第十三話
ミランダが広場に顔を出さなくなってから、一か月近くが過ぎようとしていた。
十二月に入り、クリスマスが近いせいか歓楽街はいつもより華やいでいて、道行く人々も心なしか浮かれた様子で楽しそうに歩いている。
この時期は店の娼婦達も目一杯着飾り、馴染みの客と賑わう夜の街へ繰り出す者や、恋人や情夫への贈り物を用意したりと、いつになく色めき立っている中、ミランダはファインズ家が主催する夜会に出席することが決まっていた。
「ミランダ、これはまたとない好機よ!この夜会で男爵様や奥様に気に入られれば、貴女は次期男爵夫人になれるかもしれないわ!!いいこと、ダドリー様の周囲の人々に上手く取り入りなさい!!」
マダムの気合いの入れ方は尋常ではなかった。
ミランダが夜会に着ていくドレスや身につける装飾品、靴を選ぶのに、街の富裕層がご用達の高級仕立て屋や宝石商を次から次へと店に呼んでは、どれにすればいいか、頭を悩ませている。まるで、自分自身が夜会に出掛けるのか、と思う程に。
「今年はバッスルスタイルのドレスが流行だけど、貴女は小柄で華奢だから、あんまり裾を絞り過ぎては却って貧弱に見えてしまうわ。だから、程々の絞り方にしてもらわなきゃねぇ。色はこの冬流行の淡色でもいいかもしれないけど……、って、ミランダ??」
当のミランダと言うと、まったくもって関心がなく、マダムがこれはどうだ、あれはどうするとモノを奨めても、いまいち気のない返事を適当に返すだけであったため、そのやる気のなさにとうとうマダムが怒り出す。
「ミランダ!いい加減にしなさい!これは遊びじゃなくて仕事なの。真面目に選んでもらわないと困るのよ!!」
激昂するマダムに構わず、ミランダは吐き捨てるように言葉を返す。
「……どんな上等で高級なドレスを纏ったところで所詮ただの娼婦なんだもの。貴族や成金のお嬢様方と同等になんか、到底なれっこないわ。それに、私はあくまでダドリーの婚約者とかいう、ご令嬢の代理でしかないんだから」
「貴女……、なんてことを言うのっ!!」
「……本当のことを言っただけよ」
頭の血管が切れるんじゃないかと思うくらい、怒りで顔を真っ赤に染め上げたマダムを、ミランダは酷く冷めた目で一瞥すると顔を背けた。
ダドリーは、男爵家より爵位が上である伯爵家の娘と婚約を交わしていた。それも、まだ彼が幼い頃に家同士で決められた婚約ーー、政略的なもので愛など欠片もない婚約であった。
位こそ高位だが、その伯爵家は辺鄙な片田舎で細々と暮らしている様な、いわば零落しかけている家だったので、低位でありながら発展した街を治めているファインズ家と繋がりが欲しかったのだろうし、ファインズ家も高位の家から娘を娶ることで箔を付けたかったのだろう。
ダドリー自身も「結婚など家を繁栄させるための手段に過ぎない」と言い切っているあたり、さしてこの婚約を嫌がっている訳ではないようだった。
しかし、その伯爵家の娘については「保守的で凡庸な上に、身分の高さに甘んじて何の努力もしようともしない、怠惰でつまらない田舎者。家のためでなければ、口を利きたいとも思わない」とばっさり切っている。
ダドリーの言葉を聞いた当初、仮にも未来の妻になる相手に何て酷いことを、とミランダは思ったものだが、この度の夜会を令嬢が欠席表明した理由が「十二月の寒い時期に、他の街まで赴くのが億劫だから」と知った時には、少しだけ、ほんの少しだけだが、その言葉に同調せざるを得なかった。
だが、そのことと、ミランダが代理で夜会に出席することを光栄に思うかは、また別の話であったーー。
マダムの金切り声にうんざりしたミランダは、部屋から出て行こうとドアへ向かう。
「ミランダ!待ちなさい!!どこへ行くの!?」
「……疲れたから一服しに行くだけよ。五分したら戻るわ」
「ミランダ!!」
尚もヒステリックに叫び続けるマダムを無視し、玄関先までへ出て行くとミランダは煙草に火をつける。
別に吸わなくても平気でいられるにはいられるが、疲れて何も考えたくない時、無性に煙草を吸いたくなる。
(そういえば、リカルドと会ってからの二ヶ月は一本も吸ってなかったな……)
彼は今、どうしているだろうか。
今もまだ、この街に滞在しているのだろうか。
相変わらず、あの広場でギターを弾いているだろうか。
(……考えちゃ、ダメ。考えだしたら、また彼にどうしようもなく会いたくなってしまう)
ミランダは、二、三度首を横に振り、盛大に大きなため息をつく。
ーー駄目だよ。ため息をつくと幸せが逃げるって言うだろ。あと、煙草は体に良くないよーー
(……本当に疲れてるのね。幻聴を聴くなん……て……??)
恐る恐る、顔を上げる。
その視線の先ーー、目線を少し上げた先に、深いグリーンの宝石が二つ並んで優しく光っている。
ミランダにとっては世界で一番美しく、他のどんな高価で珍しい宝石でさえ、その宝石を目の前にしたら、ただの石ころ以下に成り下がってしまう。
初めて出会った時と変わらない穏やかな笑顔。
ミランダは激しい動揺により、指と指の間に挟んでいた煙草を、知らず知らずの内に地面に落としてしまっていた。