第十九話
ダドリーは、丸一日以上意識を失ったまま、ベッドに横たわるミランダを黙って見つめている。
永遠の眠りの呪いに掛かった茨姫のように、ずっと眠り続けているミランダの顔は泣き膨れていて、本来の美しさをすっかり失っていた。
あの後ーー、引き続きリカルドを暴行し続ける仲間を置いて、ミランダを拘束していた男は気絶した彼女を抱えてスウィートヘヴンに送り届けた後、ダドリーの元へ駆けつけ、事の顛末全て彼に報せたのだった。
本来ならば、脱走を謀った娼婦は罰として拷問を受けるはずだが、ダドリーがマダムや店主と交渉し、今回に限っては免除されることとなった。
その際マダムから、「ダドリー様はミランダに甘い」と言った旨の発言をされたが、むしろ拷問に掛けられて死んだ方が彼女にとっては余程楽だったかもしれない。なぜなら、恋人との仲を引き裂かれただけでなく、自分のせいで恋人の命が奪われたかもしれないという苦しみを彼女は一生背負わされるのだから。
リカルドとかいう男が死んだかどうかは、ダドリーには一切分からないし、知る由もない。
ただ、後に残った四名の男達の報告によると『瀕死状態になるまで暴行して、そのまま広場の隅に放置した』ということだから、真冬の凍てつく寒空の下で何時間も気絶した状態だったら、死んでしまう可能性は高いだろう。
(……愚かな男だ……。一介の娼婦のために、その身を犠牲にするとは……)
心の中でリカルドを嘲ると、ダドリーは再びミランダの寝顔に目を向ける。
そして、一人のある女のことをぼんやりと思い出していたーー。
その女と出会ったのは約四年前ーー、ダドリーが国有数の名門大学を卒業し、家を継ぐために首都からこの街へ戻って来た頃だった。
上質な金糸を思わせるプラチナブロンドをきっちり纏め上げ、やや吊り上がったアイスブルーの大きな猫目が特徴的な美貌を持つその女を初めて見た時、まるで高級な猫のようだと、ダドリーは人知れず見惚れたものだった。
しかし、その女とダドリーはお互いに接点を持つことすら許されない存在であった。貴族であるダドリーと、屋敷の下働きのメイドでは住む世界が違い過ぎるからだ。
ダドリー自身も一瞬は見惚れたものの、卑しい下層の使用人風情に何を考えている、とすぐに思い直そうとしたが、ダドリーの視線に気付いた女は他の者には悟られないよう、彼に向かって微笑み掛けてきたのだ。
使用人が屋敷の主人に笑い掛けるなど、不躾極まりない行いであるにも関わらず、今度こそダドリーは彼女から目が離せなくなってしまう。
女が向けた笑顔は、ある種の誘いかけをするような、妖艶な美しさを湛えていて、若かりしダドリーがその妖しげな女に魅了されてしまったのは言うまでもなく、程なくして、その女とダドリーは人知れず屋敷で逢瀬を繰り返すようになっていった。
今にして思えば、その女に対する感情は愛情や恋慕などという美しいものではなく、情欲や征服欲といった、ドロドロとしたへどろのような、屈折した醜いものである。
何故なら、その女は表面上はダドリーに従っているように見せ掛けてはいたが、彼を掌の上で転がしては、上流の若者との火遊びを愉しんでいるようなところが見受けられ、そんな彼女を何としても屈服させてやりたいと、ダドリーは躍起になったものだった。
だが、女がダドリーに完全に屈する日は遂には訪れなかった。
男爵である父に、女との関係が見つかってしまった上に、屋敷に頻繁に訪れていた成金の男が女を見初め、彼の愛人となるべく女は屋敷から出て行ったしまったのだ。
他の誰もが自分にひれ伏し、必死で媚び諂う中、その女だけは一度たりともダドリーに屈しなかったことが、彼の、誰よりも高い気位を大いに傷つけた。
そして、今、眠り姫と化しているこの娼婦ーー、ミランダも、その女同様にいつまで経っても自分に屈しようとしなかったどころか、平然と裏切ろうとした。
(一度ならず、二度までも、しかも下層の出である女にこけにされるとはな……)
思えば、その女ーー、確かエマという女と、ミランダは面差しもよく似ている、と、今になってようやく気付いたダドリーは、ほんの僅かに眉間に皺を寄せた後、軽く溜め息をついてみせたのだった。