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第二十九話

(1)

 マクレガー家に戻ってからも、リカルドはシャロンに浴びせられた、暴言とも取れる辛辣な言葉を何度も何度も頭の中で反芻しては一人考え込んでいた。

 広場で暴行された夜、夜空に瞬く星々が金貨になり、自分の元へ降り注いでくれれば、などと願ったものだが、それすら今はただの甘えとしか捉えられない。

 自分との仲を引き裂かれ、ダドリーにも捨てられたミランダは、現在どんな思いをして生きているのだろう。考えるだけで、やるせない気持ちに駆られる。

「……痛っ……」

 そんなに距離を歩いていないはずなのに、左足がズキズキと痛み始めている。だが、自業自得と言えばそれまでなので、黙って痛む箇所を撫でさする。

 このまま、怪我が完治するまで大人しくマクレガー家の世話になるのが、今の自分にとって最善の道だろう。しかし、そうしている間にも時間は刻々と過ぎ去っていく。

 このままでいてはいけないし、何としてもミランダを苦界から救い出したい。

 けれど、いくらダドリーから捨てられたとはいえ、彼女は歓楽街でも一、二を争う高ランクの店の人気娼婦であるのには変わりない。身請けするとなると、それなりの金額を要求されるに違いない。


 だったら、やることはたった一つだけだ。

 今後は死に物狂いで一生懸命働き、金を貯めていくしかない。


 行動するなら一日でも早い方がいいに決まっている。

 シャロンにはまた、無鉄砲だの計画性がないだのと批難されるかもしれないが、そんなことはどうでもいい。ただし、噂が広まっている以上、この街で働くつもりはなかったし、自分の居所を知ったダドリーが何かしらの妨害をしてこないとも限らない。


 リカルドは音を立てないよう、静かに荷物を纏めるとマクレガー家の人々へ向けて置手紙をしたためる。

 今まで世話になったことへの感謝の気持ち、勝手に出て行くことへの詫び、医者に掛かった診療代と杖は、いつか必ず返しに行くという約束などを綴ると、手紙をベッドの上へとそっと置く。

 そして、キャスケットを目深に被り、杖をつきながら小さなトランクを抱えてこっそりとマクレガー家から出て行き、まだ暗闇が支配している午前四時過ぎ、始発の汽車に乗るべく駅に向かったのだった。


(2)

 リカルドが向かった先は、以前二年もの間滞在していたという、ウィーザーという港町だった。

 ここならば、リカルドの友人や知り合いが多く、「何かあったら、いつでもここへ帰って来いよ」という言葉を貰っていたので、何かと過ごしやすだろうと思っての事だったし、ミランダと逃げようとした際もここに二人で定住しようと決めていたくらいだった。

 ウィーザーの人々は、突然怪我を負った状態で戻って来たリカルドを見て大いに心配し、彼から事情を全て説明されると「権力者の囲い者に手出すなんて……、しかもその女を引き取るために金を貯めたいなんて……、無謀にも程があり過ぎる」と、ある者は呆れて窘め、ある者は考え直せと説得したが、リカルドの意志は鉱石よりも固く、彼の熱意に根負けした人々は最終的には納得してくれたのだった。

 ウィーザーで暮らし始めてからのリカルドは、昼夜を問わず働き通しで日々を過ごしていた。

 朝六時から朝八時までは郵便局で手紙の仕分けの仕事をし、朝九時~夕方十七時までは時計職人の元で働き、夜十八時~深夜一時までは以前働いていた酒場の厨房で皿洗いや軽食などを作り、深夜二時過ぎに帰宅して朝五時までの三時間だけ眠る生活を実に十年もの間続けたのだ。

 幸い、このような生活を送っているせいか、唯一の休みである安息日は疲れを取るために一日中寝て過ごすことが多く、気晴らしに遊ぶなどの無駄な出費もなく、倒れない程度の質素な食事やアパートの家賃、水道代、左足の湿布代以外ほとんどお金を使わずにいたお蔭で、思った以上に金を貯めることが出来た。

 これだけあれば、どうにかミランダを身請け出来るだろうか。

 あれから十年たった今、彼女も二十九歳となり、もしもまだ娼婦を続けていたとしても、年齢的な面からいってあの頃よりも確実に人気が落ちているだろう、身請け金も当時より安くて済むかもしれない、と、友人の言葉を信じ、満を持してリカルドはミランダを迎えに行くために、再びこの街へと赴いたのだった。

 しかし、リカルドは希望と同時に、不安も抱えていた。

 ミランダがすでに売春業から足を洗い、堅気に戻っている、とかであれば何の問題はないし、むしろ手放しで喜んであげたいくらいだ。例え、堅気に戻った理由がすでに誰かに請け出されたというものであっても、彼女が幸せであるのが確認出来れば、自分は何も言わずに大人しく引き下がるつもりだ。

 けれど、考えたくはないがーー、もしもミランダが、すでにこの世の人でなかったとしたらーー、それこそ梅毒や労咳などに罹って命を落としていたとしたらーー、果たして自分はその事実を受け止められるのだろうか??


 どんな形でもいいから、ミランダには生きていて欲しい。


 それが、リカルドが十年の間、一番願ってやまないことだった。


(3)

 十年振りにこの街の歓楽街を訪れたリカルドは、まず最初にスウィートヘヴンを訪ねたが、三十代前後と思しき若店主(おそらくマダムの息子だろう)から「その女なら、六年ほど前に僕の母に暴力振るって店を追い出された」とすげなく告げられてしまった。

「では、その後、彼女はどこへ行ったか知りませんか??」

「さぁね。追い出した女のことなんかいちいち覚えちゃいない。あぁ、噂では、あちこち娼館や売春宿に移っては問題起こして辞めさせられている、とか、ちらっと聞いたような……」

 どうでも良さげに、欠伸を噛み殺しながら話す店主に「そうですか、分かりました。情報教えてくれてありがとうございました」と一応礼を述べ、店を後にする。

 やはり、ミランダはまだ歓楽街で身を売る生活を続けているようだ。

 彼女が生きている可能性は高くなったが、それでも苦界であえぐ姿を想像すると胸がぐっと苦しくなる。


 一刻も早くミランダを見つけ出して、迎えに行かなければーー。


 それからリカルドは、歓楽街中の娼館や売春宿を手当たり次第に訪れては、ミランダの所在を探し続けた。

 そして、探し始めて五日目、今までで一番鄙びた様子の小汚い、古い売春宿を訪れたリカルドは、機嫌が悪そうに顔を歪めて、二階の階段から降りて来る小太りの中年男に声を掛けた。

「すみません、この店にミランダという女性が働いていませんか??特徴は、プラチナブロンドの髪で琥珀色の大きな猫目をした、小柄な……」

「あぁ、あの性悪な、年増のアル中女のことか??」

 リカルドの言葉を遮り、中年男は吐き捨てるように慇懃に答える。

「お客さん、物好きだねぇ。ま、金になるなら何でもいいけど」

「いくら払えばいいんですか??」

「あぁ、あいつは安いから……」

「違います。僕は彼女を抱きに来たのではなく、身請けしに来たんです」

「……はぁ?!」

 男は盛大に素っ頓狂な叫びを上げ、大仰なまでに目を引ん剝いてみせる。そんな男に構わず、リカルドは肩から下げていた頑丈な作りの、茶色い大袋の中から、一回り小さな、それでいて中身がずっしりと詰まった袋を取り出し、男に手渡した。

「これだけあれば、足りますか??」

 男は袋の中身を確認すると、益々取り乱したように慌てふためき、「……あ、あんな女、この半分の金額で充分だ!!」と唾を飛ばしながらまたもや叫んだ。

「……ほ、本当ですか?!」

 今度は、リカルドが驚いて叫ぶ番だった。

「あぁ、あいつは店にいても大して稼げないし、追っ払いたいばかりだったから、この際、あんたが貰ってくれるなら喜んで差し出してやるさ!」

 男の言葉に引っかかるものを感じつつも、ミランダの部屋を教えられたリカルドは不安と緊張を抱えて、いつもより痛む左足を引きずりながら階段をゆっくりと上がって行ったのだったーー。

リカルド視点の話はこれで終わりです。

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