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03 大魔術士~一件ラクチャク




 二階にはどんな罠が待ちかまえているのか、と身構えながら階段を登ったカルスが見たのは、拍子抜けする光景だった。


「邪魔なのでどいてください」


 後ろから少女の声がする。


「え、何でついてきているんだ」


「自分の家で何をしようと私のかってです」


 少女の言うとおりそこにあったのは、家の中としか思えない光景だった。

 テーブルや調度品が並び、奥には炊事場が見える。

 左手にはドアがあり、少女はそこに入っていった。右手側には三階へと続く普通の階段があった。

 その階段から人影がおりてくる。

 現れたのは大柄な老人だった。

 禿頭に長い白髭、太っているわけではないので骨格が大きいのだろう。ゆっくりと階段をおりてきた老人がカルスを見る。


「よく来たな」


「失礼しています。カルスといいます」


「わしはバルドル・ファンじゃ」


「大魔術士に会えて光栄というべきでしょうか」


「あんなものは魔術士協会がかってにつけたものじゃ。何の名誉でもない」


「そうなんですか」


 カルスは自らの師を思い出す。

 おそらく魔術士協会の幹部はヴィル・ティシウスを嫌いなはずだ。

 なのに、なぜ大魔術士と認めたのだろうか。

 魔術士協会が認定せずとも、すでに伝説級の強さで知られている人だ。事実がある以上、認めざるを得なかったということだろうか。だとしたら、さらに憎々しく思っていることだろう。


 バルドル・ファンが椅子に腰かけ、カルスも椅子を勧められた。

 素直にカルスは座る。

 若者と老人がテーブルで向きあう形になった。


「確かヴィル・ティシウスの弟子がカルスとか名だった気がするが」


「ええ、ヴィル・ティシウスは私の師匠ですね」


「人に物を教える男じゃないと思っておったが、どうしてどうして、なかなか優秀な弟子を育てているじゃないか」


「いえ、あの人からは何も教わっていません」


「師匠に似て弟子も素直ではないようじゃな」


「他はともかく、似ているというところだけはとても認められません」


 カルスの言葉にバルドル・ファンが白い髭を揺らして愉快そうに笑った。

 これ以上否定しても無駄だと思い、カルスは何も言わなかった。

 ドアが開き、先程の少女が出てくる。

 どうやら服を着替えてきたらしい。

 しかし、着替えた服はひどくそっけないものだった。男物と言われても頷くところだ。

 あまり着飾ることに関心がないのかもしれない。


「これ、こちらに来なさい」


 老人が呼ぶと、すなおに少女はトコトコと歩いてきた。


「この子はわしの娘じゃ。ほれ、挨拶をしなさい」


「レナ・ファンといいます」


「カルスです」


 レナはすぐにその場を離れていった。

 しかし、部屋に戻るわけでもなく、何か用事があるというふうでもない。部屋の片づけをしているが、ちらちらとこちらを見ていた。


「珍しいのじゃよ。わし以外との交流がほとんどないものじゃて」


「下の町へは行かないのですか」


「興味がないようでな。宿の女将が時々料理をつくりに来てくれるのじゃが、普通の人間と接するのはそれくらいか」


 普通の人間という表現がじゃっかん気にかかるが、バルドル・ファンはともかく少女も世捨て人のような暮らしをしていたらしい。


「まあ、うちの師匠も似たようなものですね」


「ヴィル・ティシウス師弟の二人と一緒にはされたくないな。おぬしたちはいつだって派手に物を破壊して、人の噂になっておるじゃないか」


「あれは師匠が壊しているのであって、弟子の私はいつも後始末に追われているだけです」


「しかし、お主一人だけか? ヴィル・ティシウスはこっちには来ておらんのか」


「来ていませんよ。何しろ――」


 カルスはしっかりと師匠が弟子に何をやったのかを説明した。

 バルドル・ファンはカルスの悲劇を大声で笑い、離れたところで聞き耳をたてていたレナにも話は聞こえていたようで、彼女も笑っていた。

 どうもレナの笑みは「ざまあみろ」と言っているようで、可愛らしい外見に中身は反しているようだ。

 あるいは、相当の負けず嫌いなのか。

 ふと思い立ち、カルスはバルドル・ファンに訊ねた。


「あの依頼はずっとやっているのですか?」


「ここ一年くらいか」


「その間、二階にたどりついた魔術士はいなかったのですか」


「ああ、一人もおらんな。あの子に勝ったのは、おぬしが初めてというわけじゃ」


 勝敗についてバルドル・ファンが述べた時強い視線を感じ、そちらに目を向けるとレナがいた。今はそっぽを向いているが、おそらく睨んでいたのだろう。

 やはりよほどカルスに負けたことが悔しいようだ。


「しかし、あの『付与魔術』はなんなんですか? 自分の身体に仕掛けているんですか?」


 突如レナから放たれた風の攻撃魔術をカルスは思い出していた。


「それは正確に言うと違う。だが、種を教えることはせんよ。ヴィル・ティシウスの弟子よ」


「ああいうことができると分かっただけで充分ですよ。教えてもらっても、あんな真似俺にはとてもできませんから。レナさんは、さすがバルドル・ファンの娘というところですか」


 カルスが視線をレナに投じると、無表情ではあったが、足の動きが心なしか溌剌としていた。


「ああ、自慢の娘じゃ。しかし、ヴィル・ティシウスの弟子でも、このバルドル・ファンの魔術は再現できんか」


「できませんね。ああ、師匠には言わないで下さいよ。恥さらしとか言って、間違いなく喧嘩になりますから」


「すでに喧嘩をしておるのじゃろ」


「ええ、してますけど。おそらく本人は喧嘩をしたことを忘れていますからね。今なら油断しているんで、一発どころか二発ぐらいいれることができます。なのに、ここで思い出されたら、せっかくのチャンスが不意になります」


「なんとも珍しい師弟関係じゃのお」


「原因は私じゃなくて、向こうですけどね」


「どっちもどっちに思えるがな」


 バルドル・ファンの言葉にカルスは軽く肩をすくめた。

 レナがお茶を運んできてくれた。

 突然のもてなしの理由はなんだろうか。

 師匠に苦労するという話が共感を呼んだのだろうか。

 その後、師匠の失敗談を二、三話して、カルスは会話の締めくくりにはいった。


「依頼は達成ということでいいですか」


「ああ、よいぞ。きちんと報酬を払おう」


「ありがとうございます」


「ところで――」


 バルドル・ファンがそうやって接続詞を繋いだとき、カルスは「ほらきたぞ」と思った。

 予測していたことだ。

 大魔術士バルドル・ファンの依頼としては安いが、義父がたかだか娘の訓練相手を求めての10000メガンだとしたら高すぎるのだ。

 バルドル・ファンにとってははした金だが、その金額はやはり怪しかった。


「すまないが、娘を一緒につれていってくれないじゃろうか」


「何を言っているんですか?」


 何か別口の依頼があるとは思っていたが、娘を押しつけるのは、カルスにしてもまったく予想外だった。


「すまない。もうこれしかな残っておらんのじゃよ」


 バルドル・ファンが咳き込む。

 突如、深刻な空気が生まれた。


「まさか――」


 後を託すということだろうか。


「ああ、そのまさかじゃ。若い女子おなごと仲良くなったんで、二人で旅に出ることにしたのじゃ」


「ふざけんな、じじい!」


 カルスの右拳がうなった。





 独特の匂い。

 多くの湯気が気持ちよさげに空へとのぼる。

 温泉。

 何と気持ちの良いものだろう。

 カルスはバルドル・ファンとの会話の後、温泉へと足を運んでいた。

 自然に湧きでた源泉を利用し、バルドル・ファンが魔術で周囲を整え、自然をいかしたなかなかよい温泉を完成させていた。

 さすが腐っても大魔術士である。

 四肢を伸ばし、ゆったりのんびりカルスが風呂につかっていると、遠くから声が聞こえてきた。


「し、師匠。助けて下さい。いったい僕が何をしたって言うんですか!」


 よく聴いてみるとそれはルハスの悲鳴だった。

 よく聴かなくとも実は分かっていた。

 たんに、少年が何をしているのか、など今のカルスにとっては、本当にどうでもいいことだったのだ。


「ルハス、あなた、いい度胸しているわね。女性の風呂をのぞくなんて」


「違う。絶対に違うから! 僕はそんなことをしていない。僕はただ、誰もいないっていう確認を」


 爆発音が聞こえた。

 魔術だろう。

 セラフィアにできることではないので、レナがやったのかもしれない。

 早くも女性陣は仲を深めているようだ。

 そう言えば、セラフィアがレナのことを何度も何度も「可愛い」と褒めていた。


「はあ、いい湯だな」


 カルスは夜空を見あげる。

 宿屋の女将がもう一泊していってほしいというようなことを言っていたことを思い出した。

 もう一泊くらいしていこうか。


「師匠が、師匠がああああ」


 まったくうるさい弟子である。


「なんですって、カルスもなの」


「そうです。原因はあの人です」


 確かに誰も入っていないか確認してこいとは言ったが、直接見にいけとは誰も言っていない。

 ひどいいいがかりだ。

 カルスはながながと呪文を詠唱し、誰にも邪魔されないよう強力な防護結界を周囲に張った。

 温泉くらいのんびりとつかりたいものである。








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