06 道場破り~名門タイケツ
竜閃流宗家シャン家の次男スヴァンは自宅に戻って、ケガの治療をしていた。
打撲と擦り傷でたいしたケガではない。
真面目で正しいことしかしない兄に会い注意を受けたことが、もともと苛立っていた彼の心をさらにささくれだたせたが、どす黒い溶岩が今にも噴出しそうになっている理由の大半は、昼に会った魔術士とギル家の長女にあった。
「痛い! もうよいわ!」
治療をしていた門下生をスヴァンは蹴り飛ばした。
蹴り飛ばされた門下生が一瞬スヴァンを睨みつける。
その目に怒りを覚えたスヴァンは背後に飾られた刀を荒々しくつかみとると、振りかえり大股で門下生に近づいた。
怯える門下生に、鞘に入ったままの刀を大きく振りかぶり、叩きつけようとするところで、邪魔が入る。
「兄者、いったい何を怒っているのだ」
大柄な男である。
スヴァンよりも一回り以上大きい。肉厚な身体の上には、猛獣のように獰猛な顔つきがあった。当然のように帯剣しているが、この男の場合、それが人を傷つけるためだけの凶器にしか見えなかった。
スヴァンの弟であり、シャン家の三男ワイルス・シャンだ。
「うるさい! おまえには関係ないだろう」
スヴァンは舌打ちして、座っていた場所に戻った。
その間に、門下生が這うようにして部屋から出ていったが、スヴァンはすでに気にしていない。
両側に座っていた取巻き連中の顔には、先程までにはなかった緊張が走っていた。
原因はワイルスにある。この男の素性を実見、伝聞双方でよく聞き知っているのだ。
ワイルスは狂犬の類だった。しかも、剣の腕が一級品なので手が付けられない。
剣術の中身は竜閃流というよりも、独自の野性味に満ちた剣であった。修練で身につくものではなく、天分に属する才といえた。
スヴァンは、あの忌々しい兄でさえ、この弟には敗北するのではないか、と考えている。
「そんなことを言うなよ、兄者。たった二人の兄と弟の仲じゃないか」
ワイルスがずかずかと部屋に入ってきて、何の許可も得ずに座る。
「何を言っている。兄上がおるだろう。我らは三人兄弟だ」
「ああ、リックス兄は、俺たちとは違って正統派だからな。一緒にはできんだろ」
「俺はおまえと一緒にもされたくない」
「冷たいことを言うな、兄者。ほら、事情はそこにいるやつから聴いて知っているんだ」
「そこにいるやつ」などと言われても、どこにも人がいなかった。
まさか、とスヴァンは思い、取巻きの一人に廊下を見るように命じた。
すると、そこにはひどい有り様となったスヴァンの取巻きの一人がいた。この取巻きには、魔術士がどこにいるのかを探るよう命じていた。
「わりいな、兄者。でも誇っていいぜ、その男、俺が何を調べていたのか訊いても、一度目は何も言わなかったんだ。まあ、二度目はそもそも訊かなかったんだけどな」
「きさま、何を考えている。仮にもうちの門下の者だぞ」
「何をいってやがるんだ。兄者もさっき似たようなことをやろうとしただろうが。良い子ぶるのはなしだぜ」
「あれは違う。おまえのそれは理由なき暴力だろう」
「そうかい。まあ、どうでもいいさ。それより兄者、魔術士とやるのなら、俺も一枚噛ませてくれ」
ワイルスの提案は、スヴァンにとって悪くないものだった。
この弟は乱暴で日常生活では邪魔でしかないが、戦うことに関してだけは見るべき物がある。特に実戦で勝つためには卑怯なことであろうと躊躇わずにやる。この点がワイルスのもっともおそろしいところだった。
魔術士などという得体の知れない相手とやる時には、頼るになるだろう。
「まあ、いいだろう。ついてこい」
「そうか。スヴァン兄は、話が早くて良い」
がっはははははと大声でワイルスが笑う。
まったく下品な笑い声だった。
「ワイルス、それであの魔術士はどこにいるんだ。おまえが痛めつけたから、そいつは報告ができんのだ」
笑いを収めると、ワイルスが答えた。
「そうだったな。なかなかおもしろいところにいるぞ。俺たちと言うより、特に兄者には関係の深い場所だ」
「私に関係が深い?」
「ああ、鳳山流の道場だ」
「鳳山流だと? 面倒な」
どこかの店や安宿あたりにいると見当をつけていたのだが、鳳山流となれば、なかなか簡単にはいかない。
さすがに鳳山流と事を構えるわけにはいかなかった。
まさかずっととどまるということはないだろうから、出てきたところを囲むか、などとスヴァンが考えていると、ワイルスが驚くようなことを発言した。
「何が面倒なんだ。いっきにケリがついて良いではないか。兄者は鳳山流を貰い受けるのだろう? なら今の内に一度あの生意気なやつらをしめておくべきだ」
「何を言っている?」
「何をとは何だ? 鳳山流などたいしたことはない。使えるのはせいぜい一人か二人、何しろあの小娘、ああ悪いな、兄者の嫁が門下の中で一番の使い手などと言われているのだからな」
「だからといって、竜閃流が鳳山流に喧嘩を吹っかけるわけにはいかない。名を貶めることになる」
「はあ」ワイルスがこれみよがしにため息をついた。「兄者でもそんなつまらんことを言うのか。まあいい。いいか、これは訓練だ。兄者が将来の門下生を鍛えてやる。それだけのことだ。そこで、多少負傷者がでようが、剣術の稽古なら当たり前のことだ。だいたい、兄者はこの辺りできちんとあの小娘に分からせておかねば、後々苦労するぞ」
セラフィアの生意気な顔がスヴァンの脳裏で映像化された。いつも彼のことをバカにするように見ている。
確かにこの辺りで自身の立場というものを分からせる必要があるようだ。
「いいだろう。竜閃流へ乗り込むとしよう。数カ月後にはどうせ俺の物となるのだ」
兄弟は互いに顔を見合わせ笑った。
さすがに同じ血を引いているらしく、二人はまったく同種の笑みを浮かべていた。
「可愛い弟だったでしょう。我が家最大の自慢なのよ、あの子は」
「そうねえ、あの子は自慢よねえ。最低でも世界一かわいいもの」
「今さらなことだな」
道場へ行くために屋敷を出る直前に、ギル家の長男が玄関まで見送りに来たのだ。
まだ四歳で、歩く姿もどこかたどたどしい愛らしさに満ちていた。顔つきも少女のような柔らかみがあり、可愛らしがある。
自慢の息子なのは分かるが、自慢する家族は正直鬱陶しかった。
なぜかルハスがギル家の長男の可愛らしさに賛同し、熱弁している。
取り残されているのはカルスだけだった。しかも聞き流そうものなら全員が足を止めて、ギル家の長男の素晴らしさを永遠に喋ろうとするのだ。
いったい何の修行を強制させられているのだろうか。
道場までたいした距離ではないのに、いっこうに歩みの進まない五人のところに、血相を変えた門下生がこけそうになりながら走ってきた。
「せ、先生。大変です。竜閃流のやつらが、あいつらが――」
「竜閃流がどうした」
セラフィアの父の顔が一瞬にして一門総帥の顔になった。
「道場破りです。魔術士とセラフィアお嬢さまを出せと言っています。今、筆頭らが対処していますが、向こうにはスヴァン・シャンと――それにリックス・シャンがいます」
「リックスが――」父の顔が厳しさを増した。「暴走だろうな。竜閃流にも使いを出すべきだろうが」
問題が微妙だった。
下手な対処の仕方をとれば、鳳山流の面子が潰れることになる。
竜閃流に解決を求めたとなれば、鳳山流は自力で竜閃流に対処できなかったという風聞が立ちかねない。
結果、竜閃流の無法は責められるだろうが、どちらが強いのかという流派にとって最重要な命題で、鳳山流が敗者の烙印を押されかねない。
かといって、シャン家の息子二人を完膚なきまでに叩きのめせば、事の是非はともかく、今度は竜閃流の面子が潰されたことになる。宗家の息子というのがいかにもまずかった。
遺恨のために鳳山流と竜閃流は、敵対関係になってしまうだろう。
「私がシャン家に行ってきます。おイタをした息子は父親に叱ってもらいましょう。ルービスさんに会うのも久しぶりですし」
ルービスというのは、現竜閃流の宗主である。スヴァンらの父だ。
「それしかないかもな。よろしく頼む」
夫妻の間で話が進んでいる間も門下生は気が気でないらしく、視線を道場に何度もやっている。
「では、行ってまいります。カルス君よろしくお願いね」
「俺が出る幕はないと思いますけど、一人で行かれるんですか?」
おそらく敵対関係ではないのだろうが、そこには「まだ」敵対関係ではないという二文字がつくだけのように思える。
無謀な行為に思えなくもない。
「あらあらあら、心配してくれているの? でも大丈夫。ルービスさんとは昔からの知りあいだから。それでは行ってきますね」
ほほほと笑って、何とも気楽な調子でセラフィアの母は門に向かって歩いて行った。
「心配しなくても大丈夫だから、母上はあれでとてもお強いの。それよりも、問題はこっちよ」
セラフィアが道場に向かって歩きだした。
すでに、彼女の父と門下生は道場に向かっている。
カルスはもう一度、セラフィアの母へと視線を投げた。
確かに歩く姿は一本線が通っており、まったく歩調に乱れがない。素人というわけではないようだ。
カルスの視線に気づいたらしく、セラフィアの母が顔だけ振り返り、手を振った。そのために、門にぶつかりそうになったが、実際に当たることはなく、笑顔を見せながら歩いて行った。
よく分からない人である。
「師匠、こんなところに突っ立っていていいんですか? さっき師匠は関係ないって言っていましたけど、今来ているのって、師匠が魔術をぶっ放した人ですよね。たぶん、目的は師匠じゃないんですか」
「普通に考えればそうなんだけどな」
「師匠は普通じゃありませんもんね」
「そういう話じゃない。普通に考えれば、俺のことを待ち伏せでもしてればいいんだよ。なのに、わざわざ道場に来たところに、向こうの思惑がある気がするな」
「師匠、まるで頭の良い人みたいですよ」
「おまえは相変わらず頭が悪そうだな」
「師匠、暴漢を倒せば、依頼料を弾んでくれるじゃないでしょうか。主に、お菓子方面で」
とりあえず、ルハスは自分に都合の悪い単語は聞き流したらしく、歩きだしたカルスに並びながら欲望に忠実な発言をしてきた。
「お菓子類は、どちらかと言えば、セラフィアの母親の領分じゃないか? 残念だったな。役に立つのなら、セラフィアじゃなく、母親のために働くべきだった」
カルスはルハスの気配が消えたのを感じ、背後を見た。
門に向かって一目散に走る少年の姿があった。
「まあ、いいけど。追いつけなかったらどうするつもりだ、あいつ」
風呂つき宿の欲望に負けた師匠と、お菓子の欲望に負けた弟子。似たもの同士の師弟であったが、どちらも似ているなどとはまったく思っていない師弟であった。