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誰もいない小さなカウンター。
狭いその空間を蛍光灯が万遍なく照らす。
「ごめん、ちょっとどいて。」
アッシュに言われて扉の正面から横にずれる。
人一人がすれ違えないほどの狭さ。
私は窮屈に感じながらも、カウンターのタッチパネルを操作する。
現れたのは三つの項目。
その中にある、職業について尋ねる、を選択した。
「おはようございます。」
「私が職業関係の担当をさせてもらう、アイン・レナ・カミラです。」
唐突に聞こえる声に、一瞬驚いた。
誰もいないと思っていたその空間に、第三者の声が聞こえてきたのだから。
丁度カウンターの向こう側に、まだ幼い少女が一人そこにいた。
彼女は構わず話を続ける。
「現在、あなたの職業はサムライです。」
「他の職業を解放するには、ワイザーの塊を50個持ってきてもらう必要があります。」
『アイン・レナ・カミラから依頼が来てます。』
『受注しますか?』
新しいウィンドウが開き、それはNPCから依頼されたことを告げる。
ここで依頼がきたか……
予想しなかったことに、一瞬迷ったものの。
「たぶん、アイテムボックスの中に入っているよね。」
と、NPCからの依頼を受注した。
施設をでる。
すると先ほどまで無かった重たい雲から、大粒の雨が降り注いでいた。
「臨時来たねぇ……」
「とりあえず、職変えられるようにだけはしようか。」
つぶやくように言うアッシュ。
そういえば、まともなアッシュとの臨時はこれが初めてになるのか。
濡れたアスファルトを通り、アイテムボックスへと向かう。
道行く自動車は、昼だというのにライトを点灯させる。
現代がモデルのこの街。
現実に帰ってきたことを錯覚させる。
まだ私が閉じ込められている事は、誰一人として知らない。
おそらく、運営でさえも……
ようやくたどり着いたアイテムボックス。
私はそれを空けた。
ワイザーの塊を検索欄に入力する。
後は見つかったそれを取り出すだけなのだが。
……無い。
全てのアイテムがあるはずなのに。
何度確認しても、何度入力しなおしてもワイザーの塊は見当たらない。
五十音順に並び替える。
ボックスに入っている最後のアイテムは、初めが『や』。
そうか。
『わ』までは入りきらなかったのか。
そっと、私はボックスの蓋を閉じた。
「アッシュ、ごめん。」
「はいって無かった。」
驚いたような表情で固まるアッシュ。
状況がよく理解していないらしい。
「えっと、君はチートを使ってアイテムを全開にしてたんだよね?」
確認するのかのように彼女は問いかける。
「そうだけど、チートも万能じゃないの。」
「まずアイテムボックスの上限を上回るほどの種類のアイテムがある。」
「そのおかげで、全てのアイテムは入りきらなかったみたい。」
正直自分でも推測であることだ。
明言こそは出来ない。
だがさすがアッシュ、優しい。
「仕方ないなぁ、もう。」
「ほら、サクッと取りに行こう。」
「とりあえず、アビスドライブにいこうか。」
「たぶん全部の雑魚から出るはず、だよね?」
メニューから確認してみると彼女の言う通りだった。
どんなモンスターからでも可、か……
それにしても。
「君、よく職業変更なしでオンラインに来れたね。」
それは褒め言葉なのか、ただの皮肉か……。
激しい雨の中、太い歩道を二人は歩く。
絶え間なく続く車の流れが、後ろから追い抜いてゆく。
それはまるで私のようだ。
街と郊外とを隔てる門。
門のすぐわきに、独りの女性がもたれながら立っているのが分かる。
気にせず門をくぐろうとする。
と。
「おい、ちょっと待てよ。」
気にせず歩を進める。
「お前だよ、聞こえてるんだろ?」
しっかりと肩を掴まれた状態では、もう白を切るわけにはいかない。
背中に背負った、薙刀と言う物だろうか。
それが雨に濡れて、反った刃から滴が落ちる。
「今から俺と一騎打ちしないか?」
「もちろんポイントで、だ。」
いきなりの申し出。
だが、それを受けるわけにはいかない。
「悪いけど、この人は貴方の相手をしている場合じゃないの。」
驚いたことに、言いながら彼女の腕をつかんだのはアッシュ。
そして驚いたのは私だけではなかったようだ。
「ね、姐さん!?」
「どうして、こんな奴と?」
「と言うか、邪魔しないでくださいよ。」
姐さん?
アッシュが?
一体、この二人はなんなんだ……
「邪魔なのは貴方。」
「この手を早く離してもらえる?」
はじめてみる彼女の威圧的な態度。
思わず身震いした。
それは冷たい雨だけによるものではないだろう。
睨みあう両者の勝負は、すぐに決着がついた。
「わ、分かりましたよ。」
「そのかわり、一緒に連れてってください。」
ようやく肩の手が外された。
あまりにも強く掴まれていたために、わずかながら痛みが残っている。
大きなため息の音。
「あのね、私たちはやることがあるの。」
「いい?」
「残念ながら、貴方をパーティに入れることはできない。」
独りたたずむ彼女を残して、私とアッシュは門の中へと進んだ。
「あいつ、何者なの?」
知り合いであることは確かなのだろう。
それは誰がそう見てもわかることだ。
「名前は信玄。」
「とりあえず、今の私から言えるのはこれだけ。」
門を抜けるとそこは、広大な浜辺だった。
見渡す限りの砂、見渡す限りの水。
綺麗な湾を描き、それは誰もが思い浮かべるような理想の海岸だった。
ただ一つ、天候が雨でなければ、だ。
「ここの海岸エリアにアビスドライブの入口はあるよ。」
「そこでなら敵もたくさん出てくるよ。」
この場所でもわずかながら出るらしい。
遠くの方でちらほらと、小さなモンスターが動いているのが分かる。
「本当は晴れてたら遊ぶつもりだったんだけどね。」
「てか、ここに来るなら先に水着買っても良かったじゃんか。」
白波。
それは二人の足跡を消してゆく。
深い藍色の海面を、天からの槍が波紋を作り上げる。
そしてまた一人、門を潜り抜けた人影。
「いいさ。」
「だったら俺にも考えがある。」
呟く彼女の背中の刃。
また一粒、滴が落ちた。