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08 後始末~カッテにヤッテ




 カルスが目を覚ました時、彼は畳の上で布団に寝かされていた。

 障子が半分だけ開けられている。そこから橙色の陽射しがカルスの足元の畳を照らしていた。

 外から虫の声が聞こえ、隣の部屋からは興奮した少年の声が聞こえていた。

 身体を起こして、カルスは右目のあたりをそっと触った。痛みが走る。明日にはひどい青あざとなるかもしれない。付与魔術を行使し、治癒を促進させた。じょじょに痛みが引いていく。

 まともに拳を受けたのは久しぶりだった。

 師であるヴィル・ティシウスの弟子となった最初の一年だろう。あの頃はよく叱られていた。時に理不尽なことで怒られたこともあったが、当時のカルスはまったく言い返さなかった。

 無気力というのが、一番正しいかもしれない。

 どうでもいいという気分だけで、名だけは有名はヴィル・ティシウスの元に行ったのだ。

 いったいあの時師匠はなぜ自分などを傍に置いてくれたのだろうか。

 少しだけカルスは感傷にひたった。

 三年前の記憶を思い出していると――――少しずつ怒りが込みあげてきた。

 よく考えれば、理不尽なことだらけだった。

 そうだ、王都に行ったら、絶対に綺麗だと自慢している顔を殴って痣を作ってやろう。

 たとえすぐに本物の治癒魔術で治されたとしても、一瞬でもぶざまな顔にして、鏡をつきつけてやる。


「くくくくくくく」


 知らない内にカルスは人に見せられない笑い声を放っていたのだが、


「ちょ、こわいんだけど」


 ちょうど襖を開けたセラフィアに目撃されたのだった。



 この後、カルスはギル家に宿泊することになった。

 風呂つきだった。

 カルスはたいへん満足した。

 だが、その後が大変だった。

 セラフィアの父に夜通しつきあったのである。

 ちなみセラフィアの父は酒を一滴も飲んでいない。

 カルスも酒は好きではないので、まったく飲まなかった。

 地獄だった。

 セラフィアをどうにかするつもりはないということを何とか納得してもらった。

 疑念の光はまだ消えていなさそうだったが、夜明け前に何とか解放されてカルスは寝床についた。

 風呂があったのは良かったが、肝心の眠りが約束されていない宿など、まったく宿の価値がない。


 翌朝、頭がぼおっとしたまま、カルスは朝食の席についていた。

 セラフィアの父もカルスと同条件のはずなのだが、ご飯をお代わりしてもりもりと食べてまくっている。

 なんと元気なオヤジだろうか。

 ルハスはセラフィアの母と気があったらしく、会話を弾ませている。


「いやあ、ルリアさん凄いですよ。十人くらいを一瞬で倒すんですから。僕、まったく動きが見えませんでした」


「そうだろう、そうだろう」


 セラフィアの父が頷き、


「やだわ、そんな」


 と、セラフィアの母ルリアが照れる。

 ルハスとセラフィアの母はいつの間にか名前で呼ぶ仲になっていた。


「ルハス君だって凄かったじゃない。最初にいっせいに襲いかかってきた六人からの攻撃を魔術で全部防いだんだから」


「そうですか? でも、師匠みたいに何でもできないから、僕なんかまだまだです」


 二人の会話をぼうっと聞いていたカルスは、わずかに遅れて驚いた。

 ルハスが魔術――間違いなく結界魔術の内の防護結界だ――で、六人によるいっせい攻撃を防いだという。

 これは、防護結界を広範囲に展開したことを意味する。

 カルスはルハスに魔術の基本中の基本である結界魔術の内の防護結界、しかもその中でも狭範囲防護結界シールドと呼ばれるものを教えた。

 魔術は呪文と魔力と勘によって構成される。

 勘を才能と言いかえても良い。

 この三つのうち重要なのは魔力と才能である。魔力がなければ、魔術は発動しないし、才能がなければ、魔術を使用することができない。

 魔術には、攻撃魔術、結界魔術、付与魔術の三つがあるが、たいていの魔術士はこの内の二つ――多くは結界魔術と後一つとなる――のみを扱うことができる。

 なぜ、三つを扱えないのかと言えば、才能がないからだ。

 才能――勘がなければ、手順や構成といったものがまったく理解できないのである。

 さて防護結界が魔術の基本の理由は、とても簡単な手順と構成なので、何度もやっているうちに簡単に感覚で掴めるからだ。

 何度も繰り返すことで魔術の感覚を覚え、さらに上の防護結界を扱えるようになるのだ。

 単純であるが故に防護結界は、魔術士の個性が良くでるし、実力が分かる。

 防護結界でも広範囲防護結界アートをむらなく展開できれば、一人前の魔術士だ、と昔は言われていたらしい。

 つまり何が言いたいかというと、何度も繰り返すことで魔術は一つ階段を登ることができるということだ。だが、それさえも才能がなければできない。

 ところが、ルハスは間違いなくたいして狭範囲防護結界シールドの魔術を展開していない。

 カルスが見ているかぎり、半分以上失敗していた。

 絶対数が少ないのだから、成功例もたいした数ではない。

 にもかかわらず、上位にあたる広範囲防護結界アートの展開に奇蹟的とはいえ成功したのだ。

 簡単に上へと登る階段を見つけてしまった。

 才能である。

 会った時に、大魔術士などとほざいていたが、本当にルハスは天才なのかもしれない。


「まあ、それはないか」


「何が?」


 カルスの隣――この配置はルリアが決めたのだが、じゃっかん揉めた。ある男が騒いだからだ――で、弟の面倒を見ながら食事をしていたセラフィアが、カルスの呟きが聞こえたのか、そう訊いていた。


「いや、何でもない」


「眠そうね」


「まあね」


「父がつきあわせたみたいね」


「宿賃と思えば」


「宿賃なら、道場でしっかり払ってもらったけど」


「あれくらいならな」


 カルスは気絶していたので、あの後の顛末は聞いた話となる。

 実は、鳳山流おうざんりゅう当主と竜閃流りゅうせんりゅう当主は、幼なじみの親友であったらしい。さらに恋敵でもあったそうだ。

 若い頃にルリアを争い、見事にハートを射ぬいたのが、オルロック――セラフィアの父の名前――だった。

 この後、ルービスも結婚し、二人は互いの子供を結婚させようと約束したらしい。

 後にオルロックはこの約束を非常に後悔するのだが、約束を破るという選択肢はなかった。

 時間が経ち、二人はそれぞれ鳳山流おうざんりゅう当主と竜閃流りゅうせんりゅう当主になり、次第に距離が遠くなったということである。

 まず、当主の間にこういった関係があった。

 なので直接話さえできれば、問題はすぐに解決した。

 ルービスと一緒に来ていた長男リックス・シャンが頭をさげて、ルービスが二人の息子には徹底的に指導することを約束した。二度とこのようなことは起こさせないと詫びた。

 実際、この後次男と三男はとてつもない指導をルービスとリックスから受けることになり、自身の未熟さを痛感させられ――特にリックスの強さに驚いたようだ――改心したらしい。

 さらに、カルスが気絶している理由をルリアが語ったために、事実がかなり歪曲して伝わり、婚約は破棄されることになった。

 本当に好きな人と結ばれるべきだなどとルービスが言ったらしい。

 その発言をする時、オルロックの顔を見てにやりと笑ったらしいので、真意がどこにあるかは、まあ謎である。

 というわけで、現在、セラフィアは自由の身になっていた。


「何日間か、居候して町めぐりでもするの?」


「居候って、正当な対価だろうが」


「あ、そうだった。つい本音が」


 へへへとセラフィアが笑っている。姉と同調して幼い弟も笑った。


「今日一日適当に過ごして、明日の朝この町を出るつもりだ」


「明日? 早いのね」


「そんなに急ぐつもりはないけど、のんびりするつもりもない」


「どこに行くの?」


「パール国だ。歩き旅だから、一カ所にあまり逗留するわけにもいかない」


「そっか。パール国か」


 何やらセラフィアが感慨にひたっている。

 カルスは朝食に手を伸ばした。

 この後、彼は眠るつもりだった。普通の宿なら問題はないかもしれないが、ここは普通ではないが私家である。「いつまで寝ているのです」などと注意されかねない。

 どこか適当な場所で寝床を確保しなければならないかもしれない。

 カルスはまったく気がつかなかったが、セラフィアの両親が娘を観察していた。

 父はじっと娘の表情を見ており、母はそれとなく娘の様子を見ていた。カルスとの会話も聴いていた。

 カルスの預かり知らないところで、あることが決定されようとしている。


 その日の夜、セラフィアはある決意を持って両親と話をした。

 両親の対応は対照的で、父は憮然として話を聞き、母はにこにこと笑顔で話を聞いた。

 セラフィアの決意は両親に受け入れられた。


 同夜、カルスは再びセラフィアの父に呼びだされた。

 しかも、道場だった。

 四本の燭台が用意されていたが、道場は薄闇に支配されており、いかにも暗かった。


「魔術と剣術はなしだ。この肉体のみで語りあおう。君が娘を預けるにふさわしい男か私は試さなければならない」


 深刻な顔をして語っているが、カルスにしてみれば何を言っているのやら、である。


「娘さんの話なら説明したでしょう。もう結婚話もなくなったことだし、必要ないですよ」


 そういえば、『魔術斬り』の謎を解明していなかった。

 正体はすでに分かっている。分からないのは、どちらであるのか、ということだが、八割以上の確率でそれも特定できていた。

 いずれにせよ、脅威ではないとカルスは判断していた。

 しっかりと確認したいところではあったが、セラフィア関係のいざこざで揉めるのは面倒だった。つまり、謎の解明よりも、面倒だという気持ちが勝ったのである。

 魔術士としては正しい姿ではないだろう。


「さっき娘から話があった」


「………」


「外の世界が知りたいのだそうだ」


「………」


「パール国に行くと言っていたな、あれが最後の一押しとなった。あの時、あの子は夢見る乙女の顔になっていた。可愛いじゃないか――あの可愛さは危険だ」


「………」


「今さら娘を止めることは無理だ。何より、妻が強力に賛成している。だからといって、世間知らずの娘を一人で世間の荒波に出すわけにはいかない」


「話が何となく見えてきましたが、多分当事者である俺のところにまったく相談がありませんが」


「というわけで、まず私はカルス君を試すことにした。娘のことを頼むのはその後だ」


「完全にそっちの都合の話で、俺には関係ないと思いますが」


「魔術士は戦闘訓練も積んでいるんだろう? 問題はないはずだ」


「俺の話を聞いていますか?」


 魔術士というと、一般的に体力に劣っているというイメージがある。

 多くは老魔術士を思い浮かべるようで、そのために肉体能力が低いというイメージに繋がっている。

 無茶な話である。

 魔術士に限らず、人間は年を取れば肉体が衰えるものだ。老人の姿を思い描けば、自然と体力が劣る姿になるのは当たり前だった。

 一方で、魔術士は年を取らないという説――ごく一部の魔術士がそう見えるだけだ――も蔓延しており、これは前の説とは矛盾している。

 まったく人間というのは自分勝手に妄想を固定化して、疑わないものである。

 で、魔術士の体力であるが、若い頃には一般人以上に鍛えている。

 たいていの魔術士は戦闘訓練を行っているし、また、どのような状態でも魔術を操れるようにするためには、充分な体力があったほうが圧倒的に良いので体力作りを行っている。

 というわけで、一般人に比べれば間違いなく魔術士の体力は優れている。

 ただし、剣士などの接近戦の専門家と比べれば分が悪い。


「君は剣術も修めている。ワイルスと打ちあう姿を見て、すぐに分かった」


「たった二度受けとめただけでしょう。偶然です」


「見えなかったが剣のようなものを魔術で作り出したのだろう? 動きを見れば、素人ではないことが分かる。だいたい普通の魔術士があんな事態になって、剣を使おうなどと考えるはずがない。あの発想は剣術を修めている者にしかない」


「仮にそうだとしたら何なんです?」


「仮に、か。まあいい。剣術を修めているとしたら、それこそ身体はしっかりと鍛えているだろう。それとも君に剣術を教えた者は無手での戦いを教えなかったか?」


「仮のことについて、語るようなことはしませんが、師匠からぞんぶんに無手の戦い方は実戦で教わりました」


「自信がないわけではないのだな」


 セラフィアの父オルロックがにやりと笑う。

 どうやら、カルスがやる気になったことを察したらしい。


「自信はともかく、あなたに借りがあるのを思い出しました。とても痛かったですよ。あの拳は」


「そうか。あれでも手加減をしたのだが」


「まともに俺の顔に拳をいれるなんて、ええ、それはもう久しぶりの経験で、このままにしておくなんて、とてもできませんね」


「どうするのか、楽しみだな」


 オルロックの顔は父としてのそれではなくなっていた。

 すでに娘のことは関係なく、男同士の喧嘩へと事態は移っている。


「光よ、明かりの加護を」


 カルスが詠唱し、頭上に四つの光源が生まれた。攻撃魔術を転用したものだ。

 闇は消え、視界は良好となった。

 年の離れた二人の男がかまえをとる。

 呼吸をあわせたように、二人が床を蹴り、距離をつめた。



 道場の影からそっと中をうかがう三人がいた。

 ルリア、セラフィア、ルハスである。セラフィアの弟はすでに眠っている。

 ルリアとルハスのかみあっているようで、かみあっていない実況が十五分ほど繰りひろげられた。

 全員が興奮していたのは間違いない。

 だが、戦っている二人の動きに変化が生じると、ルリアが宣言した。


「さあ、帰りましょう。この後は、あの二人だけが知っていればいいことよ」


 セラフィアとルハスは不満そうにルリアを見る。

 だが、すぐにセラフィアは立ちあがった。どちらが負けるのも見たくなかったのかもしれない。

 ルハスは不満げだったが、ルリアの顔を見て、すぐに態度を改めた。

 こうして、三人の観客が離れ、三分後道場内では決着がついたのだった。





 翌朝、朝食をとった後、カルスはギル家を後にした。

 ギル家の三人から見送られ――使用人も三人いた――、カルスは二人を連れて旅路へと出る。

 オルロックとカルスの間で交わされた挨拶は笑顔でありながら、非常に緊張感の伴ったものだった。

 オルロックには目立った負傷はなかったが、痣がところどころに散見していた。

 対してカルスはまったく無傷のように見えた。

 これによって、二人の勝負の結果が分かるというほど単純ではない。

 カルスが無傷に見えるのは、戦いの後に付与魔術による治癒を行かったからに過ぎない。彼の使える治癒は疑似的なものでしかないので、魔力だけでなく体力も奪われることになる。なので、彼はけっこうふらふらの状態だった。このような状態になるのなら、目立った傷だけを治したほうが絶対にいい。

 それは本人も分かっていた。

 なのに、なぜ無理やりにでもすべての傷を治したのかというと――。

 翌日オルロックと会うことが分かっていたので、見栄を張ったのである。

 そっちはどうか知りませんけど、俺はまったくケガしてないですけど、というやつだ。



 街道を三つの人影が歩いていた。

 天候も良く平和な光景である。


「まずどこに行くの?」


「俺は別に同行の許可を出した覚えはないんだけどなあ」


「あら、お母様はしっかりと約束したって言ってたけど」


「確かに目力に負けて、つい頷いたと言えば頷いたが」


 セラフィアが旅装をして、当たり前のようにカルスの隣を歩いている。

 女性にしては荷物が少ない。

 リュックサックという背負う荷物入れ一つである。ただし、それだけでもなかなかの荷重なのだが、彼女は苦にしていなかった。

 腰に下がる二本はダテではないということだ。

 一流付近の剣士としては、当然の体力なのかもしれない。

 ただし、セラフィアの荷物がこれだけということではないのだが。


「師匠、セラフィアさん。なぜ、僕が荷物持ちをしなくちゃならないんでしょうか」


「師匠が持つ理由はないだろう」


「ルハス君は線が細いから体力をつけたほうがいいと思うけど」


「それは、この中じゃ、圧倒的に僕は華奢で、もっともか弱く守られるべき存在であることは認めますよ。ビジュアル的にも、ええそれは間違いないことでしょう」


「あれ、なんか、ルハス君の言葉、少しいらっとくるんだけど」


 本当にセラフィアは困惑しているようだ。

 どうやら二日という短い期間では、ルハスのうざさを実感することはできなかったようだ。


「だからといって、楽をしたい僕がなぜこんな荷物をもたないとダメなんです。僕は大魔術士になる男なので、体力なんて必要ないんです」


「魔術士に体力が必要ない何て迷信だ。おまえの母親も体力はあったんじゃないか」


 カルスは振りかえった。

 えっちらおっちらとルハスが歩いてくる。

 距離はたいして離れていない。

 というか、ずっと一定の距離を保っている。

 こいつ、重たいぞアピールをするためだけに、無駄に距離をおいているんじゃなかろうか。

 ルハスが無駄に頑健な肉体を持っていることを思いだし、カルスはこの少年を心配する必要は微塵もないと判断した。


「ああ、そういえば母は男顔負けの力持ちでした。村一番の力自慢の男が持ち上げられない大岩をかるがると運んでいましたから」


「俺は何で大岩を持ち上げることになったのかが疑問だよ」


「母が、景観が気にいらないと言って、ずらすことになったんです」


「魔術をもちいず、身体一つでやったのは感心だな」


 付与魔術で肉体強化をしたのだろうと思ったが、カルスは指摘しなかった。

 体力が必要だとルハスが実感できれば良いというだけの話だからだ。


「そうよ、戦いになったら基本は身体だから、きっちりと鍛えておくべきよ」


「でも、師匠は魔術で何人もいる剣士を圧倒したんでしょ? 僕は見られませんでしたけど、見たかったなあ」


 ルハスがあっさりと急所をついた。

 セラフィアの顔が凍りつく。

 あれは剣士にとっては思い出したくない現実だろう。


「でも、でも、あれよ。ワイルスに攻撃された時はちょっと危なかったのよ。カルスの反射神経と身体能力がなければ危なかったわ」


「それって、不意打ちだったんでしょ。それも、戦いに関係ないセラフィアさんを攻撃して隙をついた卑怯なやり方」


「そ、それはそうだけど」


 眉根をさげたセラフィアがカルスを見る。彼女もワイルスのやり口は許せないのだろう。だからこそ、ルハスの言葉をつい受けいれてしまう。

 根が真面目なのだ。


「不意打ちや、奇襲なんて実戦ならいくらでもありうる。卑怯だと騒げるならいいが、そんな状況になったら悔やむこともできないぞ」


「それって、心がまえの話ですよね。大丈夫です。いつだって僕は戦闘態勢です」


「心がまえってのは、身体が反応できて初めて意味がある。それに魔術を放つのにも、身体のバランスが優れている方がいい。どんな体勢だろうと魔術を放つことができて、初めて魔術士といえる」


「それに、それによ。『魔術斬り』が使える剣士が相手になったら、魔術は通用しないんだから、その時動きが悪ければ、あっという間に負けるでしょう」


 二人からの口撃を受けて、ルハスが「ぐぬぬぬぬ」などと呻いた。呻きながらも歩く速度は一定を保っているので、やはりこの少年に体力的な気づかいは無用だ。

 多少手荒に扱ってもいいということだ。

 さて、自身の考えが正しいことを証明されたセラフィアがじゃっかん調子に乗っているようなので、カルスは魔術士としてある事実を告げることにした。


「『魔術斬り』は一度見てしまえば、魔術士にとっては脅威ではないよ。少なくとも一流の魔術士には通用しないだろうな」


「嘘、なんで?」


「なんでって、言っても、魔術士に対して『魔術』で素人が勝てるわけがないだろう」


「は? 何を言っているの?」


「まあ、仮設なんだが、実演するか」


 カルスは腰にある短剣を手に持った。

 いつも以上に集中して魔術を発動する。

 種類は付与魔術だ。

 短剣が薄く光りを帯びた。


「どうだ? セラフィアの『魔術斬り』と同じじゃないか」


「そんな、なんで?」


 ふっと、短剣から光が失われる。

 無駄に高い集中力が必要とされた。

 魔術士ならば、こんなことを好んでやることはないだろう。


「魔術士に対抗するもっとも簡単な手段は魔術だよ。まだ、真剣で魔術を斬るというなら、剣士の高い技術力と道具の力で何とかなるかもしれない。魔術と言えど、発動すれば物理的法則にそのほとんどが支配されるからな。でも、セラフィアは木刀なんてもので俺の魔術を斬った」


「それで?」


「ありえないことだが、実際に起こったんだからそれは現実と言うことだ。となると、前提条件が誤っている。剣術と考えるから不可能だと思える。魔術と考えれば別に不可能なことじゃない。俺は可能性としてまず、結界魔術――その中でも『防護結界』というものをごく小さい範囲で張ったのかと思ったけど、これは違った。『魔術斬り』を見れば分かる。まったく跳ね返してなかったからな。となると、考えられるのは、付与魔術の『干渉』だ」


「師匠、そんなしたり顔で長々と説明しても聴く気になれないんですけど」


「俺はセラフィアに話しているんだから、おまえは理解できなくていい。いや、本当は魔術士こそ、分かっていないといけないんだけどな!」


「私ももっと簡潔に話してほしいんだけど」


 カルスは額を押さえた。

 難しい話も複雑な話もしていない。

 まったく最近の若者はどうなっているんだろうか。

 十九歳の若者はそんなことを考えた。


「結論は最初に言ったとおりだ。『魔術斬り』は『付与魔術』の中の『干渉』にカテゴライズされるものだ。まあ、『付与魔術』はすべて干渉なんだけどな――それを言うと、魔術のすべてが『干渉』ということでもあるんだが」


「余計なことはいいから」


「たぶん、『魔術斬り』に関して秘伝の書のようなものがあるだろう?」


「――よく分かるわね」


「それは正式な呪文だよ。おそらくとてつもなく長いものだったろう? 暗記はもちろんだが、何度も暗唱したんじゃないか。一瞬とはいえ、何しろ無詠唱で魔術を発動させているんだからな。そして、それをやっても使える者と使えない者がいたはずだ。魔術を使うには生来の『勘』がなければ無理だから」


「……認めたくないけど」


 セラフィアが唇を噛みしめた。魔術士へ対抗するための技術が、剣術ではなく魔術によるものだったことが悔しいのだろう。


「じゃあ、魔術士なら誰でもできるんですか。『魔術斬り』」


 ルハスがのんきな声で言った。

 この少年が魔術をまだまったく理解していないことが、カルスにはよく分かった。


「誰でもというならできないし、魔術士がするかと言えばしない。『付与魔術』はもっとも才能を必要とする魔術だ。まあ、この辺ははしょるが、たとえ、『付与魔術』を使えても『魔術斬り』のようなことを魔術士はしない」


「何でですか?」


「効率が悪いからだ。魔術を防御するなら、面倒な『付与魔術』なんか使う必要はない。『防護結界』を展開したほうが効率的だし威力も優れている」


「あ、それはそうですね」


 何と言うか『魔術斬り』という魔術は、魔術士にしてみれば、労が多いだけで効果の少ない失敗魔術なのだ。

 セラフィアには悪いが、これが現実というものである。


「セラフィアは、剣士はみんな使えると言っていたけど、そんなことはないと思う。これは、鳳山流おうざんりゅうの奥義だと思っていい。まあ、他に伝わっている可能性もないわけじゃないんだが……」


「でも、どの流派も魔術へ対応できると豪語しているわよ」


「魔術士と実際に戦うことなんてないからな。言うだけなら問題ない」


 セラフィアは大きくため息をついた。

 何とか受け入れようとしているのだろう。


「でも、何で先々代は、あなたの言う面倒くさい『付与魔術』を選んだのかしら」


「たぶん、セラフィアの先々代が選んだわけじゃない」


「どういうこと?」


「これは与えられたものだ。そして、与えた人間がセラフィアの血筋には『付与魔術』の才能があると見ぬいたんじゃないか」


「まさか魔術士?」


「そう、それもおそらく『大魔術士』とか形容されるレベルの魔術士だな。『魔術斬り』のために新たに呪文を組みあげる能力。そして、それを文字にして残している。普通魔術士は新たに創りあげた魔術は秘匿するものなんだ。まあ、協会に売ることもできるんだが――たいていはその魔術士が死んでから世に出ることになる。世に出ないほうが多いのではないか、とも言われるくらいだ。だから、新魔術をつくり上げて他者に贈与するなんて酔狂なことは、能力と魔力のありあまっている『大魔術士』くらいしかいないんだ」


「でも、師匠。ギル家に恩を受けたしがない魔術士が頑張ったのかもしれませんよ」


「もちろん可能性はある。だが、しがない魔術士が『付与魔術』使えることはあるかもしれない。もしくは、しがない魔術士が一生に一度だけ『新魔術』の創製に成功することはあるかもしれない。だが、その二つが重なることは、可能性としてほとんどない」


「師匠は、『新魔術』を創ったことはないんですか?」


「あるわけがないだろうが、そんな『異質な感覚』を掴んだことはない。今俺がやった『魔術斬り』も正確に言えば、セラフィアがやっているのとは別物で、既存の魔術の応用でしかない。おそらくセラフィアの魔術のほうが魔力量は圧倒的に少なく済んでいるはずだ」


「へえ、そうなんですか? でも、なんかできそうですけどねえ」


 軽くルハスが言う。


「ともかく『魔術斬り』は魔術士に通用しないってことね」


「正確に言えば、絶対の対抗策ではないってだけだ。使い方で何とでもなる。たとえば、無詠唱じゃなく、短縮詠唱にすれば、一般的に魔術の威力はあがる。呪文には増幅媒体の効果があるからな。それに、ある程度の魔術なら破ることができるのは事実だし、剣士が魔術を破れば、それがどんな方法であれ、相手の魔術士はとりあえずびっくりするだろうな」


「使えないわけじゃないんだ」


「そういうこと。ちなみ『魔術斬り』を破る方法は、術士が展開した以上の魔術をぶつける。それだけだよ。より威力が高いほうが勝つ。単純な話だ」


「師匠、その大魔術士がもしもいろんなところで『魔術斬り』の秘伝を残していたら、ギル家以外にも『魔術斬り』が使えるんじゃないですか?」


「ああ、そうだな。でも『付与魔術』の才能を持った剣士がそんなにいるとは常識的には思えない。むしろ、その魔術士が他にも『新魔術』をばらまいていないか、そっちのほうが俺は不安だ」


「ふーん、変なことに不安を感じるんですね。師匠は変わってます」


「おまえに言われたくはない」


「ねえ、それで、どこに行くの?」


 とセラフィアが最初の質問をしてきた。

 魔術の話に厭きたのかもしれない。


「次の目的地はドンドール国王都ガイロンだ」


「お金を稼がないといい宿には泊まれないわね」


 セラフィアが笑い、ルハスが「今度こそは、僕の意見を優先してもらいますよ」と念を押してくる。

 カルスとルハス、セラフィアの三人旅は始まったばかりだった。








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