03 過去の人~新たなデアい
セラフィアはここ数日カルスの様子をうかがっていた。
彼はずっと屋敷にこもっている。
訓練をしているか部屋にいるかのいずれかだ。
訓練の加減もおかしなことになっているのか、ルハスとレナがかなりの被害を受けていた。
二人から「どうにかして!」と懇願されてしまうほどである。
ここのところ、カルスがおかしいのだ。
様子が変なのである。
どうも暗い。
小さくため息をつくこともある。
乙女のようでちょっと気持ちが悪い。
これは何かがあったと考えるべきだろう。
カルスは、いちおうセラフィアたちのリーダ的立場の人間である。
よろよろともたついてもらっては困るのだ。
なので、セラフィアはカルスを監視していた。
四人の中でも二番目の年長者として、この辺りに気を使うのは当然のことである。
決して個人的興味や関心からの行動ではなかった。
もちろん、二人から訓練をどうにかしてほしいと頼まれたという事情もある。
私的な理由ではなく、公的な理由であるということだ。
「で、なに?」
蒼黒髪の下にあるカルスの顔は、片方の目が細められ、片方の眉があがっていた。
器用な表情を作るなと思いながら、セラフィアはまっすぐに彼の瞳を見つめて言う。
「いったい何を隠しているの!」
「いや、何も隠してないけど。明日、模擬戦をすることも教えただろう」
「それじゃ、なんでそんなため息をつくわけ?」
「ため息?」
「ほら、自分で分からない内にやっているんでしょう? 何かがある証拠じゃない」
「そりゃ、考え事くらいするだろう」
「その考え事を教えろって言ってるの」
「セラフィアはお嬢さんのわりに場所をわきまえないよな」
カルスが視線を周囲に送る。
セラフィアも彼につられて周囲を見た。
屋敷のトイレの前だった。
「ちょっと、なんで、こんなところで話してるのよ!」
慌ててセラフィアはその場を離れる。
足音がついてこないのに気づいて振り返る。
「ちょっと、なにしてるの、早く来てよ」
「絶対に話さないといけないわけか」
「そうよ」
「じゃあ、庭で話そう。天気もいいことだし」
セラフィアはカルスの提案を受け入れた。
「天気もいいことだし」というとってつけたような言葉が、いかにも心ここに非ずといった様子で、セラフィアとしては気にくわない態度だったが……。
庭に出ると、適当な場所を選んでカルスが芝生の上に座った。
ちょうど木陰になっている場所だ。
セラフィアは立っていることにした。
「さあ、ちゃきちゃき言ってもらいましょうか。何を隠しているのかしら?」
上からカルスを見おろす。
「何か性格が変わってないか?」
「質問に質問で返す時は怪しいって聞いた」
「誰から?」
「お母様から」
「ああ、あの人から……」
カルスが苦笑する。
人の親を思い出して苦笑するのは失礼なことだが、娘としても気持ちが分からないわけではない。
セラフィアの母は、何というか愉快な人なのだ。
「それで、何を隠しているの?」
「そう言われてもな」
「この屋敷に来た日に何か言われたのは分かっているのよ」
「まあ、何かは言われたけど」
「はっきりしないわね」
カルスが額をぽりぽりとかいた。
そして、セラフィアに視線を投じる。
「そんなに変か?」
「とっても」
「そうか」カルスが視線を外した。「まあ、たいしたことでは本当にないんだけどな。聞いたところで、へえとしかならないぞ」
「試しに言ってみたら?」
「スクールに昔の知人がいるらしいって話だ」
「それだけ?」
「そう、それだけ」
「いや、それだけのはずないわよね。その知人と何か気まずいことがあるってこと?」
「冴えてるな。そう、そんな感じだ」
「どんな気まずいことがあるの? 親友の彼女でも奪ったとか」
適当なことを何気なく言うと、さっとカルスが身体ごとセラフィアへと向きなおった。
「どうしたの?」
「いや、おもしろいことを言うなって思って」
「ぜんぜんおもしろくないでしょう。もし、あなたがそんなことをしたのなら、最悪よ。軽蔑する」
「軽蔑はされなくてすみそうだな」
「そういうことはしてないのね……もしかして、相手は女の人?」
「今までの会話の何を根拠にすればそんな推測にたどりつくんだろうか?」
「女性なのね」
セラフィアは念を押す。
「だな」
カルスは隠そうとはしなかった。
苦笑いをする若い魔術士を見て、セラフィアは不意に思いつく。
「もしかして――えっと、あの、お振られになったとか」
「鋭いな」
セラフィアとカルスの視線があった。
カルスの瞳に暗い翳りは見られない。
引きずってはいないようだ。
だが、それならなぜため息をつく必要がある?
「そうなんだ。いつの話?」
「まだ、掘り下げる?」
「話したくない?」
「あまりな」
「傷ついているんだ」とセラフィアは口にした瞬間に後悔した。
たとえ、今は整理がついていても、その時は傷ついて当然である。
「さっきの質問に答えると三年以上前の話だよ。正直、今は特に何も思ってない」
「なら、なんでため息をつくの?」
「その子は、まあ、どうだっていいんだけど、その子に知られると、いろいろな方面に俺のことが知られるかもしれないというか――単純に面倒くさいんだ」
本音だろうか。
セラフィアには判断がつかなかった。
「カルスって有名人なの?」
「一部のごく狭い社会で、一時期それなりに知られていたことがあってね」
「魔術士としてではなく?」
「そう、魔術は使えたけど、まあ、その頃の俺にとってはおまけだね」
「魔術が使いたくても使えない人にしたら、いらっときそうな感じね」
「でも、その感想は正しいかもな。つまり、そういう世界に俺はいて、彼女にばれると、その辺の人たちに居場所が知られて、もしかしたら面倒くさくなるかも……でも、よく考えたら、たぶん向こうはすでに俺のことを忘れているだろうな」
「目立つ男の子から告白されて忘れる女子はいないと思う」
「目立っていたかは知らないが、そうとも言えないだろ?」
「言える」
「たとえば、当時、その女の子が他の誰かに熱心な思いを抱いていたら? 振った相手のことなんか忘れるかもな」
「忘れられていると思っているの?」
「いや、どちらかというと、なかったことにされていると思うんだが」
「なにそれ! 意味が分からない」
「そうか? 俺は非常に分かる。そうだな、よく考えればそうなる。ばれたところで、向こうは気づかないふりをするだろうな。それがお互いにとってもっともいい」
「何をかってに納得しているの。私は納得できない!」
「いや、セラフィアが怒ることじゃないだろ?」
「それはそうだけど、何か変よ。なんか好きとか嫌いじゃなくて、別の理由が大きく作用しているような気がする」
カルスがセラフィアのことをじっと見る。
黒い瞳には驚きがあるようだ。
「なに?」
「いや、意外な意見だと思って。もっと斬り捨てるかなと予想していたんだけど」
「素直な意見よ」
「そう、まあ、だから今言ったような感じだ。昔の知りあいに会うのがちょっと憂鬱だったけど、よく考えれば互いに不干渉が成立するだろうから、悩む必要はないってことだ。これですっきりだな」
「あなたはすっきりかもしれないけど、私はもやもやしている」
「そいつはどうしようもないね。自分の中で切り替えてください。セラフィアに何か理想の案があろうと、現実はそちらにいかないので」
カルスが立ちあがる。
セラフィアよりも背が高いために、彼女は少し見あげる形となった。
「明日の模擬戦もこれで勝利が決まったかな」
「始めから負ける気なんてないでしょ」
「まあね」
普段と変わらないように見える足どりでカルスが歩きだした。
セラフィアもその後についていく。
頭の中では、カルスが告白した相手ってどんな女なのだろう、と考えながら……。
なぜかは分からないが、カルスはセラフィアと出かけることになった。
そして、理不尽でしかないと思うのだが、カルスはセラフィアに何かプレゼントを贈ることになった。
相談料などとセラフィアは言っていたが、その口調はおそろしくぶっきらぼうで、機嫌の悪さが溢れだしていた。
カルスは最初セラフィアに対してまったく何もする気がなかった。
だが、屋敷の侍女がそれとなくカルスに近づき、
「今日の内に何かご馳走するかプレゼントするかしないと揉めますよ」
などと小声で囁き、しかも、使用人の多くがいつの間にか集まってきて目力でカルスにセラフィアを誘うよう訴えかけてきた。
数の圧力に屈して、カルスはセラフィアを店へと誘ったのだ。
いつの間にセラフィアは屋敷の使用人と仲良くなっていたのだろうか。
カルスは周囲のことをほとんど意識していなかったので、まったく気づかなかった。
カルスの財布はたいして重くない。
だが、現状衣食住はどれも満たされているので、財布が軽くなろうと困ることはなかった。
まあ、いいかとカルスは思う。
セラフィアが欲しい物をプレゼントしようと彼は考えていた。
一度決めれば、安く済ませようなどと彼は思わない。
カルスは物欲があまりなく、吝嗇家ではなかった。
どちらかといえば、金にこだわらないタイプなのだ。
そうでなければ、ヴィル・ティシウスの弟子などやっていられない。
カルスはアクセサリーなどの小物を売っている店をいくつか知っていて、そこを訪れた。
だが、そのどれも利用することができなかった。
潰れていたわけではない。
懐具合との兼ね合いである。
「カルス、ここら辺って高いんじゃない」
さりげなく周囲を観察していたセラフィアが言う。
「だな」
「だなって、あなたが先導して歩くから」
「うん、いや、分かってる。こっちのほうにこういうのがあるって聞いた気がしてたんだけど」
「誰に聞いたの?」
「昔の仲間」
「へえ」
「もうちょっと歩いたら、ちょうどいいところがあるんじゃないか」
カルスはセラフィアの口調の変化に気づいていたが、気づかないふりをして歩く。
せいぜい速足にならないように意識する。
意味深長な沈黙がしばらく続いて、セラフィアが口を開く。
「でも、なんで急にプレゼントしてくれる気になったの」
「そっちが、相談料とか言った気がするけど」
「でも、乗り気じゃなかったでしょ?」
「屋敷の使用人の方々と仲良くなった?」
「それが何の関係があるの?」
「関係ないな――まあ、ぼちぼち旅も終わりそうだから、最後にお礼ってところかな」
「旅は終わりなの?」
セラフィアが足をとめた。
カルスも歩みをとめる。
「俺の旅は師匠に会うことが目的だったからな」
「私の目的は達成されていない」
「どんな目的?」
セラフィアが目をぱちぱちとする。
間違いなく考えていなかったという顔だ。
「まあ、まだ明確なビジョンがないけど」
「じゃあ、考えておきな。師匠を探すのに一月はかかるだろうし」
「見つけたらどうするの?」
「殴る」
「え?」
「すべては殴ってからだな。そして今日はとりあえずプレゼント買ってからだ」
「師匠を殴るのと一緒にしてほしくはないんだけど」
カルスとセラフィアは歩きだした。
カルスが一歩踏みだした時、ちょうど店のドアが開いた。
カルスは危なげなくドアを避けたが、彼の前をふさいだのはドアだけではなかった。
カルスの左側からやわらかい何かがぶつかる。
たいした衝撃ではない。
カルスはなんなく受けとめた。
金髪の髪にひらひらとした服――カルスと同年齢くらいの女性だ。
「大丈夫ですか?」
カルスが声をかけると、女性が遅れて顔をあげる。
「ああ、すみません。そこの階段で足を踏み外してしまって――――カルス!」
女性の濡れたような大きな瞳がカルス見つめている。
ともすれば病弱に見えそうな少し青白い肌、すべてがほっそりとしていていかにもか弱い。
派手ではないが着こなすことが難しそうな薄い色地の服を着ていた。
それがよく似合っている。
「……アマネリス」
カルスの口から漏れた名前は、力のない響きを帯びていた。




