02 スラン・ダーリッシュ~マトモな人
――スラン・ダーリッシュ。
一流の魔術士である。
年は三十二歳。
能力的には中堅以上だが、立場としては中堅以下。魔術士は高齢化社会なのである。
色あせたような金髪と緑にも黒にも見える瞳をした柔和な男だ。
魔術士というのは論理だとか理性だとか理屈などが好きな人種なので、一般的に神経質でとっつきにくく、鼻持ちならないやつが多いと思われているのだが、ダーリッシュはまったく反対である。
穏健で人当たりが良く、腰も低い。
穏やかな環境で育てられた良家の次男といった印象だ。
実際、実家は貴族なのだが、田舎貴族で良家というわけではない。
生活に苦しむということはなかったが、贅沢が許される環境ではなかった。
「久しぶりだね、カルス。一段と逞しくなったようだ」
ダーリッシュがカルスの顔を見て感慨深げに目を細める。
場所は応接室。
落ち着いた彩色と調度品が置かれていた。
ダーリッシュがいたずらに物にかけることを好まない性質であることがよく分かる。
「あの師匠の元にいれば、誰でもそうなりますよ」
「ふふふ、そうだね。ああ、皆さん初めまして私はスラン・ダーリッシュと言います」
ダーリッシュはカルスたちを立ちあがって迎えると、そのまま四人と挨拶を交わした。
カルスは、三人のことを簡単に説明し――二頭の魔獣に関しては驚かれたが、それをメッサミリアに譲られたと聞いた時のほうがもっと驚かれた――ダーリッシュのことも「一流の魔術士だ」と三人に紹介した。
「君から一流の魔術士と言われても、ちょっと困るけどね」
ダーリッシュが苦笑する。
「今ので分かるように、謙遜のできる人でもある。自信家の多い、いや、自信があるように見せるやつが多い魔術士にあっては珍しくできた人なんだ」
カルスの言葉に、ダーリッシュの顔が困っている。
「へえ、僕とは正反対ですね。変わった人もいるんですねえ」
「いや、自分を基準に置くな。おまえが変わってるんだ」
「え、師匠、何を言っているんですか?」
「本気でいぶかしがるおまえが俺には不思議だよ」
「あいかわらず、師匠はミステリアスなことを言いますね」
ダーリッシュがカルスとルハスのやりとりに驚いた後、小さく笑った。
「カルスはいつの間に弟子をとったんだい?」
「まあ、その辺は面倒くさいんでいずれ」
ルハスが「面倒! 歴史に残る師と弟子の劇的な出会いを説明することのどこが面倒なんですか!」などと騒いでいるが、華麗に受け流し、カルスは話を進めた。
「そうだね。今日来たばかりなら皆疲れているだろうから、とりあえず休んだらどうだい?」
「お言葉にあまえるか?」
カルスは女性陣を振り返る。
二人とも頷いた。
「じゃ、面倒をかけます」
「いいよ。それじゃあ、また後で」
四人はそれぞれ個室を用意された。
カルスが部屋に入ってくつろいでいるところに、使用人の一人が訪ねてきた。
部屋に入る許可をだし、使用人の言葉を聴く。
「ダーリッシュ様がカルス様とお話がしたいとのことです」
「今から?」
「はい」
「分かった。行こう」
カルスは使用人の後に従った。
今度は応接室ではなく、ダーリッシュの私室へとカルスは案内されることになった。
スラン・ダーリッシュの部屋は落ち着いた雰囲気に満ちていた。
堅苦しさはまったくない。
飾りたてるという行為が好きではないのだろう。
ローブを着用しているのも魔術士であることを示すというより、それがもっとも楽で地味であることが理由であるのかもしれない。
向かいあう形でダーリッシュとカルスはソファーに座った。
二人の間にあるテーブルには紅茶が置かれ、菓子がそえられていた。
「改めて俺だけ呼ぶというのは、部外者には聞かせられないということですか? まあ、どちらかというと俺も部外者だと思うんですが」
「聞かせられないというより、カルスだけに頼みたいことがあるんだ」
すでに挨拶は終えていたが、単刀直入である。
むろん、話題を振ったカルスは当然だが、ダーリッシュも当たり前のようにしている。
この辺りは、ダーリッシュも合理性を好む魔術士らしい。
「ダーリッシュさんが俺に頼むようなことがありますか?」
カルスがダーリッシュを紹介した時に「一流の魔術士」と言ったのはおだてたわけではない。
本当にダーリッシュは強力な魔術士なのだ。
「多数を相手に一人で戦うというのを僕はあまり得意としてないからね」
「いったい、何の話です? ダーリッシュさんは依頼を受けて仕事をこなすという立場じゃないでしょう? ああ、上から無理難題を押しつけられましたか?」
「――そうか。カルスは今私が何をしているのか知らないんだな」
「何って、魔術士協会の仕事でしょう? 俺はどんな役職があるのか知らないので詳しくは分かりませんが」
「あの師匠にしてこの弟子ありか。あいかわらず魔術士協会に興味なしかい」
「そういう話ならダーリッシュさんもでしょう。もうちょっと欲をもって政治的な動きをすれば、壁の向こうの人間にだってなれるって師匠にしては珍しく褒めてましたよ」
「そして実際に壁の向こうに行けば、貶されるんだろう?」
「でしょうね」
カルスは笑い、ダーリッシュも笑った。
カルスが紅茶に口をつけると、それにあわせてということでもないだろうが、ダーリッシュがさらに口を開いた。
「私は今スクールの教師をやっているんだ」
「それは何というか、スクール側が嫌いそうですけどね」
「まあ、私は万能を目指す師弟型の魔術士だからね。専門性を第一とするスクールの教師陣や首脳陣に好まれる理由はない。だが、スクールと言えど、魔術士協会を無視することはできない。卒業生は全員協会員になるし、何より魔術士協会はスクールに小さくない額を出資している」
「魔術士協会がスクールに口出しするための具体的な方策として、ダーリッシュさんをスクールに送りこんだ、ということですか?」
「そういうことになる」
「つまり、ダーリッシュさんはしっかり政治に巻きこまれたんですね」
「そういうことだ。スクールと魔術士協会の綱引きに無理やり組み込まれてしまった」
「なぜ断わらなかったんです?」
ダーリッシュは苦笑するだけで答えなかった。
「お世話になった人が関わっていたんですか?」
ダーリッシュは答えない。
だが、表情から察するにカルスの推測は正しいようだ。
「そうやって律儀に恩を返すことに文句を言うつもりはないですけど、受けた恩と返した恩がいつもつりあっていないように思えますよ」
「性分だからね」
ダーリッシュが苦笑する。
だが弱々しい雰囲気はまったくない。
まったく後悔などしていないし、これからも変わるつもりはないのだろう。
「まあ、そういう性格だから師匠ともつきあっていられるんでしょうけど」
「あの人は恩を返せなんて言わないよ」
「いずれ言われますよ。俺はしょっちゅう言われていますからね」
「師弟だからこその気安さなんだろうね」
「あれを気安いだなんてぬるい言葉で表現してほしくありませんが……それはともかく、用件の前に一つ訊いておきたいことがあるんですけど?」
「なんだい?」
「話題にのぼった俺の師匠ヴィル・ティシウスがどこにいるか分かりますか?」
「カルス君は師匠のお使いできたんじゃないのかい?」
「違います。まあいろいろあったんですが、それはいいです。俺は師匠と王都で待ちあわせをしたんですけど、間抜けな大魔術士が場所を言わなかったんです。おそらくずっと前から王都にいるはずなんですが、知りませんか?」
「いや、あの人が王都にいれば、たとえ何もしなかったとしても魔術士の間で絶対に噂になるはずだけど、そんな話は私の耳に届いていないな」
「噂もないし、何も事件は起こってないということですか?」
「ああ、本当にヴィル・ティシウスは来ているのかい?」
「本人の言葉を信じるなら――」
「ちょっと思いあたらないな。分かった、何かないか調べてみるよ」
「そうしてくれるとありがたいですね」
「となると、王都にしばらくいるということだね」
「そうなります」
「宿はうちを使ったらいい」
「お言葉にあまえます。その代わりというわけじゃないですけど、協力できることなら協力しましょう」
「なるほど、こういう話の展開になるわけか。突然、話題を変えた理由はそれか」
「まあ、このほうが自然ですよ」
カルスは片をすくめた。
互いに遠慮せずに用件を述べようということだ。
「ただ、私がお願いしようとしている用件を断わってくれてもかまわないからね」
わざわざ断わりを入れたのは、ダーリッシュの優しさだろうか。
それとも、本当にカルスが断らざるを得ないような特別な理由があるのだろうか。
どちらともつかない。
カルスは先を促した。
「スクールのことなんだけどね。てっとり早く言うなら模擬戦を行ってほしいということなんだ」
「模擬戦ですか……?」
魔術士の訓練の中に模擬戦があることは別に珍しいことではない。
生徒に対して強い魔術士が相手をするという形をとりたいなら、魔術士協会にいくらでもいるだろうし、そもそもスクールが魔術士協会の干渉を嫌っているなら、教師の中から自前で用意するだろう。
教師に適任がいないのなら、卒業生の中からでも探せばいい。
カルスになぜ話が運ばれるのかが分からなかった。
「君が想定しているのは、おそらく一対一の戦いだろう」
「ああ、そういえばスクールはチームを組んで戦うんでしたね。なおさら、俺なんかお呼びではないのでは?」
「チーム対一人という形と言ったら理解してもらえるかな」
「ダーリッシュさんが師弟教育を受けた人間、さっきの言葉で言うなら万能型の魔術士であることは知られているんですか?」
「教師だけではなく、生徒にもね」
「そして、相手となった三人はエリートってわけですか?」
「ああ、五本の指に入る生徒たちだ」
「見えすいた形ですね」
「だからこそ分かりやすいし、効果的だ」
ダーリッシュが息をはいた。
彼の顔に浮かんだ表情は深刻というより困惑の色が濃い。
なぜ、こんな無駄なことをするのか、という思いがあるのだろう。
スクールは自分たちの考えが正しいことを実戦で示そうとしているのである。
しかも、相手は魔術士協会が送ってきた魔術士である。
思想だけではなく、組織においても勝利を望んでいるのだ。
一方のダーリッシュのほうだが、彼はスクールの思想を否定してはいないのだろう。
当然、魔術士が専門だけでなく万能を目指すという方向も間違いではない、と考えているはずだ。
両方を認めるべきだ、とのもっとも大人で理性的な思考をしているのだ。
普通の考えではあるが、優劣を争っている両者からはまったく受け入れられない考えだろう。
おそらくダーリッシュは無駄な模擬戦を回避しようと動いたはずだ。
だがかなわなかったということだ。
「ダーリッシュさんが相手をしても敗北しそうな相手なんですか?」
「いや、勝てるとは思う。ただ、苦戦はするだろうね」
「もしかして、協会から何か言ってきたんですか?」
「そういうこと。スクールから模擬戦を強要されたと思ったら、今度はその内容を知った協会が私に意見を言ってきてね」
敗北するなど論外。
勝つのなら完勝するべし。
だが、教師が勝つのは当然である。
スクールの生徒と同じ立場の人間、つまり弟子の身である魔術士を模擬戦に参加させて勝利を収めよ、とのことだった。
「協会もスクールと同じ思想をもった人がけっこういるんじゃないですか?」
「そうだね。でも今回口を出してきたのはご老人方なんだ。権力争いとかじゃなくて、『調子に乗るな若造どもが!』って感じかな」
「迷惑な話ですね」
「そう、その迷惑を私はカルスに押しつけようとしている」
「俺が出るとして、勝てるとはかぎらないんじゃないですか?」
「一年前よりも強くなっているんだろう?」
ダーリッシュが悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「弱くはなってませんよ、あの師匠の下にいましたから」
「なら、大丈夫だとは思う。ただし、相手の得意戦法くらいは予習しないと危ないだろうけど」
確かに面倒な依頼である。
王都で無駄に目立ちたくないカルスとしては、極力避けたい類の話だ。
だが、ダーリッシュからの話であるなら、断わろうとは思わない。
しょせん、スクールでのことなど内輪の話題になるだけだ。
話題がひろがった頃には、カルスは王都にいないだろう。
「まだ付け加えることがあるんだ」
考えているカルスに気を使ったらしく、ダーリッシュが口を開いた。
「何です?」
「スクールの生徒にアマネリスがいる」
奇妙な沈黙が二人の間で停滞した。
「――彼女だけですか?」
「彼も生徒だけど、向こうは外に訓練に出ている。あと一週間は戻らないだろうね」
「――そうですか」
カルスは目をつむった。
何も言う気になれない。
「彼女は模擬戦を観戦するようなタイプではないだろうけど、万が一ということもあるから……」
「関係ないところで気をつかわせているみたいですね」
カルスがダーリッシュに視線を投じると、先輩魔術士は何とも表現しづらい表情をしていた。
カルスの過去を知る人間で、彼に気を使う人ならば、予想される反応である。
「日にちはいつですか?」
「五日後だ」
「そうですか。返事の期限は?」
「明後日までには」
カルスが出ないとなったら代わりを探さなければならない。
できるだけ早くというのが本音だろう。
いや、代わりを探すも何も全員に断られているのではないだろうか。
実際、これを受けた者にメリットはない。
そもそも条件が対等ではないのだ。
一対一ならともかく、三人対一人など。
師弟制度の魔術士が敗北したなら、おおいに喧伝に利用されることだろう。
弟子がやる気を見せても、師匠が断わっているに違いない。
かといって、名のある者がでるとすれば、さらに馬鹿馬鹿しい。
勝って当然であり、勝ったところで得るものはない。
逆に敗北すればどうなるか?
魔術士の世界では生きてはいけない――とまでは言わなくとも、それに等しい扱いを受けることになるだろう。
この戦いを受ける者などいない。
つまりこのままいけば、ダーリッシュが戦わねばならないということだ。
「いいですよ。やります」
「え、そんな簡単にいいのかい? 負けた時どうなるかは分かっているだろう?」
「俺が負けたところで、すでに俺に失うものはありませんよ。そして、弟子が負けたところでヴィル・ティシウスの名が落ちることもありません。もしも、スクールがそんな宣伝の仕方をしたなら、翌日からスクールはこの世界からなくなっているでしょうね」
「ああ、なんというか冗談に聞こえないね……でも本当にいいのかい」
「いいですよ。模擬戦をするだけでしょう? 一人でいろいろとやれることもあると分かってもらいましょう」
負ける可能性がある。
カルスとダーリッシュ、どちらのほうが失敗した時にリスクが低いかと言えば、何の地位も名誉もないカルスである。
当然の選択だ。
「いいのかい? 君のことを――」
「仮面でもつけましょうか?」
カルスは笑いとばした。
「以前とはずいぶんと違うようだ」
「そうですか? 自分では分かりませんね」
カルスは口もとをややつりあげたのだった。
ダーリッシュの部屋を辞して、カルスが部屋に戻ると、ちょうどセラフィアが廊下を歩いていた。
まだ、昼を過ぎたばかりの時間帯だ。
一人で部屋にいても、時間をもてあましてしまうのだろう。
カルスのように直近に考えなければならない事態が生じていなければ、だが……。
「どこに行ってたの?」
「ああ、ちょっとダーリッシュさんと話しをしていた」
「二人は外に行ったから」
「早いな」
「屋敷にいても仕方ないしね」
「じゃあ、セラフィアもこれから出かけるのか?」
「そうね、有名な流派もあるし、見てみたいけど――ただ、二人みたいにガイドもつけずに出かける気にはなれないかな」
「ふーん、そうか。ダーリッシュさんに頼んでみるといい。あの人は優しいから誰か適当な人を見繕ってくれるだろ」
「え?」
「うん? どうかしたか?」
「いや、え、でも、この場合は」
セラフィアが動揺している。
「心配しなくても魔術士は剣士だからといって含むようなことはないから。じゃあ、俺は少し眠る」
カルスはそう言ってドアを開けた。
背後から「え、ちょっと待って、なんで?」という不明な声が聞こえたが、カルスは相手にしなかった。
カルスには考えることがあった。
いや考えるというよりは、思いだしてしまったことがあった。
カルスはベッドに寝転がった。
汚れのない天井を見あげる。
だが、視線はもっと別のものを追っていた。
アマネリス・フーラル。
可愛い人だった。
今では成長して美しさも兼ね備えていることだろう。
三年前はまだ、少女の面影を残していた。
淡い栗色をしたふわりとした雰囲気のある女性。
魔術士としての素養があったので、スクールに通うことになったのだが、彼女はそれに不満を持っていた。
魔術士にはどうして戦闘のイメージがある。
それを彼女は嫌っていたのだ。
だが、結局、彼女は危険な色を漂わせた男を……。
アマネリス・フーラル――彼女はカルスの元婚約者だった。




