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第三十一話

 ミランダとリカルドが奇跡的な再会を果たした後、リカルドが暮らすウィーザーという港町で共に暮らし始めてから、もうすぐ一年が経過しようとしていたーー。



(1)

  オーブンの中からやけに焦げ臭い匂いが漂ってきて、瞬く間に台所中に充満し始める。

 嫌な予感を感じながら、ミランダが恐る恐るオーブンの扉を開いた次の瞬間、「……ああぁぁぁぁぁ……、やっぱり……」と情けない声を発して、肩をガクリと落とす。

 オーブンの中には、シェパーズパイ、いやシェパーズパイだったものが鎮座している。だったもの、というのは、表面を覆うマッシュポテトが石炭と見紛う程真っ黒に焦げ付いていて、見るも無残な姿に変わり果てていたからだった。

「……また、失敗してしまったわ……」

 ハァァーー、と深い溜め息をつき、とりあえず中からパイもどきを出さなければと思っていると、「……ミラ、何か凄く焦げ臭いんだけど……」と、台所の隣の作業部屋からリカルドが姿を現した。

「……ごめんなさい、また焦がしちゃったわ……」

 ミランダは、自身の料理下手さ加減に落ち込みつつ、リカルドに謝る。

「まぁ、表面を削りさえすれば、食べられないことはないんじゃないかな」

 リカルドは苦笑しつつ、落ち込むミランダの頭をポンポン撫でて慰める。

「まぁまぁ、そんなに落ち込まないの。今回は失敗したかもしれないけど、前に比べれば随分料理上手くなってきてるんだからさ、ね??」

「……うん……」

「もしや、竈から出火でもしたかと思ったけど、そうじゃなかったからちょっとホッとしたよ」

 どうやら、リカルドは火事を心配して台所へ顔を覗かせたようで、そうでないことが分かって安心したのか、すぐに部屋に戻っていった。


 リカルドと結婚するまでミランダは家事をまともに経験したことがなかったため、結婚当初は慣れない家事に毎日悪戦苦闘を繰り返していた。

 加えて、三十年近くずっと過ごしてきた街から見知らぬ街ウィーザーでの暮らしも中々慣れず、その上、アルコール依存症を抱えていたことで心労が溜まり、時折発狂しそうになる程、日々の全てが嫌になってしまうことが度々あった。

 リカルドはそんなミランダを支えるべく、それまでずっと続けていた酒場の仕事を辞め(朝の郵便局の仕事は、結婚した時点で辞めている)、自宅で作業する時計職人の仕事一本に絞り、彼女の傍にずっと付き添っていてくれるし、家事が思うように出来なくても決して責めたりすることは一切せずに、逆に手助けてしてくれるくらいだった。 

 更に、アルコール依存症を克服するためにリカルドはある提案をミランダに持ち掛けたのだ。


 それは、『酒を買ったつもりで、ミランダがよく飲んでいたドライジン一本分の小銭を毎日溜めていく』というもので、その日アルコールを口にしなかったら、寝る前にカレンダーの日付に丸印をつけ、小銭を専用の入れ物に入れる。もしも口にしてしまったら、カレンダーにはバツ印をつけ、小銭は入れない。

 つまり、酒を飲まなければそれだけお金が溜まっていくということであり、更に、ある程度のお金が溜まったら二人で旅行に出掛ける資金に回す、という目標も立てている。


 子供じみた案ではあるが、その案を出されてからのミランダは酒を口にしないように頑張り続けている。

 というのも、『国中の街を全て旅したい』という夢を捨ててまで、自分のために身を粉にして一生懸命働き続けてくれたリカルドに少しでも報いたい、という強い想いが、ミランダを突き動かしているからだ。

 それともう一つ、近頃のミランダはある願望を抱いていて、それを叶えるためにはどうしても依存症を克服しなければ、と、切実に思うようになったのだった。


(2)

 謎の黒い塊と化したシェパーズパイをオーブンの中からテーブルの上へと移し、表面をナイフで削り取りながら、ミランダは数日前にシーヴァから送られてきた手紙の内容を思い出していたーー。


 シーヴァとは一年前、リカルドと再会直後に寄ったヨーク河での氷上市にて、これまた偶然にも再会したのだ。以来、シーヴァとは手紙でお互いの近況報告を頻繁に交わしている。

 先日、シーヴァから送られてきた手紙には、初めての子供を授かった、という報告がなされていたのだ。前回の手紙で結婚したと報告を受けたばかりだったのに。

  可愛い妹分からの大変喜ばしい知らせに、ミランダは心からの祝福の言葉を手紙に綴ると同時に自分もリカルドとの子供が早く欲しい、と思い始めたのだった。


 そのためにも、健康な身体と心を取り戻さなければーー。


 まだ十代のシーヴァとは違い、ミランダはすでに三十を過ぎていて、決して若いと言える年齢ではないから尚更早く子供が欲しかった。

 リカルドは、「子供は出来れば欲しいけど、授かりものだから無理してまではいいよ」と言うけれど、自分の子が産まれたら、きっと物凄く可愛がるだろうし、必ずや良い父親となるだろう。

 何より、ミランダ自身が一般的な温かい家庭というものに強い憧れを抱いていて、結婚してからというもの憧れがより大きくなっているのだ。

 リカルドと二人での暮らしも楽しいけれど、そこに子供が加われば、きっともっと幸せに満ちたものになるに違いない。


 だから、酒が無性に飲みたくて苛々する時があろうと、ミランダはまだ見ぬ我が子の姿を想像しては、必死に耐え続けていたのだった。

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