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寄席ノ異聞録  作者: 紅夕陽
『アサガオ』
1/4

前編

 今回の事件のあらましを纏めるとするならば、これを僕なりに言い表すならば、それは『不幸な事故』だった。そう言わざるを得ないだろう。

 予測することなんて出来る筈もなく、それ故に回避することも不可能な事故。

 偶然に偶然が重なって、ある種の必然だったのかもしれないと今ならば思えるこの事件は、やはり始まり方として、『不幸な事故』というのが適切だろうと僕は思う。

 全くの接点など生まれる筈もなかったし、生むつもりもなかった。本来ならば『僕』が関わる必要も、要素も、関係性もなかったのだから。

 その場に居たからそうなった。その場で見られたからそうなった。その場に行き遭ってしまったからそうなった。その場、その時に不幸にも現れてしまったからそうなった。

 この事件は、そういう類の話だ。



桜真(オウマ)くーん。桜真くんってば。聞こえてますかー?」


 間延びした口調で僕の名前を呼ぶ声が聞こえて、僕はハッと意識を取り戻した。

 梅雨時前の昼下がり、五月と六月の合間。つい先程までうつらうつらと船を漕いでいた僕は、慌てながら顔を上げる。

 目の前には眉間に皺を寄せ、僕をジト目で見ている少女の姿があった。


「ん、悪い綾峰(アヤミネ)。もしかして寝てた?」

「寝てました。桜真くん酷いです。勉強に誘ってくれたのは君ですよ?」


 何処か抜けた感じのする丁寧語で、寝ていた僕を怒る綾峰。申し訳なさとこめかみに起こった頭痛で、僕は右手で目を覆った。


「それに関しては本当にごめん、綾峰。季節柄、気を抜くとどうしてもね」


 偏頭痛。こめかみに走った鋭い痛みは、そのせいだろう。教室の窓から外を見れば、雨が降り始めていた。


「あー、低気圧ですか」

「繊細な体質なんだよ、僕は」

「ちゃんとご飯食べて、夜寝て、朝起きてます?」

「はは、心配ありがとう。気を付けてはいるさ」


 綾峰の言葉に、僕は冗談めかしながら返す。

 そういう心配をして貰ったのも久々な気がして、自然と笑顔を浮かべていた。

 そうしてから、綾峰は机の上に転がっている桜色のシャープペンシルを手に持ち直して顎先に当てる。

 僕もそれに倣い、自分の薄緑色のシャープペンシルを握る。振ると芯が伸びるタイプのものだ。


「……まあ、気を付けているなら良いんですけど」

「含みのある言い方をするじゃないか」


 再びジト目を向けられる。信用ならない、と言うよりも呆れられている様に感じる視線だった。


「桜真くんは生活サイクルがキッチリしていないようですから。いつも、遅刻ギリギリで滑り込んで来ているじゃないですか。授業中もよく怒られてますし」

「それに関しては、言い訳のしようが御座いません」


 高校に入学してから同じクラスになり続けている相手の言葉に、僕はそっぽを向きながら口を紡ぐ。

 口笛のひとつでも吹いて誤魔化す様な仕草も見せてやりたいものだが、それはそれとして事実なわけなので、言葉だけは素直にしておくことにした。


「桜真くーん?」

「それよりほらっ、勉強、勉強の続きをしよう! 学生の本分をまっとうしないとな!」


 三度目のジト目。それはとても冷ややかなもので、怒気も込められていた。

 さすがにこれ以上てきとうな事を言って綾峰を困らせるのもと思った僕は、強引に本来の目的に向き直す事を提案する。

 彼女は深い溜息を吐いて、そんな僕の提案に乗ってくれる様子を見せてくれた。


 こういう所、本当に優しいなと僕は思う。懐が深いと言うか、寛大と言うか。

 それはそれとして、この短時間で美少女から三回もジト目を向けられるというのは、中々に成しえない偉業だろう。僕の話術も捨てがたいものなのかもしれない。

 ……客観的に見て、最低野郎な考え方だった。反省しなければ。


(それにしても、よく付き合ってくれるよ。こんな僕に)


 黙々と勉強を続ける中で、合わせた机の向かい側に座る綾峰の姿に、ふと思う。


 綾峰――綾峰(アヤミネ)ゆかり。去年の暮れ、僕が『鬼』によって(まじな)われた事件が切っ掛けで仲良くなった女の子。

 ストレートロングのみどりの黒髪を持った、何処か抜けているが誰とでも仲良くなれる性格の、可愛らしい顔立ちをした女の子。

 クラス内では浮いていて、カースト最下位まっしぐらな僕にも優しくしてくれる、そんな女の子。


(勉強に誘ったのだって、単に勉強の出来る綾峰にあやかりたかっただけ、だしさ)


 普段からコツコツと勉強をしていない僕は、言ってしまえばあまり良い成績をしていない。この間行われた中間考査も赤点は間逃れたがギリギリだったし、それならばと心機一転出来る程の気持ちも持っていない。

 そこで、僕は成績上位の綾峰に頼ったのである。自分でも不甲斐なく思う。これは単なる綾峰への甘えで、彼女なら断らないだろうという僕の後ろめたい計算からだ。

 下心もないわけじゃない。相手は美少女。何かいい事が起きれば良いのにという、モテない男子特有のアレも含んでいる。

 だから、


(せめて真面目に勉強しないと、だよな)


 目の前で勉強に集中している綾峰の姿を見て、そう思った。

 雨足が強くなっているのか、外から聞こえる粒が奏でる無骨な音が大きくなっていた。



「そう言えばなんですけど」


 勉強を黙々と続けていると、綾峰から話題の前振りがされた。

 僕は嫌いな数学の問題を解くのを一旦止めて、綾峰の方を向く。


「どうかしたのか」

「桜真くんは、金谷(カナタニ)さんをご存知ですか?」

「……いやまあ、一応」


 珍しい名前が綾峰の口から出て、思わず間を置いてから答える。

 一応、と言ったのは僕はその人の事を名前くらいしか知らないからだ。


「金谷って、アレだろ? 出席日数ギリギリで出てくるんだけど、テストの結果張り出しで毎回一位に居る、あの金谷の事か?」

「そう、その金谷さん」


 綾峰から出された正解判定に、僕は自分の記憶力も悪くないんだなと、ちょっとだけ得意になった。

 しかし、その金谷がどうしたのだろうか。綾峰の事だから陰口の類ではないのだろうが、それにしたって意外である。


 金谷蕣(カナタニアサガオ)。先に僕が口にしたけど、学校に殆ど出席してこない、クラスメイトの少女の名前だ。

 出席日数は本当にギリギリを計算しているらしく、教室で彼女の姿を見るのは希な事。

 それでも成績は本当に優秀で、中間考査や期末の結果張り出しにおいて、彼女の名前が一位から外れた所を見た事などない。

 だから、逆に印象に残っていたのだろう。本当にそんな人物が現実に存在するんだな、という意味で。


「で、その金谷がどうかしたのか?」

「どうかした、というわけじゃありませんが……ちょっと、先生から頼まれ事をされていまして」


 頼まれ事? と僕は首を傾げる。

 綾峰の歯切れ悪い言い方にも疑問を覚えるわけだが、それをわざわざ僕に伝える意図が掴めない。


「その、できれば桜真くんに手伝って頂けないかなー、なんて」

「良いぜ。僕に出来る事なら、何でも言いなよ」


 継いで、照れ臭そうに、そして申し訳なさそうに、本人は無自覚なのだろう可愛らしい頼み方をされた。

 そんな頼まれ方をされたら、僕は即決する。多分、キメ顔だった。ええカッコしいと言われて、反論など出来ないくらいに。


「本当ですか? 助かります。一人で行くのも少し心細くって」


 笑顔を浮かべる綾峰はそう言って、柔らかそうな頬を左手の指先でかく。


「綾峰にはこうして勉強を見てもらってるし、今日のお礼ってわけじゃないけどさ」


 そもそも、クラス内で話せる相手が綾峰以外に居ない僕にとって、彼女の存在は唯一無二だ。

 そんな綾峰から頼まれ事をされて断れるだろうか。否、断れる筈などない。

 しかも、聞いている限りでは美少女(アヤミネ)と二人で出掛けられるという事らしい。

 こんなチャンス、中々あるものだろうか。否、あるものじゃない!

 どっちかと言えば、後者に釣られたのが僕である。しょうがないよね。


「それで? 具体的にはどういった内容なんだい、ワトソン君」


 舞い上がった僕は妙なテンションになっていた。


「はい、ホームズさん。先生から頼まれたアンケートのプリントを金谷さんに届けると言うのが、今回の任務になります」


 僕の胡乱(うろん)なテンションに付き合ってくれた!? 天使かッ!!


「無理に合わせてくれなくても大丈夫だぞ、綾峰」

「ふふ、無問題(モーマンタイ)ですよ。私、こういうのも楽しめますから」


 大天使だった。好き。語彙が溶ける。


 ――って、いかんいかん。頼まれ事の内容を右から左へ受け流す所だった。

 閑話休題。


「でもさ、綾峰。頼まれた身としてこう言うのもなんだけれど、プリントを届けるだけなら、綾峰一人でも問題ないんじゃないか?」

「いえ、それがちょっと……問題がありまして」


 せっかく二人で出掛けられるという機会を棒にしかねないな、と思いながら尋ねた疑問に、綾峰は歯切れ悪く答えてくれる。

 問題。僕は僕が知っていること以上に金谷の事を知らないわけだが、どうやら綾峰が一人で行く事を躊躇う何かがあるようだ。


「金谷さんのお家って、こう言うのも失礼なんですけど……その、頬に傷がある様な人らしい、ので」


 綾峰はそう言って、心配を思わせる表情を浮かべた。

 らしいと言ったということは、噂の類なのだろう。僕はそんな噂なんて聞いたことないわけだが、どうやら綾峰の言う問題とはそういう所が起因としている様だ。


「まあ、普段から学校に来ない成績優秀者は妬まれるってことなのかな」

「な、何がですか?」

「いや、それって結局噂なんだろ? 金谷の家が頭にヤの付く自営業な人っていうの」


 決め付けに過ぎないかもしれないけど、と僕は継ぐ。

 根も葉もない噂。人を貶める為に、誰かが簡単に吐き出した呪詛。綾峰みたいな奴には無縁だろうけど、件の金谷に関してはそう言った噂話を流布されても止めようもない立場にある。

 学校には必要なだけの出席日数だけ稼ぎに来て、それでなお成績はトップ。友達だって少ないかもしれないし、嫌味に感じている奴だって少なからず居ると思う。

 人間、そういう天才は理解したくないわけだから、妬みから口が滑る奴も居るだろう。

 再三になるが、僕は僕が知っているだけのことしか金谷蕣(カナタニアサガオ)という人間を知らない。だから、こうして勝手な考察をしている。実際、そんな噂をされる様な奴が、どういう奴なのかは想像に難くないが。

 こうやって考えている僕も僕で、割と陰キャだなと自虐したくなった。でも、綾峰の手前なのでこれは口に出さないことにする。


「……そう、ですね」

(ん……?)


 あれこれとひとりで考えている僕へと間を置いてから見せた綾峰の反応に、疑問を覚えた。

 噂に踊らされて、噂に足を取られて、噂に縛られて、綾峰が怖がって金谷(なにがし)の家にひとりで訪問することに抵抗を覚えているにしても、それは恐怖や畏怖から表れたものに僕は思えなかったからだ。

 そう、どちらかと言えばそうだったら良いのにという希望めいた、そういうものに感じたのである。

 されど此処でそんな疑問を感じたにしても、僕としては綾峰にこれ以上言及する気持ちにはなれなかった。

 というより、積極的にいくにもどうすれば良いのかわからないというのが正直な所だ。

 結局の所、そこまで深く踏み込む勇気など僕にはないのである。そんな度量も、そんな無神経さも、ないのだ。



 天候の不安定さなんてものはこの季節特有なもので、一度降り始めても長続きはしない。

 幸いに雷も鳴ることなく雨はすっかり通り過ぎて、陽光が再び教室を照らし始めたくらいに完全下校のチャイムが鳴った。

 そうして勉強会を切り上げた僕達は、日もまだ出ているという事で、先生から綾峰が請け負った(くだん)の頼まれごとに向かっている最中であり……そして、二人の間に流れている空気はとても重かった。


 空気が重い原因と言えばそう、勉強会の途中で出た金谷蕣(カナタニアサガオ)について話し終えてからだ。

 疑問を生んだ綾峰の最後の反応への言及を、僕は未だ出来ていない。出来る筈もない。タイミングも見失い、機会も得られていない。

 僕が軽薄でおちゃらけた性格(キャラクター)ならば、無神経とも言える勇気を胸に宿している性質(タイプ)ならば、きっとあの場で聞いて御終いにすることが出来たのだろうか?

 噂なのだと決めつけているくせに、いざ思っていた反応と違うものを示されると尻込みする。僕は、自分のそういう性格にうんざりとしたくなった。


(とは言え、結局の所、その真偽は金谷某の家に行けばわかるというわけで)


 と言うか、そんな場所に綾峰みたいな可憐な美少女を教師が送り込むなんてないと思いたいわけで。

 もしも綾峰が危惧していた通りの御家だったとしたら、僕は頼んだ先生の神経を疑うだろう。

 先生ならば知っていろ、もしくは知っていて行かせるという無神経さを、疑うだろう。


「……あの、桜真くん。やっぱり、嫌でしたか?」


 一人ウジウジと頭の中で考えながら歩いていた僕に、おっかなびっくりとした様子で綾峰が尋ねてくる。


「いや、そういうわけじゃないぜ綾峰。自分の駄目さ加減に陰鬱としていただけさ」

「そんな、桜真くんは駄目じゃありませんよ」

「ははっ、ありがとう綾峰。そう言ってくれるのは、単純に嬉しいよ」


 何か勘違いをしているのか、僕の自虐に綾峰は励ましの言葉を掛けてくれた。

 どうやら彼女は僕が金谷の家に一緒に行くのに対し、嫌々付き合ってくれた様に感じている様だ。

 綾峰が引け目に感じる様な事なんて一切ない。寧ろ、本来ならば堂々としていなければいけないのは、男である僕の筈なのに。

 ……今僕がするべきことは綾峰に覚えた疑問を解消する事でも、自分の陰惨とした性格を呪う事でもないよな。

 まあ、それはそれとして。


「参考までに聞きたいんだけど、僕が駄目じゃないっていう理由は主にどんな所なんだ?」


 駄目じゃないなんて言われたからには、綾峰の中にあるその言葉のソースが気になる。

 僕は出来る限り平然を装って、出来る限り興味無さそうに、そして出来る限り自然に尋ねてみた。

 女の子に、しかも美少女に! そう、黒髪ロングヘアで清楚然とした美少女にそんな事を告げられたんだから、男として気になるのも仕方ないよね!


 先にうだうだとキャラクターだとかタイプだとか、そういう事で悩んでいた奴が言って良い事じゃなかった。

 しかしこういう時ばかり、行動力が三割増になるのが僕という男なのである。


「理由、ですか。……まあ、色々ですよ。色々」

「珍しいな、お前がはぐらかすなんて」

「前言撤回します。桜真くんに駄目な所も沢山ありました」


 返す刀が僕の胸を切り裂く。

 それは研ぎ澄まされた名刀による一刀両断と表現しても過言ではない、そんな攻撃力を有していた。

 駄目じゃないと言われて、その直後に撤回される。自業自得だとは言え、黒髪ロングヘアで清楚然とした巨乳の美少女にそんなことをされたのだ。

 舞い上がっていた僕の気持ちも、乱高下である。高層ビルからの墜落である。紐なしバンジーである。


「……はい、すいませんでした。僕は空気も読めないし察せられない駄目野郎です。今から急いでノートにそう書いてから、首からぶら下げます」

「そこまでしなくても良いです。迷惑なので」


 どう足掻いても、そんな事をすれば綾峰の言うとおり恥を掻くのは不審者と化した僕だけでなく、一緒に居る彼女もだった。


「それはそれとして桜真くん」


 どうしようも無く死にたくなった僕を後目(しりめ)に、綾峰は話題を変える時の定型文を口にする。

 そうしてガックリと肩を落としている僕の前に歩み出た彼女は、表情を強ばらせていた。


「――もうすぐ、着きますよ」



 金谷蕣(カナタニアサガオ)の暮らす家は、一言でいえば豪邸だった。

 豪邸と言っても洋式のソレではない。広々とした土地を塀で囲う、武家屋敷と言うべき家である。

 玄関……というか八メートルくらいはあるだろう、門と形容すべき閉じられた入口の前に、僕と綾峰は立っていた。


「……すげえな、おい」


 呆然としながら、僕はそんな小学生並の感想を吐露する。

 テレビ番組なんかでしか観る事もない、本当に同じ街の中にこんな御屋敷があったのかという、そういった驚きもある。

 感想というものは、いわゆる言葉による冷静な取り繕いでしかなく、人間、衝撃の度合いが大きければ大きい程シンプルな表現しか出来なくなるのだと、僕は身を持って知ることになった。


「こんな場所に住んでるなんて、実は金谷って、とんでもないお嬢様なのかな」

「違う、と思いますよ。うん、多分」


 多分、きっと、メイビー。

 初めて見た本物の豪邸、それも武家屋敷に浮ついた僕の言葉を、綾峰は曖昧な感じで否定する。

 しかし、そんな綾峰の言に僕は賛同しかねた。それはそうだ。僕みたいな小市民からしてみれば、家の大きさだって立派なステータスの一つなのだ。

 家という持ち物を維持する為にもお金が必要である事くらい、僕でも知っている。

 金谷の両親、この武家屋敷の持ち主が大見栄を張って、実は物凄い倹約術とか、家族みんなで質素な生活をしているならば話は別だけれど。

 まあ、その実状を確かめた所で、僕が勝手に感じていた浪漫(ろまん)が壊れるだけである。と言うか、実際にそうだったら金谷が余りにもあんまりだ。


「……桜真くん。さっさと用事、済ませてしまいましょう」

「あ、ああ。それもそうだな」


 僕の思考が明後日の方向へと飛び去っている最中、綾峰の進言によって現実へと引き戻される。

 彼女はそうしてから門の右側、縁に設置されているインターホンの方へと足早に歩み寄っていった。


(……そう言えば、綾峰は気にしてたんだった)


 件の噂。頭にヤの着く自営業。頬に傷のある人達の集まる家。そういう類の話があったから、綾峰は僕にも一緒に来て欲しいと、そう頼んだのだ。

 そう考えてみると、冷静になってみると、途端にこの武家屋敷が『そういう家』なのではと勘繰りたくなる。

 火のない所に煙は立たない。

 誰かが金谷の家が武家屋敷であると知っていて、僕と同じ様な思考を働かせて流布したのかもしれない。

 もしくは本当に噂通り、綾峰の危惧している通りという可能性も、十分に有り得た。

 それくらい、この存在感の塊である金谷家から得られるイメージの負の面は、大きかったのである。


 僕は遅れて、綾峰の後を追った。その背後に着いたのは、彼女の細く長い人差し指がインターホンを鳴らした時だった。


 ――ぴんぽん。


「……出ませんね」

「……出ないな」


 インターホンとしては一般的な、何処かこの武家屋敷に似つかわしくない電子音は確かに鳴ったわけだが、そこから先、二・三分待ってみても内蔵されているスピーカーからの応答はなかった。


「どうする、綾峰。もう一度鳴らしてみるか?」

「いえ、郵便受けにプリントを入れておきましょう。留守だったなら、悪いですから」


 僕の提案に、綾峰はインターホンの近くに設置されている郵便受けを指差しながらそう答えた。

 そうして綾峰は鞄から可愛らしい狸のキャラクターの描かれたクリアファイルを取り出し、その中から抜き取ったのは、以前学校で配られた進路希望のアンケート用紙だった。


(……ああ、そう言えばそんなもの配られてたっけ)


 数日前に僕も教室で受け取っていたソレを見て、頭の中でボヤく。

 高校二年生。僕らは中学生の時に受験というものをして高校に入学した一年生というわけでもなく、大学への受験や就職活動を控えた三年生というわけでもない、そんな宙ぶらりんな年代。

 綾峰みたいなキッチリとした性格の学生ならばまだしも、僕は僕自身の将来像というものをハッキリ描いているわけじゃない。だから、進路アンケートになんて記入したかも、あまり覚えていなかった。

 確か、家に持ち帰った後に面倒くさいとか思いながらてきとうに調べた近隣の大学の名前を書いた様な気がする。

 両親にもまだ相談していないし、そういうものにあまり真剣になれる程、僕は真面目な性格ではないのだ。


「あら、私の家に何か用かしら」


 綾峰がアンケート用紙を郵便受けに差し込もうとした、その時だった。そんな言葉を投げかけられたのは。

 凛として良く通る声。かっこいい系の、それでいて女性のものと判断出来る低すぎない声音。

 僕がその声に振り向くと、そこには着物姿の中性的な顔立ちをした少女の姿があった。烏の濡れ羽色、そう形容するに足りる切り揃えられた長い黒髪を簪で結っていて、僕らの事をジッと見ている。

 咄嗟の出来事に僕は戸惑い、声を掛けてきた少女と互いに互いの姿を見合う形になってしまった。

 沈黙。何か言わなければ、何か言わなければ。そう頭の中で考えるわけだが、何も出てこない。


「金谷、さん」


 そうしていると小さく、いつの間にか僕の背中に隠れる様に移動していた綾峰が、沈黙を破ってそう呟いた。

 その様子はどこか余所余所しく、顔だけ後ろを向いて彼女の表情を見てみると、まるで会いたくなかったと言いたげなものだった。

 僕は綾峰と金谷を交互に見る。


(え、何この状況。綾峰は僕の後ろに隠れるし、何この剣呑な雰囲気)


 どうしようかと思っていた矢先に、カラン、と下駄の音が鳴った。

 金谷がこちらに向かって歩み寄りだしたのだ。


「その制服、ウチの学校のものね。私の家ではなく、私自身に何か用という事かしら」


 綾峰の様子とは打って変わって、金谷――金谷蕣(カナタニアサガオ)は淡々と、平然と、そして堂々と話しかけてくる。

 そうして彼女の立ち位置が僕の眼前まで迫った所で、金谷は僕の後ろに隠れている綾峰に気付いたのか、目線がそちらへ移った。


「あら、綾峰さん。こんばんは」

「はい、金谷さん。こんばんは、です」


 金谷の挨拶に、綾峰が返す。というか、僕には挨拶しないのな。


「という事は、やっぱり学校関連の事ね。そろそろ進路希望のアンケートでも配られた?」

「は、はい。ですので、届けに来たんですけど……」

「ふーん。これはただの予想だけれど、あなたが隠れるのに使っている彼に頼まれでもしたのかしら?」


 鋭く冷たい視線が僕に向けられ、ゾクリと背中に寒気が走った。

 別に睨まれているわけではない。ただ僕の目を、真っ直ぐ見られた。

 ただそれだけの筈なのに、まるで蛇に睨まれた様な、心臓を鷲掴みされた様な感覚を覚えさせられる。


「ち、違います金谷さん! 私が桜真くんに頼んで、一緒に来てもらったんです!」

「あら、そうだったのね。ごめんなさい“桜真くん”。私、勘違いしてしまったようで」


 息をする事すら忘れそうになった所で、綾峰が助け舟を出してくれた。

 相変わらず視線は僕へと向けられているが、先ほどまであった重圧(プレッシャー)は無くなっている。

 何者なんだこの女。おっかないったらありゃしないんだけど!?


「お詫びと言ってはなんだけれど、あがっていって頂戴。お茶のひとつくらい出すわ」

「……お詫びって。まあ、そう言うなら」

「あなたにでは無いわよ、“桜真くん”。彼氏を酷い目で見てしまった、綾峰さんに対するお詫び。まあ、ついでに一緒してくれても構わないけれどね」


 ほぼほぼ初対面の相手に対する態度かそれは!


「か、金谷さん! 別に桜真くんは……」

「僕は綾峰の彼氏じゃないよ、金谷。ただの友達だ」


 綾峰ゆかりとは、そんな間柄などではない。僕にとって彼女は友達であり、クラスメイトであり、そして恩人だというだけである。

 何故だか金谷が僕の事を警戒しているということは、よくわかった。邪険にされるのも慣れているし、気にするまでもないだろう。

 だが、それなら僕も僕で金谷蕣(カナタニアサガオ)という女に対する態度を考えるだけである。


「そう。私はてっきり、あの綾峰さんが男子と一緒に居るものだから、そういう関係なのだと思ってしまったわ」


 何て嬉しい事を素直に口にしてくれるんだ、この女は!

 って、違うそうじゃない。確かに綾峰とそういう関係というのは憧れるが、少なくとも僕と綾峰の関係性は先に言った通りだ。

 まあ、今回否定したのは綾峰が迷惑するかもしれないと思ったのもある。だって僕は、綾峰とはとても釣り合いの取れる様な人間ではないのだから。

 しかし、それはそれとして。


「恋愛脳かよ。まさか、男子と女子の間に友情は成り立たないなんて言わないでくれよ?」

「そこは何とも言えないわね」


 金谷はそう言って、悩む様にあご先へと手を当てる。

 弱腰になれば一気にペースを持っていかれる。そう思った僕は、少し強気になって金谷への対応を行う事にした。

 情けない話だけれど、態度を崩すと先ほどの重圧(プレッシャー)を何かの気まぐれでぶつけられた時、僕はそのまま口を噤んでしまう自信があったからだ。

 睨む様な事はしない。でも、表情は決して緩めない。気も張り続けて、金谷の一挙一動を観察する。


「だって私、友達なんて居ないもの。だから、あなたの言う感覚については分かりかねてしまうわ」


 ごめんなさいね。そう継いだ金谷の表情は別に寂しそうでもなんでもなくて、ただ淡々とした涼しいものだった。

 謝る気も、僕の言葉を真面目に考えた様でもない。ただ単純に、本当にわからないからそう言った。そういう感想を僕は覚えた。


「それより、あがっていかないの? そろそろ立ち話を続けるのは疲れて来たのだけれど」

「あ、ごめんなさい金谷さん。じゃあ、お言葉に甘えて。桜真くんも、良いですよね?」


 金谷の提案に乗った綾峰が、僕に同意を求めてくる。

 僕の勘違いでなければ良いのだが、どうやら一緒に来て欲しいという事らしい。

 甘いな、綾峰。僕は君に頼みごとをされたのなら、即答で首を縦に振るぜ。雨が降ろうが槍が降ろうが何のそのだ。


「ああ、大丈夫だよ綾峰。金谷、僕も一緒で構わないよな」

「……チッ」

「舌打ちしてんじゃねえよ!」


 さっき言ってたじゃん、別に僕も一緒で構わないって! ついでとも言ってたけど!


「あら、聞こえていたの。意外と耳が良いようで」

「お前僕の事嫌いだろ」

「そんな事ないわ。どっちかと言えば、関心がないだけよ」


 見向きもされていなかった。好きでも嫌いでもない。どっちでも良いという事らしい。

 これは、地味に傷付く。邪険にされたりするのには慣れているが、面と向かってそんな事を言われるのは僕としても心に刺さるものがあった。


「金谷さん」

「……わかったわ、綾峰さん。意地悪が過ぎた事、謝ります。だから、ついででもなく、あなたにもお詫びとしてお茶を出させてもらっても良い?」


 ムッとした表情を浮かべた綾峰の呼び掛けに金谷は溜息を吐きたげだったが、そのまま取り繕ったのであろう態度で僕に尋ねる。

 ……少し、疑問を覚えた。

 綾峰の態度は最初こそ金谷から隠れたがる様な感じだったけれど、今のやり取りには慣れというものがあった気がしたからだ。

 金谷と綾峰は、元々なにかの縁で繋がっている?


「……わかった。謝ってくれるのなら、そのお詫びも快く受け取るよ」

「そう、ありがとう“桜真くん”。それじゃあ、中へと案内するわね」


 そうして、僕らは金谷家へとお邪魔させてもらう事になった。

 疑問を抱き始めた僕の胸中は、まるで急速に発達し始めた雨雲の様に薄暗く広がり始めていた。



 金谷の家は、思っていた以上に広かった。敷地がというのもあるが、門の内側に入ってから見えた本宅は正に武家屋敷というもので、テレビの中で見た事のある様な、浮世離れした物だった。

 だが、僕と綾峰は金谷に本宅へと案内されたわけではない。金谷が暮らしているのは、その敷地の奥まった箇所、裏口に近い場所に構えられた離れらしい。

 古き良き日本庭園というものを想起させる金谷家の庭を通り、僕らは金谷が生活を営んでいる離れへと足を踏み入れる。


「少し待っていて頂戴。今、お茶を淹れてくるから」


 お邪魔します。僕と綾峰がそう挨拶をして離れへと上がり、金谷の部屋へと入れて貰ったのがつい三分程前の事。

 金谷は僕らが腰を下ろしたのを確認すると、それだけ告げて部屋を後にした。

 彼女の部屋は、質素なものだった。物がまるで少なく、されど充分に生活するのに足りる家具や品々が綺麗に配置されている。

 勉強机の上にはノートパソコンと教科書。本棚にはずらりと並んだ参考書。部屋の中心に置かれた背の低いテーブル。そしてベッドと、クローゼット。

 決して生活感が無いわけではなく、だからと言って趣味娯楽が見て取れるわけ場所にあるわけでもない。そんな印象を僕は覚えていた。


「なあ、綾峰」


 金谷から渡された座布団を尻に敷いて座っていた僕は、綾峰へと話掛ける。

 彼女は一瞬、僕の方を向いてすぐに顔を俯かせた。まるで悪戯がバレてしまった子供の様な反応だった。


「……知り合いだったんだな、金谷と」

「はい。……正直に申し上げると、通っていた中学が、一緒でした」


 意を決して切り出してみれば、綾峰は言い辛そうに間を置いてから返してくれる。

 金谷蕣と綾峰ゆかりは、中学の頃から繋がりがあった。これは推察に過ぎないが、そして考察でしかないのだが、中学が一緒だっただけではないのだろう。

 門の前で行われた綾峰と金谷のやり取り。顔見知りなだけでは、ああは出来ないと僕は思う。

 だから、疑問ばかりが僕の中に生まれる。


 綾峰が何故、それを隠していたのか。

 最初、会いたくなかったと言わんばかりに僕の背中へ隠れようとしたのか。

 そもそも、知り合いならば金谷に流されているという噂についての真偽などわかっていたのではないか。

 その上で、何で僕に着いて来て欲しいと頼んだのか。

 訝しんでいない、と言えば嘘になるだろう。僕はポーカーフェイスというものが苦手なので、察しの良い綾峰は感じ取っている筈で。


「桜真くんはきっと、疑問に思っている事が幾つかあると思います。でも、これだけは信じてください。私は――」


 そこまで綾峰が言った所で、閉まっていた部屋の扉が開いた。


「――綾峰さんは、高校生になってからの私を詳しくなんて知らないわ」


 そして綾峰の言葉を遮る様に、お盆に急須と三つの湯呑、そしてお茶請けだろう煎餅の盛られた皿を乗せて戻ってきた金谷が継いだ。

 僕と綾峰は固まる。固まって、淡々と用意したお茶を流れる様な所作で僕らへと振舞う姿をただただ見る。

 金谷は僕らの事をまったく気にしていないという様子で、湯気を立てている緑茶の入った湯呑を配り終えると、そのままベッドの傍に座った。


「だから、私が色々と、教えて差し上げあげましょう。あなたがあらぬ疑いを、悪意を、綾峰さんに向けない様に」

「……別に、僕は綾峰にそんな事するつもりなんてねえよ」


 確かに疑問は生まれている。だが、その答えを聞いて僕が綾峰に悪意を向ける事なんて絶対に無いと断言出来る。

 綾峰は事情を抱えやすいのだ。そういう奴だからこそ、僕は彼女を恩人だと言う。

 そして恩人を悪く思う程、僕は落ちぶれちゃいない。故に金谷の心配している様な事なんて、起こったりする筈もないのだ。


「あら、思った以上にあなた達の関係は深いのね。妬けてしまいそう」


 無表情でそんな事を言われても、そっちの方がよっぽど信用ならないわけだが。

 金谷は自分で淹れた緑茶を一口飲んで、ほう、と息を漏らす。そうしてから落ち着き払った様子で、まずはと言わんばかりに綾峰との関係を話してくれた。


「私と綾峰さんの関係は、いわゆる協力者、みたいなものね」


 協力者? と僕は金谷の発言に首を傾げる。

 二人の関係は以前から、中学の頃からの知り合いだったというのは既に確定事項なわけだが、それにしたって距離感のある言い方だ。

 クラスメイトでもなく、同級生でもなく、ましてや友達でもなく、協力者。まるで仕事上の関係です、と言っている様な表現である。


「綾峰さんには、私の流した話の信憑性を高めて貰っている。だから、協力者と言うのが正しいのよ」


 補足として付け加えられた言葉に、なる程と僕は頷いた。

 何でそんな事をしているのか、という問い掛けは後に回すとして、手法としてはシンプルな事だ。

 綾峰には多くの友人が居る。クラスのカースト順位で言えば、もちろん上位の位置だ。だから、綾峰が噂に反応するだけで、それを信じる者も多くなる筈。

 つまりは、そういう事なのだろう。

 ……だが。


「お前、何て事を綾峰に頼んでんだよ」


 それを聞いて金谷を軽蔑したくなったのは、僕の素直な気持ちだった。

 綾峰ゆかりは心優しい人物である。僕が放課後に勉強を見て欲しいと頼んでも断らないくらいには、優しい少女である。

 そんな優しい人物に、他者を卑下させる様な噂の信憑性を高めて貰っているだって?

 綾峰はそれを否定したい筈だ。彼女はそれを良しとしない筈だ。僕の勝手な期待だって言われたらそこまでかもしれないけれど、真実は兎も角として、それは綾峰を遠まわしに傷付ける行為じゃないか。


「あら、怒ってくれるそうよ、綾峰さん。良かったわね。彼、とても優しいわ」

「……桜真くん。そう言ってくれるのは、とても嬉しく思います。ですが、今回に限ってはそうじゃないんです」


 金谷の相変わらず平坦な声音で放たれたからかう様な言葉を無視して、綾峰は言う。


「その、金谷さんにも事情があるんです。だから、私はそれに協力していて……」

「いや、だけど綾峰」


 そこまで言って、僕は喉まで出かけていた言葉を飲み込んだ。

 この憤りは、綾峰にぶつける様なものじゃない。いや、確かに協力を肯定している綾峰にも怒りたい気持ちがないわけでもないのだが、理由も事情も、僕は何も知らないのだ。


「……ああ、わかった。言いたい事は、後でまとめて言う」

「ありがとうございます」


 だから、僕にその時できたのは不貞腐れる様な態度で聞きの態勢を取るくらいだった。


「いいよ、お礼なんて。それよりも金谷」

「ええ、わかっているわ。事情というのは私の最もプライベートな部分になってしまうから秘匿させてもらうけれど、そうね。簡単に説明させてもらえば、私は学校で誰とも関わりたくなかったのよ」


 促した続きを、金谷は話してくれる。

 その秘匿された部分が肝要な気もするが、彼女はつまりその為に噂を自分から流し、綾峰に協力してもらっているらしい。

 金谷の家は幸いにも、他の一般家庭では考えられない武家屋敷。塀に囲まれ、大きな門まである、広い敷地の豪邸だ。

 流された噂をより濃くするには好都合だったに違いない。自分と関わるという事は、そういう家と関わる事になるかもしれないぞ、という脅迫めいた効能も発揮出来るわけだしな。


「まあ、そういうわけで効果は抜群に出てくれたのだけれど、噂としか処理されなかったのはちょっと予想外だったわね」

「……おい、ちょっと待て」

「え、金谷さん」


 噂としか処理されなかった。聞き捨てならない言葉が飛び出てきて、僕と綾峰は二人して金谷の顔を見やる。

 綾峰の反応を見るに、どうやら彼女も初耳の様だ。


「あれは事実よ。とは言え、既に名前だけで中身もないのだけれど。私の祖父がそういう筋の人なの。だから、利用させてもらうつもりだった」


 ガチもんだった!


「マジで何考えてんだお前!」

「綾峰さんと私の事しか考えていないわ」

「ぶん殴るぞ!」


 男女平等パンチを見舞うぞ!

 実際、殴ったらその筋の人が出て来て、僕はこの街の山奥に投棄される事になるだろうから、実行には移さないが。

 それはそれとして、自分の事しか考えていないという事を平然と言ってのける金谷には、怒りを通り越して呆れそうになる。

 ああいや、綾峰についても考えているのだから、少しは救いがあるのだろうか。

 ……僕的には、やっぱり呆れて正解な気がする。


「か弱い私に暴力なんて振るわれたら困るので、訂正するわね。……一応、色々と考えてやった事よ。綾峰さんが知らなかったのは、私が隠していたからだし」

「よくよく考えてみれば私、頼まれただけ、でしたからね……あはは」


 あははではない。今度、頼まれただけで今回の様な内容に協力してしまえる綾峰をちょっと怒ろう。さすがに無警戒がすぎる。

 そこが彼女の美徳であるわけだが、それと同時に気をつけるべき点であると、今回の件で僕は思ったのだった。


「綾峰。お前って奴はどうしてそう……」

「彼女を責めないであげて、“桜真くん”。家の事は隠していたけれど、私の事情を知って手伝ってくれていたのだから」

「……むう」


 額に手を当てて唸る僕の様子を見て、金谷が綾峰のフォローに入る。

 私の事情、ね。どうやら綾峰は知っている様子だが、金谷曰く『彼女の最もプライベート』な部分。故に話してくれる気がないらしく、先にも秘匿させてもらうとも言っていた。

 察して納得しろと、そういうことなのだろう。僕としてもこれ以上金谷に深入りする気もないので、このまま新しい質問をするつもりもない。

 のだが、問題は綾峰がどういうつもりで今回僕を誘ったのか、という事である。

 それについては、綾峰自身が話してくれるのを待つべきなのだろうか。今回、金谷への強気な態度が彼女にも波及してしまっている様な気もするし……。


「ねえ、私から質問をさせてもらっても良いかしら」

「ああ、良いぞ」


 一旦落ち着きたいし深入りする気もない以上、もうそろそろお暇させて貰おうかなと、そう思いながら冷え始めた緑茶を口にしようとした時に金谷が切り出してくる。

 彼女は綾峰を一瞥した後にこちらへと向き、僕の許可が出たというのを確認してわざとらしく咳払いをして、


「綾峰さんは、どうしてあなたを私に会わせたのかしら」


 僕も気になっていた事を尋ねてきた。いや、僕だって知りてえよ。


「それは直接本人に聞くべき事だろ。僕に尋ねられても困る」

「さっきまでの話を聞いて、それでも察せられていないの?」

「だからこそだろ! それとそれは綾峰が居ない所で聞くべき事だと思うぞ!?」


 いや、僕の叫んだ内容もまた、綾峰が居ない所でするべきものなのだが。

 それでも、金谷の質問の意図が分かり兼ねる。そりゃあ僕も疑問に思っていた事だ。金谷は自分と他の誰かと関わりたくないから、関係を遠ざける為に家の事を噂にして流した。

 綾峰もそれに一枚噛んでいるわけだから、わざわざ僕に手伝って欲しいなどとお願いする必要など何処にもないのである。

 だって、それは僕が金谷と出会う可能性を生むのだから。

 でなければ全くの接点など生まれる筈もなかったし、僕にそれを生むつもりもなかった。本来ならば僕が関わる必要も、要素も、関係性もなかったのである。

 話題の中心である人物、綾峰ゆかりを僕は見る。目を逸らして、少し顔を俯かせて、そして非常に申し訳なさそうにしていた。


「……余計なお世話かな、と思ってはいたんです」


 そして、彼女は言う。心配と居た堪れなさと、彼女の優しさを感じられる声色で。


「でも、このままにしておくのもまた、少し違う気がして。桜真くんなら何とかしてくれるんじゃないかなって」

「何とかって」


 綾峰の言葉に、僕は溜息を吐いた。綾峰がああ言ってるって事は、つまりはそういう事なのだろう。

 しかし綾峰、それを僕に期待するのは少し間違っている。僕自身に期待されている様な力なんてものはないし、僕自身に出来る事も少ないのだ。

 勘違いされている、とは言わないでおく。何故なら少なからず、確かに、綾峰の意図を僕が上手く汲み取れているのであれば、力に成れる部分もあるにはあるだろうから。


「……ねえ、金谷さん。桜真くんに事情、話してあげられませんか?」

「どういう事? 私、少し混乱しているわ」

「桜真くんはきっと、金谷さんの力になれるから」


 綾峰の言葉に戸惑う金谷は、僕の方を見る。僕も僕で完全に彼女の考えている事がわかるわけでもないので、肩を竦めて見せた。

 でもまあ、だいたい状況はわかってきた。金谷の持つ事情とやらも、それが関係しているのだろうことも。


「……まあ、スピード解決出来るかはさておいて。綾峰がああ言ってくれてるし、僕も話を聞いてみたいかな。つまりは、それが目的に含まれてるって事だろうから」


 僕みたいなのをわざわざ連れ出す理由なんてのは、そういった事くらいだ。

 綾峰はおそらく、多分だけど最初からこれを目論んでいたわけでもないのだろう。彼女は優しい。それでも何処かで踏ん切りをつけて、僕を頼った。

 だったら、後は金谷次第だ。金谷がもし僕の想像通りの問題に直面しているのだとすれば、少しは力になってやれるかもしれない。


「はあ。……まあ、わかったわ。それじゃあ教えてあげる」


 観念した様に、納得のいっていない表情でこそあったが金谷は僕に抱えている事情を話してくれる。

 最低限の日数しか学校に登校しなくなった、その原因を。人との関わりを断ちたがった、その事情を。

 そうして僕は、事件へと深く踏み込む事になる。

 彼女、金谷蕣は――端的に言ってしまえば『迷い込んでいた』。

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