05 道場主~カンケイないでしょ
若い男女が一つの部屋で会話を交わしていた。
外廊下につながる障子は開け放たれており、夏を感じさせる風が柔らかい空気を運んでくれている。
穏やかな時間が流れていた。
緑茶の香りを楽しみながら、カルスはセラフィアの話を黙って聞いている。
意にそわない結婚を迫られていること。
自分と結婚するには自分より強い男でなければならないこと。
相手は宿敵の一門であること。
相手が好みでないこと。
そもそもあいつが嫌いなこと。
そもそもあいつはどうしようもないやつであること。
そろそろ旅に出たいこと。
「一ついいだろうか」
湯呑みを置いて、カルスは言った。
「なに?」
「いったい依頼とは何でしょう」
完全にセラフィアの愚痴であった。
女友達の代わりをすることが依頼内容なのだろうか、とカルスが本気で考えたくらいにまったく依頼という言葉が出てこなかった。
「ああ、することは簡単で明快よ」
「へえ、そいつはいいね」
「でしょう。まずは、竜閃流のやつらをブッ飛ばして、次にうちの父と門下生をブッ飛ばして、それだけ」
「ああ、それだけね、明快だね――って、んなわけあるか! なんで、俺が道場破りみたいなことをしなくちゃならないんだ」
「みたいじゃなくて、道場破りそのものだけど」
『それが何か?』とでも言わんばかりの澄ました表情である。
「いいか、君は魔術士じゃないから魔術士の規則みたいなことは分からないだろうけど、魔術士は基本的に私闘を禁じられている。もちろん、正当防衛は認められているけど、自分から手を出すということはまずない」
「そうなの? すでに二回くらい見た気がするけど」
「気のせいだ」
しらっとカルスは答えた。
「そうかしら?」
「ああ。いいか、魔術士は魔術という強力な武器を操れる。使い方次第では最悪となりうる力だ。人類に敵視されるほどにね。だからこそ、魔術士は自分たちで自身を統制し制御しようとしている」
「あまり魔術士が魔術を使うところを見たことがないのはそれが理由?」
セラフィアが人の悪い笑顔を浮かべている。
「それもある。剣士だって似たような決まりはあるだろう? 君たちだって普通の人から見れば、飛びぬけた戦闘力を持っているんだ。野放しにはできないだろう」
「野放しって人を猛獣みたいに」
「猛獣よりもたちが悪いだろう?」
「強さという意味では、そうね」
「納得してくれたかな? 道場破りなんてできないって」
「それとこれとは話が別よ」
「まったく別じゃないだろうが!」
「え、なんで、正当防衛でしょう」
「どこがだ」
「私は結婚を無理やり迫られている」
「それは正しいんだろうな」
「正しいわよ。そして、相手は剣士で、強い力を持っている」
「間違いではないな」
「話を進めている父も剣士でもの凄く強い力を持っている」
「それも間違いではないな」
カルスは実際に戦っていないので、本当のところは分からないが。
「ほら、正当防衛でしょ」
「どこがだ」
「剣士がよってたかって、か弱い女の子に強制している。それに反発するのが正当防衛じゃないって言うの!」
「正当防衛って言うか、話しあいをだな――」
「話しあいをしていないって言うの、私が?」
「したのか?」
「文句は言った」
「話しあいじゃねーよ、それは。父親だろう?」
「だって、相手は最強の剣士よ、絶対に負けるわ。話が通るわけないでしょう」
セラフィアがテーブルを叩きながら立ちあがった。
「戦うことを前提にして話すんじゃないよ。父と娘なんだ。きちんと話しあいをしろ」
「父と娘だからダメと言うのもあるでしょ!」
両者ともにテーブルに手をつき、立ちあがっていた。
顔が非常に近い位置にある。
すぐに二人は我に返った。
「まあ、いったん落ち着こう」
カルスが提案し、セラフィアも素直に座りなおす。
そこにちっという舌打ちが聞こえた。
カルスとセラフィアは顔を見あわす。確認するまでもない。二人が発した音ではなかった。何しろ音が鳴った場所は、襖の奥からだったのだ。
よく見ると襖はわすかに開いていた。ちょうど座った時の顔の高さの位置から目がのぞいている。
「お母様!」
セラフィアが立ちあがり、襖を勢いよく開けた。
すると予想どおりというか、セラフィアの母がそこに座っていた。
「まあまあまあ、どうしたの? セラちゃんそんな顔をして」
「生まれつきの顔です」
「そお? もっと私に似て可愛かった気がするけど」
「そんなことよりお母様は何をしているんですか、こんなところで」
「何って」癖なのか、セラフィアの母は頬に手をあてた。「セラちゃんが大変なことになったらいけないから、母として見守っていたの」
「大変なことになんかならないから!」
「そお、大変だと思うけど」
「大丈夫です」
「大丈夫なの? 結婚って大きな問題でしょう?」
「それは――」
突然の反撃は、セラフィアの急所を撃ちぬいたようだ。
まったく見事なものである。
「ねえ、どう思いますか。カルス君」
「よく分かりませんが、重要なんじゃないですか」
話を振られたカルスは適当に返事をした。言質さえ取られなければいいだろうと彼は考えていた。
「まあまあまあ、他人事みたいにおっしゃるのね」
「他人事ですから」と返したかったが、カルスは苦笑することでごまかした。
何というか、セラフィアの母の笑顔が怖かったのである。
「ほら、カルス君も困っているわ。セラちゃんがしっかりとした態度を示さないから。きちんと言いなさい」
「何をですか?」
少しいじけたよう声をセラフィアが出す。
「何をって、決まっているでしょう。『父を倒して、私を奪っていって』これでしょう!」
「まてーい!」
言ったのはセラフィアではない。
遠くから男の怒鳴り声が響いてきた。
庭へとつながる外廊下側から男がひとり飛び込んでくる。
渋い顔つきをした中年――セラフィアの父である。
「何が『これでしょう!』だ。そのようなことを私は認めんぞ」
「認めないって、あなたは娘の意見も聞かずに結婚話を進めているのでしょう? 娘に愛想をつかされて駆け落ちされても文句は言えないわ。セラちゃんはセラちゃんで、自分の考えがあるんだから。ほら、顔もかっこいいし、セラちゃんとお似合いよ」
「どこがかっこいいんだ。かっこいいというのは私のような男のことを言うのだ。だから母さんも私を選んだんだろう」
「顔じゃない」
「え?」
「だから、私が選んだ理由は顔ではありませんよ、あなた」
「そ、そんな馬鹿なことが」
セラフィアの父が大きなショックを受けている。
「『そ、そんな馬鹿ことが』じゃねーよ。いったいこれは何なんだ」
カルスは傍に移動してきたセラフィアに向かって小声で言った。
「何って言われても、いつものことだから」
「君の家庭に口を挟む気はない。とりあえず、俺を巻きこまないでくれ」
「私だってそんな気はないけど――でもお母様の提案って、よく考えれば私の作戦とたいして変わらないわね」
セラフィアの口がにやりと怪しく煌めく。
「似たもの親子ってことだろ」
「そんなことはないと思うけど」
ぼそぼそと二人が会話をしていると、セラフィアの母がうれしそうにこちらを見てきた。
その視線を追って、セラフィアの父まで振り返る。
「きさまのようなやつに娘はやらん! よかろう。道場に来い。きっちりと勝負をして決着をつけてやる」
「あ!」と言ってセラフィアが手をぱちんと叩いた。
「どうしたのセラちゃん。父と夫の間に挟まれて悩んでいるの」
どう見たってセラフィアの表情に悩みを見つけることなどできない。
「な、セラよ。こんな男と父への愛情が同等と言うのか!」
セラフィアの父がびしりとカルスを指差す。
「違うわ。そんなことじゃない」
そんなことじゃないと言われた父が微妙に落ち込む。だが、セラフィアはまったく気づかない。
「夫と父親の喧嘩なら、別に魔術士だって私闘だなんて文句をつけてこないでしょ。これで、カルスも本気で戦えるんじゃない」
両手の指を胸の前で重ねて、きらきらとした瞳でセラフィアがカルスを見る。
すでに自分が何を解決したかったのかを忘れているんじゃないだろうか。
「そういう問題じゃないと思う」
カルスはとてもまともなことを、まともじゃない家族に対して言った。
結果、まともな意見はやはりまともじゃない家族に採用されることなく、父と夫(仮)との戦いが道場で行われることになったのだった。
カルスがギル家の家庭問題に巻き込まれている頃、同じ敷地内にある鳳山流の道場ではもっと深刻な事態が発生していた。