0 師匠と弟子~仲良きことはイイコト
カルスは十九歳の若者だった。
黒髪黒目で、いや目は黒いのだが、髪は光の加減によって見える色が異なることがある。蒼黒色とでも言うべきか、身長は成人男性の平均よりやや高め、顔立ちは良い部類だろう。身なりを整えればそれなりに見られる外見である。なかなか品があり、黙って立っていれば、貴公子然とした印象があった。
彼の隣には、彼よりも身長が高く顔立ちもとびきりよい男が歩いていた。
銀蒼髪の長い髪に蒼海色の瞳をした美男子である。
ヴィル・ティシウス――カルスの師匠にあたる人物だった。
見た目はどう見ても二十代にしか見えない。
カルスの聞いた話では、二十年前も変わらぬ姿であったらしいので、力のある魔術士とはいえ、外見だけでもやや化け物じみていると言えた。
まあ、単に若く見せているだけ、と言うこともできるが、そんなことを迂闊に口にすると、拳か魔術が飛んでくること必定だ。
弟子入りしておよそ三年となるカルスは実体験で良く知っていた。
二人の関係で確かなことは、魔術の師と弟子ということだけである。
「師匠一つ訊いておきたいことがあるんですけど」
カルスはできる限り感情を抑えた声をだした。感情的になると、喧嘩になることが知れているからだ。
「何です?」
「わざとですか?」
「何がです?」
「依頼を成功させないのは、わざとですか、と訊いているんです」
二人は仕事を終えての帰り道だった。
仕事内容は魔術士にふさわしく、魍魎に魅入られたとある貴族の娘を救ってくれ、というものだった。
通常の魔術士ならば、結界を張り、魍魎痕の進行を止め、三日程度見守る。三日間の内に完璧な魍魎撃退の準備をして、魍魎を呼び出し撃退するのである。
魍魎の力さえ見誤らなければ、勝つ可能性は高いし、難度はそこまで高いものにはならない。
魍魎の強さは、魍魎痕と呼ばれる魍魎の残した刻印を確認することで、ある程度量ることができた。
さて、今回の魍魎であるが、たいして強い相手ではなかった。ヴィル・ティシウスの力量を考えれば、少々鬱陶しい羽虫程度のものだ。本気になるとかならないとか、以前の相手である。
つまり、普通にこなせば依頼は完遂できたはずだ。
「すでに魍魎痕をつけられて、長い期間が過ぎていました。早期の決着が求められたのです。魔術士見習いの君にはわからないでしょうが」
師匠のくせにティシウスは、弟子のカルスに敬語を使う。というか、誰に対してもそうだ。
もちろん敬っているわけではない。それは憎たらしい口調や内容によく表れている。
この言葉づかいを本人が気に入っているというだけの話だ。
「本当にそうですか?」
「どういう意味です?」
「守護する対象が女性ではなく、男だったからではないですか?」
「あれは――契約違反ですね。事前の話とは違った。だからといって、私は依頼に手を抜くことはしませんよ」
そう、事前の情報では、守護する対象は女性だった。
だが、実際に訪ねてみると、男だったのである。それも柔かいベッドにめりこむほどの体重を誇るでっぷりと太った若い男だった。
聞いていた話とはまったく逆の人物だったのである。
普通の魔術士ならば、少々文句を言うことはあっても――人によっては依頼金の上乗せを迫る魔術士もいるかもしれないが――きちんと仕事をこなすだろう。
だが、カルスの師匠は違う。
いろいろな意味で普通の魔術士ではない。いや、魔術士以前に人間としておかしいのだ。
男女の区別をつけない人種と言われる魔術士にあって、ティシウスは明確に男女に差をつける。
女性を非常に厚遇し、男には見向きもしないのだ。時として、というかたいてい男をゴミのように扱う。
今回の依頼の変更は、ティシウスにとってとても大きな契約変更であったはずだ。
疑うな、というほうが無理だった。
「ええ、そこはいいとしましょう。じゃあ、なぜ、屋敷を吹っ飛ばす必要があったんですか? 半壊してましたよね」
「それほどの相手だったということです」
「師匠が力をださないと倒せない相手ですか?」
「ええ、なかなかの強敵でした」
カルスの師は他の魔術士とは一線を画する存在だった。もっとも重要でもっとも有名な点は、ヴィル・ティシウスが大魔術士であることだ。
『五大魔術士』という特別な称号を得ている一人である。五人の偉大な魔術士の中でも頂点に立つものとして一般に知られている。
その力は、始まりの魔術士にして、唯一の魔導士と言われる『名もなき者』にも匹敵するとまで言われていた。
評価が正しければ、おそらく大陸最強、あるいは、歴史上最強の魔術士であるということになる。
言い過ぎだ。だが、この上なく強力な魔術士であるのは間違いない。
その最強の魔術士が苦戦する相手などそこらにいるはずがなかった。
仮に、敵がそれほどの強さであったのなら、すでに屋敷どころか町一つ消えていてもおかしくない被害が出ていたはずだ。
つまり、ティシウスの言葉は――。
「嘘ですね」
「何か言いましたか?」
「嘘ですね」
「まさか、師の言葉を弟子が疑っているというわけではないですよね。もう一度訊きます。何か言いましたか?」
「嘘をつけ」
「―――」
「師匠が苦戦する相手がいるはずがないでしょう」
「なるほど、師匠の強さを信じているからこそ、そのような蒙昧な言葉を吐いたのですね。ちなみに、苦戦はしていませんよ。相手が強いと言っただけで」
「騙されたことと、対象が男だったから腹いせに破壊したんでしょう? じゃないと、あのでっぷりぼっちゃんを見てすぐに、魍魎を呼びだして、なおおかつ、魔術で破壊しまくった意味が分からない。普通は、説明をしたり、対象をもっと安全なところに隔離したりといろいろ準備があるでしょう」
「すでに隔離はされていました」
「あの屋敷の人たちが危険でしょう」
「ケガ人は出ていないはずです」
「くっ」
そう大魔術士などと言われるだけあって、魔力は膨大で魔術の精密さは別格である。無駄に魔力を使い、無駄に危険を呼びこみ、その上で無駄に守るという面倒くさいことを、この男は圧倒的な実力によって成立させることができるのだ。
「分かりましたか。しかし、師匠を侮辱したことはしっかりとしつけないといけませんね」
「分かってるんですか?」
「あなたの質問は終わりです。これからは、説教と言うやつの始まりです」
「うちの懐事情を分かっているんですか! 来月食べていけませんよ! また、変わり映えのしない山菜生活ですよ。せめて、師匠が料理できたら、こんな苦労しなくてもいいのに」
二人は山で生活している。
川には魚がおり、山には獣がいた。
料理ができれば、かなり食事情は改善されるはずだ。
今の生活で唯一評価できる点と言えば、風呂がある、それだけだった。
「それはカルスも同じでしょう。人に責任をおしつけてはいけません。そもそも、それは弟子の仕事です」
ティシウスの言うとおり、カルスは料理ができなかった。三年前まで住んでいた実家での暮らしを考えると仕方のないことではある。
「だいだい、師匠が依頼の選り好みをするから悪いんです。依頼者が男だろうが、守護する相手が男だろうが、関係ないでしょう」
「関係ありますね。私の依頼にかける思いが異なります」
「それは我が儘です」
「誰に口をきいているんです」
「しかも、今回みたいなことをやっているから、悪評とどまることを知らずですよ。最近じゃ、人生の最後の賭けとか言われてみたいです。なんで、世界最強の魔術士が宝くじみたいな扱いを受けているんですか! しかも期待するだけ無駄、とか」
本音では、依頼の内容を選ぶこと自体をカルスはあまり責めていなかった。
彼の師匠は悪いところばかりしかないが、良い点もいちおうあるのだ。
それは、権力とか名誉などにまったく動じないことだ。
権力者の妄言など、鼻で笑って一蹴するし、爵位などで釣られることもない。
つまり、依頼者の身分などまったく気にしなかった。
性格というか、気質の面でも良いところもないわけではない。
子供嫌いだが、子供を傷つける人物がさらに大嫌いで、自分が関係なかろうとそういう人間を見ると容赦ない鉄槌をくだす。
これは数少ない美点だろう。美点は本当に数が少ないが……。
カルスの侮辱に、一瞬ティシウスの顔が渋いものになったが、すぐに師匠は笑みを浮かべた。
「忘れたのですか? 一週間前にも依頼を解決したでしょう」
「あれを解決と言いますか」
カルスは拳を握り、ぷるぷると腕を振るわした。
思い出し怒りがこみあげてきていた。
「しっかり依頼料を受け取ったでしょう」
ぬけぬけと言う。
あの仕事はカルスが後一歩のところまで魍魎を追いこんだのに、この師匠が余計なことをするというか、余計な存在感を出したから。
「何を不満そうな顔をしているのです。魍魎痕は消えたでしょう」
「協会への報告とは違いますよね」
「あんな紙切れはどうでもいいのです」
「ほら、それが本音でしょう。基本的に、自分が良ければそれでいい」
師弟の間の空気が急速に悪化した。
「おやおや、女を身近な人物に取られて傷心のカルスを拾ってやったのが誰であったのかを、その知能の低い頭は忘れてしまったと見える」
「……言っちゃいましたね。それだけは、言ってはならないってやつを」カルスはうつむいた。「――このじじいが!」
「――今何か言いましたか?」
「おじいさんにおじいさんと言っただけで、何も間違ったことはしていません」
カルスはそっぽを向いて言い放った。
「やはり、君は師匠に対する口のきき方というやつを分かっていないようだ。反省する必要があるようですね」
物凄い風圧を放ちながら振りおろされたティシウスの拳を、カルスは身をのけぞらせて避けた。
間一髪である。
なぜ、日常でこんな危険を感じなければならないのか。
「何をするんですか!」
「近頃、動きが良くなって不愉快ですね」
「あなたのせいでしょう」
「分かりました」
ティシウスが大きく頷く。
カルスは嫌な予感しかしなかった。
「君は師匠の偉大さを学ぶべきだ」
ティシウスの言葉に、カルスは身がまえた。
何をするつもりかは分からないが、よからぬすることだけは分かる。
とにかく何があろうと、というか、おそらく攻撃をしてくるので、カルスはすべての攻撃を避けるつもりでいた。
不意に、カルスの全身を光が包む。
「ちょっ、弟子に無詠唱魔術を放つなんて、いったい何を考えているんですか! ――しかも、複数魔術を並列行使するなんて高等なことをしてますね」
「特に痛みはないでしょう」
「痛みがなくても動けません」
結界魔術の一つ拘束結界を使用している。
他に何が準備されているのか、カルスには分からなかった。師が魔術の式が見えないよう眩ませているのだ。そこにも魔術が使用されている。膨大な魔力を持つ者のみが可能な行為だ。
それを弟子への嫌がらせのためだけにやっている。
「私はこれから王都ソール・ラントに行きます。そこにしばらくいます。そうですね、半年ほどいることにしましょう。あなたは私を訪ねてきなさい。弟子になって三年、そろそろ試験をしてもいい頃でしょう」
「三年はあっていますけど、ろくに魔術は教えてもらってませんけど! なのに試験っておかしいでしょう!」
「よく動く口です。封じてしまいましょう」
ティシウスは指をぱちんと鳴らした。
同時に魔術が発動し、カルスは喋れなくなった。
ちなみに、指を鳴らす行為に魔術的な意味はない。
無詠唱魔術の発動にタイミングをあわせて、音を鳴らしただけである。無駄な行為は格好つけるためだけのものだった。
「では、半年以内に来るように」
ティシウスはまたもや指をぱちんと鳴らした。
カルスはこの時、ティシウスが転移魔術を行使し、一人で先に王都に行くのだろうと考えた。
自分に対して、複数の魔術が行使されているという事実を軽く扱ってしまった。その点をきちんと考慮していれば、抵抗はできずとも次に起こることの心がまえくらいはできただろう。
身体の自由を奪う魔術と、もう一つの魔術。
カルスの視界からティシウスが消えた。
そして瞬きする間もないごく短い時間で、視界に移る光景がすべて切り替わった。
何もない。
青空があるだけだった。
突如、重力がカルスに襲いかかる。
カルスは落下していた。
彼は、空中に突然放りだされたのだった。下方に見えるのは、一面の森。
「あのやろう。王都に行ったら、本気で殴ってやるからなああああああああ」
雄叫びを残して、カルスは森の中へと落下していったのだった。