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07  戦闘の前~いろいろあるわけデス




 太陽が帰宅準備を始め、そろそろ月が準備運動を始めた頃になって、スレイが目覚めた。

 さすがに元気溌剌という状態ではなかったが、表情はかなりすっきりとしていた。

 深い睡眠を取ることができたようだ。

 お礼を言うスレイに対して、カルスは当たり前のようにこう言った。


「じゃあ、そろそろ本番といきましょうか」


「本番、何のことだい」


 スレイは不思議そうな顔をしている。自分が寝ぼけて聞き間違えたのだろうか、とでも思っているのかもしれない。


「ええ、本番です。今回の事件を大団円に終わらせるのに、もっとも簡単な方法は何でしょうか?」


「――なるほど、あいつから、イースファ侯から事情を聞いたんだな」


「ええ、何か提案を受けた気がしますが、もっと簡単で良い方法があるから、そっちを実行しようと思っています」


「カルス様、それはいったいどういうことでございましょう。あなた様は主と約束をしたはずですが」


 老執事が口を挟んできた。


「期待しているといわれただけで約束をしたわけじゃない、と言ってもいいんですが。理由はそんなことじゃありません。もっと良い方法があるから実行する。それだけです」


「いったい何をするというのです」


「――方法なんてあったら、僕がすでにやっている」


 否定的な二人に対して、カルスは宣言した。


「決まっているじゃないですか。倒すんですよ、魍魎を」


「確かに君はかなりの腕のようだけど、一人であの魍魎を倒せると思っているのかい」


「俺? 倒すのは俺じゃないですよ。俺が倒したところで、イースファ侯は喜んでくれないでしょうから」


「じゃあ、いったい誰が倒すんだ」


「そんなの決まっているでしょう。現状の原因の一端を担っている、支部長です」


 スレイは人形のようなぎこちない動きをしてから、


「そんなことができるわけないだろう。君に言ったとおり僕が負けたから、今の状況になっているんだ!」


 スレイがカナ切り声一歩手前と言う声で怒鳴った。やはり、魍魎戦での敗北は相当こたえているようである。


「師匠、師匠」静かにしていたルハスがカルスの袖を引っぱる。「当然、何か秘策があって言ってるんですよね。じゃないと、スレイさん二度目の敗北を喫してしまいますよ」


「ないこともない」


「というわけです。やるだけやってみましょう、みなさん。何と言っても、この人は僕の師匠なのです。それだけで信じるに値するでしょう!」


 ルハスの説得はもちろん受け入れられなかった。致命的なまでに説得力を有していなかったのだから当然のことである。

 だが、イースファ侯まで巻きこんだ結果、結局カルスの意見は採用されることになったのだった。



 クリスティナの指に針を刺し、ぷくりと浮きあがった血を小瓶に採取し、小瓶に封印結界をかけて、三人は部屋を移動した。

 クリスティナへ施された結界の維持管理は、呼びだされたテリアに任されることになった。

 彼女は事情を聞いて、カルスを睨みつけてきた。カルスの危険へいざなうようなやり口が気にくわないのだろう。実際、最後まで彼女は納得していなかったが、支部長命令に逆らうようなことはなく、封印結界の監視を行っている。

 今頃、カルスなどに事情を話すのではなかった、と後悔しているのかもしれない。

 屋敷の広い庭に出ると、カルスとスレイを残して、他の者たちは二人から遠ざかった。

 テリアに持ってきてもらった、魔道具を二人は周囲においていった。

 この魔道具は同じ封印結界でも干渉を遮断するものではなく、相手の動きを封じる結界と相性の良い魔道具だった。

 封じると言っても、動けなくするといったものではなく、どこかに逃げださないよう魍魎の行動範囲を限定する結界である。


「いまどき二人で魍魎に挑むなんてことを考える人間がいるとは……今さらだけど、三大魔術すべて扱えるんだろうね」


「はい。スレイさんもそうですね」


「ああ、いちおう使える。だけど、実戦に耐えうるのは、結界魔術とぎりぎり付与魔術だけだね」


「攻撃魔術も発動可能なんでしょう? なら、充分に実戦で使えますよ。目くらましにでもすればいいんだから」


「そこまで器用に魔術を扱えたら、僕は今頃大魔術士になっているだろうね……本当に序盤は個人で戦うのかい? それは時代の流れに逆行するやり方だよ」


「チームワークってやつですか? 魔術士にそんなもの必要ないですよ。あらゆることができて、初めて魔術士を名乗れるんでしょ」


「君の師匠はいったい誰なんだ。そんな時代遅れの考え方。今は、分業制だよ。得意な魔術を活かして、それぞれの持ち場で働く」


「一人でも欠ければ、全滅しそうですね」


「すぐに穴が埋められるようにチームを組んで戦うんだよ」


「それっていったい何人ですか? 労多く功少なしじゃないですか。そんなやり方をよく魔術士が受け入れられますよ」


「何と言うか、自分勝手な考え方をしてそうだね。今回のこれだって、無茶苦茶だよ」


「考えてもしょうがないことをいつまで言っているんですか。スレイさんはそれこそ作戦でわりあてられた役割を果たしてください。流行りの役割分担ですよ」


「この戦いが役割分担って言うなら、それこそいろいろなところから文句が出るよ。僕だけが楽をしているんだから」


「そんなことないでしょ。失敗したら大怪我を負うでしょうし」


 カルスは軽く言った。他人事なんで、まったく深刻さはない。


「き、君さっき言ってたことと違わないかい。発言内容が」


「さっきの説明ですか? 利点と欠点両方とも説明しましたし、過誤はないでしょ」


 どこ吹く風という感じで、まったく相手にしないカルスに、スレイはさらに迫った。


「おそらくイースファ侯は、怪我をするのはカルス君で、それもそこまで深刻なものにならないと考えているはずだよ」


「俺は魔術士という言いかたをしていたし、魔術士の訓練で起こりうるレベルのことしか起こらないと説明しただけですよ」


「あの魔術士の使い方は、『魔術士じぶんは』と言っているように聞こえたし、魔術士の訓練では普通は重傷者はでないのが常識なんだよ」


「でも、魔術士は魔術を用いる訓練の時、全員死を覚悟して行いますよね」


「君の言っていることは正しいけど、すでにいまでは建前だよ」


「建前かどうかは人によりけりですよ。そして、俺は建前なんて思っていない」


「なるほど、やっぱりかなり危険ということだね――僕はいいけど、他の人間を巻きこむわけにはいかない。やはり、『魍魎返し』も準備しておこう」


「ダメですよ。一度使ったんでしょう? たいして日数が過ぎていないから、これが罠だと魍魎にばれる。そんなことをすれば、こちらの世界に出てこない」


「それは迷信ではないですか? 本当に『魍魎返し』を設置した場合に、魍魎はその存在に気づいているのだろうか? 他の要素がからんで現れないだけかもしれない」


「答えの出ない問題を今話しても仕方がないでしょう」


「魔術士らしくないとでも言うかい? でも、不明ならば命の安全が担保されるほうを選択することも、また魔術士らしいと僕は思うけど」


 確かにスレイの言っていることに間違いはないのだが、すでに戦うと決定した後にこれほど言いすがるのは、力を持つ魔術士らしくない。

 前に敗れたことがよほどこたえているのだろうか。


「支部長の言うとおりにすれば、確かに俺たちは安全でしょうね」


「そうだろう」


「でも、その代わりに別の人間がより危険を抱えることになりますよ」


 カルスが誰を指して言ったのか、スレイは理解したらしく顔色を変えた。

 魍魎痕から解放されるには、刻印を記した魍魎を倒す以外にないと言われている。

 仮に『魍魎返し』があることに魍魎が気づくというのが正しければ、今回出てこないのはもちろんだが、次回にまで影響が及ぶ可能性がないわけではない。

 解決に時間がかかればかかるだけ、当然眠りつづける少女の身体には負担がのしかかっていく。

 魍魎のためではなく、衰弱によって命を奪われることだってないわけではないのだ。


「だから私が言ったじゃないか。無理すべきではない、と」


「さっきも言いましたけど、決定したことへ異議をとなえるよりも、これからのことに最善を尽くしたほうがいいですよ」


「君は知らないんだ。あの魍魎の強さを――正直、君がなぜこんなに戦おうとし、イースファ侯あいつがそれを認めたのかが僕には分からない」


「まあ、信じて下さいとしか言いようがありません。自分から言いだしたので、責任は取ります」


「魔術士として?」


「ええ、魔術士として」


「魔術士の約束なんてあてにならないね」


 そう言うと、スレイはカルスから離れていった。

 もちろん、封印結界からは出ていない。ぎりぎりのところに立っていた。

 カルスが指定したとおりである。

 中途半端に外野が集まっていた。

 屋敷で働いている者たちである。彼らの顔には不安の暗雲が立ち込めていた。

 ただ二人の顔だけは、晴れている。

 イースファ侯とルハスだ。

 ルハスのほうは、何を考えているのかは分からないが、イースファ侯に不安がない理由をカルスは知っている。

 何しろそれは、カルスがある事情をイースファ侯に語ったことに起因しているからだ。





「つまり、おぬしは、あのヴィル・ティシウスの弟子であり、今回の魍魎はヴィル・ティシウスの強大さに恐れをなして逃げだした魍魎の一体であるということか?」


 カルスの打ち明け話を聞いたイースファ侯が、もう一度確認した。太い眉がぴくりと動く。


「はい。報告にあった巨大な壁のような直方体の巨体に長い手と短い足をしているという外見。さらに、現れた時期、最後に魍魎痕からの気配で確信しました。おそらく間違いありません」


「魍魎が逃げだすのか?」


 納得しがたいようで、小さくイースファ侯が首を振った。

 カルスとて肉眼で見てなければ、こんな話信じないだろう。できの悪い笑い話にさえならない。


「気配というか魔力を感じただけで、たいていの魍魎は逃げてしまいますね」


「それほどなのか、大魔術士ヴィル・ティシウスとは……いや、そうだな。史上最強とも言われている魔術士だ、おかしくないのかもしれない」


 充分おかしいのだが、カルスは否定しなかった。


「それでなぜ私にだけこの話を打ち明けたのだ」


「恥ずかしながら師匠はこの仕事を成功したとして完了報告がなされているのです」


「魍魎は生きているのにか?」


「あながち間違いではないんです。依頼された女性の魍魎痕は消えていましたからね」


「魍魎を消滅せずとも魍魎痕は消えるのか!」


「みたいです。おそらく魍魎が自ら消したのでしょう。自分の痕跡を残せば、師匠から追いかけられるとでも考えたのかもしれません」


「そんな馬鹿な話が……」


 渋い中年の顔に、はははと力ない笑みが浮かんだ。


「非常識のみで形成されているのがうちの師匠です。あの人は規格外なんで、絶対に参考にしないでください」


「言われなくとも、そんなものを参考になどできるはずがないだろう」


「それで話の続きですけど、魔術士協会には魍魎を撃退したと師匠が報告してしまったんです。理由は絶対に面倒くさいというだけなんですけどね」


「面倒くさい? 本当か?」


「本当ですよ――」


 カルスは説明した。

 実際、魍魎が消滅せずとも魍魎痕が消えると分かれば、魔術士協会はティシウスに協力を要請し、執拗な質問を行うことだろう。実践まで要求するかもしれない。

 だが、ヴィル・ティシウスはそんなものを相手にするはずがない。

 最後には魔術士協会は権力や金をもちいた交渉を行ってくるだろう。

 そうなると、ヴィル・ティシウスは間違いなくへそを曲げる。虫の居所が悪ければ激怒し、魔術士協会本部を破壊してしまうかもしれない。当然、魔術士協会との関係は消滅するだろう。


「そうなると、主に俺が困るんです」


「――なぜだ?」


「魔術士協会からの仕事依頼は儲けがいいんです。たいてい、普通の魔術士では解決不能問題が回されてきますからね。もしくは大金持ちが師匠の名を戯れに求めて。なので、師匠が魔術士協会と絶縁すると、先だつ物がなくなってしまうんです」


「ヴィル・ティシウスほどの名と実力があれば、個人で依頼が入ってくるのではないか?」


「イースファ侯、では問いますが、閣下はヴィル・ティシウスに娘さんのことを依頼しようと思いますか? 魔術士協会にいる強力な魔術士ではなく、大魔術士ヴィル・ティシウスに依頼しますか。いちおう言っておきますけど、料金は同額として考えてください。いや、こちらのほうが安くしておきましょう。さあ、どうです」


「いや、遠慮するだろうな。ヴィル・ティシウスにわざわざ依頼するほどではないから」


「気を遣わなくてけっこうです。貴族であるイースファ侯なら、庶民以上に聞いたことがあるでしょう。ヴィル・ティシウスの多くの噂を」


 イースファ侯が気まずそうな顔をする。

 それが答えである。

 依頼達成率五パーセント。

 多くの場合依頼を一瞬で終わらせるが、後に残るのは瓦礫と廃墟。一体の魍魎を退治するはずが、いつの間にか数十体の魍魎と戦っている。

 ドラゴン退治のために、山一つ消えてしまった。

 ヴィル・ティシウスの噂は枚挙にいとまがない。

 そして、そのどれも誇張ではなく過小に伝えられている。なので、実際に覚悟をして依頼した人間でさえ、結果を見て呆然自失に陥るのだった。


「……言葉がないとはこのことだな」


「なので魔術士協会と縁が切れるのは、俺が困るんです」


「そうか……それで私にそんな話をしてどうするのだ?」


「俺が魍魎を倒すので、魔術士協会本部から来る魔術士には帰ってもらってください。余計な調査をさせないでほしいんです。すでにここの支部から魍魎の報告があがってはいますが、師匠の適当な報告書からじゃ、まだ同一の魍魎とは考えていないはずです。ただ、師匠の報告書ではなく、現地の人間からあがっていた情報とつきあわされれば、少なからずばれる可能性があります。本部の魔術士が不審を覚えればそこまでやるかもしれないんです」


「それで?」


「支部の魔術士が魍魎を倒してしまえば、執拗に調査などしないでしょう。その程度の相手だと認識するはずです」


「つまり、支部レベルの出来事として処理することで、ことを大げさにせずに終わらせたい、ということか」


「はい。これは閣下の考えとも合致します。支部長に手柄をあげさせれば、すべてが丸く収まるでしょう。支部長も自身で魍魎を退治すれば、さすがにやめることはしないのでは? それでもやめようとしたら、閣下が強引に説得するよりないですね」


「魅力的な提案だが、それには絶対の条件がある」


「何でしょうか?」


「そなたにあの魍魎を単独で倒す力があるのか、ということだ」


「ああ、そう言えば、その話をしていませんでしたね。さっきも言いましたが、師匠が出ていくと賢い魍魎や感覚の鋭い魍魎は逃げてしまうんです。なので、魍魎関係の依頼を実際にやるのは――」


 ――俺なんです。


 カルスはそう言って、自身に満ちた笑みを浮かべたのだった。


「ほお」


「そして、俺はあの魍魎と戦って勝ち寸前まで行きました――最後に師匠が邪魔しましたけどね」


 一週間前の戦いと、依頼を達成したと余裕ぶった表情をした師匠の顔を思い出し、カルスは思わず硬く拳を握った。


「つまり、勝てるというわけか」


「ええ、たぶんまだ完全には回復してないでしょうから、この前よりも弱いでしょうしね。それに今回は封印結界の魔道具があるはずです。逃げられないので完璧に滅してやりますよ」


「なるほど、それならそなたの言葉にのってもいいかもしれぬ」


「ありがとうございます」


「しかし、三人がかりで戦った時、魍魎はかなり消耗していたはずなのに、うちの魔術士協会は敗れたのか……それほどに強い」


 イースファ侯が口を閉じ、考えこんだ。

 ふと何か思いついたように顔をあげ、カルスに問う。


「なぜ、魔道具で逃げださないようにしなかったのだ? いや、そなたから実情を聞いたからこそヴィル・ティシウスほどの大魔術士なら魔道具など使わずとも充分な封印結界がはれるだろう」


「師匠は結界魔術の中でも封印結界が嫌いなんでやらないというのもありますが、あの人が封印結界なんかやると、何が封印されるか分からなくて危険なんですよ。そして、魔道具でしたか、ええ、俺だって魔道具が欲しいですよ」


 ――でもね、魔道具なんて高価なものを買う金なんかうちにはないんです!


 カルスの心の叫びだった。








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