十三話 サバ缶
昨日は寝てしもた。
「こっ、ここですか?」
ヒクッ、と口の端をぴくぴくさせているナターシャは、ただいま絶賛ドン引中である。
その反応にはちょっと傷付くが、一般的な目で見るのならナターシャの反応は正しいし、変なのは正しく俺の方なんだろう。
「うん。これくらいが理想的だよ」
俺たちの目の前にあるのは、物置にでも使っていたのだろう物件。
ここの路地裏には目当ての家は無かったかと引き返そうとした時、この家が偶然目に入った。
「あの、本気なのですか……?」
ひと目見て俺が気に入ったのは、ぱっと見でもわかる損傷の激しいボロボロの壁と屋根。
出入り口のドアは嵐か何かで吹き飛んだのか消え失せており、家の中を隠すことなく丸見えになっている。
家の中も大人4人が何とか余裕を持って座れるくらいの空間も決して広いとは言えないし、アルベルト商会がある大通りからも近いとは言えない距離だ。
そんな家を選ぶのが、「信じられない」とナターシャの顔には書いてあった。
「もちろん。 でもさすがにこのままじゃ住めないから、修理はしてもらうけどね」
「そうですね。父に頼んでアルベルト商会からご紹介致しましょうか?」
「いや、修理を頼む人材には既にあてがあるんだ」
昨夜フクロウの宿り木で夕食を摂り、仮眠したばかりだからその後寝つけるよう安酒を注文したところ、
「ぅおいおいおい! 何だこれはっ」
「っ!?」
いきなりチビなおっさんに、背後でデカイ声で話しかけられてビクッとした。
そろりと振り返り、この人はさっきから店内で騒いでいたドワーフだと見当をつける。
「え……何だ、って。ツマミみたいな?」
サバ缶をおかずにする人もいるだろうが、咄嗟に出てきたのは自分がよく食べる方法だった。
アルベルト商会で買った服が入っていた袋に、ランダムに買った缶詰を無造作に突っ込んでいたのだか、一缶だけ入りきらなかったためにズボンのポケットに無理矢理突っ込んだままだったのだ。
夕食の席に着くなりポロッと落ちてしまい、また突っ込んで落ちても嫌だからと卓上に置いたままにしていた。
「……触ってもいーか?」
「はあ、どうぞ」
コン、コン、コン!
最初は恐る恐る、といった感じで缶を突いていたが、それなりに強度があると分かった後は缶を叩きまくり、ベタベタと弄り回す。
その様子を見て、この世界で缶詰は珍しいものだとすぐに思い出したが、興味津々なドワーフの反応を見るにあとの祭りになっていた。……というか、おっさんの体温が伝わりはじめているだろうサバ缶を食う気がなくなってくるので、速やかにやめて頂きたい。
「もういいですかね」
手を差し出し、「はよ返せ」とどんなに嫌な客や上司との飲み会でもやり過ごして来た笑顔でサバ缶の返還を求める。
「……これを売ってくれんか」
「嫌です」
「なんでじゃ!?」
縋るようなおっさんの瞳が気持ち悪かったので。
結局は、我も我もとどこから増殖したのか分からないドワーフ達の騒ぎようが面倒になり、最初のサバ缶はタダでくれてやった。
別に最初からあげても良かったのだが、無碍に断ったおっさんの反応が余りにも面白かったから引っ張ってしまったのは内緒にしておこう。
「まあその見返りにね、タダじゃ悪いから、ひとつ頼み事を聞いてくれるんだってさ」
「……その、私が想定していたよりも随分と早く街に馴染んでいるようで、なりよりです」
「うん」
ナターシャはちょっと遠い目をしていたが、宿の女将さんや図々しいドワーフのおっさんども、もちろんナターシャやアルベルトさんも、この街の人はいい人が多そうだ。
自分は何故か若返ってしまったが、こんな人達に囲まれて、のんびりまったり暮らしていければいいと思った。




