02 ご案内~知らナイ場所
カルスは甘味処にいた。
隣にはルハス、正面にはセラフィアが座っている。
店主は厳めしい顔をした逞しい身体を持つ男だった。あの男がどうやらすべてのデザートを作っているらしい。
店主の他に店員が二人いた。
店員の二人は、全身ピンクでひらひらのついたエプロンをつけていた。
店員は、
「いらっしゃいませ、お嬢さま」とか、
「おとといきやがれ、この草食野郎」だとか、男女差でかなり異なる対応をしていた。
昼食時間を過ぎていたが、店は八割がた埋まっており、繁盛していることをうかがわせる。
男女比としては男の割合が上回っているようだ。
あの対応でなぜ男がこの店に来るのか、カルスには理解できなかったが、趣味というのは人それぞれである。
「どこ見てるの?」
セラフィアの声にはなぜか険があった。
「どこって、特に」
カルスは何となく視線を店内へと投じていた。何か一つを特別に見るということはしていない。
「やらしい」
セラフィアの冷めた声。
「は?」
「不潔」
「いや、俺は別にあの店員を見ていたわけじゃないぞ」
確かにしょうしょう女性店員のスカートは短かった。角度によってはきわどいと言える。
数秒疑いの目をセラフィアから浴びせられたが、まったく責められる理由のないカルスは堂々としていた。
じゃっかん疑念を残しつつも、セラフィアは納得したようだ。
多少潔癖なところのある女性なのかもしれない。
なら、そもそもあんな店員のいる店に招待しなければよさそうなものだ。
「う、うまい」
カルスは、皿の上でぷるぷると震える滑らかな菓子の味に驚いた。舌触りも味も極上である。
ごついおっさんの作る菓子などまずいに決まっているという思い込みを根底から覆された。
なぜセラフィアがこの店を選んだのかをカルスは確信した。おいしいものを食べさせたいという親切心からだったのだ。
「そうでしょう。ここのプリンとってもおいしいのよね」
「確かにおいしいです。しかし僕はもっとパンチの利いた甘みが好みですね」
「あ、そいつの感想は気にしなくていいから」
すかさずカルスはセラフィアに一言いった。
下手にセラフィアがルハスに気を使うようなことをしたら、すべてが台無しになりかねない。
ルハスの菓子類に対する嗜好は余人には理解不能なものなのだ。
「そ、そう」
「ああ、ほら、今も一人の世界に入っているしな」
ぶつぶつとルハスは皿に向かって何か言っている。分析をしているのだろう。魔術士らしいと表現するべきだろうか。
「そっとしておいてくれたらいいから」
「分かった」
理解できていないだろうが、セラフィアは頷いてくれた。
「しかし、奢ってもらって悪いな」
「いえ、気にしないで」
「で、何か話しがあるのか?」
そうでなければ見ず知らずの男と甘味処に入って奢ったりはしないだろう。
「さっきのことがいったいなんだったのかを知りたくて」
「いやあれ以上説明することはないけど」
「ルハス君の足元にあの男が転がっていたということ?」
「俺がルハスを放り投げて、着地点にちょうどあいつがいたみたいだな。正直憶えていない。まったく気にしてなかったから」
「気にしないって人がいたら分かるでしょう」
「だな。たぶんこけてたんじゃないか? それでちょうど背中にルハスが降りたった。不幸な事故だ」
「そんなことありうる?」
「あったんだから仕方がない。ルハスだって意図的に人の上に降りたりしないだろ」
「そうなの? ルハス君」
セラフィアの視線を受けたルハスは、どうしましたと疑問の顔で見つめ返していた。
「聞いてなかったのね……まあ、いいけど」
「たいしたことはないって話だ」
カルスが言うと、セラフィアは残念そうに大きなため息をついた。
半分ほど残っていたプリンを一口で食べる。
自棄食いだろうか。
「たいしたことがあってほしかったのか?」
「そう言われると騒動を望んでいるみたいで微妙なんだけど――そう言えば、泊まるところが決まってないの?」
「まあな。それなりにいいところをどこか知らないか? 清潔で風呂つきの宿がいい」
「お金持ちなの?」
「たいして持ってない」
「それで風呂つき?」
「ああ、そこは譲れない」
「無理じゃない。どこも髙いと思うけど」
「無理か……次の町ってここからどれくらいの距離がある?」
「へ? まさか宿のために今から出発するの?」
「ああ、別におかしなことじゃないだろ。人間誰しも心地よい環境で睡眠をとりたいものだし、一日の疲れをお湯で流したいものだろう」
「貴族みたいなことを言うのね」
「貴族にも風呂ギライはいる」
「そうなの?」
「いや、知らない」
「でも、実際そんな場所を望むなら、ダインじゃそれなりの値段はすると思う。だからって、他の町に行ったとしても、それなりに大きな町じゃないと、風呂つきってないのじゃないかしら」
カルスは腕を組む。
ルハスなら宿は諦めましょうなどと言ってくるだろう。
だが、カルスに毛頭その気はない。
ダインならカルスの望む宿があるのは間違いなさそうだ。
足りにないのは何か?
金である。
つまりお金を稼げばよいのだ。
「魔術士を必要としている人なんか知らないよな」
「知らないわよ。普通の人は魔術士に依頼することなんて一生ないでしょ」
「だろうね」
もともとカルスも期待はしていなかった。
知っていれば儲けものという挨拶程度のものだ。
となると、魔術士として稼ぐには、魔術士協会へ行くのが確実で簡単な方法ではあるのだが、ついこの間目立ちかけたばかりである。
やはり、魔術士協会は避けたい。
カルスは黙りこむ。
彼の顔をじっと見るでもなく見ていたセラフィアの青い瞳が、急に輝きだした。
「魔術士って一対一で戦っても強いの?」
カルスは頭の中では別のことを考えながら、質問に答えた。
「魔術士による。一人ですべてをこなす万能タイプとチームで戦うことを前提とする特化型がいる」
「あなたはどうなの?」
「特化型ではないな」
「つまり強いのね? 魍魎と戦うんじゃなくて、対人戦でも強いってことね?」
「戦い方次第だろう。君はおそらく剣士なんだろう? なら分かると思うけど、剣士と戦う場合に、最初から充分な距離がとれていたなら、まあ、魔術士は負けないだろうな。強い遠距離攻撃を持っているからね」
「避ける、もしくは弾けばどう?」
「弾く?」
意味が分からない。
言葉の意味はもちろん分かるが、まったく想像ができなかった。
「ええ、強い剣士な魔術くらい弾くでしょ」
「俺は見たことないけど、そうなのか?」
「ええ、それくらいなら私にもできるから、見せてあげましょうか? 『魔術斬り』と言うのよ」
「そうだな。後学のために見せてもらいたい」
「いいわよ」
「でも、いいのか? そういうのって、流派の奥義なんじゃないか?」
「それぞれの流派でいろいろやり方はあるかもしれないけど、別に隠すほどのものじゃないから。一流の剣士ならたぶん誰でもできるわよ」
「誰でも?」
仮にそのような技があったとしても、誰もが使えるとはとても思えない。
「ずいぶん驚くのね。剣士を侮っていた?」
「そうだな。近接戦闘だけだと思っていた。魔術への対抗がきちんとされているんだな」
「魔術士は強者だから、それを打倒すべく研究する。当然のことでしょう」
「魔術士のほうが油断しすぎということか。あんがい、今やったら魔術士はあっさり剣士に敗北するかもな」
「さあ、それは実際にやってみないと分からないわ。戦いってそういうものでしょ」
冷やりとした空気が流れた。
セラフィアの戦気だ。
カルスは気づかないふりをして、話を続ける。
「でも、なぜ教えた。たとえ、剣士の間では常識だとしても魔術士の間では一般的じゃないかもしれないだろう」
「そんなことないと思うけど、スクールだっけ? そこでは教えてるんじゃない」
「そうなのか?」
「魔術士のあなたが知らないことを私が知っているはずがないでしょ。それにね、教えたのはもっと単純な理由。あなたが私を剣士として扱ったから。女性だからといって特別扱いせずにね」
「魔術士なら普通だろう」
「一般社会では普通じゃないのよ。私はそれがうれしかったの」
にっこりとセラフィアが笑った。
春の陽射しのような温かい笑みだった。
「わかりましたああああああ! 分かりましたよ、師匠! このプリンに欠けているのは、やはり甘味なのです。おそらく、この二十倍ほどの甘味を加味すれば、かつてないプリンができるはずです。僕は確信しました」
店内の視線をルハスが一身に集めている。
「ああ、そうかよ」
カルスはルハスの頭をとりあえずはたいた。
「こっちよ」
案内するセラフィアが言うのだから、カルスとルハスはついて行くよりない。
カルスは立派な木製の門をくぐった。その先には大きな庭がある。
大きな建物から、大きな掛け声が聞こえてきた。
セラフィアがそちらに向かってずんずんと進むので、質問する間もなく二人は後をついて行くしかなかった。
彼女が足を踏み入れ、カルスも足を踏み入れることになった場所は、道場である。
途中から推測してはいたが、カルスが考えていた以上に立派な道場だった。
板の間の大きな部屋で、二十人近い門下生が木刀を振っている。
セラフィアが道場にあがると、気づいた者が一礼し、その行動によって、全員がセラフィアに気づき礼をした。
この時点でカルスは面倒くさいことになったと思った。
セラフィアは門下生が頭をさげるような人間だということである。そんな彼女が魔術を弾く実演をするとなると、なかなか面倒なことになるだろう。
危険だからと周囲が止めても、おそらく彼女は聴かないのではないか。
接した時間は短いが、セラフィアの気質を何となくカルスは理解していた。負けん気が強い。戦うことに、そして強さに対して一定の、もしくは絶対の価値を持っている。
ルハスに相手をさせるのは危険だろう。少年は魔術の威力の加減ができない。そもそも失敗する可能性のほうが大だ。
となると、やはりカルスが相手をするよりない。
あまり弱い威力だとセラフィアは馬鹿にされたと思うのではないか。
そうは思わなくとも、もう一度と言ってより威力の高い魔術を試そうとするかもしれない。
威力をあげるのはかまわない。
だが、そこでケガをしたとなると、門下生はカルスをそのまま帰すということはないだろう。
――もしかして、道場破りと言うやつになるのだろうか。
楽しさ皆無の未来だ。
彼の師匠ならば、こういった事態となった時どうするか?
問答無用で道場を破壊することだろう。
いや、そもそもセラフィアに対して魔術を行使するという事態にならない。たとえ、『魔術斬り』の実演が決まったとしても、セラフィアではなく門下生の誰かを実験台にするに決まっている。
そして、実験台となった門下生は、その人がたとえどんなに凄腕であったとしても、病院送りになることだろう。
カルスは小さくため息をついた。
師匠のことを考えても、まったく参考にならない。それどころか有害でしかない。まったくあの人は役に立たない人だ。
カルスが考えている間にも、セラフィアは道場の奥へと進み、上座に座っていた渋い中年の前にたどりついた。
彼女は正座し、道場主らしい中年の男に頭を下げる。
「彼は魔術士です。対魔術戦闘の訓練を引き受けてくれました。訓練の許可をいただきたく存じます」
中年の男の視線がセラフィアから道場の入り口に立つカルスへと切り替わった。セラフィアへと集まりがちだった門下生の視線もカルスへと投じられる。
道場主はともかく、門下生の視線には敵意のようなものがのぞきみえて、カルスは完全に闖入者扱いされていた。
セラフィアに案内されただけなのだが……。
ひと気のない広場で魔術を放つだけ、などと簡単に考えたカルスが悪かったのだろうか。
よく考えれば、大都市であるガイロンでそんな場所を見つけるのは困難だろう。どこにだって人はいる。
そもそも魔術を剣士が弾くというのがおもしろそうだ、という好奇心が問題だったのか。
面倒事には巻きこまれたくなかった……。
黄昏れるのはまだ早い。
まだ、この場を平穏に去る方法は残されていた。
道場主がセラフィアに許可を与えなければいいのだ。
「魔術士か。確かにそれはありがたいことだ。断る理由はないな」
道場主が不敵な笑みを浮かべる。やる気だ。
託す間もなく、あっさりとカルスの望みは霧散したのだった。