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09 翌々日~夫人のトウジョウ




 魍魎撃退に成功し、クリスティナから魍魎痕が消えた。しばらくすると彼女は目覚め、イースファ侯が喜びを爆発させることになる。

 イースファ侯が喜びと感謝の宴を開いた。

 意識が回復したとはいえ、一週間眠りつづけたクリスティナはしばらく安静にしなければならないので、彼女は参加していない。

 だが、彼女と彼女つきの侍女メイド以外の屋敷で働いている者は全員参加の宴となった。

 クリスティナにも楽しい雰囲気を味わってもらいたいとイースファ侯が主張し、場所はクリスティナの部屋にほど近い庭の一面で行われることになった。

 クリスティナにすれば迷惑でしかなかったことだろう。

 ほぼ全員参加ということは、警備兵もそれに含まれていた。

 それでいいのか、イースファ侯――などとカルスは思ったが、空気を読んで口には出さなかった。

 まあ、実際全員の顔に喜びがあり、屋敷が明るい空気で満たされていたので、そこに水を浴びさせるようなことはできないし、する気になれない。やれるのは、おそらくカルスの師匠くらいだろう。

 宴は盛大に行われ、夜がけると、クリスティナに気を使い、場所を屋敷内に移して朝まで続行されたのだった。

 噂が走るのは速いというが、一夜にして、魍魎退治の話はダルロの町にひろがった。

 魔術士スレイの活躍も同時にひろがり、これによって魔術士協会の汚名はそそがれることになったのである。

 民の魔術士に対する悪感情も薄れることになった。



 翌朝、屋敷でいつもどおりだったのは、カルスとルハスだ。

 テリアもいたが、彼女は最初こそ酒を飲まないようにしていたが、一度酒が入ると酒杯を重ね、無謀な行為をしたカルスを責めはじめた。完全な絡み酒である。カルスはルハスを差し出すことで対処した。

 屋敷の使用人の中で普通だったのは、参加しなかった侍女メイドと老執事だった。

 酒臭い屋敷から逃れるために、カルスが外へ出ようとしたところに、老執事が声をかけてきた。


「おそらく主人からカルス様へ特別な褒賞があると存じますので、明日もう一度お越しいただけますか」


「明日の午前中でいいですか?」


「はい。よろしくお願いします」


 老執事が頭をさげる。


「それにしてもこれだけ騒ぐというのは、皆から慕われていたんですね」


「ええ、クリスティナお嬢さまは主人に似て誰であろうと分け隔てなく接するお方で、そのお人柄を皆慕っているのです。実は少々お転婆なところがあるのですが、それがまた皆の目には可愛らしく映るのです」


 この老執事もお嬢さまに惚れこんでいる一人らしい。

 平坦に話しているつもりだろうが、熱が漏れていた。


「それじゃ、明日また来ます」


「はい。ところで、テリア様を残しておいてよいのですか」


「いいんです。別に連れじゃありません。子供じゃないんだから、自己責任ですよ。彼女は立派な魔術士なんだからなおのことです」


「魔術士は厳しいのですね」


「いえ。魔術士なんて無駄に力を持った、単なる我が儘な人種です。自分で律しないとどうしようもないだけですよ。つまり、結果論です」


「少しカルス様は他の魔術士と違うように見受けられますね」


「どうでしょうね。でも、そう感じたのなら、魔術士の基準に俺をおくことはしないほうがいいでしょう。争いの元になるかもしれない。我が儘なだけじゃなく、無駄にプライドが高い魔術士もいますからね」


「争いが起こったら、カルス様にお願いすることにします」


「その時は協会を通さず直接お願いします」


「主人にはそう伝えておきましょう」


 カルスとルハスは老執事に見送られて屋敷を後にしたのだった。



 屋敷を出て、二人は閑静な高級住宅街を歩いていた。

 辺りは朝の静寂に満ちている。


「ルハス、どうかしたのか?」


「何がですか?」


「静かだと思ってな」


「なんだか頭が痛いんですよねえ」


 ルハスが顔をしかめて額を指でこねくりまわしている。その行為が悪かったのか、少年がさらに顔をしかめた。


「酒を飲んだのか?」


「いえ、一滴も飲んでません。あの匂いを吸っていたのが悪かったんでしょうか。どうも臭いなと思っていたんです」


「あっそ」


 原因はそんなところだろう。酒に体質が合わないのに違いない。

 いずれにしても、ルハスが静かなのはいいことだ。

 この後、町見物をかねて歩きまわり、カルスは午前中を快適に過ごしたのだった。

 午後にはルハスが平常運伝に戻り、非常にうるさい思いをすることになったり、一文無しであったために、結局テリアの世話になり、酒が入っていた時と同じ内容の説教をまたされ、彼女を置き去りにしたことを責められたり、といろいろあったのだが、無難に二日目を終えたのだった。

 カルスに不満があるとすれば、風呂に入られないことだった。彼女の家には風呂があったのだが、今日は使わないと言われたのだ。家主には逆らえず、カルスは諾々と従ったのだった。





 翌日の朝、カルスは心を弾ませながらイースファ侯の屋敷へと向かっていた。

 褒美をもらって、これで良い宿に泊まって風呂に入ることができる。

 ルハスも何やら楽しそうである。この少年はいつだって陽気にしているので、常と変らないと言えば変わらない。


「ルハス、何でおまえまでそんなに楽しげなんだ?」


「いやあ、だってあそこに行くと、物凄くおいしいお菓子をもらえるんですよ。あの飲み物のほうはどうでもいいんですけどね。匂いがするだけで、ちっともおいしくないし――師匠もいただいたほうがいいですよ、あのお菓子は! 何とか褒美であのお菓子を分けてもらえませんかね」


 飲み物は紅茶であったに違いない。

 カルスが飲めると期待したものだ。

 何もやってないルハスが紅茶にありつけ、苦労した――本当は苦労なんてしたとは思っていない――カルスが紅茶を飲めないのはおかしい。

 気にくわないからとここで隣で揺れている金髪を握りつぶすと、師匠と同種の人間になってしまう。

 カルスは自重した。


「でますかねえ」


「たぶん、出るだろ。同じものかは分からないけどな」


「あのお菓子がいいんですけどねえ。先にこっちから注文しますか」


「しねーよ」


 この後、二人は無事にイースファ侯の屋敷へとたどりつき、イースファ侯と席を一つにすることになった。

 ルハスも相伴していて、彼らの前には、カルスが予測したとおりに、紅茶と菓子類が置かれていた。

 だが、それはルハスが望んでいた物では決してなかった。


「さあ、お召しあがりになって。夫から正式な褒美があるでしょうけど、これは私からのささやかなお礼です。娘を助けていただいて本当にありがとうございました」


 イースファ侯の隣には夫人がいた。

 こうやって見ると、確かにクリスティナにも彼女の面影があった。母子であることが実感できる。

 夫人は線の細い華やかな雰囲気を持った女性で、整った容貌をしている。とても、一日中小屋にこもって祈願できるような人には見えない。

 見かけによらず体力も胆力をあるのだろう。

 まあ、それはいいのだ。

 問題は、カルスとルハスの前にあった。

 それはテーブルの上に並べられている。

 白い陶磁器の皿の上に置かれているので、食べ物であることには違いないだろう。皿まで含めた芸術品という可能性がかすかにある。カルスとしては、それにすがりたいところだが、夫人の発言でその可能性も霧散した。

 召しあがれ、ということは、食べろということだろう。

 ご丁寧にフォークとナイフもある。

 せめて紅茶があれば、と願うが、側にあるのはガラスグラスで中身は果実酒であるようだ。ルハスには果汁を薄めた飲み物が用意されていた。


「遠慮することはありません。召しあがれ」


 夫人が勧めてくる。

 カルスがちらりとイースファ侯へ視線を転じると、複雑な表情がそこにあった。謝りたくとも謝れないといったところか。

 男同士なのだからか、何となくイースファ侯の思いが伝わってきた。

 イースファ侯もいろいろと大変らしい。

 さて、目の前にある食べ物に似た何か、であるが、基本的に色は黒ずんでいる。まあ、茶色と呼んでも差しつかえないかもしれない。ところどころにある原色の鮮やかさはいったい何がもたらしたものだろうか。

 形を表現することは控えるべきだろう。

 それでもあえて言うのなら、料理が人間の身体を通過し、最終的な形となって再び世界へと還元していく姿とでも言うべきか。


「し、師匠、これはどうすればいいんでしょうか」


「どうした? いつものおまえならもっと積極的に行くだろう。今こそ、その力を発揮しろ」


「いや、それが夫人は何となく僕の母に似ているところがあって、本能的に逆らうことが許されないというか」


 マナー違反丸出しで、二人がこそこそと話していると、さらに夫人から圧力がかけられた。


「遠慮することはありません。いいですか、遠慮などしなくてよいのです。さあ、召しあがれ。まずは、師であるカルス殿から食していただきましょう」


「そうですね……」


「まさか、まさかですけど、私の自信作が食べられないなどとは言いませんよね」


「まさか、そんなことは言いませんよ」


 予想はしていたが、やはり夫人の手作りであった。

 宣言された以上食べずに逃げる手段は失われた。

 そして、どうやら本気で自信作だと考えているようだ。決して嫌がらせではないのだ。


「では、いただきます」


「召しあがれ」


 熱いまなざしが自分に注がれていることを、カルスは嫌でも自覚した。

 ナイフとフォークを手に取り、滑らかな動きで、常識をくつかえず色と形をした食べ物じみた何かにフォークをあてた。

 ぼろりとそれはくずれた。崩れた切断面からは、だらりと何かがしたたり落ちる。

 カルスは動作を停止しなかった。さすが魔術士である。高い精神力と肉体制御力とが発揮されている。

 カルスは器用にフォークで、食べ物であってほしいと願うそれをすくいあげた。

 口へと運び、数度咀嚼する。


「いかがですか?」


「大変おいしいですね」


 カルスは笑顔で答える。


「まあ、そのように素直な感想は久しぶりですわ。私の近くにいる人はどうも意地悪なようで、そういった感想を聞かせてくれませんの」


「そうですか。気安い間だからこそ、素直になれないのかもしれませんね」


「ええ、ええ、そうなのです。でも、素直が一番ですわ」


「そうですね。ルハス、おまえもいただきなさい。夫人の料理なんて二度と口にする機会はないぞ」


「は、はい。分かりました」


 ルハスはまったく変わらないカルスの態度を見て、目の前の物体に対する疑念を薄めたようだ。

 少年は、なかなか捉えることのできない奇妙な物体に苦戦する。

 美少年があたふたとするさまは観賞に耐えうるのだろう。夫人はマナーを咎めることなく、にこにこといている。

 ようやくルハスが、おそろしげな物体の一部を口に運んだ。

 口に入れた瞬間、ルハスの動きが停止した。

 手からフォークとナイフが落下する。床にあたったそれが小さな音を立てる。

 ルハスの様子が一変した。

 小刻みに震え、次いで口から泡を吹く。横へと倒れそうになるところを、カルスが素早く支えた。


「予想外の感動でしたね」


「まあ、それは感動の表れでしたの? 私の料理を食べると娘以外はそのような反応を示すのです」


「なるほど、そうですか。気にすることはありませんよ、これは感動です」


 カルスはルハスの体勢を戻して、断言する。

 ルハスは食べる前にカルスの顔ではなく、イースファ侯の表情を見るべきであった。

 イースファ侯はカルスが普通に食べる姿を見て、あんぐりと口を開けて、これ以上ない驚きを示していたのである。

 今ではイースファ侯は隠しもしない表情をさらしている。「感動」などと宣言して何と言うことをしてくれるのだ、という怒りと焦燥だ。

 カルスは華麗に受け流す。

 さて、自称弟子とイースファ侯への嫌がらせを終えたところで、カルスはすぐに本題へと入ることにした。

 あまり長居をするには、こちらの健康面が損なわれかねなかった。








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