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第二十八話

(1)

 この街の中流以下の建屋は概二種類に分かれる。

 一つは、赤い煉瓦造りの二~四階建てのコテージ風のもの、もう一つは白い石造りのもの。

 赤と白の二色に彩られた街並みは歓楽街も例に漏れず、目当ての店に入るには立て看板をよく確認しなければならない。

 そんな似たような建物の群れの中の一軒、やや小洒落た雰囲気の小さな酒場へ二人は足を踏み入れたのだった。

 玄関から見て左奥に設置されている、黒檀で作られた五角形のカウンター席には、真ん中で仕切られた柱を間に挟む形で椅子が二脚置かれ、その中に様々な種類のグラスや酒瓶がずらりと並ぶ棚が置かれている。

 右側には、カウンター席よりやや低めの、白木で作られた八角形のテーブル席には椅子が五脚、更に右奥にはカウンター席と同じ材質の硝子扉付きの酒棚が置かれてあるのみの簡素な内装、十名足らずで満席となる手狭さだが、静かに酒を嗜みたい者には打ってつけといっていい、隠れ家を彷彿させる場所である。

 リカルドとシャロンはカウンター席に座っては見たものの、特に会話を交わすでもなく、お互い黙って酒を飲んでいる。

 ミランダの前では饒舌だったが、かつて彼女に言っていたようにリカルドは余りお喋りな質ではない上に、着慣れないかっちりとしたスーツを着ている事、シャロンに少なからず苦手意識を抱いている事も手伝い、どうにも居心地の悪さを感じていた。自分から連れて行けと頼んだ癖に勝手なことだとは思うけれど。

 怪我のことを考えて、ライト・エールを注文したリカルドに対し、シャロンは度数の強いスコッチ、しかも氷割りを注文していた。

 若い癖に随分と強い酒を飲むんだなぁ、などとリカルドがぼんやり考えていると、新たな客ーー、若い女性の二人組が店に訪れたのだった。

 二人の女性客はリカルドとシャロンの姿に目を留めると、お互い意味ありげに目配せし合う。そして、「ねぇ、お兄さん達。良ければ、こっちの席で私達と一緒にに飲まないーー??」と二人に声を掛けてきたのだ。

「やぁ、こんな素敵なレディ達にお誘いいただけるなんて光栄の極みです。勿論、喜んでそちらに参りましょう」

 シャロンがこれ以上ない位の爽やかな笑顔を女性達に向ける。それはリカルドが少々引いてしまう程のものだったが、女性達はシャロンの笑顔に思わずほぅっと見惚れている。

「リカルドさん、貴方も僕と一緒にレディ達と同じ席へ」

 シャロンの穏やかながら、有無を言わさぬ威圧感を含む口調に、リカルドは重い腰を上げて仕方なく席を移動する。その間にも、シャロンは女性達とにこやかに談笑している。

 おそらく、いや間違いなくシャロンは女好き、それも女性には好かれやすいが同性には嫌われる質であろうことを、この時リカルドはようやく悟った。

 男女一組ずつに分かれて白木のテーブル席に座り、リカルドは相方となる女性の話に適当に相槌を打っていたが、「そうそう、年末から歓楽街でこんな面白い噂が流れているの」と、女性が一段と目を輝かせながら話し出した内容に、リカルドは凍り付くこととなった。

「男爵様のご子息ダドリー様の囲い者が情夫と共に逃げ出したけど、ダドリー様が差し向けた追っ手によってすぐに捕まってしまって。で、情夫は広場で制裁を受けた末に行方不明になってしまったんですって!人の女、それもダドリー様の女に手出すなんて、馬鹿な男よねぇ??でも、その囲い者の女はもっと馬鹿。娼館の雇用娼婦らしいけど、逃げ出さなければ行く行くは愛人くらいには納まれたかもしれないのに……、って、大丈夫??顔色悪いわよ??」

 心配そうに顔を近付け、リカルドの肩に手を置こうとする女性に、「大丈夫ですよ。少し酔いが回ったのかもしれないけど、それよりも話の続きを聞かせてくれないかな??で、その囲い者の娼婦はどうなったの??」と、話を続けるよう促した。ミランダのことを、「囲い者の娼婦」と言ってしまったことに一抹の罪悪感を覚えながら。

「その事件の噂が男爵様の耳にまで届いたことで、ダドリー様が体面を気にして事もなげにあっさりと捨てた、って話よ」

「何だって?!」

 リカルドは思わず大声を張り上げてしまった。女性がリカルドの反応に驚き、唖然としているがそんなことはどうでも良かった。

 身分差を考えれば、ダドリーがミランダを正式な妻に迎えることはまずない、とはリカルドも思っていた。

 だが、自分との仲を引き裂いてまでミランダに執心していたのだから、せめて愛人くらいには迎えるつもりかもしれない。もしそうであれば、少なくとも彼女が身を売る必要はもうなくなるし、生活面に限っては一生保証される。

 それならば、辛い事には変わりないものの、リカルドは大人しく身を引くつもりだった。どんな形であろうとダドリーが彼女を愛し、しっかりと庇護してくれるのであれば。

 だが、現実はリカルドの予想をあっさりと覆した。

 きっと今もミランダは、偽りの気取った笑顔を浮かべて嘘の愛を売っているに違いない。

「その噂のせいか分からないけど、新年を迎えたと同時に、ダドリー様はかねてから婚約していた伯爵家のご令嬢デメトリア様とのご結婚の日取りを発表されたわ。ということは、彼が爵位を引き継ぐ日も近いということかしらね」

「……そうなんだ。それは、大層喜ばしいことだね」

 口ではそう言いつつも、リカルドは今にも張り裂けそうな程の胸の痛みにひたすら耐えていたのだった。


(2)

 程なくして、リカルドの様子がおかしいことに気付いたシャロンが「話が盛り上がってきたところですが、連れが少々疲れてきたようですのでそろそろお暇しようかと思います」と女性達に帰宅する旨を告げた。

 途端に女性達は不満げに表情を曇らせたが、「もし宜しければ、連絡先を教えていただけますか??そうすれば、あらかじめ日にちを指定してまたこちらで一緒に飲むことが出来るでしょうし」と、シャロンが笑い掛けるとすぐに機嫌を直し、それぞれ彼に連絡先を教えて行った。

 シャロンは教えられた連絡先を手帳に書き記していくと、「では、後日改めて僕の方からお二人に連絡を差し上げますね」と、とどめと言わんばかりに最高に爽やかな笑顔を向けた後、「では、お先に失礼します。リカルドさん、行きましょうか」と、半ば強引にリカルドを連れ立って店を後にしたのだった。

 杖をついて歩くリカルドの歩調に合わせてシャロンもゆっくり歩みを進める。そうして辻馬車の停留所に辿り着いた二人は、その中の一台に声を掛けて乗り込んだ。

 そう広くない車内で、シャロンと向かい合わせに座席に座ったリカルドは杖に体重を持たれ掛けさせながら、呟くように言った。

「……シャロンさん、君は、あの噂のことを知っていたんだね……」

「えぇ」

「じゃあ、僕が噂でいうところの、情夫だという事も気付いていたんだね……」

「あれだけ派手な暴行事件が起きたにも関わらず、警察が犯人を逮捕したという話を全く耳にしない上に、そんな噂が流れてきたのですよ??貴方が渦中の情夫だということは大して考えなくても見当がつきます。ただし、僕はあくまで貴方の怪我を治すことに興味があるだけで、貴方個人の問題には全く興味がないのであえてその話をしなかっただけです」

「……君らしい考えだね」

 リカルドは、力無くクスリと笑う。

「僕は彼女の情夫なんかじゃないし、彼女が娼婦だということも、次期男爵に囲われていることも全然知らなかったんだ。知った時には、もう引き返せないくらい彼女を愛してしまっていたから、どうしても手放したくなかったんだ。だから……」

「危険を承知で、この街から逃げ出そうとしたのですか??その女性を想う愛情と情熱は尊敬に値しますが……、それにしては取った行動が余りにも浅慮ですね」

「なっ……」

 シャロンの思いがけない厳しい言葉に、リカルドは言葉を失ってしまう。そんな彼に構わず、シャロンは尚も話を続ける。

「貴方はダドリー様がどういう方か、ちゃんとよく調べたのですか??調べてさえいれば、いずれは伯爵家のご令嬢と結婚するのだから、身分の低い一介の娼婦などいずれは手放すことくらい目に見えているじゃないですか。どうしてそれまで待とうとしなかったのです??大方、事実を知って混乱した貴方が、焦って行動に出てしまったのでしょうが。まぁ、今まで好き勝手生きてきた貴方には蓄えもありませんし、待っていたところで彼女の身請け金を用意するだけの財力もないから、余計に焦ったのかもしれませんね」

 七歳も年下に関わらず、シャロンの見下しきった物言いに、さすがのリカルドもカチンと頭にきたものの、言い草はともかくとして正論であるには間違いないため、言葉を返せないでいた。

 確かに、ダドリーについて情報をもっと知っていれば、行動する前にもう少し様子を見てみようと思ったかもしれないし、今まで真面目にコツコツと働いてさえすれば、その貯えと様子を見ている間に働いて得たお金を持ってして、彼女を身請けすることができたかもしれない。


 今のこの状況は、自分の爪の甘さや無鉄砲さ、引いては何にも縛られず自由に生きていたと言えば聞こえはいいが、様々な責任を放棄し、楽をして生きてきたことのツケが回って来たものに違いない。


 そう気付いたリカルドは、まだ偉そうに何か言っているシャロンの言葉すら耳に入らずただ愕然としていたが、ふいにこう呟いた。

「……自分の今までの生き方を変えてでも、例え夢を諦めてでもいいから傍にいたい、そう思える人と出会ったら……、君にも僕が取った愚かな行動の意味が分かるだろうね……」

 するとシャロンは僅かに眉間に皺を寄せた後、いつものように高慢そうに鼻を鳴らしてこう言った。

「僕だったら、僕の人生と夢の枷となるような人など、絶対に愛したりしませんよ」

 あぁ、実に彼らしい言葉だ、とリカルドは妙に納得した後、シャロンに向かって弱々しく微笑んだのだった。


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