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第一話

 夜空に瞬く全ての星が金貨に変わり、私の元へと降り注いでくれたなら……、私は自由の身になれるのに。


 でも、そんなお伽話のような出来事が起こるなんて絶対に有り得ない。


 ーーだからーー


 今日も私は、虚しさを隠すように完璧な化粧と笑顔で自分を飾る。

 そして、なりふり構わず誰とでもかまわず、生きるために嘘の愛を売るの。





(1)

 この街の歓楽街には、多数の娼館、及び売春宿が立ち並んでいる。

 その中に置いても、ここ「スウィートヘヴン」という娼館は高級娼館とまではいかないまでも、娼婦の質が良く、上流階級の人々も隠れて足繁く通い詰める程の人気の店だったーー。



「……あ、あんた……。中々良かったよぅ……」 

 事が終わり、ビスチェの編み上げを器用に結ぶミランダの背中越しに向かって、ベッドの中から男は呼び掛ける。

「それはどう致しまして」

 声に反応したミランダは男の方を振り返る。ここぞとばかりに、満面の笑みを浮かべながら。

 少しだけ目尻が吊り上がったアーモンド型の大きな瞳は笑った途端、愛嬌の色が更に増す。その、子猫が甘えるような可愛らしい表情に男は見惚れ、すぐさま顔を真っ赤にさせてしまった。

(……どれだけ女に免疫ないのかしら、この男。事後でもこの反応って……、生娘じゃあるまいに。いい歳した中年親父にこういう反応されても可愛くもなんともないわね。むしろ気持ち悪……)

 ミランダは、笑顔はそのままで心の中で毒づきつつ、乱れた髪を櫛で丁寧に梳き直す。櫛に流れる、癖のないプラチナブロンドの長い髪はミランダの自慢だった。

 髪を梳き終わり、下着の上にガウンだけ羽織ったミランダを、いつの間にか服を着ていた男が呆けた様子で眺めている。人の行動を逐一観察しているなんて……、と、益々嫌悪感は募っていくが、絶対に表には出したりしない。冴えない男とはいえ、彼はこう見えて寄宿学校の教師でそこそこの上客だから、手放すわけにはいかなかったからだ。

 代わりに「名残惜しいけど、もう今日は時間よ。貴方と会えて嬉しかったわぁ。また遊びましょう」と告げて、部屋を出るよう促す。そして、自分も玄関まで男を見送るために共に部屋を出たのだった。

 男を玄関先まで出て見送った後、周りには誰もいないことを確かめると、すぐさまミランダは煙草をくわえて火を付ける。

「ミランダ、店先で煙草を吸うのは止めなさいと何回言えば分かるの??」

 品のある穏やかな口調ながら、それでいて妙に冷たさを感じる熟年女性の声が背後から飛んでくる。

「まだ次の客が貴方を待っているのよ、しかも二人もね。煙草なんか吸ってないで、さっさと身体を綺麗にして身支度して頂戴」

「……ママ、煙草の一本くらいさ、ゆっくり吸わせてよ」

 心底うんざりしたようにミランダは口答えをするが、ママ、もとい、この娼館の主であるマダムは、つかつかとミランダに近づくと吸っていた煙草を強引に取り上げた。

「何よ、私じゃなきゃ駄目な訳?私、今日三人も相手して疲れているんだけど」

 尚も不服そうにして反抗するミランダに、マダムは一段と冷たく言い放つ。

「駄目に決まっているでしょ。二人とも長い時間貴女を待っているの。一分一秒でも早く相手してあげなきゃ、待ちくたびれて帰ってしまうわ」

「他の娘に代われないの?今夜の取り分はすでにたっぷり貰っているわ」

「しょうがないでしょう??私も、相当な長時間待たせることになるからいつ相手できるかは分からない、と説明したけど、二人ともミランダじゃなきゃどうしても嫌だと言うのよ。上客じゃなきゃ、また日を改めてくれと断っているわ」

 マダムは、客にちゃんと断った上で、貴女に仕事をしろと言っているのよ、という旨を強調させてくる。

 いつもならば、すぐに自分を正当化して、と鼻白むところだが、『上客』という言葉を耳にした途端、ミランダの顔色が変わる。つい数秒前までやる気のなさを全面に出していたのに、一気に大きな琥珀色の猫目が爛々と輝きだした。

「やっとやる気になってくれたかしら」

 やれやれと言いたげに肩を竦めるマダムを無視し、ミランダは早急に店の中へ戻っていき、いそいそと身支度を始めたのだった。


(2)

 一人目の上客は医者だった。

 医者は紳士的な態度を終始崩さず、更に「これは内緒だよ」と、揚げ代の他にチップまで渡してくれるという(この娼館では、客が個人的に娼婦へのチップを渡すことを禁止されている)気前の良さに、ミランダは大変気を良くすると同時に、毎回こういう客ばかりであればいいのに、と、心の中で溜め息をついた。

 医者が質実共に上客だった分余計に、二人目の上客を相手するのが少し億劫だな、と思いつつ、化粧とドレスをすぐに直す。

 程なくして、扉を叩く音が部屋に響いた。

「どうぞ、入ってちょうだい」

 呼びかけた後、少し間を置いてから部屋に入ってきた男の顔を見て、ミランダは思わず「……あっ……」と声を上げそうになった。

 ブロンドを通り越したシルバーに近い髪色、彫像のように完璧に整った顔立ちの中で特に、何を考えてるか判り難い、冷酷そうなコバルトブルーの瞳、すらりとした長身に高級スーツを身に纏う彼のことを、この街で知らない人間など誰もいなかった。


 彼はーー、この街を二百年以上に渡り統治している、ファインズ男爵家の次期当主、ダドリー・R・ファインズであった。



 ダドリーは、男爵家の跡継ぎとして以上にとんでもない道楽者として有名で、取り巻き達を従えて酒場や賭博場、娼館などに顔を出しては金を湯水のように使い、夜な夜な遊び歩いていた。

 男爵家ではそんな彼の素行に頭を悩ませているようだが、ミランダ達のように歓楽街で生きる者達からすれば、最高の上客でもあった。


 ーーこれは、千載一遇の好機だわーー



 彼を上手く篭絡できればーー、この娼館から出て行くことができるかもしれない。

 希代の放蕩息子だろうと何だろうと、ゆくゆくは爵位を受け継ぐ男だ。男爵夫人に、とまではいかなくても、彼の愛人くらいには納まれる可能性だってなきにしもあらずだ。

 勿論、身分の違いがあるし、そう単純に上手くいく訳がないことくらいは分かっている。ひとまずは今回きりにならないよう、次に繋げられるようにすればいい。 ミランダは初めて客を取らされた時と同じくらい、緊張した面持ちでダドリーを迎えたのだった。

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