第六話
ダドリーに対する疑惑と畏怖の念は強まる一方だったが、それでも、いずれは彼に身請けされて愛人の座くらいには納まりたいものだ、という野望を、ミランダはまだ捨ててはいなかった。
恐ろしい男ではあるが、この一見華やかに見える厳しい苦界の中から抜け出すには、絶対に彼を手放す訳にはいかない。
そんなことを思いながら、店に現れたダドリーを出迎えたミランダは、彼のすぐ後ろで五人の男達が付き従っているのを目に留める。
男達はいずれもダドリーと変わらない年頃ーー、二十代であろう。揃いも揃って、流行最先端の型のスーツを着こなしていた。
「ミランダ。今夜はこの者達と共に酒場に出掛ける。お前も付いて来るんだ」
ミランダが返事を返すよりも早く、ダドリーは強引に彼女の腕を取り、そのまま歓楽街の喧騒の中へと突き進んでいく。五人の男達も引き連れて。
「ねぇ、ダドリー。あの人達は一体何なのよ??」
ミランダはダドリーと腕を組んで歩きつつ、時折、男達を気にしてチラチラと背後に視線を送る。
「心配しなくとも、彼らがお前に話し掛けて来ることはない。それよりも、前を向いてしっかり歩け。歩調が遅くなる」
「そういう問題じゃ……」
「いいから黙ってさっさと歩け」
ダドリーは厳しい口調で押さえつけるように、ミランダを咎める。
ミランダも、彼の機嫌を損ねてはいけないと口を噤み、目的地である白い石造りの小さな大衆酒場い辿り着くまで、二人はひたすら無言で歩き続けたのだった。
酒場の中へ入ると、ダドリーとミランダは隅の方に置かれた二人掛けのテーブル席に腰掛け、五人の男達もそれぞれカウンター席やテーブル席に着き、酒を飲み始める。
だが、そのうち男達は派手に酔っ払って大声を出したり、賭け事に興じだしたり、思い思いに騒ぎ散らし始めたのだった。その様子を、ダドリーは黙って静かに酒を嗜みながら、悠然と眺めている。
質の良い洒落た服装に反し、下卑た大きな笑い声を店中に響かせ、店の酒が不味いやら文句を垂れ始め、終いには酔って店の女給に絡んで困らせたりしている男達に対し、次第にミランダは激しい嫌悪感を募らせていく。
おそらく、一人一人になればただの小市民に成り下がるくせに、ダドリーの取り巻きと言うだけで周りに横柄な態度を取る彼らの浅ましさが目に余るのだ。
「顔色が悪いな。酒に酔いでもしたか??」
「別に酔ってなんかいないわ」
貴方の取り巻き達の態度が横着過ぎて、胸糞が悪いのよ。
喉元まで出掛った言葉を飲み込むと、「ちょっとお水をもらってくる」とダドリーに告げ、ミランダはカウンターに向かう。
カウンターの隅では、その酒場で働く若い女がダドリーに気付かれないよう、苦々しげに取り巻き達を睨んでいた。直後、女と目が合う。女は一瞬バツの悪そうな顔をしつつ、ミランダに話し掛けてきた。
「あんた、あの道楽息子の新しい女でしょ」
女……、それは恋人という意味か情婦という意味か、判りかねないミランダは曖昧に微笑んでみせる。
「あいつには気をつけた方がいいよ。女に夢中なうちは病的なくらい情をかけるけど、飽きたら最後、あの取り巻き達に女を好きにしていい、とあてがうんだ」
さも親切に忠告をしている、という口振りとは裏腹に、女はどことなく喜々とした表情でミランダに語った。
「……まぁ、そういう人だと私も思うわよ」
意外に冷静なミランダの反応が面白くなかったのか、女は一瞬意地悪そうに唇を捻じ曲げたものの、更に言葉を続ける。
「女に惚れ込んでいる内は、女を傷つける人間や物事を徹底的に排除する。やりすぎなくらいにね。でも、もしも、女が自分に逆らったり裏切るような真似をしたらーー、例えばそれが誤解だったとしても、誤解させるような態度を取るのが悪いってことで、殺されるか、それに近い目に遭わされるかかどちらかになる。つまり、惚れられていても気をつけないと……、地獄を見ることになるわよ」
「…………」
女の発言と共にミニーやベルタのことが頭を過ぎったため、ミランダはつい言葉を失う。ようやく動揺する表情を見せたミランダに満足したのか、女は勝ち誇った目をして厨房の奥へと消えて行った。
ミランダは本来の目的であった筈の、水をもらうということも忘れて、再び席へと腰を下ろす。
「どうした」
いつもの闊達さを失っているミランダを不審に思ったのか、ダドリーが声を掛ける。
「何でもないわ」
「嘘を付くな。さっきより更に顔色が悪い」
「そうかしら??あぁ、ちょっと酔っ払ったのかもね」
まさか、貴方の話を聞いて怖くなったから、などとは口が裂けても言える筈がない。だから、何とか誤魔化そうとミランダはいつもの作り笑顔を浮かべようとした。
「……さっきまでカウンターにいた女か。お前に話し掛けていたな」
「ちが……」
違う、と言い掛けたミランダを無視し、ダドリーはスッと席から立ち上がると、取り巻きの中でもリーダー格の男の元へ行き、何やら耳打ちをし始めた。ダドリーが話し終えると、男は返事の変わりにニヤリといやらしく笑う。
そのただならぬ雰囲気にミランダが嫌な予感を感じたと同時に、ダドリーに耳打ちされていた男が、手にしていたグラスをいきなりカウンターに目掛けて投げつけたのだった。
そして、それが合図だったと言わんばかりに、残りの四人もテーブルや椅子をひっくり返したり、グラスや酒瓶をカウンター席や窓に向かって投げつけたりと、店内で大暴れし始めたのだ。
他の客から悲鳴が上がり、店主が顔を真っ青にさせて男達の凶行を必死で止めようとするが、多勢に無勢では成す術がない。
割れたグラスや酒瓶、皿の破片、こぼれた酒が飛び散り、茶色い木の床を無残に傷つけ、汚していく。
「ちょっとダドリー!!貴方、一体何を命じたのよ!!!」
さすがのミランダも、ダドリーに食って掛かり激しく問い質す
「客の気分を故意に悪くさせるような女給がいるような店は、ろくな店じゃない。ならば、潰してしまってもかまわないから、暴れたいだけ暴れろ、と言っただけだが??何より、お前の気分を悪くさせたのが許せない」
「……は?何それ??……って、こんなことしたら、警察に訴えられるわよ!」」
「あぁ、それは大丈夫だ。金さえ積めば、警察は上手いこと立ち回ってくれる。警察だけじゃない、この街の人間は誰も私に逆らうことなどできない」
一体、この男は何を言っているのだ。
「……男爵家の子息だから?地位と財力使って揉み消すの?」
「あぁ、そうだ。それが何か問題でもあるのか??」
そんなこと当たり前だろう、と言わんばかりのダドリーは、自分とはまるで掛け離れた、遠い、遠い別世界に住む人間だと、ミランダは嫌と言う程思い知らされた。
そして、彼に身請けされたい、という野望が、ゆらゆらと激しく揺らぎだしたのだった。