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今朝に一度来たその場所へ、僕たちはもう一度足を運んでいた。
大きく深呼吸したのち、インターホンを鳴らす。
僕らを全く待たせることなく、その扉は開かれた。
今朝と同じ女性。
「お待ちしておりました。」
「どうぞ。」
失礼しますと、ただ一言。
それだけを告げて屋内へと入ってゆく。
ここに来て一歩一歩がなかなか進まない。
前からの風圧が。
無いはずの向かい風が、僕を押し戻す。
だが、その瞬間はやってくる。
「失礼します。」
同じリビングに続く扉を開ける。
「どうぞ、おかけください。」
今朝と同じ部屋に、今朝にはいなかった男性。
父親か……。
二人、いや三人はそれぞれ机を挟んで向かい合った。
「どうぞ。」
紅茶がテーブルの四か所に置かれていく。
四つ目が置かれた瞬間、母親もその席に着いた。
一口、口に含める。
紅茶独特の渋みが口いっぱいに広がった。
「あの、うちの子が目を覚まさないのは、あなた方と関係があるのですか?」
彼女が口を開いた。
この人は一体どこまで知っているのか。
コンピュータに詳しいのは旦那の方だと知っている。
だったら、フルダイブにおける事故の事も知っているのかもしれない。
「はい。」
「ゼロではありません。」
ゆっくりと、早口にならないように気を付ける。
こういう時こそ、落ち着きと言う物が大切だ。
「では、息子がプログラムのコンテストで選ばれたというのは……」
視点が定まっていない。
不安で不安で仕方がないのだろう。
今後自分の子供が、二度と目を覚まさないのではないかと言う不安。
「率直に言います。」
「ウソです。」
空気が変わった。
優秀な息子と言う輝かしい状況から一転。
変わらないはずが無かった。
「もう、息子はどうにもならないと?」
ようやく父親が口を開いた。
とても低く、深い声。
その中に怒りと言うのか、何かしら隠された感情を感じる。
「現在我々は総力をあげて、解決への道を探っております。」
これは嘘だ。
このことを知っているのは、僕と、佐藤さんそして山村さんの三人だけだ。
「さっさとどうにかしてもらわないと、また月曜には学校があるんだぞ?」
「授業に遅らせるわけにはいかない。」
感情が膨れてゆく。
目の前にいる彼のではない。
「ですので、総力をあげて解決への道を……」
なだめようとする僕の言葉は、途中で遮られた。
「そんなことが聞きたいんじゃない!」
「こうなってしまったのも、お前たちがきちんと管理しないからだろう?!」
父親は立ち上がる。
「警察に通報させてもらおう。」
水風船の如く膨らんでいた感情は、破裂しどす黒い液体を飛び散らせた。
「残念だが、僕らには一切の責任はない。」
「管理?」
「責任?」
「それらは全て、消費者がこちらのルールにきちんと従った時にのみ僕らが負う物だ。」
飛び散った黒い液体は、僕の心の器を支配してゆく。
「そもそもこのゲームはその残虐性から、18歳以上でないとプレイできないはずだ。」
「当然、店では年齢確認を行っている。」
「それを何故、見るからに達していない彼が持っていたのか。」
怒り。
黒い感情からくる、怒り。
それに器は今、満たされた。
「外部不正ツールを使用するなと、同意書にも書いてあったはずだ。」
「偽の個人情報を入力し、同意書に書かれた内容を無視して。」
「なぜ、僕らがそんなやつに対して責任を、管理をしなくてはならないんだ!」
「別に警察に通報しても構わない。」
「誰に聞いてもこう答えるだろう。」
「あんたたち、両親の監督不足だ、と。」
言い終えると僕は荒々しく立ち上がる。
「これで失礼させてもらう。」
「もう二度と、ここに来ることもないだろう。」
慌てて追いかける佐藤さんを置いて、僕はその忌々しい家に背を向けた。
「監督。」
「監督!」
既に車に乗り込んだ僕のその隣に、彼女は乗り込んだ。
「全く、どうして喧嘩を売っちゃたんですか。」
「まぁ、すっきりはしました。」
二人を乗せたそれは、ゆっくりと走り出す。
「やはり両親は少々甘やかしすぎるタイプだったみたいだね。」
「どうも一人っ子と言うものは、甘やかしすぎる傾向があるらしい。」
大きく息を吐き出す。
まだ心の底の方に、強い粘り気のあるようなそんな何かを感じた。
時刻は午後6時。
空腹であったというのも、悪い方向に転がってしまったのかもしれない。
しばらくの間一言もかわすことなく、そして何の目的も無くホテルへの道を走っていた。
間もなく到着するという時、ようやく佐藤さんが口を開いた。
「父親、ですが……」
「もう少し物わかりの良さそうな方だと思っておりました。」
「まぁ、私の勝手な第一印象ではありましたが……」
駐車場へと滑り込む。
地下への急な坂道を、急なカーブを減速しながら曲がり切る。
「監督のお父様はどのような方でしたか?」
殆ど無言だったために、重たくなったこの空気。
それに耐えかねたのだろうか。
「僕の父親はね、どんなことでも挑戦してみろ、ってタイプだったよ。」
「フランスへ留学することになったときも、後押しはしてくれたね。」
「母親には結構反対されたけどね。」
「ただ、いつも責任だけは自分で取れと教えられたよ。」
さっき怒ってしまったのはその影響なのかもね、と言いながら空いているスペースへバックで駐車した。
「ふむ、もうこんな時間か。」
「折角だし、なにか食べに行こうか。」
先ほどまで底の方に残っていたドロリとした何かは、佐藤さんのおかげでどうにか消え去った。
軽くなった心。
透明なグラスのようなそれは、綺麗に光を通している。
「いいですね。」
「ひつまぶしとかどうです?」
一度止めたエンジンを、もう一度付け直す。
西に沈みかけの太陽が、柔らかに後押ししていた。
★☆★☆
二人が帰った後、北条和真の父親すなわち、ライゼルの父親はその場で立ったままだった。
予想外の出来事。
テーブルにある紅茶をのみ、一旦気持ちを落ち着かせる。
心配そうに見ている妻に、大丈夫だ、とだけ告げる。
もうすぐだ。
もう少ししたら、現れるであろう。
こちら側に戻ってこない息子に対し、一つの感情だけを感じてその時を待つ。
時計の針が進む音。
昔から姿を変えないその見た目。
あらゆるものがデジタル化された、この時代においてかれたような。
いや違う。
生まれた時から最先端だったんだ。
インターホンが鳴る。
この時間に来るのは、あの人しかいない。
扉を開ける。
「どうも、こんばんは。」
スーツを着た、同じ年齢くらいの男性。
「お待ちしておりました。」
「つい先ほど、貴方の部下が現れましたよ。」
家の中へと案内しながら、会話を続ける。
「そうでしたか。」
「で、どうですうちの社員は。」
小さく鼻で笑う。
「そうですね。」
「面白い、です。」
カチリ。
時計の針が動いた。
富岡正信。
仮想現実開発にもっとも注力し、堂本と佐藤が所属する会社の社長。
彼は今、ゆっくりと椅子に腰かけた。