第十五話
ベッド脇のローテーブルの上、赤い炎を灯す一本の大きな蝋燭。
僅かな風で揺られた炎はミランダの姿を照らし出し、ミランダは一人で思い出し笑いを浮かべていたーー。
あの後ーー、リカルドを追い返して店に戻ったミランダは、先程とは打って変わり、積極的にドレスの生地選びに勤しんだ。
「ねぇ、ママ。私、あの生地が見てみたいわ」
ミランダにせがまれ、マダムは生地の山の中から一際美しい光沢を放つ、シルバーブルーの生地を手に取る。
「何て綺麗なの……」
マダムから艶々と真珠色に光る生地を受け渡されると、その美しさに思わず感嘆を漏らす。
「この生地、ただ光沢が美しいだけじゃなくて、厚みがあるのに柔らかいわ。おまけに、私達の人種の肌に最も映える色合いだし……、まさに最高級の代物ね」
「ママ!私、この生地でドレスを作りたいわ!!」
頬を紅潮させて息巻くミランダとは対照的に、マダムは何やら思案顔だ。
おそらく、想定していた以上に高価な生地で、頭の中で採算を合わせようとしているのだろう。
「そうねぇ……。ファインズ様のパートナー役を務めるなら、いっそのこと大枚はたくべきかしら……」
「そうよ、ママ!せっかくだから、うんと素敵なドレスを着たいもの」
マダムはまだ躊躇している様子だったが、やがてミランダの勢いに押され、最終的には「分かったわ……。その代わり、絶対にファインズ家の方々に気に入られるよう頑張りなさいよ??」と念を押しつつ、この生地でドレスを作ることに踏み切ったのだった。
二人がドレスの生地選びに夢中になっている間にも、時刻は十八時ーー、店の開店時間になっていた。
「あら、もうこんな時間。急いで店先に戻らなきゃ……」
マダムが腰を上げ、ミランダの部屋から出て行こうとした時だった。
扉が開く音と共に、ダドリーが部屋に入って来たのだ。
「これはこれは、ファインズ様。今日もお早いお越しで……」
ダドリーは、部屋の床やベッドの上に散乱した、色とりどりの鮮やかな生地の山を目にすると、「……この乱雑に散らかった部屋の様子は一体何なのだ??」と、やや不快そうに、僅かに眉間に皺を寄せながら尋ねる。
「あ……、これは失礼いたしました。すぐに片付けますわ」
「すぐに片付けることなど、いちいち口に出して言うまでのことではないだろう??私が聞いているのはそういうことじゃない。何故、こんなに多くの生地がこの部屋に置かれているのか、と尋ねているのだ」
「貴方に呼ばれた夜会用のドレスを新調するからよ」
マダムの代わりに、ミランダがダドリーの質問に答えた。
するとダドリーは、ほんの一瞬だけ渋い表情をチラリと浮かべたかと思うと、ふっと鼻先で軽く笑ってみせた。
「その話だが……、今朝方になって、デメトリアが夜会に出席する気になったらしい、と伯爵家から連絡があってね。だから、もうお前が夜会に出る必要はなくなった」
「え……、そんな……!」
ミランダが言葉を発するよりも先に、マダムの方が悲痛な叫びを上げる。
「ミランダのドレスや装飾品、全て注文してしまったのですよ?!おまけに、注文の取り消しを受け付けない仕立て屋にお願いしてしまったんです!」
「で、その夜会用に注文したドレス等の代金を私に支払えと??そんなことを私に言われたところで知ったことか。別に、どうしても新調しなくても良い物を、お前達が勝手に浮かれてやったことに過ぎない」
「そんな……!!」
ダドリーの一際冷たい物言いに、マダムの叫びは更に悲壮感が増していく。だが、その叫びはどこか芝居がかっている。
軽い錯乱状態のマダムとは違い、ミランダはやけに落ち着き払って彼らのやり取りを冷静に眺めていた。
マダムは何を期待していたのか知らないが、所詮娼婦の扱いなどそんなものなのだ。つまり、夢を見るだけ馬鹿を見る。
おそらく、夜会の衣装代は全てミランダの借金に回されてしまうだろう。
ダドリーは、顔色一つ変えないミランダに気付くと、「どうやら、お前は納得しているようだな」と、唇を捻じ曲げてみせた。
「えぇ、私は自分自身の価値を充分分かっているもの。ただの囲われ者以上の望みは抱かないわ」
ミランダの返事を聞いたダドリーは、満足そうに、微かに口角を上げて笑ったーー、ような素振りをする。
「私は、お前のような、身の程をしっかりと弁えている女が好きなのだ」
(要は、自分にとってどこまでも都合の良い女が良いだけでしょ??そんなの、愛でも何でもないわ)
心の中で反発を覚えつつ、そういう自分自身も愛を語れるような人間ではない、と、ミランダは自嘲してすらいたのだった。