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05 イースファ侯~貴族ってヤツには何種類かアル




 カルスとルハスは待合室に通された。

 おそらく屋敷の中でも小さな部屋なのだろうが、それでも魔術士協会の受付よりも大きかった。

 お金はあるところにはあるものなのだ。

 カルスとして、紅茶でも飲んで優雅な一時ひとときとしゃれこみたいところだったが、紅茶が出されることはなく、彼の隣にいる少年は優雅とは程遠い声音で騒いでいた。


「何をはしゃいでいるんだ。落ち着け」


「いやあ、騒ぎますよ。こんな屋敷、こんな部屋見たことないですよ。これが貴族ってやつなんですね。僕も一度貴族になってみようかなあ」


「そんなに凄いか?」


「凄いですよ! だいたいあの門を見ましたか。始まりからして凄かったですよ」


「おまえは門が動いてから騒ぎたてじゃないか」


「いやあ、置物としてはたいしたことなかったですけど、あの大きい門が動くと圧巻でしたよね。なんか、ちょっと、信じられませんでしたよ」


 素直な性格というか、素朴な生活をしていたことがルハスの言動から察せられた。


「でも、師匠はまったく驚きませんでしたね。そっちも驚きです」


「普通は門を見たくらいで、はしゃがないだろう」


「はしゃがなくても、何かしらの反応があるでしょう、あれを見たら! 屋敷を見ても、屋敷の中に入っても、平然としているし、師匠は何者ですか!」


「おまえは何者か疑問に思うような人間を師匠って呼んでるのか? 弟子とは認めてないけどな」


「しつこいなあ、師匠は」


「しつこいのはおまえだ!」


 ノックの音が室内に響き、師匠【仮】と弟子【仮】の舌の動きが停止した。


「どうぞ」


 カルスが言うと、ドアが開き、先程の老人が一礼して入ってきた。

 後ろからついてきている人間はおらず、一人だけである。


「主がカルス様とお会いになるそうです」


「俺とですか?」


「はい」


「僕もついていっていいんですよね」


 椅子から跳ねるように立ちあがって、すかさずルハスが言った。


「いえ、カルス様お一人です。申し訳ありませんが、ルハス様はこちらでお待ちになっていただきます」


 柔かな物言いだが、老人は毅然としている。おそらくルハスが何を言ってもくつがえることはないだろう。


「ええー。師匠と弟子は一心同体なのに」


 珍しく見極めができたのか、意味不明なことを言いはした――師匠と弟子が一心同体などありえない――が、ルハスはそれ以上ごねたりはしなかった。


「すみません。その代わりというわけではありませんが、お菓子をご用意しますので、そちらをお食べになってお待ちください」


「え、お菓子ですか? 分かりました。じゃんじゃん、持ってきてください。僕は大の甘党ですから、その辺を考慮してくれてもまったくかまいませんよ。師匠、何をしているんです! 早く行ってください。師匠とはいえ、ご領主様をお待たせしてはいけません」


「おまえという人間を理解することを俺は諦めるよ」


 カルスは頭をがりがりとかいた。


「はい、師匠は諦めたようなので、どうぞ連れて言って下さい」


 にっこりと少年が笑う。

 この二人の奇怪なやりとりに対しても、老人は困惑することなく、変わらぬ対応を示し、カルスはルハスの希望どおりに領主のもとへと向かったのだった。

 扉が閉まる隙間から見えた、ルハスのよだれをたらさんばかりの顔が、カルスを非常にいらだたせた。

 別に師匠と弟子の関係ではないが、ルハスには腕立て百回をやらせよう。カルスはそう思った。

 身体は魔術士の基本である。

 鍛えておいて損はないのだ。

 決してお菓子や紅茶を彼だけが味わえなかったからではない。





「カルス様は堂々となさっていますね」


「――そうですか?」


 廊下を歩いていると、案内する老人が話しかけてきた。

 べつだん無礼とは思わないが、そういった行為をするとは考えていなかったので、カルスの反応は少し遅れた。


「慣れていらっしゃるのですか?」


「魍魎に関する魔術士への依頼は、貴族の割りあいが高いですからね」


「そうでございましょうが、そういうことではなく、私どもへの対応や立ち振る舞いがきちんとした教育を受けた方のようにお見受けします」


「魔術士の教育レベルは一般的に高いとされていますからね」


「さようですね。失礼いたしました。あまりに優雅であられるので、つい好奇心がわいてしまいました。お忘れください」


 老人が頭をさげる。


「優雅ですか? はっきり言って俺としては、この格好でご領主とお会いして良いものか疑問なんですけどね」


 服をはらいはしたものの、森でのサバイバル感があまりに色濃く残っていた。


「主人は一般の貴族の方々とは少々気質の異なる方でございますので、そのようなことで問題になることはございません」


「気難しい方ではなさそうですね」


「はい。下々の者にも気軽に声をかけるおおらかな主人でございます」


「そんな方がいったい俺に何の用でしょうか? 若輩者の俺は支部長の手伝いくらいしかできませんよ」


「それは主人から直接お聞きになって下さい」


 扉の前で老人の足が止まるのを見て、「では、そうしましょう」とカルスは答えた。




 老人がノックと来客の報告をし、許しを得て扉を開けた。

 カルスはイースファ侯について何ら具体的な想像をしていなかった。

 気さくな人柄とはいえ貴族なのだから身につけている物が高価なものばかりなのだろうな、ということをせいぜい考えただけだ。

 後は、聞こえてきた返事が渋い声だったので、それなりの年を重ねているのだろうくらいか。

 扉が完全に開き書斎のように本棚が壁一面に並んだ部屋が、カルスの視界に入ってくる。

 重厚な部屋である。

 まさに貴族が暮らすにふさわしい高価さが薫っていた。


「何してんだよ、おっさん!」


 カルスの心の叫びである。

 黒塗りの大きな机の上に、一人の男がポーズをとって、鍛えあげらえた逞しい肉体美をさらしていた。


「何で上半身まっぱなんだ」という言葉もカルスは無理やり呑みこむ。


「ご主人様、お客様がお見えです。そのように背中をみせていては失礼かと」


 自然な声のトーンのまま老人が主人をたしなめる。


「ああ、そうか。今日は背筋が全体的に調子が良くてな。この肩甲骨あたりがおすすめなのだが、確かに背中を見せて語るのは礼儀にもとるな。申し訳ない」


 そう言いながら、イースファ侯が両腕をさげて振りかえった。

 そして、ゆっくりと両手を腹の前で組んだ。


「まだ、ポーズをとるのかよ!」


 我慢できずにカルスは突っ込みを入れてしまった。

 この後、冗談だと笑いながらイースファ侯は机の上からおり――そう、ずっと机の上にこの貴族はいつづけたのだ――、服を着始めた。

 その時間が非常にゆったりとしていたのは、カルスの感情もあるだろうが、それだけでは絶対にない。

 ことすらゆっくりとイースファ侯が服を着たためだ。おそらく本人は自慢しているのだろうが、同好の士ではないカルスはまったく共感することはなかった。

 苦痛の時間が終わり、イースファ侯がようやく椅子に座った。

 カルスに対して名のった後に、イースファ侯は真剣な面持おももちになって話しはじめた。


「君は魔術士協会本部が派遣してきた魔術士ではないんだな」


「はい、違います。旅をしていて偶然よっただけの魔術士です」


「あの紹介状を読ませてもらったが、魍魎の力を分かってなお協力するというんだな」


「はい」


「自信があるのかね」


「少なくとも手伝いはできます」


「当然君は今回の事情を聞いているな」


「はい、依頼されたお嬢さまの護衛を魔術士が失敗したということですね」


「町で魔術士がどう噂されているのかも知っているんだな」


「はい。あまりいい感情を抱いていないようですね」


 カルスはイースファ侯と話しながら違和感を覚えていた。

 先程の筋肉の歓迎? もそうだが、今もイースファ侯から魔術士であるカルスに対して悪感情がまったく伝わってこないのだ。

 娘の護衛失敗に怒り、魔術士協会を移転させた張本人であるはずなのだが……。


「何か不思議そうだな」


「もう少し荒っぽい歓迎もありえるかと思っていたので」


ダルロうちにある魔術士協会にはやはり正確に話が伝わっていないようだな」


「どういうことですか?」


「おそらく、失敗した魔術士と魔術士協会の遅い対応に激怒し、私が魔術士協会支部を移転させた、とだけ伝わっているのだろう?」


「はい。違うんですか」


「違わないが、それはすべてじゃない。やはりスレイは部下にもきちんと話していないのだな。困ったものだ」


「どういったことなのか事情を聞いていいですか?」


「ああ、そのつもりで君を呼んだんだ。ダルロうちの魔術士協会は、私と関係が断絶していると考えて、必要以上に私に気を使ってろくに話ができないんだ。君はタイミングがちょうど良かったよ。これで誤解が解ける」


 イースファ侯によると、移転を命じたという話には続きがあるとのことだった。

 また、話を理解するためには、イースファ侯と支部長であるスレイの関係も知らねばならなかった。さらに、イースファ侯の性格とスレイの性格も。

 まず、イースファ侯とスレイのつきあいは長いらしい。

 イースファ侯の父とスレイの師匠とがそもそも友誼があり、その関係で若い頃から二人は知りあいだったということだ。

 二人は何でも言いあえる気がねのない仲なのだ。

 次にイースファ侯の性格についてである。

 この領主は、家臣や民等に対しては適切な距離で適切な対応をとるということだ。

 カルスは自身の経験を顧みて「嘘だダウト!」と突っ込みたくなったが抑えた。

 ただし、かぎられたより近い関係の者には善かれ悪しかれおおいに感情を表に出す。たいていそれは陽気な感情の発露になるのだが、さすがに娘に迫る危険に対してはそうはいかなかった。

 魔術士の失敗に対して、イースファ侯は感情のままに友人スレイへ怒りをぶつけてしまったのである。

 そこでつい「魔術士協会にあの場所は不相応だ。移転してしまえ」と言ってしまったのだ。

 その場には、スレイと老執事しかおらず、この二人なら時間が経てばイースファ侯が言いすぎたことを謝罪し撤回することは分かっているはずだった。どんなに遅くとも翌日にはそうしただろう。

 ところが、ここでスレイの性格が災いした。

 スレイはたいへん真面目で律儀な性格をしていた。

 彼はイースファ侯の友人として、そして魔術士協会支部長としておおいに責任を感じていた。もっとも必要な時に力を貸すことができなかった。それを非常に悔いたのだ。

 スレイはイースファ侯の言葉を受け入れ、それどころか、自らの失敗を町で公言し、罪を背負ったのである。

 翌日になって落ち着いたイースファ侯だが、事態のあまりに早い推移を知り、驚くことになった。

 すぐにスレイと話しあい、魔術士協会の移転を中止し、皆の誤解をとくとイースファ侯は言ったのだが、スレイがかたくなに拒否した。


「君はイースファ侯として正しい権利を行使しているだけだ。逆に今言ったことは、イースファ侯として正しい行為だとは言えない。私が友人であるという私的理由で行っているように思える。私が君にお願いしたいのは、このままクリスティナ嬢の結界を張りつづけることだ。私は不甲斐ない魔術士だが、どうかこれだけは許してほしい」


 イースファ侯が何を言おうと、スレイには届かなかった。

 スレイはこの時、すべて事務処理を終わらせており、魔術士協会本部にも連絡を入れ、魔術士の派遣もすでに請うていた。できるかぎりの手を打ってから、スレイはクリスティナの結界へすべての力を注いだのである。

 困ったのは、イースファ侯だった。

 スレイの働きには感謝しているのに、スレイと魔術士が人々から誤解を受けることになってしまった。

 もちろん、スレイが何と言おうともイースファ侯がかってに民の誤解を解いても良かったのだが、イースファ侯にはそれができなかった。

 友人を裏切ることになると考えたからだ。

 ただし、さすがに魔術士協会本部とは連絡をとった。「魔術士協会移転問題」を双方が納得する形で落としたが、魔術士協会からは事件解決後には名誉を回復することが条件とされた。

 おそらく終息の形は、魔術士協会本部から派遣された魔術士による事件解決の功績を讃え、魔術士協会を元の場所に戻すということになる。


「それの何が問題なのですか? 自然な流れだと思いますが――魍魎痕が悪化したのですか」


 自分で訊ねておきながら、魍魎痕は悪化していないだろうとカルスは考えていた。

 まったく騒ぎになっていないからだ。屋敷が落ち着きすぎている。

 どうやら魍魎の脅威はそれほどでもないらしいことが分かり、カルスは拍子抜けしていた。


「いや、魍魎痕はスレイのおかげでほとんど変化していない。問題は、スレイなんだ。おそらくあいつは事件が解決すればこの地を去り、魔術士を止めてしまうだろう」


「責任を感じて、ということですか?」


「ああ、あいつはそういうやつなんだ」


「何と言うか、魔術士としては変わってますね」


 おそらく普通の魔術士なら今回のことに関し自身に不備はなかったと考えるはずだ。

 魍魎に対して最大戦力をぶつけたが、それでも敗れた。だが、死者は出さなかった。これ以上の結果はない、と判断したはずだ。

 やるべきことは、より強力な魔術士の要請をすること、新たな魔術士が来るまで時間を稼ぐことである。

 ごく冷静に割り切ったはずだ。

 ここに感情が入ることはまずないので、当然仕事後の行動も尾を引くということはない。

 魔術師が時に『感情のない人間』などと揶揄されるのは、こういった仕事ぶりにあった。


「そうなんだ。このままではそうなりかねなかった。あいつが良くやってくれているのは、私が一番分かっているのに、それに報いられないなどあってはならないだろう」


「そうですね」


 答えながら、カルスはこの領主が自分に何を期待しているのかが分からなかった。

 どうも魍魎から問題がずれてきているように思う。

 それこそ、魔術士のなすべき範囲から逸脱しているようだった。


「あいつを救ってやってくれ。魔術士協会に戻って誤解をとき、部下から熱心に説けばあいつも折れるかもしれない」


「折れますかね」


「折れる。もしも、あいつのやり方が肯定されたら失敗した魔術士は全員が魔術士を引退しなくてはならなくなる――これを部下に言われれば、あいつも簡単には止められないはずだ。自分の行動が部下の未来を奪うかもしれないというのは、あいつにはとても受け入れられないだろう」


「まあ、そういった側面もないわけではないですが……何というか姑息なやり口ですね」


「貴族的なやり方とあきれたか? その場しのぎだろうと、とりあえず止めなくてはならんのだ。後は時間をかけて私がじっくりと話す」


「まあ、事情は分かりました」


「ああ、それは良かった。本当に良いタイミングで来てくれた。このまま本部の魔術士が来てしまったら、あいつは入れ替わりに消えてしまいかねなかったからな。それを防ぐには監禁しかないかと思っていたところだ」


 そんなことをすれば、イースファ侯と魔術士協会の関係は泥沼に落ち込むことになっただろう。

 確かにスレイの心を変容させるには、ぎりぎりのタイミングだったようだ。


「期待しているぞ。だから、君はこのまま魔術士協会に戻っていい。すぐにでも魔術士協会にいる魔術師たちと協議をしてくれ。彼らもスレイという上司を失いたくないはずだ。間違いなく協力してくれるだろう」


「分かりました。でも、その前に支部長に会わせてもらえませんか。念のため魍魎痕の状態も見ておきたいので」


「必要なことか?」


「はい。本部からくる魔術士へ、複数の魔術士の実見による正確な情報を与えることが魍魎の撃退に繋がります。支部長の件も大切ですが、お嬢さまの件も解決のためにできるだけのことをするべきです」


「そうか、そうだな。あの子も今は安定して、本部から強力な魔術士が来るからと解決した気になっていたが、油断をしてはいかんな。分かった、クリスティナの部屋へ入ることを許可しよう」


「ありがとうございます」








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