十七話 親子喧嘩
事の起こりは、少し前まで遡る。
「ふぅん。貴方がそうなの〜。へええ〜?」
「違いますから! 勘違いですからね!?」
「なぁにい? うちの子じゃ不満だっていうのぉ?」
「もー、やだこの人!!」
缶詰屋開店の一週間前。
建物は完成したが、ベッドや日用品といったものを揃えなければならないと街中をナターシャと一緒に物色していたところに、背後からつんつん、と肩を突かれた。
「はい?」
「……ケンタ様? どうかされまーー」
「久しぶりね」
振り返った先に居たのは、ウフッ、と軽く握った手を頬に当てて顔を傾けるやたら美人。いわゆるぶりっ子ポーズだ。
引き立つ容姿の中でも特徴的だったのは、腰まである髪から覗く尖った耳だった。
「えーっと?」
「お母さん!? なんでここにいるのっ?」
誰やねん。と俺が突っ込む前に、一瞬遅れて振り返ったナターシャがあわあわと慌て出した。
そうか、この美人はナターシャのお母さんか。そしてアルベルトさんの奥さんでもある、と。
そういえば、アルベルト商会に行ってもナターシャの母親はいつも留守だったなと思い出す。
立ち話もなんだからと開業前の自宅兼缶詰屋に2人を案内し、俺はカウンターの中、2人にはカウンター前に固定されているスツールに並んで座って貰った。
「もうっ。外に行く時はちゃんと連絡してっていつも言ってるのに、なんで急に居なくなっちゃうの! しかも連絡もなしにいきなり帰ってきて、お父さんだってお母さんのことすっごく心配してたんだよ!?」
……珍しくナターシャがおこだ。激おこだ。
「やだ〜、そんなに怒らないで〜」
娘の抗議を物ともせず、流石というべきか母であるタチアナさんはさらりと躱してしまう。
しかしそれが余計にナターシャの怒りに火をつけてしまったようで、
「あの時もお母さんが急に居なくなって大変だったんだから! 危うく取引先を失うところだったんだよ!?」
「あらそうだったの? ごめんねえ〜」
天然なのかわざとなのか、タチアナさんもずっとこんな感じでせっせと燃料を焚べている。
燃料を注ぎ続ける蒸気機関車の如し、ナターシャの一方的な訴えは永遠に終わりそうもない。効果がないようだ。
母娘の関係性である事も大きいのだろうが、世の中には何を言ってもどこ吹く風というか、どこまで伝わっているのかよく分からない人間というのは一定数存在するものである。
「ごめんごめんって、お母さんはいっつもそればっかり! 私やお父さんがどんなに大変だったと思っているの? 結局、お母さんは私達の事なんかどうでもいいんでしょ?!」
「……そんなこと、」
「あるからいっつも大変な時にいないんでしょ? その場しのぎの言葉なんかもう聞き飽きた!」
眦に涙をためているナターシャは何かを言いたそうにしているタチアナさんに気がつかず、そのまま出て行ってしまった。
残されたタチアナさんを見れば、少し俯いていてどことなく気落ちしているようにも見える。
……無理もない。俺には事情がさっぱりわからないが、久しぶりに会えた娘に厳しいことを言われたのだ。
「あのね。ナターシャの事で、ケンタ君に聞きたい事があるの」
パッ、と雰囲気をかえようとしたのか、しばらく俯いていた顔を上げるといきなりそんなことを言ってきた。
2人は久しぶりに会った途端に喧嘩別れのようになってしまっていたし、離れていた期間のナターシャの事も気になっていたのだろう。
……なんだ。ナターシャはあんな風に言っていたけれど、ちゃんと愛されているじゃないか。
「俺にわかる事であれば、何でもお答えしますよ」
「ありがとう。ね、ナターシャとはいつからなの?」
「いつから? あ、まあ初めて会ったのは1ヶ月前くらいですかね」
「そう。そうなのね……」
「??」
なんだいきなり? ナターシャの事を聞きたいんじゃなかったのか? 俺とナターシャの浅すぎるお友達歴を聞いて何がしたいのだろうか。
じっと考え込んでしまったタチアナさんに疑問符を浮かべていると、「まって、あの娘はハーフといえどまだ18歳だし……心はともかく身体の方が……いやでも相手の人間に待たせていたらおじいちゃんに……」などと意味のわからない事を呟いている。
「わかったわ! こうなったら私も覚悟を決める!」
「はい!?」
何がだ!!
いやいや、キッ!とか決意した様な顔で見られてもわかんねーよ!?
「ナターシャのこと、幸せにしてあげて!」
……うん。アンタはもうちょっと人の話聞こうか。




