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「どうぞ、アップルティーです」
「ありがとう」
応接室のソファに座っていると、アリスちゃんが紅茶を持ってきてくれた。とても香りのよい紅茶で部屋中にリンゴの甘い香りがただよう。
「ご一緒してもいいですか?」
と、アリスちゃんは自分のマグカップを持ってきたようで、テーブルを挟んだ私の向かいのソファに腰をおろした。
「もちろんよ」
私が笑顔で頷くと、アリスちゃんはとても嬉しそうな笑顔で返してくれた。
「美味しいですよ、このアップルティー。この前テオさんが王都にある本部へ行ったときにお土産で買ってきてくれたんです」
「副団長様が?」
「はい。さすがテオさんセンスいいですよね。その点、団長はダメです。というか、団長は王都へ行ってもお土産なんて買ってきてくれません!」
アリスちゃんがアップルティーを口に運んだ。
「あ~美味しい~」
そのアリスちゃんの表情があまりにも幸せそうで、私もアップルティーを口に入れた。
「あら、本当に。香りが良いと思ったからきっと良いお店の紅茶だとは思ったけれど、味も本当に美味しいわ」
「ですよね!」
そう言って、アリスちゃんはマグカップの中のアップルティーをあっという間に全て飲み干してしまった。
「あっ、終わっちゃいました」
と、空っぽになったマグカップの中身を私に見せながら恥ずかしそうに笑うアリスちゃんに、私も自然と笑みがこぼれる。
アリスちゃんは本当に面白い子だ。いつも明るいし、元気だし、とても素直。たしか今年で20歳になると言っていたから私より二つ年下。まるで本当の妹みたいに可愛い。
アリスちゃんは、私が第3護衛騎士団の詰所へ通うようになってからはもうすでにここのお手伝いさんとして働いていて、今年で5年目になるらしい。ということは、15歳のときから働いているということになる。話を聞けば、お父様が病気で入院をされていてその費用を稼ぐためにスクールを退学して、入院費を稼いでいるのだそうだ。辛くて大変だろうに、アリスちゃんは悲しい顔はいつも見せずに笑顔でいるから、本当にすごい子だと思う。
なんて私が感心していると、
「アリスちゃん、入るよ」
応接室の扉がノックされて、さらさらの茶色い髪をした男の子が入ってきた。
「あ、タモン君。どうしたの?」
アリスちゃんが振り返る。タモン君は私のことを確認すると頭を下げる。
「シェリー様、こんにちは」
「ええ、こんにちは」
私も挨拶を返す。
タモン君は第3護衛騎士団に去年入団した騎士見習いだ。いつもとても礼儀が正しく、言葉使いも丁寧。まるで女の子のような可愛らしい顔立ちに、男の人にしてはやや華奢な体つき。しかしこれでも剣の腕は新人騎士の中では1番らしい。
タモン君は視線を私からアリスちゃんへ移すと、ため息をこぼした。
「アリスちゃん、団長が探してるよ。なんか怒ってるみたいだけど、また何かしたの?」
するとアリスちゃんは両手を顔の前にパンと合わせてお願いのポーズをとった。
「タモン君、どうか私を見なかったことにして。団長にはアリスは行方不明だと伝えて」
「僕は別に構わないけど、団長を待たせると待たせた分だけ怒りはどんどん膨らんでいくと思うよ。アリスちゃん、早く行った方がいいんじゃないかな」
「…だよね」
あっさりと降参し、アリスちゃんは力無く立ち上がった。そんな姿を見たタモン君が心配そうにアリスちゃんに声をかける。
「アリスちゃん、今度は何したの?」
団長様のところへ行くのが相当イヤなのだろう。アリスちゃんは俯いたまま小さく声を出す。
「団長から父のお見舞いの品を貰ったんだけど、いつもいつも高価なものをくれるから申し訳なくて受け取れなくて。だから、きっとそれを私が受け取らないから怒っているんだと思う」
「じゃあ受け取ればいいじゃん」
「できないよ!だって団長、本当にいつもいつも高価なものくれるんだよ。こんな私の父のお見舞い品にあの人いったいいくら使ってると思う?」
「アリスちゃんのお父さんのお見舞い品だから、団長はきっと良い物を選んでそれを渡したいんじゃないかな」
「なんで?」
「それは、団長がアリスちゃんのことを好きだからでしょ」
すると、アリスちゃんはタモン君に近づいて彼の口を手で思いきりふさいだ。
「ちょっとタモン君!それは言わないって約束!そしてあのことは忘れてよ!私と団長はあのあとも何もないんだからね!忘れてね!いいね!」
「分かったから手を退けて」
アリスちゃんの手がタモン君の口から離れていく。
そんな二人の会話を聞きながら、そういえば先日テオさんに教えてもらったことを私は思い出した。なんでも、ほとんどの団員が集まっていた朝食の席で団長様がアリスちゃんに突然キスをしたらしいのだ。
団長様なんて大胆なのだろう…。
テオさんが思うには、団長様はアリスちゃんのことが好きらしいのだけれど本人にその自覚がまったくなくて、アリスちゃんもまた鈍感すぎてそんな団長の気持ちを冗談としか受け止めていないらしい。
実は、私も前からここへ通うたびにうすうす感じてはいた。団長様はアリスちゃんのことが好きなのかもしれない、と。
女性が苦手だという団長様だけれどアリスちゃんだけは普通に会話をしていたからそうだと思った。ただそれだけの理由の女の勘だけれど、テオさんに言われてやっぱり私の勘は当たっていたと確信できた。
私は、団長様とアリスちゃんはとても良いコンビでお似合いだと思うから、この二人の恋がうまくいけばいいな、とこっそりと思っていたりする。
それに、アリスちゃんは私と違って誰を好きになってもいいし、自由に恋ができるのだから…。
「では、シェリー様。もっとお話したかったけど、こわい団長が呼んでいるので私はこれにて失礼させていただきます」
アリスちゃんのその声はとても弱弱しくて、私は何と声を掛けてよいのか迷ってしまう。
「え…ええ。また、お話しましょうね、アリスちゃん」
「はい。それでは」
パタン、とドアが閉まってアリスちゃんが部屋を後にした。私とタモン君だけが取り残されたのだけれど、二人ともアリスちゃんが出て行った扉を見たまましばらく黙っていた。やがてタモン君が大きくため息をつきながら呟く声が聞こえた。
「アリスちゃん、大丈夫かな」
「心配なの?」
「え?あ、いや、僕は。心配というか、アリスちゃんがあんまり団長のことを怒らせなければいいなと思っただけで…あれ、それは心配になるのかな」
人差し指で頬をぽりぽりとかきながら、タモン君の頬はほんのりと赤く染まっているように見えた。その姿がなんだかとてもかわいらしい。
団長様のアリスちゃんに対する気持ちに気が付いたように、私の女の勘が正しければたぶんタモン君もアリスちゃんのことが好きだと思う。
騎士という本来の仕事の合間にお手伝いのアリスちゃんの仕事をよく手伝っているらしいし、今もこうしてアリスちゃんを呼びに来て心配している。だからたぶんそうなのだろうと思うけれど、一方のアリスちゃんはというと、以前、タモン君のことを一つ年下の弟みたいで可愛いと話していたような気がする…。
アリスちゃんを好きになる男性はことごとくついていないな、と思わず私は彼らに同情してしまう。
すると、扉がノックもなしに勢いよく開かれた。
「すみません、シェリー様。お待たせしてしまって」
現れたのは私がずっと待ち続けていた人。第3護衛騎士団の副団長テオさんだ。
「思っていたよりも見回りに時間がかかってしまって」
詰所へ戻り、誰かから私が待っていると聞いて慌てて走ってきてくれたのだろうか。息がやや上がっている。
と、タモン君がすかさず声をかけた。
「街で何かあったんですか、テオ副団長」
「いや、大したことはないんだけど、またいつもの窃盗だよ」
「他国民ですね」
「そう。でも大事にはならなかったから大丈夫」
「それはご苦労様でした。……じゃあ、僕はこれで失礼します」
そう言って、タモン君は部屋を後にした。
「俺に何か用があるって聞いたけど」
テオさんが、さきほどまでアリスちゃんが座っていたソファにゆっくりと腰をおろした。テーブルを挟んで向かい合うような形になる。真正面からテオさんに見つめられて、私は思わず視線をアップルティーの入ったマグカップへと落とした。
「あの、用事というか、お話があって」
「話?」
「はい」
「何だろう?」
言わないと。
これを伝えにここまで来たんだ。
来週のお見合いの前に私は自分の気持ちを伝えたい――――。
「テオさん!」
「ん?」
「…………」
言えない。
そんな素敵な笑顔で見つめられてしまえば、こわくて言えない。もしこの気持ちを言って彼を困らせてしまったらどうしよう。
伝えたところでそれが叶うなんて少しも思っていないけれど、私はただどうしても自分の気持ちを伝えたかった。きちんと伝えてケジメをつけて、それから私は王都の大財閥家の御曹司様のもとへお嫁に行く。
私は、テオさんのことが好きだ。