表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

保管庫

monomaniacal BLUE

作者: 本宮愁

 あの城で出世したがるやつがいるとしたら、そいつは変人か狂人だ――すごくお偉いさんとか住んでそうと素直な感想をもらした僕に対しての、男の第一声だった。


 旅は道連れ世は情け。ひとりごとを口ずさみながら、あからさまに世界の中心を主張する一際大きな建築物へ向かって、僕は歩いていた。あいにくとエメラルドに輝いてはいなかったけれど、すらりと伸びた塔が天を貫くシルエットは、まさしく城。実用性より装飾性を重視してそうな造りだから、すくなくとも現在が危機的情勢ってことはないんだろう。平和ボケした空気を吸えば、陽だまりの味がした。そうして、のどかな田舎道から、やがて舗装された街道に至るまで、僕は誰にも顔を合わせずに歩いてきたのだ。……その男に出くわすまでは。


 どこからともなく現れた男は、面食らう僕に名を尋ねた。僕は答えなかった。つぎに目的を訪ねた。僕は答えなかった。それから年齢を、過去を、予定を。一通りの質疑を終えると、男は大げさな仕草で天を仰いだ(僕の方がそうしたい気分だった)――なああんた、いったいぜんたい何者だ? わからないんだ。僕は答えた。ぜんぶわからない。


 そいつは重症だな。なんとも思ってないような声で男が言った。自分が何者かすらもわからないのなら、まずは孔雀に会うといい。あれはどうしようもない奴だが、まちがいなくこの国の王で、一番多くを見聞きしている。ただし、と男は念を押す。その後のことは保証しないがな。記憶喪失も迷子も、とにかく孔雀に会うのが手っ取り早い。


 ふぅん、と気のない声を漏らして、僕は肩をすくめた。だけど別に、知りたいわけでもないんだ。とりわけ僕が何者かなんてことはね。その、王様とやらにはいくらか興味があるけど。孔雀というからには、さぞや華やかな見目をしているのだろう、と僕は想像した。


 おしゃべりな道連れを手に入れた僕は、それからというもの形のない耳栓を作りだすことに忙しくなった。まだ見ぬ王様に想いをはせ、一歩一歩踏みだすたびにすこしずつ大きくなっていく城を目指しつづけた。男は僕の斜め後ろにはりついて、せわしなく口を開け閉めしていたが、話の内容はあってないようなものだったので、僕の頭の中ではないことになっている。


 高くそびえた塔を見上げるのに首が痛くなるほどの距離まで、なんの脅威にも出会わない退屈な旅路を越えて、僕らはたどりついた。堀も城壁もない。蔓植物のまとわりついた立派な生垣が、ここまで途切れなくつながってきた街道との境界を示している。平和なのか不用心なのか、あるいは僕のもつ基準では測れないような土地柄なのか。なにはともあれ足を止めた僕は耳栓を外して(気持ちの上での区切りは重要だ)はじめて自分から男に話しかけた。ここに王様がいるの?


 ああ。すぐさま男は答えた。孔雀もいるし、なんでもいる。俺だって元々はここで暮らしていたんだ。それを聞いて僕は驚いた。お上品に城勤めしていたようには見えなかったけれど、どうやら僕の道連れは上流の生まれだったらしい。


 でも今は暮らしてない。尋ねたつもりはなかったけれど、僕の声をひろった男は律儀に応じた。俺は孔雀に気に入られなかったからな。ほら、そこにゲートがあるだろう。くぐった先も一本道だ。生垣の切れ目を指して男が言う。ゲートというにはいささか頼りない造りだけれど、たしかに道は伸びていた。それは迷わなくてよさそうだね。僕はなおざりに返答した。迷えば孔雀に見つかるさ。じゃあな、相棒。健闘をいのる。


 とん、と軽く背を押し出されて僕の身体はゲートを越える。いつのまに相棒になったのだろう。しかしお前、見ず知らずの相手の言うことを素直に飲み込みすぎじゃないのか、別に俺は騙そうとなんかしてないが、相手はよりにもよってあの孔雀だぞ、もうすこし――やれやれ、と肩をすくめた僕は、たった今相棒に昇格したらしい道連れの言葉に被せて言う。いよいよお別れかい? 色々ご親切にどうも。


 ふりむいて、僕は度肝をぬかれた。おせっかいとも親切とも受け取れる小言をくどくどと口にしていた男の姿が、声だけを残して忽然と消えていたのだ。くどくど、くどくど。驚きのあまり固まってしまった僕の異変には気づかずに(あるいは気づいた上で無視をしているのかもしれない)男は話しつづけている。


 まってくれ、きみは……きみはまだそこにいるのかい? 僕は、おそるおそる指先を伸ばしながら言った。男はハタと口をつぐむ。ようやく静かになったけれど、これはこれで気味がわるい。なんといっても僕からは、男の存在がさっぱりわからなくなってしまったのだ。


 ……ああ、いるさ。絞り出すようにして男は答えた。お前から俺は見えていないんだな? 僕はこくこくと頷いて、すぐに男から僕の姿が見えない可能性に気づいた。あわてて僕が口に出すよりも早く、男の声が返ってきた。なるほど、孔雀に会うまでもなかったな。お前は“青”系の純色ノーブル候補だ。すっかりわけがわからなくて、僕はもうポカンと口を開けるしかなかった。この僕の間抜けヅラは、しかしどうやら相手には見えているらしく、ちいさく噴き出すような音がした。


 単純だが強い法則だ。自分よりも濃く鮮やかな“色”を持つ人間ならば見ることができる。“色差”が過ぎれば会話もできない。自分よりも“色”の薄いもの、あるいは同じ“色”を備えない相手は姿を認識できない――ストップ、ストップ! 見えない男の説明を遮りながら、僕は顔の前に両手を立てた。ええっと、さっきから、なんの話? とつぜん言われたって、なにがなんだかわからないよ。


 なにって、そりゃあ、お前の話だよ。だってさっきまでは普通に話せていたじゃないか。いまも話せているだろう? そうじゃなくて、顔を合わせてってことだよ! 僕は紛糾した。あんたが見えないのにあんたの声がする。居場所もわからない相手に話しかけられるなんて不気味でたまらない。


 あのなあ、話せているだけでも儲けものなんだぞ、と呆れたような男の声が返ってきた。この城の敷地内じゃ、俺やお前みたいな“色”の濃いやつは、ろくな話し相手も見つけられない。俺は“青”系のなかでも、上から数えた方が断然早いような濃い“色”を持っている。少なくともお前が持ってる“青”系の“色”は俺より濃い、つまり標準からするとめちゃくちゃ濃いんだよ。


 いろ? 僕は鼻で笑う。色なんて、僕ときみに共通したところなんてなかったじゃないか。男の容貌なら覚えている。僕自身の容貌も。髪も、瞳も、肌も、なにひとつ同じ色合いなんてしていなかった。この短時間で、急激な変化を迎えていないことにはだけど。


 “色”は法則の一部だ、外では適用されない。男は平坦に述べた。お前に俺が見えていないのは法則――“色差”のせいだが、俺にお前が見えているのは、その適用外にいるからだ。法則の元で俺にお前が見えるかどうかは、そちら側へ行ってみなければわからないが、なんにせよ俺たちは似た者同士ってこった。混乱する僕を諭す男の声は、奇妙なまでに落ち着き払っていて、それが真実だということをまざまざと突きつけてくる。


 “青”系でまだよかったな。やはり、どうでもよさそうな声で男が言う。“青”は変人だが、“白”や“赤”は狂人の類だ。そこで僕は、男の第一声を思い出した。あの城で出世したがるやつがいるとしたら、そいつは変人か狂人だ? 一言一句たがえずに復唱した僕に、男はつまらない芸をする鸚鵡を見るような眼差しを向け(もちろん僕の目には見えないので想像にすぎないのだけれど)ため息を吐いた。


 なんだ、怖気づいたか? 今ならまだ戻れる。だが戻る場所もわからないんだろう。僕は答えずに、唇を噛んだ。だったら孔雀に会うしかない。どうせ迷子は孔雀の元に帰り着くんだ。みんな、な。こうして俺が送り出した中で、戻ってきたやつはひとりもいない。このあいだの変わった嬢ちゃんなんか、もしかしたらと思ったもんだが、いたく孔雀に気に入られたらしい。声すらも届かなくなっちまった。


 そういうきみは、と僕が問うと、男の声には諦めが滲んだ。――言ったろう、俺は孔雀に気に入られてないんだ。やつが来た日、城にいなかったからな。孔雀はな、孔雀自身が特別な存在であることが、この上なく好きらしい。やつに気に入られるってことは、やつを気に入るってことと同義か、それ以上か、だ。まあだから呼び戻されることもなく、俺は気ままにやっている。実を言うと俺もやつをよく知るわけじゃないが、ま、どうしようもないやつだよ。


 ほらいけ、と見えない手に背を押される。男がまだそこにいることを、僕はその硬い手の感触で知った。“色”の離れ方で声すらも届かなくなるというのなら、感触すらも伝わらなくなることもあるのだろうか。見えず聞こえず触れられない。まるでゴーストのようだ。その状況は、はたして同じ空間に存在していると言えるのだろうか。またそのとき、ゴーストと呼ばれるべき存在はどちらなのだろうか。思いもよらない難問を前に、僕は唸った。


 最後に教えてくれ。きみはどうして城を出たんだ? 僕は、僕にとってはもう、声以外は存在しないものとなってしまった男に尋ねてみた。出たんじゃない、鳥を捕まえるのに反対して追い出されたんだ。望まず飛び出した流浪の俺と、鳥籠の住人――どっちが幸せかなんてわからねえけどな。僕はこの時点で、男の声が徐々に遠ざかっていっていることに気づいていた。うまくやれよ、相棒。選択肢はあるにはあるだろうが、結果が変わるとは限らない。ああそれと、無駄だとは思うが、孔雀のことはあまり――……男の声はますます遠ざかり、とうとう聞き取れなくなった刹那、僕は再び一人になったことを実感した。


 もともと道連れが欲しいなんて思っていなかったんだから、願ったり叶ったりじゃないか。この先、僕の存在に気づく相手が、ほとんど存在しないかもしれなくたって、なにも恐れることはない。


 男の声を追いかけた脚がゲートを越える前にグッと力を入れて踏みとどまる。再びゲートの外に立ったとき、もしも男の姿が見えないままであったら――僕の声が誰にも届かなくなっていたら――確かめることが、なぜだか途端に恐ろしく思えたのだ。とにかく孔雀に会うのが手っ取り早い。鼓舞するように呟いて、僕は一本道の先にそびえる塔へと向き直った。


 孔雀に会ったら、……会ったら、僕は、なにを尋ねるつもりだろう。なにしろ僕は、僕が何者かなんてことには、たいして興味を持っていないのだ。他に知ろうとすべき事柄が無いのならしかたないけれど、僕の好奇心は今のところ、僕自身よりも、孔雀という存在に向かっている。


 ああそうか、と僕は閃いた。ならば尋ねればいい。僕のことではなく孔雀のことを。誰よりも多くを見聞きしているという、孔雀の知る様々な事柄を。それはとても良い案のように思え、僕は満足した。


 意気揚々と歩む僕の前から道が消え、塔の入り口が現れる。この頃には僕は、この城が城というにはあまりにも奇妙な構造をしていること、建物らしき建物が塔ひとつしか見当たらないこと、外から見た形と実際に歩いた距離や方向が全く揃っていないことに気づいていたけれど、“色差”の洗礼を受けた僕にとって、それは今更驚くべきことではなくなっていた。


 迷わず、僕は扉を開けた。

 迷えば孔雀に見つかると男は言った。

 迷わなければ、


 ――やあ、いらっしゃい。扉の開いたその先に、彼はいた。絢爛豪華に整えられた玄関ホールを背景に、両腕を広げて歓待の意を示す、線の細い青年こそが孔雀だった。彼に立たれては、全てのものは無個性な背景の一部と化してしまう。それが、どんなに贅を凝らして作り上げられた空間であろうとも、彼自身が持つ華には到底及ばない。


 王様というからには立派な口ひげを蓄えた中年男性をイメージしていたのだけれど、同時に裏切られることを期待していた。そういう意味で、彼は僕の期待を裏切らなかった。彼はいつでも裏切らない。彼はいつまでも僕を飽きさせない。いつの僕もどんな僕も一瞬で魅了してしまう。そう、だからこそ、いつの僕もどんな僕も最後には必ず彼を選ぶのだ。


 或いはお帰りというべきかな。きみは本当に面倒くさい子だね、“アオ”――しばらく会わないうちに伸びた僕の長い髪を掬って、孔雀が笑う。少女のような見てくれをして、彼は僕よりもうんと年嵩だ。僕だって実際と外見が離れている方だけれど、彼には全く敵わない。どんな点においたって、僕は彼には敵わない。だからこそ惹かれる。


 どうしたの、アオ? それだけ大人しいきみは、なんだか気持ちが悪いね。まさか、ここまで迷いなく帰ってきておいて、まだボクが分からないだなんてツマラナイこと言わないよね。孔雀が笑う。笑っている。僕の手の届く場所で、僕の一部に触れながら。


 胸の底から熱いものがこみ上げてきて、見開いたままの瞳から零れた雫が、ツゥ――と静かに頬を伝っていった。それを孔雀は、まったく表情を変えずに見上げている。ありとあらゆる色味がせわしなく行き交う混沌の瞳の奥に、僕の“蒼”が映り込んでいる。


 ああ、こんなにも鮮やかな存在を、どうして僕は忘れていられたのだろう。どうして忘れていられるだろうか。孔雀。孔雀。孔雀。僕の全てをもって挑んでも敵わない。僕の関心を釘づけにする。僕の鳥。僕らの籠に収まりながら、決して囚われてはくれない。鳥籠の王。鳥の王。支配せずして僕らを縛りつける絶対的な主。


 どうして外に出たりなんかしたの。いつもの知的好奇心ビョーキ? 確かにボクはきみのことが好きではないけれど、きみはボクのことが大好きでいなくちゃだめじゃないか。忘れないでね。ボクにとってきみは、要らない子なんだよ?


 僕は震える脚で跪いた。孔雀の手に残った髪が、蒼く長くリードのように宙に伸びている。飼われているのは僕らの方だ。振り回されているのは僕らの方だ。だけど離せない。いまさら彼を外に解き放つなんて、孔雀のいない籠なんて、考えられない。まして自分が外に出るなんて――。


 ねぇアオ。きみがどうして城の外に出ようと思ったのか、当ててあげようか。きみは群青に嫉妬していたんだ。“青”の純色ノーブルは蒼なのに、ボクが群青ばかり可愛がるから。きっと“アオ”を取られると思ったんだね。とくにトオルが来てからの、きみの面倒くささといったらたまらなかった。孔雀の微笑は崩れない。ゆるやかに弧を描いた口元から、僕はとっくに目が離せなくなっていた。


 ボクはうっかり(・・・・)きみの前で口を滑らせた――やっぱり藍の方がアオには相応しかったかな、って。するとどうだろう、きみは翌朝には姿を消していた。よりボクに気に入られるため。よりボクに近づき、よりボクを深く知るため。きみの考えはとても単純だから、もちろんボクはわかっていた。きみは、ボクの興味を引くための手段を探して、きみ以上にボクの関心を集める存在について、必ず研究しようするだろうってね。今まで何度もそうしてきたように。


 群青はね、仕方ないと思うんだ。もともと“青”の子なんだから、ボクがどれだけ気に入っていたって、ボクだけのものにはならないし、きみの知的好奇心に捕まって壊されても、仕方ないと思うんだよ――だけどトオルはダメだ。指の腹で僕の髪を撫でていた孔雀の手に、ぐんと力が込められる。ピンと張り詰めたリードに操られるがまま、僕は孔雀の前へ無防備に喉元を晒す。彼にならば食い破られても仕方ないと、素直にそう思えた。


 トオルは特別。ボク以外見向きもしない。ボク以外目に入らない。トオルにはボクしかいない。なのにきみはよりにもよって、このボクを利用して、あの子に干渉しようとしたね……? 孔雀は笑っている。絶対的優位者の余裕を見せつけるように、笑いつづけている。ねぇアオ、ボクは怒っているんだよ? きみがどうして戻ってきたのかまで当ててほしい? ――そうして僕を見下す孔雀の瞳の美しさといったら! 僕の口元まで無意識に綻ぶ。


 もちろん僕は孔雀の言わんとすることをわかっていた。顔を合わせた瞬間に、なにもかもを悟っていた。外に出たら何が起こるか、僕は知らなかった。孔雀のことも、僕自身のことも、城内のことを全て忘れてしまったのは、とんだ誤算だったけれども、結局、僕に選択肢はあるようで無かったのだと思う。


 あの男――藍の言う通り、なにを選んでも結果は変わらず、迷子は孔雀の元へ帰り着く。そういう者達しか、最早残っていない。変人か狂人しかいないとはよく言ったものだ。元からオカシイか、狂いきってしまうか、どちらかでなければ孔雀と同じ籠の中でなど暮らしていけない。


 この城の頂点に立つ純原色(ノーブル・ビビット)は、孔雀を除く世界ではゴースト以下の存在なのだ。それを当たり前のこととして慣れきってしまっているのだから、いまさら孔雀のいない世界で自由に生きよと言われたところで(しかしこれはあり得ない仮定だ。時が来ても彼は宣告すらしてくれないだろう)生きる理由も目的もわからず彷徨うのがオチだ。そして必ず孔雀の元へ帰り着く。僕のように。


 ……でもね、しおらしいきみはきみらしくない。髪を引く孔雀の力が、不意に緩んだ。彼の手から蒼い髪の束が零れ落ちていくのを見て、僕は内心恐怖した。いまのきみはとてもツマラナイ。面倒くさくないきみなんて、それこそボクにとって不必要だ。


 きみはボクを見ているべきだ。ボクだけをね。隙あらば御自慢の研究室に連れ込もうとする、病的に狭い視野しかもたないきみだからこそ、ボクは気まぐれに囚われてあげる気になれる。きみのその知的好奇心ビョーキの矛先がボクに限られていたからこそだ。冷え冷えとした孔雀の声を聞いて、僕は全身の震えが止まらなくなった。


 わかるかな、アオ。たとえ嫉妬心だなんてツマラナイ感情が種であろうとも、きみがボクのものでありたいのなら、ボク以外に偏執するなんて勝手が許されるわけないだろう……? 孔雀の瞳に闇が満ちる。数えきれない色に彩られた彼には不似合いな影だ。そのはずなのに、あらゆる色を混ぜ込んだ果ての黒は、他のどんな色よりも鮮やかに孔雀を彩り僕を魅了する。


 傍迷惑な自称相棒の語った例にもれず、やはり僕は、二度と城の外には出られそうにない。孔雀が城に留まる限り。僕は孔雀のいない世界を選べない。どんな途方も無い自由を与えられても、孔雀ほどに興味深い存在には決して出会えない。


 トオルという少女(藍が言っていた“変わった嬢ちゃん”は彼女にちがいないと僕は気づいた)もまた魅力的な性質を備えていそうではあるけれど、彼女は孔雀を介さない僕の世界には存在しないのだから、やはり僕にとっての重要なのは孔雀ただ一人だ。彼を見つけた日、どれだけ調べても底が見えない永遠の未知に心が躍った。深淵と呼ぶに相応しいだけの未知が、たった一人の中に詰まっているという奇跡に。


 迷えば孔雀に見つかると藍は言った。

 迷わなければ、――孔雀を見つける。


 僕も藍も“アオ”なのだから、この城の境界を跨いだ瞬間に、僕の“色”を見た藍は悟っていたはずだ。“赤”や“白”のような狂気には縁遠いが、“青”には“青”の狂い方がある。“色”は本質を映す。色差は元来、相容れぬ者を遠ざけ、似た者同士の中に明確なヒエラルキーを生むための働きだ。孔雀が来てからというもの、その仕組みは大いに歪められてしまったけれど、“色”が本質を映したものであることは変わらない。


 “青”系の性質は偏執狂モノマニア

 僕の興味関心を攫っていくのは孔雀だけ。


 ……ああ、トオル。怖がらなくていいよ。ボクは彼女を傷つけたりしていないし、そのつもりもない。トオルには見えないし聞こえないことだけど、ボクの言うこと信じてくれるよね? あはは、そうだね。信じるしかないよね。うん、きみは本当に可愛い――誰もいない空間に優しい眼差しを投げながら、孔雀が言う。


 ボクは優しい人間だからね。今回はアオを許してあげるよ。数少ない女の子同士、トオルが興味を持つのも仕方ない。他の厄介な子達と違って、アオに害意は無いから安心していいよ。彼女は面倒くさい子だけど、ボクに対して以外は全くと言っていいほどに無害なんだ。


 気色悪いほどの猫なで声で話す孔雀を見つめながら、僕はそっと胸を撫で下ろした。トオルは彼の一番のお気に入りだ。僕は彼女に好かれるようなことを何一つした記憶がないのだけれど、どうやら僕の件をとりなしてくれたらしい。孔雀はトオルを無下にしない。孔雀は、孔雀だけは、彼女の声に耳を傾け、彼女の行動を意味あるものにする。それが効果的な振る舞いだとわかっているからだ。


 孔雀は聖人君子などではない。神様でもない。ただの王だ。どうしようもなく我儘なだけの、けれども絶対的な、鳥籠の王だ。この狭い世界にかぎっては、彼は神にも匹敵する。彼は彼自身の振る舞いによって、神にほど近い領域にまで自らを押し上げている。僕が惹かれたのは、孔雀のそんなところだ。


 孔雀の側近くに侍り純原色(ノーブル・ビビット)と呼ばれる僕らは皆、それぞれ根底には異なる動機や思惑を抱えていれども、孔雀という存在を良くわかった上で彼を必死に引き留めている。蚊帳の外にいる藍からすれば、さぞかし滑稽に映ることだろう。しかし藍は藍で、望まずしてと言うからには城内に(つまるところ孔雀の手の内に)偏執する対象たる何か(或いは誰か)を取り残しているにちがいないのだから、あの男も僕からすれば滑稽な生き方をしている。城に戻れない理由として第一に“孔雀に好かれていない”ことを挙げ、孔雀に好かれる方法もわかっているのに、その方法を取れずにいる。つまり孔雀に欠片の興味も抱けないのだろう。仕方ない、それがアオというものだ。


 だけどトオルは違う。驚くべきことに彼女は“色”を持たないらしい。持たざる者であることが、この城によって示された彼女のアイデンティティなのだ。この土地のこと。僕らのこと。孔雀のこと。トオルは何も知らない。何も知ることができない。孔雀が語らないかぎり何も。色を持たない彼女には、孔雀の他に頼れるものなど何もない。――哀れだな、と思いながら、そんな彼女に嫉妬できる僕も、たぶん大概可哀想なやつなのだろう。


 嗚呼全くどうしようもないと自嘲しながら、僕は王の関心を取り戻すべく声を上げることにした。――孔雀。僕の土産話を聞いてくれないか。お茶でもしながらゆっくりと、あなたが作り上げた色差ゲイジュツに関する考察を聞いてくれ。僕自身の経験やトオルの存在のおかげで、どんどん新しい事実が見つかってきた。僕は早く真理にたどり着きたくてたまらなかった。でなければ僕はずっと、我儘な王様に囚われたままになってしまう。孔雀に出題された謎の解答を、すべてを説明づけるための完全な理論を、彼に出会った日からずっと、僕は探し求めていた。


 構わないよ、なんといってもボクは常に退屈しているからね。だけどアオ――。目を細めた孔雀が首を傾げる。仮に解答にたどり着く日が来ても、自由にはなれないと思うけどなあ。なんといってもきみは、永遠に解けない謎でも追い求めてなければ、生きながら死んでいるも同然なくらいに偏狭だもの。ひさしぶりに外を出歩いてみて、わかったろう? 世界中まわったところで、きみの関心を引くような事柄は、どうせこのボク以外残っていやしない。


 それで、きみは何を望んでいるんだっけ? と孔雀は首をかしげた。望みを叶えてあげるとは一言も口にせず、希望の光だけをチラつかせ、他の選択肢を切り落とした上で、無邪気に微笑する。そうだ。それでこそ孔雀だ。僕を惚れ込ませた鳥籠の王だ。彼は優しくなどない。ただただ我儘で、不遜で、憎らしいほどに自分を絶対的にみせる術に長けている。計算しつくされた振る舞いを、全く無計算にやってのけ、僕の予測を超えていく。


 孔雀の血も肉も寵愛も他のやつらが持っていけばいい。僕が求めるのは知識。ただそれだけ。僕は孔雀から与えられることを望まない。しかし此の世で誰よりも孔雀のことを理解しているのは、僕でなければならない。この貪欲な探究心を孔雀が気に入っているかぎり、僕は孔雀から遠ざけられずにいられる。孔雀を知りつづけていられる。そうして僕は初めて満たされた生を知る。


 だから僕はこれからも、孔雀に気に入られるための手段を選ばないだろう。不本意ながら、根っこがちがっても結局、行動にしてみれば他のやつらと大差がないというわけだ。そんな僕の内なる葛藤すらも、すべて見透かした目をして孔雀は微笑していた。トオルにはわからない。藍にもわからない。僕と孔雀だけが理解している。――やっぱりきみは面倒くさい子だね、と、彼の唇は告げていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ