06 戦いの後~ルハス怒る
ここはセラフィアがメッサミリアに連れてこられた部屋である。
カルスがボロ雑巾のようになって、部屋の片隅に転がっていた。
正直、特徴的な蒼黒色の髪がなければ、カルスだと分からないくらいに、こっぴどくやられている。
セラフィアとレナはカルスがどんなふうに敗れたのかを知らない。
メッサミリアが突然姿を消した後、魔道具によって作られた画面は何も映しださなくなってしまったからだ。
戦闘行為は知らなくても、結果は目の前にある。
仲間であったなら、いや、人間らしい心を持った者ならば、その姿を見れば、心配せずにはいられないだろう。
セラフィアは人間の心を持っていたし、カルスの仲間であったので、当然のように若い魔術士のことを心配した。
すぐにでも駆け寄ろうとしたのだが――。
「心配は無用なのじゃ。表面上はケガをしているように見えるが、あれは全部まやかしじゃ。高度な魔術なのじゃ。さすがヴィル・ティシウスの弟子。つまらぬ小細工を使いよるのじゃ」
家主、いや城主がそう言って、セラフィアたちのことをカルスに近づかせまいとするのだった。
魔獣のふわふわの毛が彼女を誘い、結局その柔らかさに負けて、いつの間にか定位置へと戻ってしまう。
「あんがい、セラフィアさんとレナって冷たいですね。師匠、あれかなり重傷だと思いますよ。気だるそうにすることはあっても、あんなふうにぴくりとも動かないなんて、これまでありませんでしたよ」
「何を言うの。私も心配している。ねえ、レナちゃん」
隣でレナが頷いている。
だが、顔は魔獣の尾に埋まってほとんど確認できない。
「いや、その姿でそんなこと言いますか」
「私の何がいけないっていうの!」
「いけないっていうか、ありえないでしょう」
ルハスがげんなりとしている。
少年が指摘したセラフィアの姿であるが、魔獣に身体を完全に包まれ、埋まっている状態だった。
むしろ埋めつくしてくれ、とでも言わんばかりである。
「確かに少しだけ、いつもと違う格好をしているけど、別にそんなにおかしくはないでしょ」
「まあ、いいですけどね。僕一人で確認しますよ。けど、治癒なんてできないし、看病なんてしたことないから、何をしたらいいかは分からないんですけどねえ」
ルハスがカルスに向かって歩いていくと、途中でメッサミリアから声がかかった。
「何をしておるのじゃ、カルスの弟子」
「僕の名前はルハスです」
「ふん、そなたなぞ、カルスの弟子で充分じゃ」
ルハスがずいぶんと高い位置を見あげているが、それはメッサミリアがとある魔獣に乗っているためである。
「いくら部屋がひろいって言っても、飛竜も室内にいれるというのは、非常識なんじゃないですか?」
そうメッサミリアはカルスによって負傷した飛竜の背中に乗っていた。
「ここではわらわが常識じゃ。ここじゃなくても、わらわが常識なのじゃ」
「まあ、いいですよ。メッサミリアさんの常識にとやかく言いません。なので、僕の行動にもとやかく言わないでください」
セラフィアはずいぶんとルハスが常識的な内容を喋っているな、と思った。
そこに不審がある。
ルハスといえば、陽気の塊である。
なのに、今は陰気とは言わないまでも、どこか不機嫌そうだった。
城が気にいらないというわけじゃないだろう。
テーブルの上には、ルハスの大好きなあまいお菓子やデザートが並んでいる。
いつもならカルスがとめようとも、何とかして食べるはずだ。
あきらかに様子が変だ。
セラフィアはふかふかの毛に未練を残しつつも立ちあがった。
メッサミリアからまたもや行動を阻害されたルハスは、喧嘩腰になりながら、大魔術士と言い争っている。
「どうしたの、ルハス?」
「何がです」
メッサミリアとの会話で機嫌がさらに悪化したようだ。
口調がかなりつっけんどんになっていた。
「何をそんなにさっきから苛立っているの?」
「苛立っている? 僕がですか? 僕はいつだって元気いっぱい、笑顔満面のナイスガイですよ」
少年の口調は自棄になっているようにしか、セラフィアには聞こえなかった。
「落ち着いて、とりあえずそこの椅子に座りましょう」
お菓子やデザートの並ぶテーブルを示しながら、セラフィアはルハスの肩に手をおいた。
もちろん、少年を気づかったのだ。
だが、その手がはらいのけられた。
「あ、ごめんなさい」
セラフィアは驚いた。
だが、それ以上にルハスが自分の行動に驚いているようだった。
「座りましょう、本当にどうしたの、ルハス?」
すっと、セラフィアはメッサミリアに視線を送った。
大魔術士はふんと小さく不満を口にしたが、セラフィアの意図を察したらしく、席を外してくれた。
「わらわは、ドンドンと空をひとっ飛びしてくるのじゃ」
そう言って、姿を消した。
「また簡単に転移した……大魔術士ってなんなの」
レナの驚きの声が聞こえる。
セラフィアはルハスを椅子に座らせた。
しばらく互いに口をきかなかった。
そろそろ落ち着いただろうと思い、セラフィアから声をかけた。
「どうしたの? 何もなければあなたがあんな態度をとることなんてないでしょう」
「セラフィアさんこそ何も思わないんですか?」
「何を?」
「何をって、師匠が負けたんですよ! あの師匠が! 魍魎だって簡単に圧倒して、大魔術士バルドル・ファンに不意打ちを食らったって自力で立っていた人が、あんなのありえないでしょう。師匠ですよ。僕の師匠が、いくら相手が大魔術だからって、あんなふうに負けるはずがないんです!」
最初は小さかったルハスの声が、最後には叫ぶようになっていた。
「何でセラフィアさんは、あんな女と一緒にいられるんですか。あいつは敵でしょう」
ルハスが立ちあがった。
椅子が倒れ、大きな音が室内に響く。
レナが「うるさい」と言った。
いつもなら二人の言いあいが始まるところだが、ルハスは全く耳に入っていないようだった。
「待って、ルハス君。あなたがカルスの戦いの結果にショックを受けたのは分かるし、戦った相手がメッサミリアだったのも事実よ。でも、敵じゃない」
「何を言っているんですか! 師匠の姿を見れば、あの女が敵なのはあきらかじゃないですか!」
「メッサミリアのやり方は、いろいろと問題があったとは思う。でも、ルハス、あなたは今回の戦いで強くなったでしょう? あなたの戦いをカルスが見守っていたことからも、彼がメッサミリアのすることを認めていたことが分かる。あなたに実感はないの?」
「ありますよ。ありますけど、それとこれとは違うでしょう」
「魔術士の訓練は危険が伴うものでしょう?」
「ええ、そうですよ。僕だって、僕が師匠の訓練で大ケガを負ったとしても、文句を言いません。僕は師匠を信頼していますから! でも、僕はメッサミリアのことを信頼していませんし、師匠だってそうじゃないですか? 師匠とメッサミリアの間に何か関係がありましたか? 一方的に訓練をさせられて、それでケガをした時に、これは仕方のないことなんだって納得できますか? なら、師匠と弟子なんて関係はいらないじゃないですか。強い魔術士が好き勝手に弱い魔術士を訓練すればいい。ダメなやつはどんどん使い捨てにすればいい!」
「ルハス君、落ち着きなさい。あなたの言葉は正しいことが多く含まれていると思う――」
セラフィアは言葉を紡ごうとして、新たな影が傍に立っていることに気がついた。
「だが、正しくないことも含まれているな」
「師匠!」
「うるさいな」カルスが顔をしかめる。「おまえの声は頭痛がするよ」
「大丈夫なんですか! 師匠!」
「歩いているだろうが」
「そうですよね。師匠があんなやつに負けるはずがない」
「いや、負けたな。対策なしに戦うのは、ちょっと生きのびられるかどうかもあやしい」
「ちょ、師匠、なんでそんな簡単に認めるんですか。負けを認めたら終わりですよ」
「別に終わってないし、いい経験をさせてもらった。言っておくが、致命傷なんて負ってないからな。メッサミリアのいやらしいのは、治癒しにくい内部を破壊に来たんだ。おかげで時間がかかったし、さすがに動けなかった。外面でひどく見えたとしても、あれはたいしたことがない。おまけみたいなもんだ」
「あれ、たいしたことがなかったんですか?」
「おまえのいう大師匠に比べたら問題ないな。落ち着いて治癒ができた分、なかなかおもしろかった。自分の身体の中が分かってな。いずれ、おまえも経験するべきだな」
「いや、遠慮します」
「駄目だ。負傷した人間がどの程度の傷を負っているかも見極められないようじゃ使えない。ここにいた三人の内、おまえだけだぞ、分かっていなかったのは」
そう、ルハスとセラフィア、レナの反応の違いは前提が大きく異なっていたことにある。
セラフィアとレナは、カルスが自ら治癒をかけ、問題ない状態にあることが分かっていた。
ただ、そのまま転がせておくのは忍びないので、セラフィアはカルスを移動させようとしただけだった。
だが、ルハスはカルスが致命的な傷を負っていると勘違いしていた。
おそらくいくら大丈夫だと説明しても通じなかったに違いない。
「レナはともかく、セラフィアさんも分かっていたんですか?」
「魔術士じゃないからって、判断できないなんて思わないように」
「すみません」
セラフィアの言葉にルハスは素直に謝った。
どうやら元のルハスに戻ったらしい。
「ま、訓練は、疑似治癒を使えるようになってからだけどな。良かったじゃないか。新しい魔術を覚えたかったんだろう」
「疑似治癒は、肉体強化の失敗版なんでしょう? それを聞いてから、あんまり魅力を感じないんです」
「失敗や異なる利用法、それも魔術だ。効果があるなら使う」
「――うーん、治癒できるとなったら、これからの訓練がいったいどうなるのか。考えただけでも、いや、そうですね。僕は大魔術士。正確にいうと大魔術になる男。つまり略せば大魔術士。この程度で泣き言なんか言っていられません」
拳を握り、明後日の方向を見るルハス。
「まあ、がばってくれ」
弟子にかけられた師匠の言葉は何とも軽く、心のこもっていないものだった。
師弟の会話が一段落ついたと判断して、セラフィアはカルスに訊ねた。
「メッサミリアって強いの?」
年少の魔術士二人が、顔をこちらに向けずとも耳を傾けているのが、気配で伝わってくる。
「強いな。さすが大魔術士だ。けど、もしかしたら、ルハスは彼女の戦い方があっているのかもしれない」
「どういうこと?」
「メッサミリアは大量の魔力を背景に威力の高い魔術で攻撃してくる。遠距離から一方的に攻撃する、たぶん一般の人が抱くある意味魔術士の見本のような戦い方だ。そこらの魔術士との違いは一撃一撃が強力であること。そして、近接戦では魔獣をうまく使うことだな。正直、攻撃魔術の繋がりは不器用だった。魔獣との連係も魔獣が勘であわせているような感じだったしな」
「遠距離、近距離両方をカバーしてるのね。でも、連係が未熟なら、隙もありそうだけど」
「そこを大量の魔力のごり押しでカバーしている。強力な火力、そしてしょうしょう味方の魔獣を傷つけても治癒で回復してしまう。ああ、あと攻撃魔術の繋がりが悪いからといって、一つ一つ魔術が未熟というわけじゃないからな。威力も精度も抜群だ。妙な言い方だけど、普通の一流魔術士や一流の剣士でも、接近戦に持ち込むことすらできない。魔獣とやりあうところまで持ちこめないだろう」
「当然、魔術の撃ちあいもダメなわけね」
「ああ。威力が違いすぎるし、魔力の量に差がありすぎる」
「それで、なんでルハス君にあっているの?」
「たとえば、俺の戦い方は、魔術でもすべての魔術を使いながら、そして体術も駆使して相手の隙をうかがいながら、あるいはこちらの動きでそれを誘引して戦うというものだ」
「オールマイティってやつね、自慢?」
「それはよく言えば、だ。悪く言えば器用貧乏。俺の戦い方の良い点は、劣勢であっても簡単に負けにくいということだ。逆に悪い点は、決着に時間がかかるということだ。動きながらの魔術は一瞬で発動しなければならないから、どうしても威力が落ちる」
「何でもできるけど、すべてが満点ではありえないってことね」
「そういう反則な人もいるけどな――で、逆にメッサミリアのやり方なら、一撃必殺もできる」
「あなたもやればいいじゃない」
「そこで問題になるのが魔力量。威力の高い魔術にはとうぜん、必要なエネルギー、魔力が多く消費されることになる。実際に一撃必殺できればいいが、外した場合や多くの敵がいる場合はどうする? 三発撃って短い時間に多くの敵を倒したけど、結局すべての敵を倒すことができませんでしたじゃ、意味がない」
「ふーん、魔術士にもいろいろあるのね」
「あまり参考にしないほうがいいけどな。最新だと言われているスクールはまた別物だから」
「で、ルハス君は魔力量が大きいの?」
「ああ、たぶん、こいつは数年後には俺の魔力量を超えるだろ」
カルスがルハスの頭をぽんぽんと叩いた。
ルハスが師匠を見あげ、複雑そうな顔をしている。
師匠より自分のほうが一つでも優るものができるかもしれないというのが、困惑の原因だろうか。
「こいつは俺の戦いを基本にしているから、魔術も自然に似てくる。俺は威力よりも圧倒的に精密性を重視している。停止して集中を高めるよりも、動きながら思考を高めるほうを選択している。魔術を制御するのは当然だが、威力をセーブするのはぜんぜん違うからな。変な癖がつくと、後で困るかもしれない」
「師匠と同じ戦い方をするなってことですか?」
ルハスが不満そうに声をあげた。
「そうだ。魔術士なんて、才能と勘でできあがっているんだ。資質が違うなら、結果それぞれの戦い方も違って当然だろう」
「そうですかえね、僕は師匠の戦い方が僕にあっていると思いますけど」
「おまえのいう大師匠は、どちらもできる。あの人は化け物だからな。威力と制御の両立なんて、あの人だけだ。弟子の俺は制御と思考に針が振れた。おまえは、威力と集中に針が振れる。一門としては何も間違っていない」
「なるほど、つまり師匠と僕は大師匠の元では平等というわけですか」
「重要なのはそこじゃない。まあ、自分で意識して独自の戦い方を考えるんだな」
「あの、師弟で分かりあっているところ悪いんだけど。メッサミリアには魔獣がいるけど、ルハス君にはいないわよ」
「師匠、そうですよ。どうするんですか!」
「知らん。そんなの自分で考えろ」
「そこで突き放しますか」
「自分の戦闘スタイルなんだから、自分で考えて当然だろう。というか、それ以外どんな解決方法があるんだ」
「ぐぬぬぬぬぬ」
ルハスが悔しそうに押し黙る。
だが、どこかうれしそうでもある。
戦い方について教授されたことが、一種自分を認めてもらえたという実感をもたらしているのかもしれない。
魔術が行使できるようになり、戦闘スタイルについても考えられるようになった。
前進しているという感覚があるのだろう。
「私は魔獣が欲しい」
ぽつりと離れた場所から声が聞こえた。
レナである。
彼女はカルスのような戦い方はできない。
近接戦闘はある程度できるようだが、動きまわりながら、魔術を連続して発動はできないらしい。
あんな特殊な魔術の使い方はカルスだけ、とレナがセラフィアに説明してくれたことがある。
レナは、基本的に付与魔術で自身の周囲に罠をはることで、近接戦を避け、後は遠距離から攻撃するというのがスタイルだろう。
だが、これは奇襲にめっぽう弱いし、罠を見破られれば戦い方が破綻する。
レナが魔獣を欲しがる気持ちは分かった。
ただし、少女の無表情の顔には、魔獣のふわふわの毛に包まれる幸せがもれだしていた。
戦いとはまた別のところで魔獣を欲しているだけかもしれない。
「それはメッサミリアに訊くんだな。俺には分からない。うちの師匠は魔獣を使役することなんかなかったから。必要ないってのもあったが、食い扶持が増えるってのが問題だよな」
終わりのほうの発言をする時、じゃっかんカルスが遠い目をした。
「ようやく話が終わりよったか。待ちくたびれたのじゃ」
声が響き、メッサミリアが部屋の中へと転移してきた。
飛竜はおらず、彼女一人である。
「魔獣が欲しいと言ったか、そうじゃな。十日間わらわの城におるのなら、考えんでもない」
両腕を胸の下で組んで、メッサミリアが楽しそうに宣言した。
彼女の様子を見て、さびしかったのかな、とセラフィアは思ったのだった。




