第二十二話
(1)
ダドリーから手切れ金を渡され、お払い箱になったからと言って、ミランダは身を売る生活から足を洗うことなく、これまで通り、全てを嘘と偽りで固めた日々を送っていたーー。
彼女の元に訪れる多くの客は往々に、「男爵様の囲い者はどんな女なのか」という下世話な好奇心を抱いていて、それとなく言葉や態度に表す者も少なくなかった。その度に、完璧なまでの愛想笑いを浮かべるミランダの心に、鋭い棘として突き刺さり、彼女を大いに苦しめる。
そんなに苦しいのならば、多額の手切れ金を利用して借金を完済、売春業からさっさと足を洗い、別の街へと移り住んで一から人生をやり直せばいいものをーー、ミランダはあえてその道を選ぼうとはしなかった。
この手切れ金に手をつけたら最後、身は自由になるかもしれないが、ダドリーに完全に屈服することになってしまう。それがミランダにとっては何よりも許しがたく、『死ぬまで手切れ金を一銭たりとも使わない』、これがダドリーに示す、せめてもの細やかな抵抗であった。
ダドリーとはもう二度と会うことはないだろうが、もし会ったら差し違えてでもめちゃくちゃにして殺してやりたい。
月日が流れるにつれ、ミランダの中でダドリーへの憎悪は肥大化する一方で、リカルドを失った悲しみや喪失感及び、罪悪感も増幅し続け、終いには『男爵様の囲い者』だったことを理由に自分を指名する客をことごとく断るようになっていった。
そうなってくると、ミランダの店での人気も徐々に右肩下がりになっていき、とうとう客引きに出向かなければならない(スウィートヘヴンは置屋で店に来た客に指名されて身を売るのだが、人気のない娼婦には街で客引きをさせている)程にまで落ちてしまった。
だが、噂を聴きつけて指名してくる客の相手をするよりも、客引きで捕まえる、自分の事を何も知らないであろう客の相手をする方が遥かに気が楽である。
しかし、彼女が毎晩客引きに出向くようになったことで、新たな問題が発生したのだったーー。
(2)
持ち前の美貌のお蔭でミランダは、客引きに出たはいいが客がちっとも捕まらない、ということが滅多になかった。容姿が人並み以上に優れていると、こういう時ばかりは随分と有利に働くものである。
ところがある晩、どんなに声を掛けても客が全然捕まらない、という事態に陥った日があった。
ちょうど真夏の時期で夜中に差し掛かる時間帯とはいえ、熱気がまだ冷めていない、もわっとした暑苦しい空気の中歩き続けていると自然と汗が流れてくる。
ミランダは、休憩と客引きを兼ねて一件の酒場の扉を開くと、店全体が見渡せる場所――、四隅に近いテーブル席に腰を下ろす。
そこで、いつもならば度数の低いビールを注文するところを、その日に限ってはなぜかドライジンを注文してしまったのだ。
普段飲み慣れていない、強い酒を飲んだせいか、すぐにミランダは酔っ払ってしまう。
しかし、始めはほろ酔い気分でひたすら頭がぼーっとし、思考停止状態になって席に座り込んでいたミランダだったが、それを通り越すと今度はやけにふわふわとした、まるで雲の上でも歩いている様な楽しい気分を感じ始め、気付けば一人の若い男ににこやかに笑い掛けながら、自分を買うように迫っていた。
男は、ミランダの元々の美しさに加え、酔っ払って妙に潤んだ琥珀色の大きな猫目とぬらぬらと湿り気を帯びた唇にたちまち欲情したようで、店に辿り着くのも待てずに彼女を求めた。男に求められたミランダは、そのまま建物の陰に彼を連れ込み、街娼よろしく路地裏で身を売ったのだった。
スウィートヘヴンの禁止事項の一つに『路上で身を売ってはいけない。必ず客は店に連れて来る』というものがあるが、この時、ミランダは初めてこの規約を破ってしまったのだ。
その後店に戻ったミランダは、当然マダムから大目玉を食らい、話を聞きつけた他の娼婦仲間からも白い目で見られたが、「ちゃんと金は貰ったんだから別にいいじゃない」と 反省の色を全く見せないどころか、それからというもの度々外で身を売ることを繰り返すようになってしまった。
更にミランダには、外で身を売ること以上に大きな問題を抱えていた。
酒場でドライ・ジンを口にしたことをきっかけに、酒に溺れ始めるようになったのだ。