07 兄弟対決~そのウラで
カルスが訓練場に戻ると、席を立とうとしていた観客がざわつきはじめた。
マルゴスが先に姿を見せた時から何かあると観客は思っていたのだろう。
それが、カルスが現れることで確信に変わったのだ。
マルゴスは審判をしていた魔術士に対して手すり越しに話しかけている。
どうやら弟は、兄との戦いを正式な模擬戦にしたいらしい。
皆のいる前でカルスを叩きのめしたいのだろう。
それほどカルスに対して強い憎しみがあるということだ。
カルスは三年間で思いを薄めたが、マルゴスはどうやら逆であったようだ。
マルゴスの感情の高ぶりを、審判を務めた魔術士は、私情ではなくスクールの生徒としての熱心さだと受けとめたようだ。
あの審判はスクールの教員でもあるので、誤解したいとの無意識の思いもあったのだろう。
あくまでも熱心な生徒がもう一試合したいと望んでいるのだ。
これは教育の一環であり、師弟教育への挑戦という意味はさらさらない、という建前である。
審判は、一度本部席へと移動して、そこでマルゴスの熱意を伝えたようだ。
話しあいの末、どういう結果が出たのかは、次の審判の行動によって判明した。
戻ってきた審判は、カルスに対して模擬戦をもう一試合行うことを提案してきたのだった。
ただの兄弟喧嘩に魔術士の派閥争いが加担している。
非常にくだらないことだ。
だが、カルスは感心していた。
もちろん、派閥の主導権争いをしている教師たちに対してではない。
マルゴスに感心していたのだ。
カルスの戦いをおそらくマルゴスは見ていたはずだ。
それでもなお、弟は兄に挑戦しようというのだ。
本人は充分に戦える、いや、勝つ自信があるということだ。
そして、マルゴスが戦うことを教師陣が認めたという現実も、客観的な事実としてマルゴスの実力を証明している。
どうやら魔術士の修行は熱心に行っていたらしい。
さて、カルスは審判の提案に頷いた。
人質をとって人を思いのままに操るというようなことをする人間をカルスは許すつもりはない。
卑劣な行為をおこなった代償は、血を分けた弟だからこそ徹底的にはらってもらう必要があった。
カルスとマルゴス一行との戦いの準備はたいして時間がかからなかった――準備というのは、貴族などのスクールにとっての大切な客が席に座ることだったからだ。
カルスとマルゴスは向かいあう。
二人が向きあうだけで観客のボルテージがあがった。
今度こそ、あの魔術士をやっつけてくれ、と大半が思っているのだろう。
「偶然か、狙ったのかは知らないが、残念だったな、私が間にあって」
マルゴスの一人称のみがもとに戻っていた。
今さら仲間の前で取り繕っているのだろうか。
「どういうことだ?」
「私が外に訓練へ出ていた時を狙ったのだろう。そうはいかない。そもそも最初から私が出ていれば、スクールも恥をかかなかったのだ」
「模擬戦の日程はスクールが決めてるんだ。俺の意思なんか反映されるはずがないだろう」
おまえはアホか、とまではカルスは言わなかった。
優しさである。
「理屈だけは相変わらず優れているな」
「相変わらず物事を客観的に見る能力に劣っているな」
兄弟の会話が聞こえるのは、マルゴスとチームを組んでいる二人の生徒のみだろう。
二人の生徒は驚きの表情を浮かべている。
カルスの記憶にもかすかに二人の顔は残っていたので、あるいは、以前のカルスを知っているのかもしれない。
三年前のカルスと今のカルスの落差を感じているのだろう。
まあ、カルスの知ったことではない。
カルスは審判を見た。
審判がカルスとマルゴス双方に視線を投じる。
「始め!」
戦いの始まりが宣言された。
四人の魔術士全員が詠唱を唱える。
すべて短縮詠唱だ。
もっとも早く魔術を完成させたのはカルスだった。
カルスの放った光熱波がマルゴスへ向けて――いや、わずかにマルゴスからずれて放たれた。
狙いはマルゴスの傍で詠唱していた生徒である。
その生徒の魔術も完成し、魔術が解放される。
肉体強化をもたらす付与魔術だ。
彼は、マルゴスへの肉体強化の魔術をかけたのである。
カルスの魔術は生徒に当たる直前に防護結界によって阻まれた。
三人目の唱えた魔術は防護結界だったのだ。
だが、カルスの光熱波を完全に防ぐことはできなかった。
カルスの魔術は狙いたがわず炸裂し、生徒の一人が反対方向へと吹っ飛んでいった。
同時に、マルゴスの攻撃魔術も完成する。
二本の炎の矢が出現し、カルスへ向けて襲いかかった。
カルスは防護結界すらはらずに、体術のみで二本の炎の矢を躱し、そのまま前進する。
マルゴスの眼前までくると、弟は驚きながらも短剣で反撃してきた。
カルスはマルゴスの視界から消える。
始めからカルスの狙いはマルゴスではなかった。
防護結界を先程張った三人目がカルスの目標だった。
慌てて構成を錬りあげようとしている生徒に、カルスは容赦なく蹴りをくらわせた。
接近戦は得意ではなかったらしく三人目の生徒は、がくりと身体の線を崩して倒れ込む。
一瞬の出来事だった。
ほんのわずかな時間が過ぎただけであるのに、訓練場には、すでに二人の人間しか立っていなかった。
「戦闘訓練をちゃんと行っているのか?」
最初と立ち位置を変えて対峙することになった弟にカルスは声をかけた。
問いかけるほうは冷静であったが、問われたほうは冷静ではいられなかった。
「――あ、兄上、あなたはいったい……」
「卑劣な行為の代償ははらうべきだ」
「何を言って……」
そこからの攻防は一方的だった。
常にカルスが攻め、マルゴスが防御をする。
攻撃一辺倒の能しかないマルゴスの防御など、カルスの目からは穴ばかりが目立った。
だが、戦闘はすぐに終わらない。
もちろん、カルスが終わらせないからだ。
カルスの魔術はマルゴスの防護結界に弾かれている――ように見えなくはなかった。
派手に音が鳴り、魔術が弾けている様子は、防御に成功しているような光景に思える。 実際、魔術の扱えない貴族やスクールの生徒たちには何とかマルゴスが防いでいるように見えているはずだ。
だが、実情は違った。
カルスは卑劣な行為の代償を、痛みを負わせることではらわせていたのだ。
マルゴスの服の下は内出血の跡ばかりになっているだろう。
だが、マルゴスは倒れることを許されない。
カルスの攻撃が終わらないからではない。
ランシィ家現嫡男として、人前で倒れるわけにはいかないのだ。
「おまえの矜持は分かった。だが、卑劣さの弁明にはならないな」
カルスの魔術が途切れた。
カルスは一拍おく。
マルゴスが魔術を発動する。
この一瞬の隙を狙っていたのだろう。
マルゴスの炎の魔術が発動し、カルスを呑みこまんと唸りをあげて直進した。
カルスはまったく慌てていない。
いや、待っているかのようだった。
カルスの魔術が発動する。
同じ炎の魔術だ。
両者の魔術が激突した。
勢力争いは一瞬で終わった。
カルスの魔術がマルゴスの魔術を圧倒し、勢いを増した炎がマルゴスの身体をすべてを呑みこもうとした。
マルゴスは何もできずにただ身をのけぞらせる。
そして――。
魔術が消えた。
もちろん、カルスが消したのだ。
無理やり消し去ったために、カルスにも大きな負担が襲ったが、彼はまったく表情に出さない。
カルスは冷たい視線で弟を見ていた。
「――参りました」
マルゴスがカルスに膝を屈した。
審判が勝者の名乗りをあげる。
会場は静まったままだった。
圧倒的で一方的な勝負の結末に、多くの者が現実をまだ受けいれられていなかったのだ。
だが、アマネリス・フーラルは例外であった。
彼女はカルスの――いや、カルスラーシュ・ランシィの勝利を目にした時に、「やっぱりそうか」と納得していた。
カルスラーシュに失敗や敗北は似合わない。
彼はいつだって誰の力も借りずに、誰も必要とせずに、自分だけで答えと結果を出す人なのだ。
カルスラーシュとマルゴスを視界にとどめながら、彼女は自分がどちらの男により強い視線を投じているのか自分でさえ分からずにいた。
一部の特権的地位にある者のみに屋敷をかまえることを許された区画に、セラフィア、ルハス、レナの三人は足を踏み入れていた。
といっても、馬車での移動なので歩いているわけではない。
しかも、彼女たちが――強引に――招かれた場所は、特権的地位の中でもそこからさらに選ばれた大貴族の屋敷であった。
本来、彼女たちの身分では大貴族の屋敷に客として招かれることなど一生経験することがなかったはずだ。
まあ、実情は客ではなく人質ではあったのだが、扱いは非常に丁寧なものだった。
人にまったく会うことなく、三人は屋敷の一室に通された。
軽食と飲み物が準備された――三人は図々しくも自分たちの好みの物を注文した――が、それ以降はまったく誰も部屋に入ってくることはなかった。
しばらくすると廊下が騒がしくなり、問答めいた声がかすかなに室内へと届く。
三人は顔を見あわせた。
何かが起こっているらしい。
ノックの音が響き、セラフィアが返事をすると、ドアが開いた。
一例をして年齢不詳の侍女が部屋へと入ってきた。
「奥様があなたがたをご招待なされるそうです。準備がよろしければご一緒していただけますか?」
セラフィアは年少組二人と視線を交わした。
意思疎通は簡単だった。
三人共にこのままここにいてもしょうがないと考えていたのだ。
「分かりました」
セラフィアは立ちあがり、残り二人も立ちあがった。
ルハスが最後までお菓子を口に運んでいるのを見て、セラフィアは注意するべきか迷ったのだが、彼女が迷っている間にルハスの口は運動を停止し、少年はどうかしましたか、という表情でセラフィアを見てきた。
何とも言えない感情を覚えながら、セラフィアは侍女の後に従ったのだった。
通された部屋は広く、硝子が多く使われており、陽射しが眩い場所だった。
眺望が開けており、庭の光景が視界に飛び込んでくる。
大輪の花が所狭しと咲き誇っていた。
陽射しからやや離れた場所にテーブルがあり、そこに妙齢の女性がいた。
屋敷の主の夫人だろう。
周囲には二人の侍女がはべっており、ティータイムを楽しむためのさまざまな道具が用意されているようである。
セラフィアが礼をすると、
「お座りになられて」
との言葉をかけられた。
セラフィアはもう一度礼をして勧められた席に腰かけた。
二人の年少組も椅子に座る。
全員が椅子に座ると、侍女が飲み物と軽食を用意していく。
並べられる飲み物などは、先程セラフィアたちが要望したものと同じ種類の物のようだった。
「息子が迷惑をおかけしました。あの子はどうもがさつで、それを周囲の者が魅力だともてはやすものですから、少し増長しているところがあるのです」
マルゴスの母のようだ。
彼女は落ち着いた物腰で話しているが、その瞳には鋭い光がある。
その眼力からお飾りとして日々を過ごす女性ではないことが分かった。
「スクールで何やら自分の意思を通すためにあなたたちを利用した様子。申し訳ありません。この後は自由になさってけっこうです。あなたたちの安全はもちろん私が責任を持ちます」
さらりと息子の非を認め、大貴族の女性はお詫びをした。
「お詫びの品を送らせていただこうと考えましたが、あなたたちがいったい何を好むのかが私には分かりません。それで、こうしてあなたたちをこの場に招待したのです」
「ああ、やっぱり悪役だったんですね」
場の状況を読まないというか、ルハスが気楽な口調で爆弾発言をした。
大貴族の屋敷で、大貴族の息子を悪役呼ばわりすれば、普通はただでは済まない。
だが、緊張を帯びたのはセラフィアだけだった。
レナも、やはり大魔術士の娘であるためか、世間ずれしていないというか世間離れしているというか、常識に欠けているようだった。
セラフィアが不思議だったのは、マルゴスの母の反応だった。
彼女はまったく怒ることなく、むしろ楽しそうに笑っていた。
「そちらの可愛いお二人さんは、魔術士ね? 実はうちにとても有名な魔術士が滞在していらっしゃるの。あなたたちのお詫びは、その人を紹介することにしようかしら?」
「紹介――だけですか?」
レナの口調には不満がある。
「ええ、魔術を教えてもらえるかどうかはあなたたち次第ね。誰かに頼まれたからと言って、魔術士は魔術を他人に教えたりするものじゃないでしょう? それに知りあいになっておくだけでも、充分に凄い人なのよ」
「悪いですけど、僕の師匠は充分に凄い人ですからね。中途半端な人選では恥をかきますよ」
ルハスがやや鼻息を荒だて、自信満々に宣言する。
「あなたの師匠というのが一体何者かは知らないけれど――誰であっても彼と肩を並べることはできないわ」
夫人がたっぷりと余裕のある笑みを浮かべた。
「比肩する者がいないとは大きくでましたね」
ルハスが、ふっふっふと笑う。
夫人の言葉を受けてなお、少年は自信があるらしい。
自身の師に対して絶大なる信頼をよせているのだ。
セラフィアも基本的にルハスに同意していたが、夫人の自信と言葉からある魔術士が脳裏をよぎった。
それは彼女が会ったこともない、だが、最近になって噂をよく耳にするようになった魔術士――。
「夫人、お誘いに遅れて申し訳ありません。つまらないと分かっていた用事でしたが、実際に目にして予想していたとおりの感想を抱くことになるというのは、本当に何とも嘆かわしいことです」
背の高い美男と称して間違いのない男が、長い足をもてあそぶようにしながら歩いてくる。
「あら、つまらない用事というのは、スクールの模擬戦でしたのでしょう。どうやら急遽私の息子も参加していたらしいのですけれど、あなたの目にはかないませんでしたか」
「残念ながらそちらの才はないようですね。彼は貴族としての道を歩んだほうがよろしいでしょう。そもそも夫人も自衛のための魔術という以上の物は望んでいないと見てとれましたが」
「スクールからは同世代では傑出した才だと賞賛されたのですが」
「才なき者たちには、才というものを見ることも理解することもできないのです。彼らにできることは、せいぜい自身の枠に収まった基準を設け、それに則って順番をつけるということだけです。論じるに値しません」
「あなたにかかれば、何者であっても才なき者にされそうですが……」
夫人が苦笑した。
そして、男がテーブルの傍に立つ。
「夫人、こちらのレディを紹介していただけますか」
男がセラフィアたちに身体を向けた。
何というか、動作の一つ一つがいちいちキザっぽい。
「そうですね。どうやらお詫びとは別物になってしまいましたが――」夫人がセラフィアたちに話しかける。「こちらは【五大魔術士】の一人であり、当代最強とも評される――」
夫人の告げた名は、セラフィアが予想していた名とまったく同じものだった。
――ヴィル・ティシウス。
カルスが旅の終着点としていた人物であり、カルスの師匠その人であった。
ヴィル・ティシウスがセラフィアとレナに向かって、曇りのない笑顔を向けた。
セラフィアは何となく分かった。
この笑顔は、ルハスには向けられていないだろう、と。
――ヴィル・ティシウスの笑顔は女性のみに向けられる。
カルスの言っていたことは――セラフィアは誇張した話だと受け取っていたのだが――どうやら本当らしかった。




