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第二十一話

(1) 

 十年前のクリスマスの夜、リカルドと共にこの街から飛び出し、ミランダは新しい人生を送ろうとしたが、全ての行動をダドリーに見抜かれていたため、彼が差し向けた取り巻き達にあえなく掴まってしまった。それだけに飽き足らず、取り巻き達はリカルドに酷い暴行を加えた。

 取り押さえられていたミランダは彼を助けることが出来ず、泣き叫びながらその様を成す術もなく見ているより他がなく、そして、余りのショックで気を失い、気付けば自室のベッドの上で寝かされていた。その傍らにはダドリーが冷ややかな顔で彼女の様子を看ていたのだった。

「……やっと気が付いたか。あの広場で気を失ったまま、お前は丸二日間、ずっと眠りっぱなしだった」

「…………」

「あぁ、あと、店を脱走した娼婦は罰として拷問を受けるらしいが、私の方から女主人に『私の所有物に傷をつけたくない』と言って、免除するよう話をつけておいてやった」

「…………」

 起きたばかりでまだ頭がぼんやりとしているものの、ダドリーが発した『私の所有物』という言葉に、ミランダは言いようのない嫌悪感を感じると共に、開口一番こう尋ねる。

「……リカルドは……。彼は……、あれから、どうなったの……」

 リカルドの名を耳にした途端、ダドリーのコバルトブルーの瞳に益々冷たさが増す。

「さあ??私の知ったことではない。生きているかもしれないし死んだかもしれない。生きていたとしても、五体満足なのかも怪しいがな」

 ダドリーは、一瞬だけ皮肉めいた表情を浮かべ、確かに嘲笑う。それはミランダに向けてなのか、リカルドに向けてなのか、はたまた二人に対してか。 

 ダドリーの、寒々とする程の、美しくも冴え凍る冷たい笑みをこれ以上見ていたくない。ミランダは仰向けでベッドに横たわったまま、両腕を上げ掌で目元を押さえ付ける。

「……なんで、なんで私なの……。貴方なら、他にも私の代わりなんていくらでもいるじゃない……」

「……言っただろう。お前は、私にとって高級な珍しい猫だと」

 ああ、私はこの男にとってはペットみたいなものなんだ。自分の都合で可愛がりもするし連れ歩いて他人に自慢もするが、噛み付かれたら容赦なく躾をするし、飽きたら手の平を返しあっさり捨てるに違いない。

 いや、私のことは別にいいんだ。それよりも……。

(……私が、彼と……、リカルドと幸せになりたいって欲を出さなければ……、私が大人しく身を引いていれば……、彼は傷つけられずに済んだのに……。…………全部私のせいだ…………)

 両の掌で隠した大きな瞳から、自然と涙が溢れてくる。

 ダドリーがまだ部屋にいるにも関わらず、ミランダは声を押し殺してひたすら泣き続けた。

 ダドリーはベッド脇の椅子に腰掛け、泣き続けるミランダをただ黙って見ていたが、聞き逃してしまいそうな程の小声で静かに呟いた。

「……何が、そんなに気に入らないんだ……」

 その声色に、彼にしては珍しく切迫したものを感じたミランダは思わず泣くのをやめ、掌をどけてダドリーの方を見やる。

 しかし、その時ダドリーはすでに椅子から立ち上がっていたため、表情を確認することはかなわなかった。だが、彼が初めて見せた(聞かせた)血の通った人間らしい態度であるには違いなく、ミランダは驚きを隠せない。

 当のダドリーはと言うと、すでにミランダに背を向けて部屋から出て行くため、ドアノブに手を掛けている最中であった。

 気のせいかもしれないが、そのスラリとした後ろ姿はどこか傷ついているようにも見えたのだった。


(2)

 数日後、再びダドリーがスウィートヘヴンに訪れた際、彼は一人の壮年男性を伴っていた。そして、マダムの許可を得た後、その男と共にミランダの部屋へと入る。

「ダドリー、その人は一体??」

 ダドリーの一歩後ろに下がって佇む男を、ミランダは訝しげに見ているとあることに気付く。男は、これから長期旅行にでも出掛けるのか、と思うような大きな黒いトランクを手に抱えていたのだ。

 壮年男の方ばかりに注意を向けていたミランダだったが、それまで黙り込んでいたダドリーが発した言葉に思わず耳を疑うことになった。

「ミランダ。私は今日限りでお前の元には二度と来ないことにした。これは、お前への手切れ金だ。受け取るがいい」

「…………」

 一瞬、何を言われているのかミランダには理解できなかったが、ダドリーに耳打ちされた壮年男がトランクに付いたダイヤルをカチカチ回した後、ミランダに見せつけるかのように中身を開く。


 大きなトランクいっぱいに詰め込まれた、数えきれない程の量の札束。


 おそらく、ミランダみたいな下層の人間が一生お目に掛かることはないだろう金額に、ミランダはしばし呆然となってしまう。


「お前とあの男の件に関する噂が父の耳にまで届いてしまい、デメトリアとの結婚が早まることになってしまったのだ。どんなにつまらない女だろうと伯爵家から降嫁する以上、丁重に扱わなくてはならない。おまけにあれは嫉妬深いとくるから、愛人を囲うことなどもっての他となる」

「……要は、私はもうお払い箱って訳??」

 ミランダは、琥珀色の大きな猫目を鋭くさせて、ダドリーのコバルトブルーの瞳を真っ直ぐ射抜く。

「平たく言えば、そういうことだ」

「……あらそう。じゃあ、いずれ私は捨てられることが前提での付き合いだったのね」

 別に、ダドリーに捨てられることはどうでも良かった。

 むしろ、ようやく肩の荷が下りた、と、小躍りしたくなるくらい喜ばしいとすら思っている。

 だが、その程度の存在でしかなかった自分のために、酷く傷けられた(考えたくはないが、殺されてしまったかもしれない)リカルドのことを想うと、胸がぎゅっと痛い程に締め付けられ、息をするにも苦しい位だ。同時に、直接的でないにせよ彼を蹂躙したダドリーに対して、ふつふつと激しい怒りに駆り立てられていく。 

 ミランダの怒りをダドリーも感じ取ったらしく(理由まで汲み取ったかは定かではないが)、彼女に向かっていつにも増して冷たく言い放った。

「私が、お前のような汚れた売女を妻か愛人にでも迎えると思っていたのか??身の程を弁えろ」

「…………」

「あぁ、そうだ。最後にトランクのダイヤルの暗証番号だが……」

 ダドリーから暗証番号を教えられたミランダの静かな怒りは、遂に頂点に達したが、怒りで煮えたぎる心とは裏腹に、仮面のような無表情に変わっていく。

 ダドリーはミランダの表情を一瞥した後、満足そうに彼女を嘲笑うと、壮年男を従えて部屋から出て行ったのだった。



 その後、ダドリーは間もなく婚約者と結婚、父親から爵位を受け継ぎ男爵となり、ミランダの前には二度と姿を表さなかったーー。


 ちなみに、手切れ金のトランクの暗証番号は『1225』で、ミランダにとって、人生で一番辛い日にちに設定されていたのだった。

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