第四十二話
十二月の某日・朝ーー
ダドリーは屋敷内の自室にて目覚めの紅茶を飲みながら、執事がアイロン掛けを行った新聞に目を通している。
彼は国内だけでなく、諸外国からも新聞を幾つか取り寄せていて、その総数は十種類以上にも及ぶ。アイロン掛けをする執事は朝早くから、さぞや骨の折れることだろう。
しかし、執事の苦労など知ってか知らずか、ダドリーは非常に速読な質のため、一時間と経たずに全ての新聞を読了てしまう。勿論流し読みなどではなく、しっかりと記事の中身を理解し、頭に叩き込んでいる。
最後に残っていた新聞を読み終えると、ダドリーは新聞を丁寧に畳み、ベッド脇のテーブルに投げるようにして置いた。それが合図だったと言わんばかりに、彼の傍らに控え続けていた執事が寝間着から礼服への着替えを手伝い始める。別に着替えくらい一人でも充分行えるのだが、執事に着替えを手伝わせることが上流階級の慣わしのようなものだからだ。
着替えを終えたダドリーは部屋を退出し、家族と共に朝食を摂るため、執事を伴い食堂へ出向いていったのだったーー。
深みのある色合いをした、赤い壁紙が貼られた四方の壁、同じ色に塗られた天井の中央には豪奢な巨大シャンデリアが吊り下げられている。そのシャンデリアの灯りはやや明度が暗く、程良く落ち着いた雰囲気の光を放ち、部屋全体を優しく照らしつけている。それによって、通常ならば諄く見えがちな赤い壁は却って暖かな印象をもたらし、この国の厳しい冬の寒さを気分的に和らげてくれる。勿論、食堂の最奥に設置され、冬の間は常に火を絶やすことのない大きな暖炉のお蔭で、三十帖に及ぶ広さにも関わらず、部屋の中は充分に暖かったが。
その暖炉の手前ーー、真っ白なテーブルクロスが敷かれた長テーブルの最奥左側ーー、上座の席が家長であるダドリーの席に当たる。その向かい側には妻のデメトリア、自分の隣には十八歳の長男アルフォンス、それ以降は他の子供達が年の順に着席し、静かに朝食を口に運んでいる。
やがて朝食を終えると、それぞれが自室に戻っていく中、彼らに倣うようにダドリーも席を立とうとした時、六歳の末娘エミリアが彼の膝元にすり寄って来たのだった。
この末娘は、四十過ぎてから儲けたということや、子供達の中で唯一ダドリーの外見的特徴ーー、銀髪とコバルトブルーの瞳に美しい顔立ちを完璧なまでに引き継いでいるからか、ダドリーから随分と可愛がられていた。
「おとうさま、今日もおしごとなの??」
エミリアはダドリーに甘えるように、彼の膝の上に両手をつき、全身をもたれかけさせてくる。
「あぁ、そうだ」
「今日はお休みなのにぃ??」
「確かに今日は安息日だが、毎年この日には大事な仕事があるからな」
するとエミリアは、ダドリーの膝から小さな身体を離し、代わりに彼の上着の裾を掴んでは強請るように強く引っ張った。
「どんなおしごとなの??エミリアもつれていって??」
「今は駄目だ。もっと大きくなってから連れて行ってやる」
「えぇー?!」
エミリアは上着の裾を更に強く引っ張り、頬をプクッと膨らませる。明らかに不満げな様子だ。
「そんなの駄目に決まっているよ!僕だって連れて行って貰えないのに、僕よりチビのお前なんかもっと無理に決まってるだろ!!」
声が聴こえた方向に目を向けると、サンディブロンドの髪にハシバミ色の瞳をした妻とよく似た男の子ーー、八歳の四男ドミニクが不機嫌そうな顔をして、少し離れた場所からエミリアを咎める。
「何よぉ、ドミニク兄さまのいじわるぅっっ!!」
エミリアはダドリーの上着から手を放すと、憤然と兄の元へと駆け出していく。直後、幼い兄妹同士で喧嘩が始まってしまった。
「ドミニク、エミリア。朝から騒々しいぞ。くだらないことでいちいち喧嘩をするな」
淡々とした冷たい口調の中にも、言い知れぬ威圧感が含まれるダドリーからの叱責。子供ながらにそれを感じ取った二人はすぐに喧嘩を止め、代わりにしょぼんと頭を項垂れてみせる。
「ドミニク、エミリア。お父様のお邪魔をしてはいけないでしょ??お父様、申し訳ありませんでした。さっ、二人共、私がお部屋で遊んであげるから一緒についておいでなさい」
自室に戻る途中、幼い弟妹が大きな声で言い合うのが聴こえたのか、サンディブロンドの長い髪とハシバミ色の瞳、ダドリーとよく似た美しい顔立ちをした十三歳の長女ヴィクトリアが、慌てた様子で食堂へと駈け込んで来た。そして、しきりにダドリーに謝りながら、ドミニクとエミリアを食堂から連れ出して行った。
子供達による賑わしさからようやく解放されたダドリーは、席から立ち上がると傍らに控えていた執事を呼びつけ、上着についてしまった皺を伸ばすよう命じる。 執事は無言でダドリーの上着を脱がすのを手伝った後、早急にハウスメイドの元まで持って行く。
「お父様、まだ食堂にいらしてたのですか」
執事と入れ替わるようにして食堂に入って来たのは、先程自室に戻っていったはずの長男アルフォンスだった。
「あぁ、エミリアとドミニクに掴まっていた」
「またですか……」
アルフォンスはさも呆れていると言いたげに、冷たくも美しい顔立ちを僅かに歪める。彼は髪の色こそ母親譲りのサンディブロンドだが、瞳の色と顔立ちは父親と全く同じであった。
「お前はもう支度が済んだのか??」
「えぇ、何しろ、お父様と共に初めて公務に出席できるのですから、少し気合いが入っているのです」
執事に渡した礼服の上着が戻ってくるまで、フロックコートも羽織ることすらできないダドリーに対し、アルフォンスは礼服とフロックコートのみならず、防寒用のオーバーコートまでしっかり纏っている。
「公務と言っても大したものではないがな。ただ、お前にもそろそろ次期当主としての役目を少しずつ果たしていって欲しいだけだ」
大したものではない、などと素っ気なく言い捨ててはいるが、三年前から毎年この日に行っている行事は、ダドリーにとって、いや、この街にとって、決して忘れてはならない、後世にまで引き継ぐべきものであった。
「それにしても、あの事件から早四年が過ぎようとしているのですね」
「そうだな」
「僕は、あの時、お父様が咄嗟に取った行動には深い畏敬の念を抱いていますから」
「…………」
先程とは打って変わり、アルフォンスはコバルトブルーの瞳に強い尊敬の念を込めた眼差しをダドリーに送り付ける。
だが、あえて口にだすことはないものの、四年前に起きた忌まわしい事件について、ダドリーの中には非常に苦い思いとしてしか残されていなかった。
例え、自分の的確な判断で犠牲者数が予想を遥かに下回る数だったとしても、多数の犠牲者が出てしまったことには変わりないからだ。
「お父様??」
知らず知らずの内に、いつも鉄面皮が張り付いているダドリーの眉間に深い皺が寄せられていたようだ。そのことを不審に思ったアルフォンスが、父に問い掛けようとしたのと同時に、ダドリーの上着を持って来た執事が部屋に再び姿を現した。
そのため、この話題は自然と流れ、立ち消えていったのだった。
本文中には出てきませんでしたが、ダドリーにはあと二人の息子(次男と三男)がいまして、妻との間に四男二女を儲けています。
トラップ一家か(´・ω・`)(あそこは七人だけど。そう言えば、トラップ氏も男爵だったような……)