第二十四話
近代イギリス系シリーズの別作品「オジギソウ」に関する、重要なネタバレが含まれます。
未読の方はご注意ください。
(ちなみに、オジギソウには星の金貨のネタバレが……(´・ω・`))
(1)
スウィートヘヴンから追い出されたミランダは、やはり売春業から足を洗うことなく、そのまま別の娼館へと住み替えをした。
「ルータスフラワー」というその娼館は、スウィートヘヴンと比べたらやや格の低い店だった。だからか知らないが、娼婦の質も少し劣っている、とミランダは感じ取ったものだ。
同じ店の娼婦仲間とはいえ、所詮は商売敵である。
スウィートヘヴンで働く女達の間ではそういう意識が高かったため、表立って争い事を起こすことはなかったものの、誰もが徹底した個人主義を貫き、必要以上に仲良く接することはなかった。
だが、このルータスフラワーで働く娼婦達は妙に仲間同士の連帯感が強かったーー、と言えば聞こえがいいが、ミランダから見れば、くだらない仲良しごっこに興じている、という風にしか見えない。
仲間同士でお揃いの持ち物を作ったり、安息日に集団で市場に出掛けたり、その癖、裏では誰かしらの悪口をこそこそと言い合っているからだ。
裏で悪く言い合うような、程度が知れた仲の癖に、表向きは無二の親友だと言ってべたべたし合う女達の姿にミランダはすっかり辟易していたので、彼女達の中にあえて溶け込もうとせず、これまで通り個人主義を貫き通していた。
当然、ミランダのその態度は元からの無愛想な性格も相まって、店の女達からたちまち総スカンを食らった。彼女の美貌や、この店に入ってまだ日が浅いにも関わらず、瞬く間に稼ぎ頭になったことへの嫉妬も含めて、よく嫌がらせを受けるようになったのだ。
相容れない存在なら、それはそれで捨て置いて、少しでも客が多く取れるような努力もせず無駄なことばかりをしているから、いつまで経っても貴女達は永代稼ぎなんじゃない。
何度も女達へ向けて、この言葉を突きつけたい、と思ったことか。
しかし、ダドリーからの手切れ金に絶対手を付けない、と意地になり、その金を使いさえすれば堅気に戻れるのにあえてそれをしない自分も救いようがない馬鹿だ、人の事は言えた義理じゃない、と、喉元までその言葉が出掛っても寸でのところで飲み込む。
そして、そのモヤモヤした皮肉を酒と共に流し込むのだった。
(2)
閉店後の深夜二時過ぎ。
いつものように、仕事後の自分への労いだと、煙草を吸いながらドライジンを飲んでいたミランダの部屋の扉を叩く音がした。
嫌われ者の自分の元に訪れる人物など一人しかない。
「どうぞ、入って頂戴」
扉に向かって声を掛けると、一人の少女が部屋の中へと入ってきた。
少女は、柔らかな漆黒の髪に切れ長の瞳、やや彫りの深いエキゾチックな顔立ち
と、異邦人を思わせる美少女だった。しかし、抜けるように真っ白な肌や瞳の色がハシバミ色ということで、どうやら混血児のようだ。
少女は、すでにほろ酔い状態のミランダの姿を目にすると、思い切り顔を顰めてつかつかと歩み寄り、彼女の手をガシッと掴む。そしてミランダの掌に『またお酒なんか飲んで。ミランダちょっと飲み過ぎ。身体に悪いよ』と指で綴る。
これが他の者であれば、「煩いわね。貴方には関係ないでしょ」と睨みつけるところだが、この少女に対してはバツが悪そうに苦笑を漏らすのみである。
「もうっ、シーヴァは手厳しいわね」
『だって、ミランダが病気にでもなったら、私はすごく悲しいから』
少女は再びミランダの掌に指でこう書き綴ると、今度は少し悲しげに顏を歪ませる。普段は生意気なのに、根はとても健気で優しい子なのだ。
「シーヴァ、心配してくれてありがとう」
ミランダが礼を述べると、少女は大仰に首を横に振ってみせる。その年相応の子供っぽい仕草が微笑ましくて、ミランダは思わず口元を緩めてみせる。
同時に、この少女が置かれている状況を思うと切ない気分に駆られた。
(この子は、本当はこんな場所にいちゃいけない子なのにね……。まだ十歳だって言うのに、大人の女と同様に身を売らされているんだから……)
ミランダがルータスフラワーで働き始めてからしばらくして、このシーヴァと言う少女が人買いに連れられてやってきた。
とある事情により、口が利けなくなってしまったというシーヴァを引き取ることをこの店のマダムは当初渋っていたが、器量の良さと珍しい毛色の混血児ということで、ベビーブライドとしてすぐに売り出すことにしたのだった。
シーヴァの話を耳にした時、ミランダはこの店のマダムの商魂のたくましさにほとほと呆れ果てただけで、彼女については大して同情すらしていなかった。
ところが、ある晩のことだった。
仕事を終えた後に酒を飲み過ぎたミランダが便所に入ろうとすると、勢いよく扉が開き、中からシーヴァが出てきたのだ。
シーヴァはミランダを見た途端、ひどく怯えた顔をしてすぐさまその場から立ち去ろうとした。
何もいきなり怒鳴ったとか言う訳でもないのにそんなに脅えなくても、と、いささか気分を害したミランダだったが、少女の口元に吐瀉物と思しき汚れが付いているに気付く。恐らく、仕事が辛い余りに吐いていたのだろう。
ミランダが、シーヴァ同様に幼くして身を売らされていた、かつての自分の姿とシーヴァの怯えた表情を重ね合わせた瞬間、自分でも信じられないような、優しい言葉が飛び出した。
「……シーヴァ、だったっけ??口が汚れているわよ。綺麗にしてあげるから、私の部屋へおいで」
シーヴァもシーヴァで、まさか他の娼婦達から『美人だけど、無愛想な性悪女』と悪評高いミランダから親切にされるとは思ってもみなかったようで、切れ長のハシバミ色の瞳をパチクリとさせ、戸惑っている。
そんなシーヴァの様子に構わず、ミランダは彼女の手を取ると半ば強引に自室へと彼女を連れて行ったのだった。
それ以来、シーヴァはミランダの事を姉のように慕い、ミランダも妹のように彼女を可愛がり、何かと気に掛けるようになったのだった。
形は違えど、こんな自分でも誰かを大切に思いやれる心がまだ残っているなんて。
リカルドは勿論のこと、シーヴァにも幸せになってもらいたい。
ミランダのシーヴァに対する愛情は肉親に向ける情に近く、その想いは海のように深かった。
それは、あんなに頑ななまでに使おうとしなかったダドリーからの手切れ金を、シーヴァを自由の身にさせるために一銭残らず使い果たす程だった。
自分には何の見返りもないのに、偽善者ぶって馬鹿じゃないの、と、誰も彼もがミランダの行動を嘲笑したが、ミランダ自身は一片の後悔もなかった。
それは、更に底辺に転がり落ちて行く中に置いても、一度も変わることはない想いだった。