていると、不意にこめかみ辺りに鋭い痛みを感じると同時に、冷たい何かが鼻先に当たった。


「……雨?」


 月が浮かび、星の瞬く空からポツポツと確かにそれは降り始めていた。

 雲の存在というのは僕の目には映っていない。いわゆる、天気雨というやつだろう。

 こめかみに走った痛みはおそらく偏頭痛で、つまりはこれから雨足というのは増しそうだと心の中で悪態を吐く。

 明日の事もあるので、風邪などひいてはたまったものではない。

 僕は濡れ鼠になるなんて勘弁願いたいので、急ぐ為に通学路を走り始めた。

 のだが、その足はすぐに止められる事になる。


「……これは」


 おどろおどろしい雰囲気だった。使い慣れている筈の通学路が、まるで別世界の様に感じられる。

 降り始めた小雨のせいか、湿気た空気が気持ち悪さを加速させていた。

 等間隔に並ぶ街灯の明かりが、まるで提灯(ちょうちん)の中にある火の様に揺らめいて見えさえする。

 そこは確かに、僕の慣れ親しんだ通学路の筈だった。そして更にひとつ、道の先にそれは現れる。


「狐……?」


 よく目を凝らして見ると、狐ではなく狐の半面を付けた少女がそこに居た。

 彼女は長く明るめの茶髪を二つの尾の様に高い位置で結び、ワイシャツを着ていて、膝上丈のプリーツスカートを履いている。

 少女は僕の方をじっと向いて、その場に立ち尽くしていた。まるで僕を観察しているようで、思わず身構える。

 小雨は変わらず降り続け、世界からは音というものが弾き出された様に消え去っていた。

 車の走る音も、民家から漏れる笑い声も、遠くにも近くにもなくなって、静寂が僕と彼女の間に舞い降りる。

 金縛りにでもあった様に、僕はその場に釘付けになっていた。緊張からか、体中の毛穴という毛穴が開いている感覚さえある。

 その刹那、僕の体が宙を舞った。


「い、がっ!?」


 横合いに、唐突に、意識の外から何か大きなものをぶつけられたのだろう凄まじい衝撃を受けて、僕の視界は物理的に回転させられる。

 そのまま地面に叩き落とされた僕は酷い痛みと嘔吐感を感じて、せり上がってきたものを口から盛大に吐き出した。

 歩道の一部が、真っ赤に染まる。


「な、にが……っ!!」


 何が起きているのか当の僕にはわからなかったが、何かが僕を襲っているというのは間違いなかった。

 二度目のソレには辛くも体が反応して、僕は回避する事が出来た。その時僕を襲ったのは、ひしゃげたガードレールの一部だった。

 電柱にぶつかったソレは、酷く大きく不快な音を立てて道路へと転がる。よくよく奥の方を見てみると、そこにはブロック塀へと突っ込んだ車もあった。

 僕が最初にぶつけられたのは、多分アレなのだろう。大きく弾かれたせいか、僕の体は対向車線の方へと移動させられていた。


「何なんだ、くそ……!」


 こういう理不尽な痛みにさらされるのは、人生の内一度で良いと思っていた。

『鬼』と出逢ったあの時で十分だと、そう思っていた。なのに、何で二度目を味わっているのか。

 兎角として、こういう事ができるのは間違いなく幻想の類である。予想するに、それはあの狐面の少女のはずだ。

 何故、どうして僕を襲うのかを今考えている暇などない。そうしている内に、命を奪われる可能性の方が高いのだ。

 僕はその所在を探す為、周囲を見渡そうとする。その時、彼女は僕の目の前へと現れ、そして笑った。

 ツインテールに結んだ明るい茶髪を揺らし、八重歯を見せて、獲物を狩る喜びを表現する様に。

 次の瞬間、彼女の真隣を大きな瓦礫が飛翔してくる。


「お、おぉォォォオオッ!」


 その攻撃へと無意識に反応したのは、僕の(まじな)われている左腕だった。

 左腕が掌を開いて受け止めたその衝撃は全身を駆け巡り、僕は雄叫びをあげながらその場に踏ん張って堪える。

 やがて、ごとりと瓦礫がその場に落ちる鈍い音が鳴った。左腕の袖は、完全に破けていた。


「ふぅ、ふぅ、ふぅ……!」


 肩で息をしながら、僕は左腕を押さえる。肩から先、肘近くまで刻印されている梵字の様な紋が淡く朱色の光を放っていた。

 その紋は、熱を帯びた様な痛みを僕に与えてくる。命の危険に際し、身を守る為に勝手に発動していたのだろう。

 だが、そんな僕の事情など相手は知った事ではない。一瞬の間こそあったが、幻想は目の前に存在したままなのだ。

 間髪も入れず、僕の腹部に強烈な痛みが走る。それと同時に、僕はまた元居た歩道へと吹き飛ばされ、民家のブロック塀へと叩きつけられた。

 僕はそのままうつぶせになる形でコンクリートの地面に倒れ込み、何とか顔を上げようとする。

 逃げなければ。そう思うが、僕はもう満足に歩ける様な状態ではなかった。

 左腕の呪いが発動しているおかげで致命傷にこそ至っておらず、時間をかければ全快すら見込めるだろうけれど、それは逃げ切れたならばの話である。

 カラン、コロン、と歩く音が近付いてくる。ゆっくりと、まるで何かを確認するかの様に。

 そうしてその足音は、僕のすぐ前まで来て、止まった。


「こんばんは、和堂君。酷い傷ね、車にでも轢かれたのかしら?」


 そこに居たのは、金谷蕣だった。

 いつの間にか、天気雨は止んでいた。

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