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第八話

「すみません、貴女の近くで音を出してもいいですか??ギターの練習をしに広場へ来たにはいいけど、場所がなくて……」

 銀杏の木にもたれ掛かるミランダと目が合うと、青年は柔らかい笑みを浮かべてこう尋ねてきたので、ミランダは「えぇ、どうぞお構いなく」と答えた。

「ありがとう」

 青年はキャスケットを取り外し、軽く頭を下げて礼を述べる。アッシュブラウンの髪に光が当たり、一瞬ブロンドと見間違えそうなくらい輝いている。

 木を間に挟む形で青年はミランダの真後ろに腰を下ろし、ケースからギターを取り出す。

 どうせ、サンドイッチを食べ、すっかり冷たくなった紅茶を飲み干したら、すぐにこの木の下から立ち去るつもりだし、などと思いながら、ミランダは二つ目のサンドイッチに手を伸ばす。背後では、青年がギターのチューニングを合わせ終わり、弦を爪弾き始めていた。


 軽快なリズムの、聴いていると心がワクワクと浮き足立ってくるようなメジャー調の楽しげな曲。

 頭上からクルクルと舞い落ちてくる銀杏の葉の動きは、まるでこの曲に合わせて踊っているようにも見えてくる。


 出来ることなら、ずっとこの曲を弾き続けていて欲しい。


 いつの間にか、ミランダ自身もサンドイッチを食べる手を止め、身体を横に揺らしながら青年の奏でる曲に聴き入っていたが、アウトロでない箇所、素人のミランダですらここで曲が終わるのはおかしい、と分かるような箇所で青年は演奏の手を止めてしまったのだった。

「あ……、やっ、……途中で止めないで!」

「えっ!?」

 気付くと、ミランダは立ち上がって後ろを振り返り、青年に向かって叫んでいた。が、すぐにハッと我に返る。

 青年はギターを抱えて座ったまま、呆然とミランダを見上げている。明らかに困惑した表情で。

 よく考えれば、さっき出会ったばかりの見ず知らずの人間に、訳もなく(あると言えば、あるが)いきなり怒られたら誰だってどう反応して良いか、分からなくなるだろう。 

「あ、その……。……せっかくだから、さっきの曲を最後まで聴いていたかったんです……」

 今度はミランダの方が、しどろもどろになりながら弁解を述べる羽目になった。気まずい沈黙が二人の間を流れる。

 しかし、青年の方がぎこちないながらもミランダに微笑みかけ、「曲を聴いていてくれて、ありがとう」と、礼を述べた。

「……えっ、あ……、どうも」

 まさか礼を言われるとは思っていなかったミランダが、おずおずとした様子で答えた時だった。


 ぐーきゅるるるるーー


 空腹を知らせる音が、青年の腹から盛大に響いてきたのだ。


「あ……」

 反射的に腹を手で押さえ、恥ずかしそうに苦笑を漏らす青年を見てミランダは

つい、「……ふっ……」と噴き出した後、クスクスと声を立てて笑ってしまう。

 ミランダに笑われた青年は、更に身を縮ませて気まずそうにしながら、彼女につられて笑ってみせる。

「お兄さん、残りで悪いけれど、このサンドイッチ食べます??」

 笑いを噛み殺しつつ、ミランダは手にしていたサンドイッチを青年に差し出す。

「えっ、いいのかい??」

「えぇ」

 青年は遠慮がちにサンドイッチに手を伸ばしてミランダから受け取ると「じゃあ、お言葉に甘えて……、いただきます!!」と、勢い良くかぶりつく。

 線が細くて爽やかな体なのに、食べっぷりは意外と豪快なのね、と、思っている間にも、青年は瞬く間にサンドイッチを平らげてしまったのだった。

「曲を聴いてくれただけでなく、パンまでご馳走になってしまって……。本当にありがとう」

 まただ。彼の余りにも屈託のない、真っ直ぐな笑顔と視線にミランダは戸惑った。

 男性に、こんな風に真っすぐな優しい目を向けられたことなど今までなかったため、何となく居心地が悪く、目線を少し泳がせる。

「僕は三ヶ月前にこの街に来て、この広場でほぼ毎日歌ってるんだ。だから、ここでよく見掛ける人なんかはすっかり覚えてしまったけど、君は初めて見る顔だね」

「そうなの??私は生まれた時からこの街にいるし、ここにもよく来ているわ。ただ、最近は中々来れなくて、かなり久しぶりに来たんだけど……」

「そうだったんだ。じゃあ、僕の方が新入りだね」

 新入り、という言い回しが何だかちょっと変、と思い、ミランダはまたもやクスリとかすかに笑う。

「……ねぇ、さっきの曲は貴方が作ったの??」

「うん、そうだよ」

「すごく、良い曲だと思うわ。何ていうか、聴いていると自然と楽しくなってきて、嫌なことや辛いことをすっかり忘れてしまうの。まるで魔法に掛かったみたいに」

 ミランダが素直に曲を褒め称えると、青年は今までとは比べ物にならない程の、弾けるような、とびきり明るい顔で笑ってみせた。


 その時、ミランダは胸の奥が激しく高鳴ったかと思うと、、今まで感じたことのない、甘酸っぱいような、キュッとくすぐったくなるような、不思議な感覚を確かに覚えた。

 

 そんな彼女の想いを知ってか知らずか、青年は尚もニコニコと微笑みながら、「そうだ!パンのお礼も兼ねて、もう一度さっきの曲を最後まで弾こうと思うから、良ければ聴いてくれない??」と、ミランダに誘いかける。

「えぇ、勿論!むしろ、もう一回あの曲が聴けるなんて嬉しいわ」

 青年の笑顔につられて、ミランダも嘘偽りのない、心からの笑顔で言葉を返す。

 曲を聴きたいのもあるが、彼自身がどんな人間か、もっと知りたい。

 こんな風に他人に興味を持つことなど、今までのミランダなら有り得なかった。

「ねぇ、貴方の名前を教えてもらってもいい??」

「僕はリカルド。君は?」

「私はミランダよ」

「ミランダかぁ……。綺麗な君にピッタリだね」

 リカルドに綺麗だと言われた瞬間、ミランダはカッと頬が熱くなった。

 そんな言葉、客から散々言われていて聞き飽きているし、正直、自分自身でも容姿の良さを自覚しきっているので、褒められたところで一応礼は述べるものの、特に喜んだり照れたりなんてことは一切なかった。

 それなのに、リカルドにかかると、まるで自分が何も知らない初な生娘のような反応をしてしまう。いくらなんでも、つい先程初めて会ったばかりで、歌が気に入っただけの人間に向ける反応ではない。

「ミランダ、どうしたの??」

 リカルドはミランダに優しく笑いかけてくる。

 

 ーー……そうだ、この瞳だ……ーー


 リカルドがミランダに向ける、一点の曇りもない、澄み切った綺麗な深いグリーンの瞳。

 彼はミランダを綺麗だと言ったが、彼の瞳の方が自分なんか比べものにならないくらい綺麗だ。


 彼の瞳に真っすぐ見つめられ、優しく微笑まれたからーー。


 

 さっきの曲を再び演奏する彼をじっと見つめながら、ミランダはリカルドに恋をしたのかもしれないと、何となしに自覚したのだった。

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