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06  魍魎~よくワカラナイモノ




 魍魎退治失敗から生じた事態は、貴族と魔術士協会が敵対するという政治的事件ではなく、友人関係の修復という私事であることが判明した。

 まあ、まずいことにならなくて良かったと言うべきだろう。

 蒼黒色の髪に黒目をしたどこにでもいそうな、簡単に人混みに埋もれてしまいそうな優男は、自称弟子を迎えるために廊下を老執事と歩いていた。

 とある事情により、カルスは今回の魍魎のことを警戒していた。とにかく魍魎痕だけは確認せねばならない。

 後の行動はそれから決めるとしよう。

 領主の提案に乗るか、あるいは別の方法をとることにするのか。

 満足げな顔をして昼寝をしていた自称弟子を叩き起こして、カルスは老執事に案内され、クリスティナの部屋へとやってきた。

 レースで彩られた豪奢なベッドがまず目についた。白い輝きを放つ鏡台やテーブル、各種調度品は高価なものだろうが、それだけではなく一つのデザインのもとに選ばれており、部屋は美しく落ち着きのある色彩で統一されていた。

 部屋に一人だけいた侍女メイドが、カルスたちに気づきお辞儀をした。


「スレイ様。お客様です」


 老執事が声をかける。

 ベッドの傍でうつむいて座っていた男が顔をあげた。

 なるほど、イースファ侯と親しい間柄というのが、一目でカルスは納得できた。

 スレイは筋骨隆々とした男だった。魔術士は動きを阻害するような大きな筋肉をつけることを好まないので、非常に珍しい。

 イースファ侯とスレイの二人は、互いの筋肉を見せあい褒めあっているのだろうか。その姿を想像し、カルスはげんなりとした。


「君はいったい?」


 スレイは、隈が濃く、頬もこけ、疲労が色濃く滲んだ顔をしていた。

 その姿を見て、カルスはとりあえず筋肉のことを忘れることにした。


「凄い筋肉ですね、師匠」


「空気を読め!」


 カルスは最短距離の軌道を描いた拳をルハスの脇腹へとぶつけた。


「な、なんで……」


 横腹を押さえながら少年が崩れ落ちる。さすがにダメージを受けたようである。

 だが、カルスは見破っていた。

 ルハスが瞬間的に腹部へ力を入れ、最低限のガードをしたことを……まあ、どうでもいい話だが。


「君たちはいったい……?」


「ああ、こいつのことは気にしないでください。俺は魔術士です。この町の魔術士協会に偶然来ただけですが、事情を聞いて協力することにしました。礼も拒絶も不要です。協会員としては当然のことなので」


「礼はともかく、拒絶?」


「どうやら頭がぼんやりしているみたいですね」


「ああ、そうだね。そうかもしれない」


「少し休憩してはどうですか? 俺が見ておきます。俺の腕が心配なら見せますが」


「いや、遠慮するよ。これは私の仕事だからね。私の失敗によって生じた――」


「正直、あなたの失敗など知ったことではありません」


 カルスは言い放った。

 まったく遠慮がない。


「それよりもこれから起こるかもしれない失敗の可能性こそ考慮すべきでしょう。俺は師匠から魔術士の心がまえとしてそう教わっていますが」


 カルスは、このような心がまえをまったく教わったことがなかったが、あの師匠は特殊なので仕方がない。

 心がまえだけでなく、そもそも魔術を含めて何も教わっていないのではないだろうか。


「若いのに厳しいな。いや、若いから言えることなのかな」


「予備の魔道具はありますか? 簡易の結界を張ります」


「ああ、あるよ。じゃあ、見せてもらおう。ただし、実力がないと判断すれば、君の言い分は聞き入れないよ」


「かまいません」


 立ちあがると、スレイが荷物の中から魔道具を取りだした。

 全体が黒い魔道具は、三角錐の形をした複雑な紋様が入っていた。それを四つスレイは取りだし、床に並べた。

 ちょうど正方形の頂点となるような配置である。


「光よ、守れ」


 カルスは短縮呪文を唱える。

 魔道具の紋様が輝き、それぞれから魔法陣が浮かびあがった。

 四つの魔法陣はそれぞれ重なり合い、より強い光を放ち、部屋一体を照らした。輝きが収まるのに合わせて、四つの魔法陣は正方形の中心で解けあうようにして消えた。

 魔道具に囲まれた場に、結界魔術の一つ封印結界が発動している。


「驚いたな、魔力も申し分もないが、それよりも短縮呪文でこれほどの精度の魔術を操るとは……いったい君は誰に師事したんだ? もしかしてスクールの出身か」


「まあ、俺の話はいいですよ。それより試験の結果を聞かせてください」


「――不合格……とは言えないだろう」スレイが弱々しく苦笑する。「それでも私としてはこの場を離れたくないんだが」


「魍魎痕は悪化していないと聞いていますが? ひどくはないんでしょう?」


 そうでなければ、父であるイースファ侯はもっと取り乱しているはずだ。また、スレイの性格からして嘘の報告をするとも思えない。


「責任感だよ。能力を超えた範囲で責任を持とうとするなんて、君には笑われてしまうかもしれないけどね」


「笑いはしませんよ。あたなが疲労困憊していない姿であったなら。ただし、今の姿で責任なんて言われても、自己満足にしか聞こえませんが」


「何と言うか、久しぶりに魔術士らしい魔術士を見た気がするよ。うちに所属している魔術士は私のせいなのか、針がちょっと感情に振れている人間が多くてね」


「日常でなら、悪いことではないでしょう」


「やはり、君は厳しい。分かったよ。休ませてもらう。じゃあ、最後に彼女の状態と魍魎について分かっていることを君に教えておく」


 クリスティナの眠るベッドの横に、カルスはスレイと並んで立った。

 クリスティナは綺麗な娘だった。ルハスと似たような年齢で、まだ少女期を脱していない。

 魍魎痕を刻印されると、強力な魔術士などごく一部の人間をのぞき、全員が深い眠りにつくことになる。

 身体的にも精神的にも一般人であるクリスティナは、大部分の人間と同じように深い眠りに落ちていた。

 顔は綺麗なもので、金色の長い髪も脂ぎったところはまったくない。嫌な臭いも全くしない、むしろ良い香りが漂っていた。侍女メイドがしっかりと世話をしていることがよく分かる。

 カルスはスレイから情報を受けとり、クリスティナの手首にある魍魎痕を確認した。

 魍魎痕に振れるか触れないかの微妙な空間をあけて、カルスは掌をかざす。


 ――やっぱりか。


 カルスは小さく嘆息して、これからの方針を決定した。

 魍魎痕の様子から状況の進行は中程度だ。

 同様の結界を張りつづければ、本人の体力さえ持てば、一月以上は軽く保たせることができるだろう。

 スレイは最善を尽くし、しっかりと最悪を回避することに成功している。イースファ侯が友人としてとめるという理由だけでなく、なるほど、これでやめるなどという責任の取られ方をすれば、他の魔術士にとってはいい迷惑だ。

 侍女メイドに先導されて、スレイは別の部屋へと移動していった。部屋から出る時、最後に恨めしそうな視線を送ってきていたが、復活したルハスが「安心して任せてください。支部長が眠っている間にすべて解決しておきます」という見当違いな返事をしたことで、スレイは大きくため息を吐いて去ったのだった。


「さて、どうしますか、師匠」


「どうするかな」


 隣に並ぶルハスを気にすることなく、カルスはまず魔道具の確認をした。

 ベッドの四方に、先程カルスの試験に使用した魔道具よりも一回り大きな魔道具が設置してある。外観は同じだ。効果増幅機能はおそらく大きさ以上に向上しているはずだ。

 今はまだスレイの結界魔術が働いていた。

 しばらくすれば結界は消失してしまうので、まずは結界の張りなおし作業をしなくてはならない。


「師匠、そう言えば僕の試験はどうなったんです」


 ルハスが歩くカルスの隣をついてまわる。


「ルハス、魍魎とは何だ?」


「魍魎ですか? 人間に敵対するモノ、人間に害を及ぼすモノ、人間を喰らうモノでしたっけ? 確かここではない世界の住人ですよね」


「まあ、そうだ。つまりよく分からないモノってわけだ」


「身も蓋もない言いかたですね」


「事実だからな。それで、魍魎が人間にする敵対行動とはどんなものだ?」


「一つは直接的なものですよね。魍魎が大量発生して、町や村を襲う。一般的にこの時現れる魍魎は弱いものが多いとされます。ただし、過去には小さなものですが国家を滅ぼすほどの脅威となったこともあるので軽視はできません」


「他には?」


「もう一つは、『押しかけ』とか『憑依』とか『食事』とか言われるものです。力のある魍魎がお気に入りの人間を見つけ『魍魎痕』と呼ばれる『呪いの印』を身体のどこかに刻む。そして十日以上の日数をかけてじょじょに人間を弱らせ、最後は『魍魎痕』が爆発的に増殖し、人間の意識を奪って、魍魎化する。これを行える魍魎は例外なく強い力を持つと言われています」


「そうだ。だからこそ、異能の力を持つ魔術士に解決の依頼がなされる――最低限の知識はあるみたいだな」


「大魔術士ですから」


 誇らしげにルハスが言う。


「魔術士の基本常識だ。それで『食事』に対する魔術士の対応はどういったものになる?」


「まず最初に行わなければならないのは、『魍魎痕』の成長を抑えることです。これは結界魔術の一つ『封印結界』で可能になります」


 結界魔術には、防護結界、拘束結界、封印結界の三つがある。

 その内の封印結果には、状態を保ち続ける効力と、干渉を防ぐ力がある。


「ただし、敵である魍魎は強力なので、普通の魔術士は魔術効果を増幅させる魔道具を利用します。まあ、僕には必要のない知識ですね」


 魔道具は、魔術士協会最大の秘奥とされ、製作者はごくわずかしかいないとされている。魔術士協会の独占である。

 といっても、実際は本当に独占できているわけではない。

 カルスの師匠などは、時々戯れに魔道具を作ったりしている。意外に器用なのだ。本人の能力が桁違いなので、自身は増幅器としての魔道具をまったく必要としていない。だから、作る能力があっても、戦いに役立つ物は一切作らずどうでもいい物しか生みださない。

 おそらく他にも魔道具を作れる魔術士はいるだろう。

 だが、製作できる魔術士も魔道具自体も数が少ないのは間違いない。


「最初にやることは分かった。じゃあ、次にやることはなんだ?」


「当然、魍魎の撃退です。ただし、魍魎は普通の攻撃がききません。どんなに優れた剣士であっても、普通の武器では傷一つつけることができないと言われています。特殊な素材でできた武器のみが魍魎に傷を負わせることが可能なのです。それは、銀刀、魔刀、妖刀の三種」


「三種をもう少し詳しく」


「ええっと、簡単に言えば、銀でできた武器、魔力のこめられた武器、人間の思いや怨念が込められた武器が通じるとされています。結局全部魔道具みたいなもんですよね。でも、妖刀の話は本当なんですかね、師匠」


「疑っているのか?」


「本当であればいいなと思っています」


「本当だ。だけど、あれは魍魎を殺せるかもしれないが、自分を殺すことにも繋がる武器だ」


「その言いかた! まるで師匠は本物を知っているみたいですね」


 カルスは片をすくめた。


「他に攻撃方法はないのか?」


「あるに決まっているじゃないですか! 僕らの魔術ですよ! 攻撃魔術はすべて通用すると言われています。どれほど傷を負わせることができるかは、当人の魔術の威力による。それだけです」


「ここからはより具体的に聞くか。結界はいちおうある。じゃ、どうやって魍魎を撃退するんだ? 魍魎はこの場にはいないぞ」


「それは――『印』をつけられた人間の血をとって、結界のない場所にぶちまけます。そうすると、結界によって気配を感じられなくなり、じらされた魍魎がこちらの世界に現れます。そこを叩きのめすんです!」


 ルハスが拳を握りしめた。


「じゃあ試験を始めるぞ」


「え、今の試験じゃなかったんですか?」


「先輩魔術士として、後輩の知識を確かめただけだ」


「師匠による日常教育ですね。よく分かります」


「さっきの魔道具を使って、俺がやったのと同じことをしてみろ」


 黒色の三角錐の形をした魔道具はなおされずに放置されていた。魔術士が高価な魔道具をおろそかに扱うことなどまずないので、これを見ると、スレイが相当に疲労していたことが分かる。


「封印結界を唱えればいいんですよね」


「正確には封印結界を魔道具に同調させるだな。魔道具に魔力を少し通してみろ。何となく色が分かる」


「色が分かる、ですか? 師匠は分かりにくい表現をしますね。ふん!」


 無駄に多くの魔力が魔道具に通される。魔道具は特に反応しない。魔道具は魔術に反応するように作られているからだ。

 しかし、ルハスの魔力の扱いは精密さの欠片もなかった。

 乱雑で乱暴な魔力の流れが、カルスにははっきりと見えていた。


「【守るべきものを光に包み、干渉をさえぎれ】」


 省略呪文を唱え、ルハスが魔術を発動させた。

 手順や組み合わせが最適ではなく、非常に流れの悪い魔術が世界に干渉を始めた。

 魔道具から魔法陣が浮きあがる。構成は粗が目立ち、精密さからはほど遠い。魔力の無駄が多く生じていた。

 だが、その魔術の威力は莫大だった。

 強力な白光が部屋を満たす。

 一瞬の点滅の後に、光は消えた。

 後には、魔術の残滓があるのみで、魔術自体は失敗していた。


「あれ、おかしいなあ」


 ルハスが頭をぽりぽりとかいている。


「もう一回――」


「必要ない」


 ぽんとカルスはルハスの頭をこづいた。


「魔力は確かに並じゃないが、魔術の幼稚さはなんなんだ。おまえ、母親から魔術を習ってるんじゃないのか?」


「え、僕がいつそんなことを言いました? 魔術を習ってるんなら、弟子になる必要なんてないでしょう。魔術が使えないから、魔術士の弟子になるんです。間違っていますか」


「ホントかよ」カルスは呆れた。「言っていることは間違っていないが、行動が大きく間違っている。魍魎や魔術に対する知識があるのは、まあいいが、なぜ魔術っぽいものが使える?」


「それは、母が魔術を使うのをよく見ていましたから。見よう見まねで」


「――母親は何も言わなかったのか?」


「いえ、最初はもの凄く怒られました。魔術は失敗の仕方を誤れば、逆流を起こして魔術士自身が死ぬこともあるんですよね」


「ああ、そうだ。おまえの魔術は、いちおう形にはなっていたから、油断した。すぐに止めるべきだった」


「いえ、最初の逆流の危険があるところまでは、母からしつけのようにして教えられました」


「は? 最初の部分だけをか?」


「はい。ここまでできれば、危険はほとんどないからって。後は単に魔力を無駄にするだけだから、あなたには問題ないって言ってました」


 魔術の危険は大きく二つに分かれる。

 ルハスが怒られた魔術の逆流と、もう一つ魔力の枯渇である。

 魔力が一瞬にして枯渇してしまえば、命の危険に関わることがあるのだ。

 これを気にしなくていいというのは、とてもつもなく膨大な魔力を有しているという条件が必要だ。

 ルハスの母の言葉を信じるのなら、ルハスは子供の頃から――今でも子供だが――相当な魔力を有していたということになる。

 もしかしたら、一流魔術士と同じ程度にはあったのかもしれない。

 成長にあわせ、今では、魔力はもっと多くなっているだろう。


「まあ、いいや。とりあえず不合格な。文句は受けつけない」


 ルハスにいろいろと問題が見つかったが、とりあえずは、目の前の課題をこなしていかなければならない。


「えー!」


「今から結界を張りなおすから、離れてろ」


「傍にいたら危険な程度の制御力しかないんですか」


「おまえ本当に魔術士に育てられたのか? どんなことにも絶対はない。必要ではない危険はおかすな、だ。危険認識が低いって、魔術士にとって致命的だぞ」


 ルハスに説教しながら、なるほどとカルスは内心で頷いてもいた。

 うちの師匠が致命的なのはこの辺の思考方法がないことも影響しているのだろう。強すぎる力というのは、本当に考えものだ。


「何か急に説教くさくなってきましたね、師匠は」


「俺はそういう人間じゃない。おまえが説教を誘引するような人間なんだ」


 一方的に責任を押しつけて、カルスは予備の魔道具をベッドの四方に設置した。スレイが設置した魔道具の外側に置いている。

 カルスが魔術を行使すると、ベッドを囲むように結界魔術が発動した。スレイの封印結界ごと囲んでいる。

 その後、カルスは効力を失い始めたスレイの封印結界を消去し――まったく効力を失っていない封印結界であったなら消去することはまずできない。破壊するしかないだろう――、新たに結界魔術を発動した。

 最後に、予備の魔道具で発動した封印結界を消去する――自身の魔術の消去は、一定の技量があれば可能である。

 こうして、結界魔術の補助という役割をカルスは果たしたのである。








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