第十話
(1)
待ちに待った安息日。
約束通り、ミランダがいつもの銀杏の木の下に行くと、すでにリカルドが彼女を待っていた。
「もう!今日こそリカルドよりも早くここへ来ようと思っていたのに!!」
待ち合わせ時間には間に合ったものの、これまたいつものようにリカルドの方が先に待っていたことがミランダは悔しかった。
「あはは、そりゃ僕の方が広場から近い場所に住んでいるからねぇ。時間に遅れた訳じゃないんだから、別に良いんじゃない??」
自分自身に向けてぷんぷんと怒るミランダを、リカルドは苦笑交じりに宥めすかせる。
「まぁまぁ、そう怒らないの。それよりも、今日は屋台だけじゃなくて、ボーリングとかで遊ぶこともできるし、噴水前では楽団が演奏しているみたいだよ。ということで、まずはどこから行きましょうか、お姫様」
リカルドが恭しい口調で、ミランダに手を差し伸べる。
「そうねぇ……。まずは、腹が減っては戦はできぬ、ということで、屋台で食べ歩きがしたいわ、騎士様」
リカルドの手を取ると、気取った口調でミランダは答えた。
「ではでは、食いしん坊のお姫様の仰せの通り、屋台に参りましょう」
「誰が食いしん坊ですって!?」
顔を真っ赤にして怒りながらも、ミランダはリカルドに連れられて屋台が立ち並ぶ一画へと向かったのだった。
(2)
二人は、屋台でマフィンやジンジャークッキー、ジャムを塗ったスコーン、サンドイッチ、オリーブの実などを買って食べては、広場の中を練り歩いていた。
「ねぇ、リカルド。あそこで温めた葡萄酒が売っているし、その隣ではオレンジも売っているわ」
「えぇ!?ミラ、まだ食べる気なのか?!」
かなり小柄で華奢な体格に似合わず、ミランダの食欲がとてつもなく旺盛なことにリカルドは驚きを隠せない。
「さすがに、ちょっと食べ過ぎかしら……」
「そうでもないけど……。まぁ、よく食べるのは健康な証拠だよね」
「……リカルド、笑顔が若干引き攣っているわよ」
何とか取り繕うとするリカルドを、ミランダは意地悪そうに笑う。
「でも、食べてばかりじゃなくて、身体も動かさないとね……」
そう言って、二人はボーリングや射的などのゲームが行える一画へ足を踏み入れる。食べ物の屋台が連なる一画以上に、家族連れの人々がひしめいている。
「安息日だと、さすがに人で一杯ね」
人ごみに慣れないミランダは立ち止まり、少し疲れたように、ふう、と息をつく。
「ミラ、大丈夫??ちょっと休憩でもする??」
すかさず、リカルドが心配そうに気遣ってきた。
「ううん、大丈夫」
「本当に??」
「うん、本当に大丈夫だから……、って……、あ!」
ふと、すぐ近くの屋台ーー、首飾りや髪留めなどの装飾品が売られているのを目にしたミランダは、思わず立ち寄って商品を眺めてみる。
装飾品はどれもヴェネチアングラスで作られたものらしく、財布を開くには少々躊躇してしまうような値段のものばかりだ。
こんな高価そうな品、庶民ばかりが集まる広場の屋台では売れないだろうに、などと思いながらも、「……綺麗……」と、目を細めて精巧なガラス細工の美しさに見惚れていると、リカルドが「何か欲しい物あるの??」と尋ねてきた。
「うーん、あるにはあるけど……。私のお金じゃ買えないから……」
「じゃあ、代わりに買うよ。どれが欲しいの??」
「えぇ!?そんなの悪いから、いいよ!!それに使う事もないだろうし……」
慌ててミランダは、リカルドの申し出を即座に断る。
すると、二人のやり取りを黙って聞いていた屋台の主ーー、三十代後半と思われるブルネットの髪の女性がこう切り出してきた。
「ものに寄るけど、少しくらいならまけてあげるよ。お姉さん別嬪だし、特別だよ」
「えぇ?!そ、そんな……」
「良かったじゃないか、ミラ。ほら、どれが欲しいか言ってごらんよ」
女性とリカルド双方から促され、ミランダはずらりとひしめく数多の装飾品の中から、琥珀色に光り輝く小さな髪留めのようなものをおずおずと指で差し示す。
女性はそれを手に取り、ミランダに手渡す。
それは黒いピン止めの先に、琥珀色に加工された、小さな星の形のガラス細工が付いているものだった。
「これはそこまで値がはるものじゃないけど、更にまけてあげるよ」
「い、いくらするんですか??」
女が値段を掲示すると、リカルドは鞄からすっと財布を取り出す。
「リカルド!本当にいいってば!自分で買うよ!!」
「ミラ、たまには僕に格好つけさせて」
リカルドはニコリと爽やかに微笑み掛け、彼のこの笑顔に弱いミランダはたちまちそれ以上言葉を続けられなくなってしまう。その間に、リカルドは女にお金を支払っていた。
「はい」
ご丁寧にも、髪留めは赤いビロードで作られた小箱に入れられている。妙な高級感が醸し出されている箱をリカルドから受け取ると、ミランダは「本当にありがとう……。このお礼はちゃんと返すわ」と、神妙な顔付きで礼を述べる。
「うーん、お礼も何も……。ただ、この髪留めが君に似合いそうだし、と思ってしたまでだからなぁ。でも、ミラがそこまで言うなら、お願いがあるんだ」
「何かしら??私に出来ることなら、何でもするわ」
「そんなたいしたことじゃないよ」
リカルドは、妙に嬉しそうに微笑んでいる。一体何なんだろうか。
「この髪留めを付けた姿を見せて欲しいな」
「へ??」
どんなお願いをされるのかと、内心ドキドキしていたミランダは拍子抜ける余り、つい間の抜けた声を上げる。
「そんなことで良いの??」
「うん。とりあえず、いつもの場所に戻ろうか。あそこなら、人が少ない分ゆっくりできるし」
リカルドの、いつにも増して満面の笑顔に押され、彼の言葉に従い、二人はいつもの銀杏の木の下まで踵を返したのだった。