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二人は夕食を終えると、再びホテルへと戻ってきた。
真っ暗な部屋。
そこに明かりが灯る。
途中で買ってきたお茶を、一口。
電源の消されたパソコンのすぐ横に置く。
と、電源を付けた。
ファンが唸りをあげ、画面に変化が訪れる。
「佐藤さん。」
静かに呼びかける。
真っ暗な窓に映った自分。
何故か……
「どうしましたか?」
ベッドに腰掛けた状態で、こちらの呼びかけに反応する。
誰かが廊下を駆けてゆく音が聞こえた。
「僕は、少しゲームの中に行くから、今日は寝てていいよ。」
佐藤さんは迷ったように、時計と僕とを交互に見つめる。
「あれだけの喧嘩を売った後です。」
「てっきり見捨てる物かと思っておりました。」
小さく鼻で笑う。
「まさか、ね。」
「あぁは言ったけども、警察や社会そして上は僕の責任だと言うだろうからね。」
「出来る事なら、向こうで倒す。」
「出来ないのであれば、こちらで新しいプログラムを作る。」
そういう僕に対して、しばらく迷ったようなそぶりを見せる。
この約24時間でいろいろあった。
ただ今は休むべき。
佐藤さんも、十分それをよく知っているからこその反応なのだろう。
「分かりました。」
「では、先に失礼します。」
その言葉を聞くと、僕は改めて画面に向き合った。
ソフトを起動させ、パスワードを入力する。
今、彼女は……
いや、彼は一体何をしているのか。
真っ暗な窓に映った自分。
それは何故か、笑っていたのだった。
★☆★☆
バケツをひっくり返したような激しい雨。
現実でこれほどの雨が降っていたならば、外に出ることは無いだろう。
ただ一人、私は海岸で彼女を待ち続ける。
激しい波が、飛沫をあげる。
遠くに見える街と浜辺との境界線。
そこに、人影が見えたような気がした。
水平線の向こう側で、一瞬光る。
遅れて聞こえる雷鳴に、先ほどの光の正体が雷だと認識させられる。
人影は大きく手を振ってくる。
こちらの存在を知っている者。
アッシュだけだ。
私も彼女に対して、大きく手を振りかえす。
待つこと数分。
その人影は、ようやく会話できる位置にまでやってきた。
「先ほどはすいませんでしたぁ!」
この時の私は唖然としていた、が最も近い表現だったのだろう。
現れたのはアッシュではなく、信玄。
そして突然のこの態度である。
先ほどまで高圧的な態度だった敵が、媚びるようなこの感じ。
驚くな、と言われる方が無理がある。
「ライゼルさんあなたの事、正直舐めてました。」
「勝利への執念、この身にしっかりと感じ取りました。」
下げた頭から垂れる滴。
それがもし、涙であったとしても誰にも分からないだろう。
「でも……」
「次は勝ちますよ?」
雷がどこかに落ちた。
重い重い雲は、今度は何を降らせるのだろう。
「信玄、あんた一体何してるの?」
ようやく現れたアッシュ。
頭を下げている信玄に、状況が分からないのだろう。
「あ、アッシュ。」
「何って、弟子入り?」
「チートの入れ方でも教えてもらおうかと思って。」
戦闘が終了している事。
自分自身が敗北してしまった事。
これらの事から、アッシュは私が戦闘し勝利したことを悟ったのだろう。
大きくため息をつく。
「もう、いいんじゃない?」
「ライゼルが良いって言うのならね。」
勝たねばならなかったその勝負。
それに負けてしまったことによる、彼女の気持ちの揺らぎは計り知れない。
だがアッシュは強い。
その揺らぎを悟られないように、これまでどおりの態度を貫いている。
「私もいいよ。」
「でも、チートについては誰にも言わないなら、ね。」
喜ぶ信玄。
呆れるアッシュ。
改めて私たちは、三人でパーティを組んだ。
アビスドライブへの入口。
金属の扉へと、私と信玄が同時に触れる。
それぞれ振れた手の位置を中心に、緑色の輪が広がり二つの円がつながった。
パーティのリーダーはアッシュ。
彼女が盾を装備し直し、円の中に手を触れる。
潮風に当てられ真っ赤に錆びた金属の扉に、直接メニューが表示される。
同時攻略パーティ数、他のプレイヤーの途中参加を認めるか。
慣れた手つきで設定して行くアッシュ。
「準備はいいかな?」
私と信玄は無言でうなずいた。
「攻略、いくよ!」
アッシュはスタートの表示を叩きつけた。
ゴロゴロと、重たい扉がレールを動く。
その音がダンジョン内部で響き渡る。
アスファルトで舗装されたダンジョン内。
だが人の手は長い間入っていないようで、所々ヒビが入り雑草が顔をのぞかせている。
内部へと歩き出す。
四車線にも及ぶ太い道路。
それが洞窟の奥へとつながっているのだ。
天井の岩の針から、一滴。
その音が、洞窟の壁を跳ね回る。
入口から差し込んでいた、外の光と音は閉ざされる。
外界と隔離され、完全に助けを呼べない状況になった。
うっすらと光る苔。
それらが壁面を埋め尽くすように生えている。
「さすがに暗いな……」
心の中で、信玄の言葉に激しく同意する。
ふと立ち止まるアッシュに、私たちもそれに合わせた。
彼女は目を閉じている。
そっと開かれたその眼。
また、色が変わっていることに気が付いた。
「ハイパーリンク、ライゼル、信玄を選択。」
瞬きしたその瞬間から、いくつものリングが表示されていた。
ある物は動き、ある物は止まり。
それぞれが意思を持っているのかのようだった。
「この輪は?」
私の疑問に対し、再び奥へと歩き出しながら彼女は答える。
「敵座標計算スキル。」
「モンスターが敵だと表示が変わるよ。」
天井からリングが落下し、地面ギリギリで浮上する。
雑魚モンスター、ケイブ・バット。
抜きかけた腰の刃。
だが、すぐ横を何かが通り過ぎてゆく。
「ライゼルさんの手を煩わせる間でもないです。」
「このくらいなら、俺一人でも倒せますよ。」
言いながら、彼女は敵に刺さった槍を抜く。
驚くほどの火力。
チートなんか使わなくてもここまで火力が上がるなんて……
「槍ってのはですね、投げ攻撃だと1.5倍になるんですよ。」
「結構強いですが、武器が無い状態で戦わなければならないこともあるので、そこが欠点ですね。」
続けて降下してくる三体ものモンスターに対し、的確に突きを当ててゆく。
「さっすがだねー。」
倒された敵から落とされた、緑色の輝き。
ワイザーの魂。
四体倒して、ようやく一つ手に入れた。
「信玄さ、いつから槍に変えたの?」
たった一人、信玄だけが暴れまわる状況で、アッシュは問いかける。
戦車の瓦礫によって防がれた巨大なトンネル。
これ以上奥へは行けないらしい。
三人はすぐ横の、小さな扉へと入ってゆく。
「結構最近。」
「平均の火力は下がるけど、刀よりも使いやすいって最近気づいた。」
舗装されていない天然の洞窟。
信玄を先頭に、ゆっくりと進んでゆく。
そこは、二人以上横に並んで歩くことはできないほどの狭さだった。
「ギルマスは?」
冷たい、洞窟の空気が肌を刺す。
正面に出てきたワーム状の敵を、信玄が突進で蹴散らした。
「相変わらずかな。」
「アッシュが抜けて、ヤバさが上がったかな?」
そう、と呟き転びそうになる彼女。
後ろにいた私は、慌てて手を差し伸べる。
「ありがとう。」
ニッコリと笑う彼女。
その声が、奥へ奥へと響いていく。
「アッシュさ。」
「どうしてギルドを抜けたの?」
二人の会話を聞いて、思ったことを口に出す。
足元を流れる小さな水が、耳に突き刺さる。
「うーん……」
「私達のいたギルドは、あの時は最強だったんだよねぇ。」
「今でこそ最強クラスに成り下がっちゃたけど、そうだなぁ……」
「張り合いが無くてつまらなかったから、だね。」
奥から一方的に流れてくる冷気。
奥から一方的に流れてくる轟音。
ようやく、私たちは開けた場所へとたどり着く。
突如現れた、巨大な滝。
その光景に、思わず目を見張る。
飛び散る飛沫が、氷の張りとなり飛散する。
一歩、それに地下ずくと背後で何かが崩れる音がした。
これまで歩いてきた洞窟の天井が落ち、出口が塞がれたのだ。
二人は滝に向かって武器を構える。
下からゆっくり上ってくるリング。
それはちょうど目の高さで止まった。
「ライゼル、構えて。」
「キーモンスターが来るよ。」
滝の中へと目を凝らす。
何がいるのか分からない。
だがそこに、こちらを見つめる存在がいる。
ゆっくりと、刀を抜いた。