今回のまとめ
僕視点から送る今回の総括、というか後日談。
結局の所、金谷の抱えていた事情については解決の運びとなった。
まあ、今回の件に関してはすぐにどうこうとわかるものではないのかもしれないが、八咫烏曰く、『迷い家』が彼女をもう迷い込ませることはないだろうとのことだった。つまりは太鼓判を押されたのである。
綾峰には彼女が帰宅してからの一連の流れについて後日、というか一週間が経った休日の土曜日である今日に話す事になっている。
実を言えば、僕らがあの後『迷い家』から金谷の家へと戻ると、二日後の夕暮れも薄暗い――逢魔が時になっていた。
途方に暮れる僕のスマホの画面に、綾峰からの鬼の様な着信履歴やメッセアプリで送られてきたメッセージが累々としていく様は、少しというか非常に怖かった。
救いがあったとするならば、それは僕の両親や金谷のお祖父さんが丸一日姿を消した僕らの事について、あまり気にしていなかった事くらいか。いや、普通なら気にしないわけがないのだが、今回に限っては救いだったと言っておく。
さて、僕としては綾峰への報告は手短に纏めて放課後に話すくらいで良いと思っていた。
のだが、当の綾峰に直ぐ連絡を着けたらまとまった時間を取って話しを聞きたいと希望されたので、僕がこうして珍しく外出する事になったのである。
日光燦々、雲も少ない空に夏の近付きを感じさせる太陽が世界を照らす中、僕はこの地方都市である大立市にある商店街に続く坂道を青いフレームの自転車で駆け上がっていた。
暑い。まだ五月の末で六月にもなっていないと言うのに、大玉の汗が額から伝う。
そう言えば、今朝方なんとなしに付けていたテレビに映っていた天気予報によると、今日は三〇度近くまで気温が上がるとか言っていたっけか。
恐るべし、異常気象。憎むべし、地球温暖化。とは言え、そういう時ほど冷房の効いた屋内のありがたさを感じるというものである。
……それで地球温暖化が加速しているのかもしれない、と頭を過ぎったのでこの事を考えるのはやめようと思った。
「あ、桜真くーん!」
途中から無心になってマウンテンバイクを漕いだ僕が目的地に着くと、そこには二人の友人が先に待っていた。
片方はご存知だと思うが、天使こと綾峰ゆかりである。右手をあげて僕に手を振る姿は、とても愛くるしい。
しかし、なんと言っても素晴らしいのはその着こなしている私服だろう。
頭には幅広の麦わら帽子、上着にはクリーム色を基調としたふわっとした半袖のブラウスを着ていて、腰周りを強調するベルト、緑色の落ち着いた印象を覚えるロングスカートをはいている。
そんな完璧なコーディネートを眺めて驚いたのは、綾峰がヒールの付いたサンダルを履いているということだった。勝手な話だがそういうのは履かないイメージを持っていたので、僕はまた新鮮な気持ちを覚えていた。
綾峰の身長は僕と二〇センチ差の一五〇センチくらいだったと思うが、ヒールのおかげか見た目の印象として五センチほど高く見える。
僭越ながら僕からの総評を述べるさせてもらうと、学校の制服姿も勿論良いのだが、綾峰の私服姿というのはこっちもこっちで非常にゆるふわという感じがして素晴らし可愛いと言わざるを得ないだろう。好き。語彙が溶ける。
「……あら、和堂君。鼻の下が伸びていてよ、穢らわしい」
続けて、綾峰の私服姿に語彙を溶かしている僕へと非常に手厳しい言葉を投げ掛けてきたのは、日傘として使える和傘をさした金谷だった。
彼女の服装は鮮やかな藍色で染色され、紫陽花が所々に描かれた着物である。
金谷の基本的な私服は和装の様だ。ただ、簪はつけておらず烏の濡れ羽色と形容するに足りる美しく長い黒髪が風に揺られていた。
「綾峰が可愛いのが悪い」
「ヒトのせいにするなんて最低な事するわね和堂君。でもわからなくもないわ」
「えちょ、桜真くん!? 金谷さんまで!」
自転車から降りて手で押す僕は、金谷から受けた謂われのない暴言の責任を綾峰に転嫁する。
それに金谷まで乗っかったものだから、綾峰は慌て始めた。
更には恥ずかしくなったのか、ストローハットを両手で深くかぶり身構える様にする。
「……何なんですか、二人して」
ムスっとした表情を浮かべて綾峰が尋ねてくる。
金谷はそんな可愛さを累乗させる様なポーズを取る彼女の様子を、クスクスと笑いながら見ていた。
僕は僕で抑えきれない笑みを浮かべ、綾峰にわざと答えずに口を塞ぐ。
だって恥ずかしがったり拗ねたりしてる綾峰が可愛いんだもん。是非もないよね。
「さて、和堂君が始めたコントは此処までにして、そろそろお店に向かいましょ。流石に暑いわ」
「そうだな、金谷。綾峰、お前のオススメなんだろ? 案内してくれよ」
「うー、わかってます! でも二人とも、後で覚えておいてくださいよ!」
そりゃ楽しみだ、覚えておこう。
猫の威嚇、というよりもリスやハムスターなどといった小動物めいた物を感じさせる綾峰に、僕はそんなことを思ったのだった。
◇
綾峰が案内してくれたのは商店街の一角にある喫茶店で、僕らはその奥まった席を選んで腰を下ろした。
客入りは多すぎず少なすぎずと言った感じだったのだが、まあなるべく誰かの耳に入らない様にする為である。
内装はとても綺麗で、且つお洒落なもので、そして何よりも冷房が利いていた。
僕らの本題は、ウェイターさんに注文していたアイスコーヒーが三つ運ばれて来た後から始める。
その内容とはもちろん、綾峰があの夜、帰ってからの出来事の報告だ。その形式は僕の掻い摘んだ説明に金谷が補足をして、綾峰が疑問に思った部分を質問し、僕か金谷がそれに返答するというものだった。
事件、と今回僕は呼称させてもらうけれど、そうして金谷を中心としたその内容を大体話し終えた頃に、綾峰と金谷が頼んでいた抹茶パフェが運ばれて来て、一時中断となった。
「終わった後なので白状するんですけど」
そう言ったのは、抹茶パフェにかける黒蜜の入った小鉢の縁を人差し指の先でなぞっている綾峰だった。
僕と金谷は彼女の方を見て、傾聴の構えを取る。綾峰はその後に備え付けの細長いデザートスプーンを自分と隣に座る金谷のパフェの前に置いて、言葉を続けた。
「実を言えば、お父さんも元々相談に答える以上のことをするつもり、なかったみたいなんですよね」
お父さん。それは言うまでもないが、この大立市にある大仁神社の神主で綾峰の父親である『綾峰源一郎』さんの事だ。
優しそうな糸目が印象的な人物であり、僕も半年前である年末に起きた、『鬼』にまつわる事件の際にお世話になっている。
綾峰の語っている内容について思うのは、つまり源一郎さんも八咫烏と同じ意見を持っていたという事なのだろうか。
あのヒトの事だから、ある程度は見当だってついていた筈だろう。そしてそれを最善策と思ったから、そうしていたに違いない。
「……本当の本当に、それは白状ね。そしてそれを以前の私が知ったら、薄情な事だと思ったでしょう」
だが、結局のところ金谷からしてみれば放置を最初から決められていたという事なのだから、さもありなんと言った感じだ。
しかしてそうせざるを得なかった立場である事も、今の僕らにはわかる。
今回の事件はそういう類のもので、全ては金谷自身が選ばなければならなかった事なのだから。
そういう意味で言えば、僕という存在はイレギュラーで不穏分子の様なものだったかもしれない。
結果的には解決へと促したわけだが、色々とやらかしかねない、もしくは実際にやらかした動きだってしていたし……。
それから綾峰はネタばらしする様に、何故僕を金谷に会わせようとしたのかを含め、自分の立ち位置について話してくれた。
金谷の事情を知った彼女のお祖父さんが源一郎さんにその事を相談したのが事の発端だったと言えるだろう。
突然神隠しが如く姿を消す孫娘。そして毎回、時間の経過と共に姿を消した時と同じ場所へと帰ってくる。
そんな異常事態に金谷のお祖父さんが気付いたのは、彼女が受験を終えた中学三年生の頃だったそうだ。
金谷の性格を鑑みるに、早期発見だったのではないかと、ひとり僕は思った。
さて、お祖父さんは信心ある人物なのだそうで、発覚してからすぐに金谷を連れて綾峰の実家である神社に駆け込む。
そうして依頼を受けた源一郎さんは形ばかりの祈祷やお祓いを行い、そして対策をお祖父さんと金谷に授けた。
綾峰が金谷から件の噂について手伝う『縁』を結んだのはこの頃で、その時にはもう金谷は最低限卒業に必要な日数だけ学校に登校出来るように環境を作り出そうとしていたのだ。
寂しい話なのだが、僕は金谷が流していた噂をつい一週間前、綾峰が僕を引き合わそうとしたあの時まで聞いた事がなかった。つまり、僕の周囲には綾峰以外にそういった話をする人間すら居なかったのだと、再認識させられる。
「本当、灰色の高校生活を送っているのね、和堂君は」
「お前の歯に衣着せぬ言葉は留まるところを知らないなちくしょう!」
心無い金谷の言葉に、僕は泣きそうになりながらツッコミをした。
泣きそうになりながらである。いや、別に泣いてなんかいない。いないったらいない。
ちなみに、蛇足になるのだが、源一郎さんが金谷に授けた対策とは男性物の服を着るというものだったそうだ。
詳しい事を僕が知っているわけがないので綾峰のしてくれた補足説明をまとめさせてもらうと、要は本来の性別を隠す事で魔除けとする方法らしい。
なので、以前金谷の持っていた学校の制服は、実を言えば学ランなのである。そして彼女の容姿を鑑みて失礼ながら学ラン姿を想像させてもらったのだが、嫌味なくらい似合っていた。
金谷がもしも学ラン姿で毎日普通に学校に通っていたら、彼女のファンになる女生徒も少なからず存在しただろう。そう思えるくらい金谷のルックスとは優れたもので、勝手ながら羨ましかった。
……閑話休題。
「まあ、そんなわけで私はお節介と承知しておきながら桜真くんを頼る事にしたわけなんですが……」
抹茶パフェに添えられている白玉にかかった黒蜜を、デザートスプーンで満遍なく塗りたくりながら綾峰はそう言った。
時期として、彼女が僕を頼ろうと決意したのはGWの期間中に起きた、綾峰が『縁』に巻き取られたあの事件を終えてからだったらしい。
しかし中々切り出す事が出来なかったというのは綾峰の言だ。
僕としても、確かにあれからすぐお願いをされていたら困ったことだろう。とは言え、綾峰からのお願いを僕が断る筈がないのだが。
金谷に相談しなかったのは、綾峰なりの気遣いというか、先にも彼女自身がお節介と言っていた通りか。
だから、金谷の家の前で遭遇したとき、綾峰は会いたくなさそうにしていたのである。
だって、それは独断だったのだから。本人を目の前にして、一歩引きたくなってしまったのだ。
「ねえ、和堂君。私、珍しく綾峰さんを叱りつけたくなってきたわ」
「奇遇だな、金谷。僕も綾峰には言わなくちゃいけない事が幾つかある」
綾峰には金谷の流した噂の真偽を確かめないまま、ずっと協力をしていたという大ポカ級の前科があるわけだが、ここに来て余罪を追求せねばならない様である。
とは言え、再三になるが今回の事については綾峰もわかっていて僕を頼った部分もあるわけで。
そうなると、僕だって綾峰と同罪というか、犯罪ではないのだが幇助罪というか、そういった類の判決を金谷からくらって然るべきな気もした。
いや、自ら墓穴を掘りにいくつもりはないけれど。だから僕は、この事を口には出さないでおく。
というわけで、僕と金谷が心配半分呆れ半分な内容の説教を綾峰にするという、そしてあの綾峰が説教をされるという、歴史的瞬間に僕は立ち会う事になった。
◇
紆余曲折と、僕は言うだろう。
今回の集まりの主旨である綾峰への報告というのは、まさに休日の井戸端会議の様相を呈したが、滞り無く終わったと言っても過言ではない。
裏話が出たり綾峰への説教という希に見ぬ珍事もあったけれど、兎も角として終わったのである。
水滴が結露するガラスのコップに注がれていたアイスコーヒーは飲み干され、和風甘味の盛り合わせな抹茶パフェは女子二人によってすっかりと平らげられていた。
あれだけ鬱陶しく世界を照らしていた太陽は、既に沈み掛けている。夕暮れ、僕らは宴もたけなわということで喫茶店の外に出ていた。
会計は何故か僕持ちだった。今回、この集まりに際し最も得をしたのは金谷だろう。彼女だけ、今回何も払うことはなかったのである。
「ご馳走様です、桜真くんっ」
「ご馳走様、和堂君。紳士の鏡ね」
取って着けたような褒め言葉は全然嬉しくなんてないぞ、金谷。綾峰も綾峰でいい笑顔を浮かべているし……。
でもまあ、良いか。金谷は三年近く迷い込んでいた場所から開放され、綾峰はもう金谷に関する悪い噂を手伝う必要もないのだ。
そういう意味で言えば、今回のこれは僕から二人に向けたご祝儀……と表現すると大袈裟かもしれないけれど、手向けみたいなものと僕は思うことにした。
そう納得しておかなければ、この出費は非常に痛く思えてしまう。特にこれから先に予定があるわけではないけれど、高校二年生男子の財布事情は複雑怪奇なのだ。
……喫茶店の料金って、何であんなに高いんだろうな。
「桜真くん、よろしくお願いしますよ。金谷さん、次は学校でお会いしましょう。またね、です」
「ああ。またな、綾峰」
「またね、綾峰さん」
特に感慨に耽るということもなく、僕らは喫茶店を出てすぐに解散の運びとなった。
綾峰の実家である大仁神社は商店街の中、その奥へと直進した方角にあるのでここでお別れ。
逆に僕と金谷は商店街の外へと向かい、坂を下りる方角に存在する住宅街側に家がある。
と言うわけで、僕は別れるまでの道まで金谷を送るという役目を、ほぼ強制的に綾峰から仰せつかったのであった。
「さて、和堂君。行きましょうか」
「ん。わかってると思うけど、流石に二人乗りはしないからな」
商店街内に設けられている無料駐輪場から青いフレームの自転車を回収した僕を待っていた金谷は、そう言って前を歩き始める。
僕はその隣で自転車を押しながら歩くわけだが、先にそう断っておいた。
一応だが、僕のマウンテンバイクには荷台が付けてあったりする。
二人乗りを否としたのは、道路交通法を守る為、とは言わない。
ただ、そういうロマンチックな事を金谷とするのは、少し違うかなと僕が思っていたからだ。
欲望を正直に言わせて貰えるならば、というか言うのだが、僕は二人乗りをするのなら綾峰を後ろに乗せて走ってみたい。
あわよくば、ギュってして欲しい。そして伝説のラッキースケベというものを味わってみたい。
だから僕は、この荷台を聖域の如く扱う。
信じていればいつかきっと必ず叶う、そんな青少年特有の健全な夢を実現するまでは!
「……さっさとしなさい」
「金谷、質問なんだがさせてもらっても良いか?」
「拒否します。さっさとそのサドルに尻を乗せて、ペダルをこぎなさい」
当たり前の様に拒否された。そして命令された。何故に金谷がさも当然がごとく荷台に座っているのか、僕にはわからなかった。
金谷はそのままジッと僕を見る。まるで自分に従うまでこのまま座っているぞと言わんばかりである。
荷台に誰かが座った状態で自転車の手押しをする、というのは二人乗りで運転するのよりも地味に辛かったりする。
なので、正直に言おう。僕という男は、金谷のそんな脅迫めいた視線と態度に――。
「落ちないよう、気をつけろよ」
「そんなヘマはしないわ。あなたじゃないんだから」
――あっさりと屈したと。
情けない話なのだが、僕は金谷にこうされると逆らうことが出来ない。
と言うか、無理。だって怖いし。初対面の時にぶつけられた重圧を再度味わう様な事は今の所ないのだが、それでもそういう事が出来ると知っている身なので、気が気では無くなるのだ。
いや、今はもう無闇矢鱈とぶつけてくるような奴ではないとわかっているのだが、身構えてしまうのである。
僕は心の中で溜息を吐き、商店街を抜けてからだが金谷の言う通りに二人乗りをすることにした。
閑散とした歩道を、僕と金谷を乗せた自転車が走る。
「……金谷さん、やっぱり質問しても良いですか」
「駄目。あと振り向かないで、ちゃんと前を向いていなさい。絞めるわよ」
首を、ですかね?
そんなことをされた日にはマウンテンバイクを失うだけでなく、金谷を巻き込んだ事故を起こして怪我を負わせ兼ねないので、彼女の指示におとなしく従う。
しかし、僕は気が気ではなかった。金谷の様子と言うか、二人乗りをしてからされていることが、僕の精神を乱していたからだ。
なんでこのヒト、僕へと体を密着させているのだろう。なんで僕のお腹にまで腕を回してホールドさせているのだろう。
――先に僕が脳内で描いていた青少年特有の健全な夢、それが広義としての意味で叶った瞬間だった。
「……あの時にも言ったけれど、改めてお礼を言わせて頂戴、和堂君。あなたのお陰で、私は未来へと進めているわ」
浮ついた考えは、金谷がそう言った瞬間に吹き飛んだ。
たった一週間、されど一週間。あの日帰ってきてからの翌日である月曜日を除く今週金曜日まで、金谷は僕らの通う学校へと毎日登校してきていた。
勿論、それまで彼女がやってきた事とか件の流していた噂というのもあり、歓迎ムードでこそなかったが、僕らの言う日常生活へと金谷は戻って来たのである。
よくよく耳を立てていると珍しがられていた。と言うか、珍しがられていたのは制服が女子の物だったというのもあった。
金谷蕣はそれまで、学校へと登校する際は学ランを着用してきている。よく覚えている奴なんてのは居るもので、そういうのもあってかクラス内での一部の話題は金谷を中心としたものになっていた。
まあ、僕にそういった話題が振られるようなことは、一度もなかったけど。
「お礼なんて良いよ、金谷。僕は結局、喚き散らしていただけなんだから」
「だからこそよ。あなたが居なければ、私は私の心に嘘を吐き続けていたに違いないのだから」
でも、そんな自分にけじめをつけたのは、やっぱり金谷自身なのである。
僕は勝手に申し訳なく思いながら、自転車のスピードとバランスを取るのに集中する。丁度、下りの坂道に差し掛かったからというのもある。
金谷はそんな僕に向けて、遠慮なく言葉を続けた。
「ああやって、喚き散らしてくれるヒトすらも居なかったもの。……他者を遠のかせていたのは私の意図していた所だけれど、結局はその逆で、必要としていたわけね」
それはひどく自嘲の含まれた語り口だった。全然笑えない自虐なのだが、僕は敢えて何も反応を見せずに自転車の運転を続ける。
自業自得。そう言ってしまえばそれだけの話になる。僕はそれを否定しないし、八咫烏が聞いたら同意すら示すだろう。
あの時にあいつは言っていたのだ。勝手に傷を広げたのも、広げ続けたのも、他ならぬ迷った嬢ちゃん自身じゃないか、と。
金谷が『迷い家』に迷い込み続けた最たる理由は、『未練』と呼ばれるものである。
本来ならば何処かで折り合いを付けるであろうそれを、金谷はずっと抱き続けた。
僕はそれを悪い事だとは思わないし、今でも否定するつもりもない。心に出来た傷というのは、どうしたって治りが遅いものなのだ。いつまでも抱えている奴だって居るだろうし、ケリを付けようとしたって、無理に付けることが出来るものでもないだろう。
だが、彼女はその未練に向き合い、折り合いを付けた。
一週間前のあの時、金谷蕣は自分自身で未来を選んだのだ。
「自分が思っていたよりもエゴイストで、それでいてロマンチストで、その上でセンチメンタリズムにくれていたなんて。本当、今思うと情けなさ過ぎて泣いてしまいそう」
「……別に、良いんじゃないのか。自分を律するってのは、案外高等な技術なわけだし」
自分の事だけを考えるのは、別にそれだけで悪になるわけではない。両親との繋がりを感じ続けたいという現実逃避を、誰が否定出来る。
人間として正常なのに、それを異常扱いされたらたまったものではない。それを言ってしまえば、僕なんてどうなるって言うんだ。
「ここ笑う所よ、和堂君。というか、笑いなさい」
「笑えるかっ! 実感こもり過ぎな上に、事情を知ってる僕になんて残酷なことを命令してんだよ!!」
淡々と笑えと言われても重すぎる! そしてそれを笑える奴は僕以上の最低野郎だ! 金谷は僕に人間の屑へと成り下がれっていうのか!?
自転車の運転をしている僕に、なんて爆弾を仕掛けやがるんだ。地雷どころの話じゃないぞ、まったく。
「……冗談よ。ごめんなさい、意地悪を言ったわ」
真面目なんだから、とクスクスと笑いながら金谷は継いだ。
その直後、彼女は更に密着する様に、ほぼ抱きしめるくらいの勢いで僕へと体を寄せる。
金谷が何を考えているのかわからないし心音が心なしか背中越しに聞こえるし、なんか柔らかいし兎に角柔らかいし、柔らかかった。
「金谷……?」
「もう少し、こうさせて頂戴」
勘違いしそうになる。僕は僕にとって非日常的なこの体験に、ドギマギせざるを得ない。
交通事故に遭わない様に、僕は努めて前を向いている事しか出来なかった。
五月の末、六月にもなっていない梅雨入りも間近に迫った季節。
明日の天気は、きっと晴れなのだろう。太陽の沈んでいく西の空に雲が全く無いを見て、僕は気を紛らわす。
――僕らの青春は、まだ始まったばかりだった。