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01 大魔術士~10000メガン




 黒髪黒目、引き締まった肉体を持つ若者が、不景気そうな顔をして丸テーブルに置かれたスープをすくっていた。

 黒魔術士カルス。

 攻撃魔術、結界魔術、付与魔術のいわゆる三大魔術をすべて扱う器用な魔術士である。


「はあ」とカルスの斜め前に座る少年がこれみよがしにため息をはいた。


「今頃本当は、第七回極甘デザートフェスティバルの会場にいたはずなのになあ。『極甘食べ尽くしキングそれは君だ!』に参加して僕はキングになっていたはずなのに。はあ」


 と再度ため息をつく。

 女性のような繊細な顔立ちをした少年である。身長は年相応で、深い緑色のローブの下には華奢な体格が隠れている。

 カルスを師と仰ぐルハスという名の少年である。


「そうね。極甘なんたらはどうでもいいけど、予定通りに旅がいかないのが、なんか嫌ね。目的を達成しているなら、納得もできるけど」


 煌めく白金色の髪を後ろで一つに結ぶいわゆるポニーテールにした美女がごく当たり前の感想を述べた。

 生真面目な性格なのだろう。

 ドレスでも着れば、儚げな深窓の令嬢にしか見えない容姿だが、実際は腰に帯剣し、瞳は活発な輝きに満ちた活動的な女性だった。

 剣士のセラフィア・ギルである。


「俺が悪いって言うのか?」


「師匠以外の誰に責任があるんですか。この状況は」


「俺じゃなくてレンタンだろう」


「ああ、師匠ついに人のせいですか。自身の罪を認める勇気を持ちましょうよ。ええ、かまいませんよ。この僕のことを人生の師と尊んでくれても」


「んなわけあるか。実際、レンタンの情報が間違っていたことが問題なんだ」


 レンタンと言うのは旅の途中であった商人である。

 交易商人でそれなりに大きな商店をかまえているということだった。いつもは王都ガイロンにいるらしいが、今回はたまたま行商を自ら行っていたらしい。時々初心を忘れないために行商に出るのだという。


「レンタンさんは、『昔は』って言ってたわ。私もその点は確認したもの。カルスにも言ったのに、大丈夫だって言ったのはあなたよ」


 セラフィアの言葉は正しかった。

 カルスが強引に予定を変更したのである。

 目的地のドンドール国王都ガイロンへ、カルスとルハス、それにセラフィアの急造三人パーティーは向かっていた。

 大都市ダインを出発して、うまくいえば二週間後にはドンドール国王都ガイロンへと到着する予定だった。

 ところが二週間がたった今、三人は小さな町ランドにいる。まだ、当分王都へとたどりつきそうにない。

 宿屋の食堂で朝食を囲む三人の空気は悪いのは、カルスが強権を発動して、進路を変えたこともあるが、その上目的が達成されなかったことにもあった。


「本当に悪いねえ。ここらが温泉で賑わったのは、もう十年も前のことなんだよ」


 宿屋のおばちゃんが申し訳なさそうに声をかけてきた。


「いえ、まったくかまいません。僕たちは知っていましたから。現実を直視しない師匠が悪いだけで、ええ、こういう師匠を持った弟子というのは苦労しますよ」


 知ったような口をきくルハスの言葉に、宿屋のおばさんが笑った。

 まあ、宿屋のおばさんが悪くないのは事実だ。

 それはいい。

 だが、それ以外はダメだ。


「ルハス、今日は本格的に魔術の訓練をしてやろう」


「ちょ、師匠。何か空気が変わってませんか」


「おまえはいつもねだっているじゃないか。早く魔術を教えろと」


「ええ、それはそうですけど、でも、今はなんか違う気がします。主に僕の身に危険ばかりが降りかかりそうです」


「あのお、よろしいでしょうか? 魔術士の方ですか」


 ぼそりと何か聞こえた気がしたが、カルスはルハスへと迫る。


「いつも教えているだろう、魔術には危険がつきものだって」


「危険をできるだけ回避するよう理性的に動くのも魔術士に必要な要素だって、師匠には教えてもらいました」


「何を遠慮しているんだ、ルハス」


「師匠のその顔が遠慮する理由ですよ」


「ほお、師匠の顔に文句をつけるか」


「あのお、すみません。よろしいでしょうか」と亡霊のような声が聞こえる。


 当然、そんな声はどうでもいい。


「カルス、さっきからあなたに声をかけている人がいるのよ。ちゃんと、対応しなさい」


 つまらないところで真面目なセラフィアの言葉を受け入れて、カルスは顔を向けた。

 やや太ったどうということのない中年の男が立っていた。

 居心地が悪そうなのは、ルハスの師匠を師匠とも思わない態度を見せつけられたからだろう。それ以外に理由はない。


「魔術士の方でしょうか?」


 丁寧な言葉づかいで男が訊ねてきた。

 男の応対に問題はない。

 だが、このような小さな町で魔術士を求めるというのは、面倒な厄介事の匂いしかしない。

 例えば、本当に魔術士が必要な案件だったら、国へ報告するか、あるいは魔術士協会へと依頼するだろう。

 偶然訪れた魔術士に依頼することなどまずない。

 あるとすれば、これ幸いと便利屋としてこき使うということくらいだ。魔術士は何でもできると勘違いしている人間はけっこう多いのだ。


「はい、魔術士です」


 ルハスだ。

 少しでも沈黙していると、かってに情報をもらすアホが弟子のようなものになっていることを、カルスは失念していた。

 まあ、ルハスの格好が格好である。ルハスが魔術士であることはばれていただろうし、この少年が師匠とカルスを呼んだら、それは魔術の師匠だと誰しも考えるだろう。


「確かに魔術士ですけど、魔術士にもできることとできないことがありますよ」


「そうですか。でも、魔術士にしかできないことがあるのです」


「依頼ですか?」


「はい。といっても、私やこの町からの依頼と言うわけではありません」


「怪しい依頼は受けませんよ。たいした実力はないので」


「師匠、謙遜ですか」


「むしろ、嫌味よね」


 外野の声が非常にうるさい。

 こいつらは交渉という言葉を知らないに違いない。


「いえ、依頼者はバルドル・ファン様です」


 誇らしげに男が言った。


 ――バルドル・ファン。


 聞き覚えのある名前だ。いや、あまりに有名な名だ。


「まさか!」とルハスが声をあげた。


 さすがに魔術士を目指しているだけはあり、知っているらしい。


「師匠、誰ですか!」


「……おまえは本気で言っているのか」


 カルスは力が抜けそうになった。


「有名な人なの?」


 セラフィアも知らないらしい。

 魔術士を仮想敵にしている割に、剣士は情報に疎いようだ。

 カルスは男と視線があった。

 落胆している男に、カルスはなぜだか申しわけない気分になった。


「バルドル・ファン。いわゆる『五大魔術士ペンタグラム』のうちの一人だ。三大魔術のいずれも扱えるのはもちろんだが、中でも付与魔術の大家としても有名だ。いくつかの『新魔術』も創製して、すでに発表もしている。数十、下手をすれば、数百の新たな付与魔術を創製しているのではないか、と言われている。すでに伝説の魔術士だな」


「ええ、そのバルドル・ファンです」


 男が大きく頷いた。

 カルスの説明は男を充分に満足させるものだったようだ。


「で、そのバルドル・ファンが一介の魔術士にどんな用があると?」


「カルスの実力を知って、依頼してきたんじゃない」


「俺のことなんか知っているはずがない」


 もしかしたら同じ大魔術士と言われるヴィル・ティシウスの弟子の名がカルスということは知っているかもしれないが、それと町に流れてきた若い魔術士を同一人物だとは、いくら大魔術士でも断定できるはずがない。


「もしかして、有名な魔術士なんでしょうか?」


 男が訊ねてきた。


「いえ、有名じゃないですよ」


「そうですか。あの、この依頼は、この町を訪れた魔術士全員に出されているんです」


「特定の魔術士ではなく、単に魔術士であることが条件ってことですね。なら、俺のところに依頼がくるのも頷けます」


 このランドの町には宿屋が十軒もないので、魔術士らしい人間が宿泊すれば、すぐに把握されるのだろう。

 情報を売られているようで、あまり愉快ではない。


「依頼内容は、塔の攻略。報酬は10000メガン」


「10000メガン! 魔術士ってそんなに儲けているの?」


 セラフィアが驚きの声をあげた。

 確かに多い。魔術士の依頼と考えても、多いだろう。

 だが――。


「これが本当にバルドル・ファンの依頼だとすると、高いとは言えない」


「ま、魔術士に殺意がわいてきた」


「いやあ、やっぱりなるなら魔術士ですね。夢がありますよ」


 なぜかルハスが上から物を言っている。


「言っておくが、普通の魔術士はこんな大金を簡単に出せないからな。大魔術士バルドル・ファンだからこそ可能だし、バルドル・ファンだからこそ、物足りないんだ。さっきも言ったけど、バルドル・ファンは『新魔術』の創製に成功して公開している。公開って言うのは、魔術士協会に権利を売ったということだ。むろん、魔術の中身にもよるが、バルドル・ファンの作ったものだ。間違いはない。おそらく一つの『新魔術』だけで一生遊んで暮らせる金を手に入れたはずだ。そして、バルドル・ファンが公開した魔術は一つではないないし、協会が公開した『新魔術』がすべてだとも思えない。秘匿しているものあるだろう」


「凄いお金持ちなわけね」


「ああ」


「当然、受けるのよね。次の宿のためにも」


「いや、受けない」


 あっさりとカルスは言った。

 その場にいた全員――セラフィア、ルハス、男、宿屋のおばさんが「え!」という声をあげた。


「なんで? お金があって困ることはないでしょう。馬車だって使えるだろうし」


「そうですよ。お金さえあれば、僕がちびちび超甘シリーズを無理やり買い物に忍ばせておくという苦労をしなくてよくなるんですから」


「微妙に計算があわないと思ったら、原因はおまえか。後で説教な」


「げ! いや、そんなことが問題なんじゃありません」


「ルハスの説教には賛成だけど――」


「そんなセラフィアさん!」


「なんで、依頼を受けないのか聴いていい?」


「ええ、私も聴きたいですね」


 男が言い、少し離れたところで、宿屋のおばさんも頷いている。


「この町に来た魔術士全員に依頼を出しているんでしょう? あなたの態度を見ると、たいていの人は依頼を受けているようだ。それにもかかわらず、まだ依頼が出され続けている。つまり、達成者がこれまでいない、ということでしょう。つまり、未帰還なんじゃないですか」


「さすが理論派」などとセラフィアが言ったが、男と宿屋のおばさんは納得するどころか、「なんだ、そんなことか」と表情をやわらげた。


 カルスとすれば、予想外の反応である。

 仮にバルドル・ファンが本当にいるとすれば、町とグルである可能性すら彼は考えていたのだ。


「大丈夫です。失敗しても報酬がもらえないというだけです。怪我もバルドル・ファン様が治癒しています」


「なんだ、それは? 何の意味が?」


「ファン様曰く、魔術士の訓練のためだとか。一定の力さえあれば登頂できるはずだとおっしゃっていました」


「質問いいですか」


 セラフィアである。


「何でしょうか?」


「それは魔術士しかダメなんですか? 私は挑戦できないんでしょうか」


「魔術士がいれば、一緒に参加してもかまわないそうです。ただし、普通の人では足手まといにしかならないらしいですが」


「普通の人?」


 セラフィアの表情がぴりりとし、かすかに瞼が痙攣した。

 怒っている。

 剣士の矜持とやらが傷つけられたのだろう。


「どうしますか?」


 男が期待のこもった眼差しでカルスを見る。

 なぜ依頼を受けてほしいのだろうか。

 カルスが依頼を受ければ、いくらかお金がもらえるのかもしれない。


「ああ、そういえば、お客さん温泉に入りたかったんだよね」


 と、宿屋のおばさんが言う。


「そうですけど」


「確かファン様のところじゃまだ温泉が出ていたはずだよ。うまくいったら、温泉に入らせてくれるんじゃないか?」


「それ、本当ですか?」


 自分をのせるために適当なことを言っているじゃないか、とカルスは疑いの眼差しを投じる。

 だが、宿屋のおばさんは笑って答えた。


「私は別にお客さんが依頼を受けようが、受けまいが、そこの男と違ってファン様からお金をもらえるわけじゃないからね。嘘なんかつく理由はないよ」


「こら、余計な事を言うんじゃない」


 その一言こそ余計だとカルスは思う。


「じゃあ、なぜ、俺に依頼を受けてほしいんです?」


「そりゃあ、お客さんが塔に挑戦することになったら、もう一泊は確実にしてくれるだろう? そうなると、私としてはありがたいね。この時期客足が伸びないからねえ。秋になれば、紅葉が綺麗なんだけど」


 宿屋のおばさんに嘘はないようである。

 バルドル・ファンであれば、本物の治癒魔術を使えるだろうし、怪我の心配はしなくてよさそうだ。

 実力試しに挑戦してもいい。温泉に入れれば儲けものだ。

 気になることと言えば、バルドル・ファンの狙いが本当に後進を鍛えるためだけなのか、というところくらいである。


「ルハス、えらく静かだな」


「そうですか。師匠がどうしようと、僕は行くつもりだから、さっさとご飯を食べているんです。塔への挑戦の資格は魔術士であることですよね」


 ルハスが男に確認する。


「はい。本当に魔術士なんですか?」


 男がルハスにではなく、カルスに訊ねてきた。

 ルハスが年少だから、信じられなかったのだろう。


「はい、そうです」


 カルスの答えに、ルハスはうれしそうにして、セラフィアは疑いの目を向けている。


「セラフィアはどうする?」


「どうするって、私も行くわよ」


「それは分かっている。どっちと一緒に行く?」


「どっちって、別々に行くの?」


「ああ、そうだよ。魔術士は一人ですべてできて一人前だ。ルハスも一度自分の力を試したいだろ?」


「はい、師匠。やっと僕の力を認めてくれましたね」


「ルハス君。なんで、君がそこまで自信があるのか根拠を聞きたい」


「言いましょうか?」


「いえ、いい。本当に別々に行くの?」


 改めてセラフィアが訊ねる。


「ああ」カルスは答えた。


「じゃあ、私は心配だから、ルハス君と一緒に行くわ」


「分かった」


 カルスは頷き、食事を再開した。


「あっと、ええっと、別々に行くということでいいんですか」


「みたいですね。場所を教えてもらえますか」


 男にセラフィアが対応する。

 カルスが単独にこだわった一つの大きな理由は、俺が10000メガン自分で稼いだんだ、今回の選択が間違えだったとは言わせねえぜ、というまことに子供っぽいものだった。

 もちろん、それだけではない。

 もう一つある。

 それは温泉に入りたい、ということだ。

 いずれにせよ、カルスの動機が他者からの理解を得られることはないだろう。

 カルスは冷めたスープを口に運んだのだ。

 彼の周囲は慌ただしさに満ちていた。








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