好きです
目の前に白紙の原稿用紙がある。
正確には白紙じゃなくて、『3年D組 神田 楓』と、自分のクラスと名前だけは書き終えていた。
しかし、まだ題すら決まっていない。
今、私は、いいえ、私達は書かされている。書くことを強いられている。
クラスのみんながカリカリとこれ見よがしに書き綴っている中で、私だけ手が止まっている。
一体、どうして卒業文集なんて物をこの中学校は作ろうというのか。
そんなもの無くてもいいじゃないか。
残るのだぞ、将来に。
みんな、親の卒業文集とか見た事ないのだろうか。『未来の私へ』とか書いてあるんだぞ。なんだろう、あれを見た時は凄く恥ずかしかったことを覚えている。
そういえば、母が授業参観に来た時に「今の学校ってエアコン完備なのね」と言っていた。エアコンがない教室って何?夏暑くて冬寒いとか、地獄じゃない?
学校は勉強する所なのに、そんな中で授業とか受けられるはずがない。だからうちの母は頭が悪いんだと思う。
二次方程式の問題を聞いても解けなかったし。
いや、もう母の事はいい。
今はこの卒業文集だ。あの母でさえ書き切ったのだ。私が書けないとか、ない。
うわぁ、忘れようとした瞬間にまた母が出てきた。
グッバイさよならバイバイママン。
先生はイラストでも可と言っていたが、それは却下だ。
生憎と私には絵心が無い。
ここでクリーチャーなんぞ生み出してみろ。ほぼ全員が同じ高校に通うことになっている中でそんな悪魔召喚を成功させてしまったら、高校生活の3年間が終わる。始まる前から終わってしまう。
だから、イラストは却下。
無難に文章で勝負するしかない。
しかし、これが難しい。
何を書けばいい?何でも良いと言われるとコレが非常に難しい。
しかも、しかもだ。
最近まで受験勉強漬けだったおかげで私の脳の文学的機能は廃棄物も同然な状態だ。おい、お前ら、なんでそんなにスラスラ書けるんだ?
私達は仲間、仲間じゃなかったのか?あの辛い受験戦争を共に戦った仲間じゃなかったというのか。さてはお前ら、裏切ったな。
よし、分かった、お前らがその気だというのなら、私はお前たちの悪口を書き殴ってやる。
あ、うん、特に記憶にないな。
どうしよう、こいつらについて書くネタが無い。なんて軽薄な時間を過ごしてきたんだ、お前たちは。
あー、もはや信じられるのは己のみ。
思い出せ、思い出すのだ、この3年間を。
えーと、1年生は、入学してすぐに運動会があって。
組体操と棒倒しは危険だからやりませんとかいう話があり、結構クラスが荒れた。
特に5メートル近い棒を守りつつ、敵クラスの棒を早く倒せたら勝ちという棒倒しは毎年かなり盛り上がる競技らしく、それを楽しみにしていた子も多かったみたい。特に男子。
うーん、まぁ、私はリレーの選手に選ばれたりとか頑張ったけど、クラス優勝も出来なかったし、特に無いな、運動会。
楽しかったかと言われると、普通。
それが終わったら梅雨が来て。
天パの宮内くんの頭が爆発していた。梅雨は敵だよね、うん、分かるわーとか思いながら宮内くんの頭を眺めていた。前の席だったしね。黒板が見辛かった。
思い返すと結構早く夏休みが来たかな。
夏休みの宿題が嫌なのは小学生の頃からだけど、頑張ったさ。
そういえば、自由研究に凄く苦戦した記憶がある。何をしたのかまで覚えてないけれど、苦戦した記憶だけが残っている。なんだコレ、私は何に苦しんでいたというのだ。謎だ。
しかし、この頃から自由という輩は私を苦しめていたのだな。今も絶賛苦しんでるよ、自由のヤツめ。
母がご飯のメニューのリクエストで「何でもいいってのが一番困るわー」って言っていた気持ち、今なら凄く良く分かる。って、母、もう出てくるなよ。
秋、秋、秋、秋、あ、合唱コンクールがあった気がする。
市民ホールまで借りてそこで1年から3年までの全クラスが歌うのだ。しかし、クラスは違えど同じような歌ばかり選曲されるものだから、永遠独りカラオケで同じ曲をエンドレスループで練習しているみたいな気持ちになる。
そもそもコンクールのクラス練からしてエンドレスに大地を讃頌しまくっていたのだ。本番までそれって、何やってるんだろ私達ってなった。
学校の先生になると毎年これなのだと思うと可哀想になったのを覚えている。私達は3回やったら終わりだしね。
先生には絶対ならないと誓った行事だった。私にMっ気があったら違う感想を抱いたかもしれない。
冬は寒さとの戦いの記憶だ。
あ、そういえば凄い大雪の日があって、路上に車が放置されて大渋滞になったという事件があった気がする。高校前の道路までその渋滞が伸びてきていて、心の中でご愁傷様ですと祈りながら登校したんだった。先生が来てなくて自習になったのを覚えている。
雪、よくやった。
冬休みはそんなに記憶が無い。
夏休みほど長くもなく、短くもなく。
だが、やっぱり宿題は出された。クリスマスやお正月ぐらいは休ませてほしい。
あーうん、1年はこんな感じだろうか。3学期って何かあったっけ。うむ、記憶にございません。
2年生。
クラス替えもあったけど、人の評価って1年生の時に大体終わっているものだ。
あの人はこんな人だとか、1年の時に誰それがあんなことをしたとか、そんな話が新しいクラス中に蔓延する。あと、花粉も蔓延する。
花粉症で鼻水ズビズビな私に1年から引き続き同じクラスになった宮内くんがティッシュをくれた。あの時は助かったけど、渡されたポケットティッシュはすぐに使い切り、私のHPは0になった。
薬?飲んでいましたけど何か?
あ、そうそう、私はいつの間にか宮内くんの事が好きになっていたのだと思う。
ざっと記憶を探っても個人名が出てくるのは彼ぐらいだし。
成績こそ中の上ぐらいだけど、体育は全然ダメ。センスが無い。でもなぜか長距離はそれなりに走れるという、変なスペックな男の子だった。
宮内くんは女子から嫌われていた。パッとしないだけなら皆みたいに埋もれるだけだったろうけど、いつまでも子供っぽい所だとか、変に目立つところだとか、まぁ、その変な所が嫌われていた。
同じ中学に通っているという事は、皆この近くに住んでいるご近所さんだと言ってもいい。
そうすると、休みの日とかにクラスメイトやら部活の先輩やらに遭遇する。あ、私は家庭科部でした。
もちろん、宮内くんにも遭遇する機会が何回かあったわけだけど、私服がダサいんですよ、これが、ええ。
いつも着ているケミカルウォッシュのジーパンはボロボロで、仕様で薄くなっているスカイブルーの色が更に抜け落ちて非常に残念な感じになっている。古くてダサいを逆に限界突破して新しいとさえ思う。いや、でもあれはダサい。
上に来ている服も、なんというか、そう、“お母さん臭”がする。とても家計に優しいその匂いは、お洒落とは程遠い安心感と安定性がある。もちろんダサい。
そんな宮内くんの私服姿は私以外にも目撃者がいて、そうするとグループチャットとかで流れてくるわけですよ「あいつダサい」って。
皆がそういう話題の的にしている人が好きとは言えないものでさ。
そういう空気さえ他人に感じさせたら負けというか、人生が積むって感じの脅迫観念があってさ。
私の中で宮内くんは存在しないものとして扱うことに決定した。
そこからの学校生活は息苦しくて、つまらなかった。
面白い話で同級生と笑い合ったり、夏休みだーやったーみたいな楽しさを感じる事はあったんだけど、ふとした瞬間に現実に引き戻されて、何やってるんだろう自分みたいな。
そこで、なんで私がこんなにも宮内くんが好きなのか、その原因を探ろうとしたわけですよ。
理由が分かれはそれを否定するのも簡単じゃないかってね。
なしてこげな奴の事で自分の学校生活がブラックな感じにならなあかんのかと、これは私という存在を掛けた戦いだったのですよ。
顔は好きじゃない。もう、これははっきりと分かる。
性格も却下だ。宮内よ、もっと大人になれ。いつまで小学生気分なんだ。
家が特別お金持ちってわけじゃない、と思う。そもそも各家庭の世帯年収とか知らないし私。
何でだろう、何故だろうって気持ちがどんどん膨らんでいった。
仕方なかったので、母に相談した。友達に話せる内容じゃなかったし。
しょうがない、母、再度脳内に登場することを許す。
「あんた、駄目男が好きなんじゃないの?」
よし、去れ。
母が考察するに、私は駄目な男が好きらしい。
宮内くんは駄目な男なのだろうか。
仮にも好きだと分かっている男を馬鹿にされたのだ。私の中で、こう、闘争心的な反抗期的な、こう、衝動の塊みたいなのが弾けた。うん、なんか、こう、ボムってかんじで。
弾けたのはいいとして、それからの学校生活でも私の中で宮内くん無視は続く。
何で好きなのか分からないまま続いていく。
しかし、ポケットティッシュの時もそうだったけど、無視しきれない瞬間があるんですよ。
これ、無視したら逆に不自然になるって瞬間。
宮内くんと私は近い席になる事が多くてね。神様GJというべきか、余計な事をしやがってと恨むべきか。
それで、消しゴムとか机から落としたりするんですよ。
それを宮内くんが拾うんですよ。
そんで、「はい」って渡してくるんですよ。
私はね、他の人にバレないように言うわけですよ「ありがとう」って。
…こういう優しい所が好きなのかなぁ…とか思いつつ。
馬鹿じゃない、私?
いつの間にか、好きでいる理由を探すようになっていると気づいた時はブラックな学校生活が更にデロデロした汚物に塗れたものに変わった気がして。
ああ、もう、本当に馬鹿らしい。
好きなら好きと言えばいいのに。
それが、言えたら楽なのに。
そして、私のこれはその程度の好きなのだと、人目を気にして口に出す事さえ出来ない私はその程度なのだと、諦める事にした。
その頃から趣味に走るようになる。
保健体育で習ったけど、こういう満たされない気持ちを別の事で発散することを昇華というと学んだ。
学んだけれど、ではどうすればいいのかとか答えを教えてくれる人はいなかった。
そんなこんなで9月。
修学旅行は北海道だった。
北海道は回転寿司でさえ美味いらしい。いや、回転寿司こそが美味いらしいと聞き、自由行動の時に班のみんなで回っている寿司を食べた。
私を中心に世界が回っているのではないかと思う位美味しかった。
うん、まぁ、普通に美味しかった。
修学旅行の夜と言えば、恋バナである。
恋をしていない者は女子にあらず。
そんな雰囲気が部屋を支配し、誰が好きだとか、誰と誰が付き合っているのかとかそういう話になった。キスをしたとか、おっぱい揉まれたとか、そういう話をする。
私は、それを聞きながらガン泣きしていた。
それに気付いた子が「どうしたの?大丈夫?」って心配してくるんだけど、それが駄目。もう止めどなく流れる涙とこみ上げてくる嗚咽でどうしようもなくなった。
場の空気を氷点下にまで下げることに成功してしまった私は、皆に「大丈夫、大丈夫」と繰り返し言いながら布団に潜りこんで声を殺して泣いた。
でも、すぐに酸欠で苦しくて布団から出たけれど。
いつの間にか朝になった。
北海道でもスズメはチュンチュンと鳴く。
3学期はやっぱり記憶にございませんと言いたいところだけれど、バレンタインデーという超絶地雷イベントが設置されている。
クリスマスは冬休みというやつで回避し、気に留めることは無かったが、バレンタインデーは無理だった。
もう、その日が近付いていく程にクラス中がそわそわしていた。
調子良く「チョコレートが欲しい」と直接言ってくる男子もいたけど、「で?」と言ったらそこから先の会話は無かった。
私は何をトチ狂ったのか、バレンタインデー当日に学校にチョコレートを持っていくという暴挙に出る。
既製品のそれは、スーパーの特設会場に売りに出されていた3,980円のヤツである。スーパーにあるヤツとはいえ、お高い。
誰に渡すのかと言えば、一人しかいない。宮内くんである。
あ、女々しくも諦めたはずの、自分が嫌になったはずの気持ちが再燃していると思った。
って、女々しいって何だ?女ですけど、それが何か?とか、自分の心の声に怒る。
もはや情緒不安定も極まっている思考だ。
なんかどうでもよくなってチョコは渡さなかった。
家に帰って自分で食べけど、12個入りのチョコはあんまり美味しくなかった。
あげないでよかったと思う。
短い春休みが過ぎて、桜と花粉の季節と3年生だ。
宮内くんとは別々のクラスになった。
この時期になると、皆高校受験の事で頭が一杯である。私は早々に部活から引退し、勉強と趣味に時間を使った。
授業も入試を見据えた内容になる。
小テストが増え、その結果に一喜一憂した。
夏休みはここで差が付くと脅迫されて勉強、秋は過ごしやすく勉強しやすかろうと勉強、冬は受験前の追い込みだと勉強。
こうも受験一色だったのは私にとって幸運な事だったのだと思う。宮内くんの事を考えずにすんだから。
そして、受験も無事終わり、合格発表の日。
結果はネットでも見れるけど、自分の目で見たいのが人情である。寒い中、結果が張り出される高校まで向かった。
発表の時間になり、合格者の番号が書かれた紙が張り出される。そこに自分の番号を見つけ、一応ほっとして、さて、もう帰ろうかと振り向いたら、宮内くんが見知らぬ男子と喜び合っているのが目に入った。
彼には一緒に合格を喜んでくれる人がいたらしい。
ぐぬぬってなった。
そして、今、である。
目の前に白紙の原稿用紙がある。
正確には白紙じゃなくて、『3年D組 神田 楓』と、自分のクラスと名前だけは書き終えていた。
しかし、まだ題すら決まっていない。
今、私は、いいえ、私達は書かされている。書くことを強いられている。
クラスのほとんどが書き終えた中で、私だけぼうとこの3年間の事を思い返していた。
しかし、この白紙の原稿用紙こそが私の3年間であったのだと、そう思う。
教室の時計の針を見る。もうそろそろタイムアップだ。
目をぎゅっと瞑る。
伝えなきゃ、この原稿用紙は埋まることは無い。
伝わったらいいなと思う。
駄目でも、これまで勇気を出さなかった自業自得だと思う。
どっちにしても、この白紙の3年間から一歩進めると、思う。
終業の鐘が鳴ったら伝えに行こう。
そう、卒業文集を書くためだ。仕方ないのだ。
何と伝えたらいいのだろうか。
どう言ったら彼はこの気持ちを分かってくれるだろうか。
手が動く。
名前しか書かれていなかった原稿用紙のその題に、この気持ちが文字になる。