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04 屋敷~そのジュウニン




 庭の先にあったのは、木造建築物の広い屋敷だった。

 趣があるように感じる。

 カルスがあまり見たことのないたたずまいである。

 記憶を探れば、何となく見覚えがある気がしたが、一般的ではないだろう。いや、剣士が多くいる地域ではそれほど珍しくないのだろうか。

 こういった木造建築物に暮らすのが、そもそも剣士だけとはかぎらないだろうが。


「剣士の人はこういう建物が好きなんですか」


 師匠の意を組んだわけでは、絶対にないだろうが、ちょうどいいタイミングでルハスがセラフィアに訊ねる。


「剣士というか、一門をかまえている人はたいていそうだと思う。でも、剣士じゃなくてもけっこういるわよ」


「僕の村にはいませんでしたね」


「ああ、村にはないかもね」


 玄関に入ると、虎が描かれた一枚絵がでんと待ちかまえていた。

 ルハスが喰いつくが、その前に注意を受けた。


「ちゃんと靴を脱いでよ」


「あ、はい。靴を脱ぐんですね。いやあ、凄いですねえ」


 いそいそと靴を脱いで、ルハスがあがりこみ、絵の真正面に座りこんだ。

 カルスも靴を脱いだ。

 道場で靴を脱ぐのは何となく理解できた。

 剣士にとって道場とは神聖なものなのだ、と聴いていたからだ。だが、家でも靴を脱ぐとは、なかなか受け入れがたい無防備さである。


「もしかして、この家も剣士にとって特別な場所なのか?」


「え?」


 ルハスの隣に並んで絵の解説をしていたセラフィアが振り向いた。


「何で?」


「この家も剣士にとって特別な場所なのかと思って」


「いや、そんなことはないわよ」セラフィアが笑う。「うちの門下の人間なら師匠の家だから、多少思うところはあるかもしれないけど」


「そう言えば、聞いてなかったけど、セラフィアと道場主との間柄は?」


「言ってなかった? 親子よ」


「ふーん」


「予想できたでしょ。じゃあ、行きましょう。こっちよ」


 セラフィアが立ちあがり、廊下を歩いていく。

 二人は後に従った。


「師匠。何か楽しいところですね」


「楽しいだけならいいけどな」


「どういうことです?」


 ルハスの問いにカルスは答えなかった。





 カルスとルハスは一室に通された。

 畳と呼ばれる特別な敷物がしかれた部屋だった。

 壁も障子と呼ばれる特殊な紙をもちいたもので、異国情緒にあふれていた。

 魔術士と剣士では文化が異なる、とは有名な一言だが、まさに言いえて妙である。

 カルスは自分が師匠と暮らしている家を思い出して――思い出すのは止めた。とてもむなしくなった。そこにあるのは、文化の壁ではなかった。もっと現実的で悲しみに満ちた何かだった。

 カルスはあぐらを組んで座っていた。

 床に座るのは、何となく落ち着かなかった。視線がいつもより低いのが新鮮というより、違和感ばかりある。

 低いテーブルというのは立っている時には、場違いなものにしか思えなかったが、座ってみるとそうでもない。

 そもそも座っている人間を想定して作られているのだから、当然と言えば当然である。

 セラフィアは席を外している。約束のお茶菓子なるものを持ってくるのだろう。


「ごめんあそばし」


 セラフィアとは異なる女性の声がした。


「どうぞ」とカルスが答えると、障子が開き、セラフィアと同じ白金の髪をした女性が膝をついた状態で入ってきた。


 不自然な体勢であるのに、自然な動きで滑るように移動した。

 カルスは目を奪われた。

 何だ、今のは?

 一つの所作で魔術士を驚かせることに成功した女性は、木製の丸いお盆トレイから湯呑みコップをそれぞれカルスとルハスの前へと置いた。


「よくおいでになりましたね。セラのお友達でしょうか?」


 セラフィアとよく似た美しい顔のつくりをしている。セラフィアよりもやわらかい印象があるのは、少し目じりがさがっているためだろうか。


「お友達――ではないかもしれません」


「まあ、それはそれは」


 女性は口をお盆トレイで隠す。目が笑っているので、お盆トレイの下では笑顔が作られていることが察せられた。

 だが、笑顔の訳が分からない。

 この感じ、間違いなく勘違いしている。


「お友達以上という意味ではないですから、念のため」


「以上ではないとしたら、もっと凄い関係ということかしら? まあまあ、母親の前でそこまで言っちゃうなんて、あなたなかなか凄いのね。お名前は?」


「カルスです。もう一度言いますけど、知人でしかないです。今日初めて会ったんですから」


「私はセラフィアの母です」


 笑顔で言うと、セラフィアの母は頬に右手をあてて小首をかしげた。


「そう、今日初めて会ったばかりなのに、カルス君もセラも凄いのね。これが、最近の若いやつらはってやつなのかしら。でも、セラが選んだのなら、信じます。私はあなたたちを応援しますからね」


「俺の声が聞こえてますか?」


「もちろんよ。カルス君でしょう」


「ええ、カルスです」


「セラの恋人」


「まったく違います」


 かみあわない会話を交わしていたその時である。


「お母さん、何をしてるの!」


 走ってきたセラフィアが勢いを殺せずに、廊下をつつつと滑りながら登場した。

 髪を下ろしたのか、ほどけたのか分からないが、白金の髪が陽射しを反射しながら身体の流れにあわせてひろがっている。


「何って挨拶をしているのよ、当然のことでしょう。あなたのその姿こそ非常識だと私は思いますよ」


「それは、ええ、確かにその通りです。ごめんなさい」


 セラフィアがカルスに対して頭を下げた。

 客人に対して無礼をわびたのだろう。

 カルスたちはそんなことを気にするような上等な客ではない。実際、カルスも、おそらくルハスも失礼だと感じていなかった。


「別にいいよ」


 なので、カルスはそう言った。


「まあまあまあ、何て優しい人なのかしらね。ねえ、セラちゃん」


「えーっと、もういいから、とにかくお母さんは向こうに行ってて」


 セラフィアは説明するのを諦め、母親をこの場から移動させることを選択したようだ。

 賢明な判断だ。


「まあまあまあ、私を他のところに行かせて、いったいあなたたち何をするつもりなの。こんな真昼間から」


「何を言っているの! いいから早く向こうに行って」


 顔を真っ赤にしたセラフィアが母親を強引に立ちあがらせて、廊下へ押しだそうとしている。


「いったい何をするつもり、カルス君」


 背中を押されながら、セラフィアの母が顔をカルスに向けてきた。


「ルハスがいるのに、いったい何をするって言うんですか」


 と、返答したのがまずかった。


「え?」というセラフィアの声があがる。彼女の前から忽然と母の姿が消えていた。


「ねえねえ、ルハス君って言うの? あなた私と一緒に向こうに行かない?」


 いつの間にかルハスの隣にちょこんと座っている。


「え? でも師匠がここにいますし、それにお茶菓子が来ますし」


「ああ、お茶菓子なら私のほうがセラちゃんなんかよりよっぽど詳しいわよ」


「え、そうなんですか。それはとても重要な情報ですね」


「そうでしょう。じゃあ、行きましょう」


「はい」


 カルスはルハスをつかまえようとしたが、一瞬遅く逃げられてしまった。


「師匠、何やらセラフィアさんと重要な話があるようなので、弟子として僕はこの場を離れます」


「まあまあまあ、よくできた弟子だわ。ルハス君」


「そうでしょうか」


 ルハスが頭をかぎながら照れる。


「おまえは、お菓子に惹かれただけだろうが」


 見事に真実をついたカルスの指摘は、弟子と母親の二人の耳にはまったく届かなかったようだ。


「それじゃあ、行きましょう」


「そうね。あっちよ」


 と言って、二人は歩きだす。

 最後に、セラフィアの母が顔だけをカルスに向けて言った。


「いったいこれから何をするつもり?」


「話をして、お菓子を食べるだけですよ」


 カルスはきっぱりと答えた。


「まあまあまあ、お菓子を食べる? お菓子って何のことかしら」


 つまらない言葉を残してセラフィアの母は部屋から去っていった。

 遠くから「セラフィアさんのお母さん、何をしているんですか、早くお菓子を食べましょうよ。言っておきますが、僕は甘味について一家言を持っていますからね」という声が聞こえてきた。

 数秒の沈黙の後、ゆっくりとセラフィアがカルスへと向きなおった。


「なんというか、ごめんなさい」


「セラフィアのせいじゃないだろ」


「それでもごめんなさい」


「ああ、分かった。謝罪を受け入れる」


 奇妙な空気が二人の間に沈滞した。





 その後、一度セラフィアが席を外した。

 約束していたお茶菓子を持ってくるためである。

 待つまでもなくすぐにセラフィアは戻ってきた。

 向かいあわせに座ると、嫌でも相手の顔が見える。

 セラフィアは髪を下ろしていた。ポニーテールにしていた時には、活動的な雰囲気が目立ち中性的な印象さえあったが、髪をおろすと女性らしく、そしてぐっと大人っぽくなる。白金色の髪が幻想的な色を放ち、繊細なつくりをした美貌が際だっていた。

 だが、たとえ女性的魅力が増しても、瞳の輝きには活動的なものが多分に残っていたので、色気が増したということはない。

 カルスは目の前に置かれたお茶菓子に手を伸ばした。

 用意されたお茶菓子と言うのは、柔らかな練り物の中に餡子が入っていて、なかなか美味であった。だが、しかけはそれだけではなかった。


「イチゴ?」


「そう、イチゴが入っているのよ。珍しいでしょ」


「珍しくはあるな」


「おいしくもあるでしょ」


「まあ、そうだな」


 個人の好みに属するも問題だ、とカルスは思った。


「カルスは強いのね」


 セラフィアが両手で頬杖をついている。ちょうど両掌の中に顔を挟むような形である。

 その瞳は活き活きとしていた。

 カルスはこの目を良く知っている。ルハスと同じだ。あの少年もよく目を輝かせる。たいていは、役に立たない迷惑なことばかりがその後起こることになる。


「まあ、弱くはないと思うけど」


 カルスは慎重に答えた。


「私のことはどう思う?」


「まあ、かわいいんじゃないか」


「誰がそんなことを訊いているのよ! 強いか強くいないかってこと!」


 何というか強烈な反応である。こういう愉快な反応をするから、あの母親にからかわれるのだろう。


「強いんじゃないの? 魔術をぶった切るし、動きは速いし、弱いってことはないだろ」


「じゃあ、あの道端であったバカはどう? あれは強い」


「誰のことだ?」


「ほら、さっきルハス君が踏んだ。その顔、本気で憶えてないの」


「いや、忘れてはないけど、強さも何も特に印象はない。何かあるか?」


「魔術を放っておいて、その程度の認識?」


 やや前のめり加減だったセラフィアの体勢が後ろに下がる。

 暗に警戒を示しているのだろう。


「人を非常識人みたいに言わないでくれるか」


「非常識でしょ。私の知っている魔術士はむやみに人に魔術を使ったりしなかったもの」


「それは正しい。俺だってそうだよ」


「いや、私の目がしっかりと見たけど」


「あれは弟子を助けるために、仕方なくだよ」


 まずいな、とカルスは自らを省みた。

 師匠が師匠であるだけに、いつの間にか魔術士としてのモラルに問題が生じていたようだ。

 常識人の自分までも、非常識の底なし沼に突き落とそうとするとは、さすが大魔術士ヴィル・ティシウスである。


「私に対しても魔術を使ったし」


「あれは、そっちが提案したんだろう。正直、ああいう形で俺はやりたくなかった。もう少し安全というか、実戦的ではないやり方をしたかったね」


「でしょうね。そんな感じだったもの。うん、でも安心した。まっとうな人みたいね」


「俺がまっとうじゃなかったら、人類のおおくはまっとうじゃないと思う」


 まっとうじゃない人間を知っているカルスは感慨深く口にした。視線は遠くを見ていたが、無意識のことである。


「なんか今の言葉を聞くと、あやしくなる」


「なぜ?」


「まっとうじゃない人ほど、自分のことをまっとうって言うんじゃないの?」


「ああ、そうだよな。確かによく言うんだよ、その手のことを。ホント、自分を知るって大切だよな」


「どう反応していいか困るわね」


 頬杖を解いたセラフィアが、なせか困惑しているようだ。

 謎である。

 彼女には彼女の事情があるのだろう。カルスの関知するところではない。

 カルスは残っていたお茶菓子を口へといれた。

 ついでにやや苦みのある緑色の飲み物を喉に流す。この味は嫌いではない。以前に似たような飲み物を飲んだことがあるが、その時はまずいなと思ったのだが、色は同じでも、これは違った。

 種類によって味が異なるという当たり前の現象である。

 食べる物を食べ、飲む物を飲んでしまうと、やるべきことは終わった。


「それじゃ、ご馳走様。セラフィアの母親に何か言われるのもあれだし、早々に退却するよ」


「え? 早くない?」


「遅くなる理由もないしな」


「宿はどうするの?」


「ホント、深刻な問題だよ。これからそれについて奔走するつもりだ。いざとなったら、ルハスが家事手伝いをして稼ぐことになるだろ。あいつ見かけによらず、そういうの器用にこなすんだ」


「あなた師匠でしょ? 何をダメ男みたいことを言っているのよ」


「いい宿に泊まれるものだとばかり思っていたから、ちょっと悲しみに沈んでいるんだ。気にしていないでくれ」


「風呂つきがそんなにいいの?」


「当然だろう。ひとっ風呂浴びてからの睡眠って最高じゃないか。俺は今のところあれ以上の悦楽を知らない」


「お風呂のためなら、多少面倒な依頼でもこなしてみせる?」


「多少じゃなく、面倒な依頼でもこなす。正直、今日の俺は風呂に入って寝るモードに突入している。それ以外は認められないんだ。師匠がいない今だからこそできる、最高の贅沢なんだ」


「へえ、あなたにも師匠がいるんだ」


「まあね。そんなところで、それじゃ行くから」


 カルスは立ちあがった。

 重い腰だと本人が感じたのは、畳というか、この家全体の雰囲気を気に入っていたからかもしれない。


「待って。依頼がある。ちゃんと風呂つき泊まれるわよ」


「何で急に依頼が出てくるんだよ。男の心をもてあそぶのはやめてくれ」


「本当だから。うまくいけば、数日風呂つきで宿泊できるわよ」


「セラフィアの言う風呂っていうのは、しっかり湯あみができるのか?」


「ええ、石鹸だってあるわよ」


「素晴らしいじゃないか。石鹸の良さを分かっているなんて。そんなに高い物でもないのに、なぜ皆は石鹸を使わないんだろうな」


「使い始めたら使うと思うけどね。実際、あんがい使用している人は多いみたいよ」


「そうか。そうだな。じゃないとあんなに手ごろな値段にはならないか――それで、依頼の内容はどんなものなんだ。なかなか言わなかったってのは、面倒なことなんだろう」


「うん、やっぱり分かる」


「そりゃあね。依頼者がまずい人なのか」


「いや、依頼者はとてもいい人よ」


 自信満々にセラフィアが言う。


「そうか、なら、そこはセラフィアを信用することにしてまず依頼者と会わせてくれ、そして、さっさと宿を確保したい」


 カルスは立ちあがったまま催促した。

 日の高い内に会って依頼を受け、すぐに宿を確保。今日はゆっくりして、次の日から行動するということでいいだろう。


「依頼者ならここにいるから、慌てなくていいわよ」


 そう言って、セラフィアはにっこりと笑った。

 依頼主がセラフィア?

 依頼内容はまだ分かっていない。

 だが、とても良くない気がする。達成が難しいとかそういうことではなく、とにかく良くない感じがする。

 直観とは大切にするべきものである。理性的であれ、理論を構築しろ、と言われる魔術士も自身の勘を馬鹿にしたりはしない。特に実戦を積んだ者ならば。

 答えは決まっている。

 だからこそ、カルスは一度座った。

 そして、返事をする。


「分かった。話を聞こう」


 カルスは風呂つき宿の欲望に屈したのだった。








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